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レズビアンからノンバイナリーへ。“島ナイチャー” がやっと見つけた自分らしさ【後編】

レズビアンからノンバイナリーへ。“島ナイチャー” がやっと見つけた自分らしさ【前編】はこちら

2025/08/31/Sun
Photo : Tomoki Suzuki Text : Haruka Isobe
羽田 知佳 / Chika Haneda

1981年、東京都生まれ。高校時代、女性の親友に恋心を抱き、20代半ばごろにレズビアンとして生きることを決心したが、現在はノンバイナリーを自認。2013年より念願の沖縄移住を果たし、今年で移住12年目。特定相談支援・障害児相談支援事業所で相談支援専門員として活動するかたわら、LGBT当事者の悩みに寄り添うサポーターを務める。

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INDEX
01 都会っ子が島ナイチャーに
02 “超” 放任主義の家庭
03 親友がほしかった
04 異性が気になる中学時代
05 親友に、恋をした
==================(後編)========================
06 好きなのは男性? 女性?
07 レズビアンとして生きる
08 カミングアウトは伝言ゲーム方式
09 沖縄で人生を再スタート
10 LGBTという言葉がなくても生きやすい社会に

06好きなのは男性? 女性?

あなたが男だったら彼氏にしたかった

ある日、私と親友の親密な様子をけげんに思ったのか、同級生から「レズビアンなの?」と問われた。

その疑いに対し、親友は強い拒否反応を示していた。

「私が『女同士じゃだめかね?』みたいなこと言ったら、彼女から『いやもうありえないでしょ』という反応が返ってきて」

「知佳が男だったら彼氏にしたかったな」という彼女の言葉が、ぐさりと胸に刺さる。

その後、親友への特別なおもいを姉や友だちに相談してみることに。

「私が『これは恋心なのかな』って相談したら、『それはただの友だちなんじゃないの』『恋愛じゃないんじゃないの』と否定されて」

やり場のないおもいを抱えながら、彼女とは交友を続けていたが、告白することはなかった。

失恋で傷ついた心を埋めるために

高校卒業を目前に、同性を好きな気持ちに折り合いを付けられないまま、「やっぱり異性と恋愛をしないといけないんだ」と思うようになっていた。

「大学が推薦で受かったもんで時間を持て余して、自動車の教習所に通ってたんです。そのときに教官から『ちょっとお試しで、3か月付き合ってみない?』って告白されて」

「そのときは、もう心が荒んでたので『もういっか』みたいな気持ちで、付き合うことにしました」

自分より16歳年上で、バツイチ。
正直、見た目もタイプではない。

「やっぱり『ああ、違うな』って思って、付き合って3か月ちょうどでお別れしました」

気の合う彼氏と、ぬぐえない違和感

大学に入って間もなく、友人から紹介された同い年の男性と付き合うことに。

彼は、同じ大学の学部を目指す一浪生だった。

「彼とはすごく話が合って。交際した男性のなかで唯一、魅力を感じた人ですね」

「彼は音楽のセンスもよくて、洋楽をよく聞いてる人でした。あと、ゾンビパウダーとかマニアックな話で盛り上がることもありました(笑)」

二人ともお酒好きだったため、一升瓶の日本酒を買って飲み交わすのが習慣になった。

「一緒にいるのはすごく楽しかったけど、やっぱり『なんか違うな』みたいな感覚はありました」

「体を重ね合うと『違うな』みたいな感覚が、異性と交わるときにいつもあって」

違和感を抱きつつも、彼とは別れたり付き合ったりをくり返しながら、関係を続ける。

07レズビアンとして生きる

20歳で「レズビアンになろう!」と決心

「最初にカミングアウトした相手は、その彼だったんですよ」

「私が『女の子が好きかも』って話をしたら、彼が『男性であろうと女性であろうと、もし今、その相手と付き合ったらもう浮気だからね』って言ってくれて」

そんな彼に好感を抱くと同時に、初めて自分のセクシュアリティを受け入れてもらえた安心感を覚えた。

「そこからちょっと自信を持ったのか、20歳ぐらいで『よし、レズになろう!』と、いったん思い始めました」

インターネットで中野にレズビアンコミュニティがあることを知ると、さっそくそこへ足を運んだ。

「初めてレズビアンコミュニティに足を踏み入れたわけですが、それでも『うーん、困ったな』みたいな感じでしたね」

「そのあと、渋谷のレズビアンバーに行ったんです。外国人のお客さんが多いバーで、外国人の女の子がビキニ姿でダンスしてるような賑やかな雰囲気でした」

「英語も話せないし、どうしよう」と戸惑いながら、仕方がないと思いひとりで飲んでいると、女性が隣に座って話しかけてくれた。

その女性は、初めてできたレズビアンの仲間だった。

タイプの女性と出会えない

レズビアンバーで出会った女性からアプローチを受けるも、恋愛対象としては見ることはできなかった。

「レズビアンコミュニティに入ってはみたものの、結局タイプの女性と出会えなかったんです」

「だからもう、あきらめようと思って。それでイケメンで趣味の合う彼の方に戻っていったっていう・・・・・・」

レズビアンはバーなり掲示板なり、そういったコミュニティに行かなければ出会えない。

そして行ったところで、タイプの女子に出会えるとは限らない。

「なんで異性同士みたいに、普通に人の紹介とかバイト先で出会うとか、そういう自然な出会いができないのかなって思いながら、女性との付き合いは、なかばあきらめてました」

こうして異性愛者としての道を進むことになった。

レズビアンに “なって” 初めての彼女

彼と付き合いながら、バイト先のスナックの男性客や、ほかの異性と一夜を過ごすこともあった。

「今思えばセックス依存だったのかな」

男性と身体的な接触に嫌悪感を抱きつつも、刹那的な関係をくり返してしまう。

当時は、埋まらない心のすきまを埋めようと必死だったのかもしれない。

「大学卒業後は整体の専門学校で通信講座を受けて、医学気功整体師の資格を取りました」

「それからリラクゼーションサロンで働き始めて、そこでスタッフの女性と付き合うことになったんです」

職場で出会った2歳上の彼女は異性愛者、いわゆるノンケだった。

「お互い、同性と付き合うのは初めてでした」

「そこでようやく『レズビアンになれたな』って感じました。もう異性には戻らないぞ! って決心がつきました(苦笑)」

08カミングアウトは伝言ゲーム方式

同性同士の交際は “秘めごと”

初めての彼女との、初めての夜。

これまでも女性と一夜限りの関係を持つことはあったが、体の相性がどうにも合わなかった。

「そのときの彼女は初めてぴったりきて。『これだ、今まで求めていたのは』と思いました。『男子相手では感じることができない感覚だな』って」

愛する人と心も体も結ばれ、関係は順調かのように思えた。

しかし、そこで同性同士であるがゆえの壁にぶつかってしまう。

「交際してる間は、親にも誰にも知らせなかったので、秘めごとって感じでした」

「苦しかったですけど、それで1年間やり過ごしてました」

彼女の実家を訪れたときも、友だちとして紹介された。

「二人の関係がばれたらどうしよう、非難されるのかな、別れなさいって言われるのかなって不安がありました」

まずは義理の兄にカミングアウト

2人目の彼女ができたとき、家族にカミングアウトすることを決意する。

「初めてカミングアウトしたのは姉のひとり目の夫、私からすると義理のお兄さんですね」

当時、たまたまお義兄さんと2人で飲む機会があり、そこでお義兄さんにこれまで女性と付き合っていたこと、そしてこれからもそうであることを打ち明けた。

「高校生のころ、同性が好きかもしれないと姉に相談したときに全否定されて、今回も同じようなことを言われるのかなって不安があったので、今回は間に人を挟むことにしました」

お義兄さんは、ごく自然に受け入れてくれた。

それから、お義兄さんから姉に伝えてくれることになり、それから伝言ゲーム方式で、姉から母へと話が伝わった。

受容には時間がかかる

「カミングアウトしたあとも、姉が仕事で付き合いのある独身男性を紹介してくることがありました」

「やっぱり時間が必要なのかなって、あとに気づきました。家族も受容に時間が必要だよねっていう・・・・・・ちょっと突然すぎたかなって反省しまたね」

姉から母へ、流れるように自分の話が伝わったが、母から父へと話が伝わることはなかった。

母から、自分で直接父に伝えるよう促されたものの、父へのカミングアウトはかなり勇気がいるものだった。

「最初はね、やっぱり父にカミングアウトするのも壁があったんです。かつて父は、ゲイの方たちを『オカマ』と表現することがありましたし」

そんな父に、大きな影響を与えた人物がいる。

日本で初めて性別不合(性同一性障害)であることを公表し、2003年、世田谷区議会議員選挙に立候補。当選を果たし、現在も政治家として活動する上川あやさんだ。

09沖縄で人生を再スタート

生きづらさを感じる当事者が少しでも減ってほしい

「父へカミングアウトしたあと『やっぱり上川あやさんの存在は大きかった』と、父も言ってましたね」

上川あやさんの存在は、同じ区議会議員である父がLGBTへの理解を深める大きなきっかけとなった。

「そのタイミングで、某機関誌を通じて父にカミングアウトして。そのあとも、父といろんなメディアのインタビューを受けました」

「それをきっかけに、どこかで自分みたいに生きづらさを感じてる当事者が、少しでも減ったらいいなっていう気持ちがありました」

カミングアウトをしてから「勇気をもらった」という声を、あちこちで聞くようになった。

沖縄で新たにキャリアをスタート

20代の終盤、社会福祉士試験に合格し、数年務めた会社を退職した。
退職後は新たなキャリアをスタートするはずだった。

「でも、東京はもう社会福祉士であふれていて、どうにも就職先が見つからず、しばらく実家に戻って父の仕事の手伝いをしてました」

「そのとき、たまたま沖縄に移住してる親友から電話があって、沖縄観光しに行くことにしたんです」

単身で訪れた沖縄で、ある女性と出会う。

「彼女とは沖縄のレズビアンバーで出会いました」

その後、東京に戻り、しばらく遠距離恋愛が続いた。

「当時、彼女は社会福祉事業を立ち上げてる最中で。私もリモートで立ち上げの準備を手伝ってたんですが、まだ法人内の体制が整ってなくて。それで私は、いったん沖縄の町役場で働くことにしたんです」

念願だった沖縄移住とともに、社会福祉士としてのキャリアをスタートさせた。

しかし、既婚者で家庭のある彼女との関係に、少しずつ陰りが見えていく。

「彼女と同じ職場で6、7年働いたんですが・・・・・・そこで彼女と別れて」

「別れてからも、しばらく同じ職場で働いてたんですが、さすがに厳しくて。そこでもう『独立するしかない』と思い立ちました」

ずっとやりたかった仕事

2023年に、相談支援事業所の開業準備にとりかかった。

その年の9月には法人登記を済ませ、12月1日付で相談支援事業所指定を受け、特定相談支援・障害児相談支援事業所として開業した。

「今は、事業所の仕事がメインですが、LGBT関連の相談支援にもたずさわってます」

「もともとLGBTに関連するお仕事をしたいっていう気持ちはずっとあったんです。LGBT当事者の相談支援をやりたいから、障害福祉の道に進んだっていう経緯もあって」

長らくきっかけがつかめずにいたが、ここ数年でようやく自分がやりたかった仕事にたずさわれるようになった。

10 LGBTという言葉がなくても生きやすい社会に

歩くカミングアウト

現在、自分のセクシュアリティは “聞かれたら答える” スタイルだ。

「もう見た目がこんななんで『歩くカミングアウト』っていうふうに、自分では思ってるんですけど(笑)」

これまでは、自ら進んでカミングアウトするわけではなかった。
でも、最近になって心境の変化を感じ始めた。

「相談支援専門員っていう職業柄、公式LINEでクライアントさんや関係機関の方とつながってるんですね」

「公式アカウントでは、1か月に200通まで無料でメッセージ配信ができる機能があって、今年の3月ぐらいに一斉配信でクライアント全員にカミングアウトしました」

予想よりも多くの反響があり、うれしさがこみ上げた。

「毎月いろんな配信をしてるんですけど、その配信のときが一番反響があって。カミングアウトしてよかったなって思いました」

変われたのはパートナーのおかげ

沖縄に移住して10年ほど、LGBTに関する活動にはたずさわっていなかった。

こうして今、当事者の相談支援をしたり、公式LINEでカミングアウトしたりと、公の活動をするようになった背景には、パートナーの存在がある。

「これまで何人かお付き合いした女性はいましたが、相手が家族にカミングアウトしてくれないことがあって、結構息苦しさを感じてたんです」

現在のパートナーは、私が今まで10年間思い悩んできた葛藤を聞いて、共感してくれた。

「彼女自身、同性と付き合うのは初めてだったけど、生涯寄り添うパートナーとして、2人の今後について真剣に考えてくれました」

「それからパートナーが家族に紹介してくれたんです。その後もみんなで一緒に食事に行ったりして、交流が持てるようになりました」

自分のセクシュアリティを、これだけオープンにしても受け入れてくれる人がいる。

初めて、ありのままの自分を受け入れてもらえた気がした。

カテゴライズしなくてもいい世の中に

以前はセクシュアリティを人に話すとき、伝わりやすさを優先して「レズビアン」という言葉を使っていた。

「ノンバイナリー」という言葉と出会ってから、カテゴライズしなければならない場面では、自分をノンバイナリーと表現している。

「幼少期はいつか自分には男性器が生えてくると思ってたし、自分を男の子だと思ってた時代もありました」

でも、男性になりたいわけではない。
あえて言うならば “中性”。

「ここ数年ぐらいでノンバイナリーって言葉を見聞きするようになって『なんかいいな、この響き』って感じたんです。Xジェンダーとか、レズビアンとかはあまりしっくりこなかったけど、ノンバイナリーはいいかなって」

こうしたLGBT用語に対しては、昔から複雑な思いがあった。

「Xジェンダーにしろ、レズビアンにしろ、そういった言葉に自分をカテゴライズするのがすごくいやだったんです」

「今も、そういうのがなくなったらいいのになって思ってます」

当事者のなかには、LGBTっていう言葉があったから救われた人もいる。

でも、自分をカテゴライズしたり、カミングアウトしなくてはいけない立場にあったり、そうした状況にずっと違和感があるのだ。

「パートナーが女性だと言ったところで相手が驚かない、そういう社会になったらいいなと思ってます」

 

あとがき
初めてお会いしたのは、知佳さんのお父さん。LGBTERを立ち上げたころだ。10年の月日を刻み、やっと出会えたうれしさで心躍る取材のはじまりだった■知佳さんは、エピソードから伝わる印象よりもずっと繊細で、優しく、たくましい。今につながる昔話と一緒に、じんわりこぼれた涙は透明で、言葉にはならないおもいを想像した■人生はままならないし、置き場のない感情を抱えたまま時はすぎる。ただ、みどりの山々や青い空は、今日も、10年前も美しい。(編集部)

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