INTERVIEW
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辛いなら手を伸ばしてほしい。その手をつかんでくれる人が、必ずいるから。【前編】

最初は緊張した面持ちの冨樫あゆみさんだったが、大好きな漫画やアニメの話になると、一気に心を開いてくれた。明るい雰囲気で、言葉選びもユニークな冨樫さんだが、その半生を振り返ると、涙を流した時間が長かったであろうと想像できる。それでも人前に立ち、話したいと思ったのは、同じような思いを抱える人に「笑っていいんだ」と、気づいてほしいから。

2020/12/08/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
冨樫 あゆみ / Ayumi Togashi

1989年、山形県生まれ。物心がつく前に栃木県に引っ越す。幼少期からスカートを嫌がる傾向があり、恋愛対象も女の子だった。公立中学を卒業後、私立の女子高校に進学。専門学生時代にうつ病のような症状に悩まされ、25歳で統合失調症と診断される。同じ頃に、自身がトランスジェンダーであることを認識する。現在も病気と向き合いながら、夢に向かって邁進中。

USERS LOVED LOVE IT! 25
INDEX
01 好きなものにあふれた幼少期
02 幼心に抱いていた違和感
03 毎日を乗り越えるだけの中学時代
04 好きになる相手と興味が湧かない相手
05 しんどい日々から救ってくれた人
==================(後編)========================
06 人には話せなかった感情
07 自分はトランスジェンダーだという気づき
08 苦しい日々を生きられたワケ
09 カミングアウトでラクになった人生
10 生きているから「夢」を持てる

01好きなものにあふれた幼少期

漫画とアニメでつながる家族

幼い頃から、漫画やアニメが好き。

「ジャンルは問わず、『アンパンマン』も『ドラえもん』も『セーラームーン』も見てました」

「今でも、戦うヒロイン系の作品は好きです」

「小さい頃は、ジブリ作品や『エヴァンゲリオン』がすっごく怖かった記憶があります(苦笑)」

漫画やアニメが好きになったのは、両親の影響が大きい。

「お父さんは『ドラゴンボール』が好きで、仕事から帰るとまっさきにテレビをつけて見てました」

「私が見てる作品に興味を持って、お父さんが先に録画予約をしてくれてたり(笑)」

「お母さんもいろんな漫画が好きで、同じものを読んでましたね」

自由に育ててくれた両親

美容師の母は、バリバリ働くキャリアウーマンタイプ。

「私が小さいうちに仕事復帰して、エステの副業とかも始めてました」

「仕事が終わるのが遅いから、小学生になってからは学童でお母さんの帰りを待ってましたね」

母はテキパキした人だが、我が道を行くタイプ。

「家族で出かける時に、私とお父さんは準備できてるのに、お母さんだけ化粧してたりトイレ行ってたり(笑)」

一方、父は環境整備会社で働く穏やかな人。

「両親とも自由に育ててくれて、叱られたことはほとんどないんです」
「勉強しなさい」と言われたことは、一度もない。

「受験の時ですら、『自分で勝手にやるでしょ』って感じで、信頼されてました」

ひたすらにマイペース

ひとりっ子で育った自分は、のんびりしたマイペースな子どもだった。

「遠足で日光に行った時に、ずっと景色を眺めてて、班の子たちとはぐれるくらいマイぺースでした」

「休み時間にかくれんぼをした時は、全然見つけてもらえなくて、休み時間が終わっちゃったり(笑)」

男女ともに友だちはいたが、周りに流されることなく、ペースを乱さない。

「外で遊ぶことも好きだったけど、家ではゲームばっかりやってた気がします」

親がゲーム機を買ってくれて、友だちと家で遊んだ。
団地に住んでいたため、周りには同世代の子どもも多かった。

02幼心に抱いていた違和感

言葉にならないモヤモヤ

保育園に通っている頃から、スカートははきたくなかった。

「ピンクはイヤだな、って感覚があったし、小学校のスクール水着に違和感を抱いてました」

「泳ぐのは好きだけど、これは着たくないな、って感じだったんです」

だからといって、男の子のように海パンをはくわけにはいかない。
男女で更衣室が分けられることも、不思議でしかたなかった。

「高学年になると胸が出てきて、生理も始まったので、まいりましたね。なんでなんだろう? って、違和感が積み重なっていった感じです」

言葉にならないモヤモヤを抱えながら、好きになる相手は女の子。

「保育園の時は、お昼寝の時間に起きて、好きな子の手を握ったりしてました」

「先生にもその子にもバレないように、こっそり起きて(笑)」

しかし、直接想いを伝えることはない。

「友だちとして好きなのか、まだよくわからなかったから」

男の子との距離

小学校6年生になると、急に男の子たちとの間に距離が生まれる。

「それまでいつも一緒に遊んでた男の子たちが、急に離れていったんですよ」

「思春期に入ったからなのか、男女がいっせいに分かれた感じでしたね」

「私は思春期らしい思春期がなかったから、みんなの気持ちが理解できなくて、すごく悲しいなって」

これからもずっと一緒に遊べると思っていた友だちが、いなくなってしまった。

その理由を、本人たちに聞くこともできなかった。

「私はゲームもスポーツも好きなのに、なんで一緒に遊べないの・・・・・・って、寂しかったです」

「きっとみんなは、体つきが変わったりして、男女で違うんだ、って思っちゃうんでしょうね」

春休み中の事件

ただ1人だけ、毎日のように家に遊びに来る男の子がいた。

同じ団地に住む1つ年下の子。
特別仲が良かったわけではないが、一緒にゲームをしていた。

中学生になる直前の春休み中のこと、突然その子に押し倒され、胸を触られる。

「その子が何を考えていたのか、よくわかりません。私を好きだったわけではないと思います」

抵抗して、その場は逃れた。

すぐ、母に「ひどいことをされたから、家に帰るのが怖い」と伝える。

「それでも、お母さんは『子どものしたことだから、目をつぶりなさい』って、感じでした」

「私にとってはショックな出来事だったんですけど、取り合ってもらえなかったです」

その日以来、その男の子から嫌がらせをされるようになる。

「ひどい時は、上の階から鉢植えを落とされたことがありました」

03毎日を乗り越えるだけの中学時代

唐突に始まったいじめ

進学した地元の公立中学は、かなり荒れていた。
そして、入学して間もなく、いじめのターゲットにされる。

「原因がわからないくらい、入学してすぐ、いじめが始まった気がします」

女の子たちからは無視され、その場にいないように扱われた。

男の子たちはこっちを見て、観察日記のようなものを書いていた。

「いじめは3年間続きました・・・・・・。しんどかったですね」

教室に居場所がなかったため、図書室や相談室に避難するしかなかった。

支えてくれた人

いじめのことは、親に相談した。しかし、「学校は休むな」と、言われてしまう。

「今思えば、我慢強くなってほしい、って気持ちがあったんでしょうね」

「その分、両親はディズニーランドに連れていってくれたり、息抜きをさせてくれたから、学校には通い続けられました」

「あと、2年生の時の担任が熱血教師系で、『行事には積極的に参加しろよ』とか、定期的に声をかけてくれたんです」

「先生がいるから、なんとか教室でもやっていけるかな、って状態でしたね」

きっと、担任教師はいじめに気づいていた。

しかし、教師が気づいたとしても、対処できるようなものではなかったのだろう。

「中学でいじめられていた分、夏休みは全力でエンジョイしました。落ち込んではいたけど、家でじっとしていられないタイプなので(苦笑)」

学校に通う理由

中学校での救いは、担任教師以外にもう1つあった。

「3年間入っていた美術部が、自分にとって癒しだったんです」

先輩後輩関係なく仲のいい部活で、友だちもたくさんいた。

「活動が毎日あったから、部活を糧に、教室での時間を乗り越えられました」

体育祭や文化祭の時には、ポスター制作に励んだ。

「先生も友だちも、支えてくれる人がいたから、いじめも割り切れた感じでしたね」

「それでも、気持ちはいっぱいいっぱいだったから、人を好きになることはなかったです」

人に思いを寄せられるほど、心に余裕がなかった。
性別に関するモヤモヤも、ほとんど感じていなかったように思う。

「ブラジャーはすごくイヤだったけど、してなきゃいけないのがキツいな、ってくらいでした」

04好きになる相手と興味が湧かない相手

自ら選んだ女子校

いじめから逃れるため、同級生たちが行かないであろう高校を受験。

無事に合格し、同じ中学校の子がほとんどいない私立の女子校に進む。

「同じ性別の子たちだけなら、環境は変わるんじゃないか、って信じてたんですよね」

「男の子たちにひどい目に遭わされたから、男の子がいる学校には行きたくない気持ちもあって・・・・・・」

この選択は、功を奏した。いじめられないどころか、心を許せる友だちがたくさんできた。

「たまたま声をかけた子が友だちになってくれて、輪が広がっていきました」

入学早々のテストの結果が良かったこともあり、担任から「委員長になってほしい」と頼まれる。

「担任は『ごくせん』みたいな先生で(笑)、頼りがいがあったので、私も委員長をできたんだと思います」

「友だちもいて、先生もいい人で、高校生活はすごくラクでしたね」

女の子同士の恋愛

「女子校に入って、初めて女の子から告白されたんです」

クラスの中で目立っていたレズビアンの子から、告白される。

「その時は、単純に恋愛的な好意がなかったので、断りました。でも、女の子から『好き』って言われることは、イヤではなかったです」

「そもそも女の子同士の恋愛を、ダメなことだとは思ってなかったんですよ」

「女子校だし、女の子から告白されることも普通だろう、くらいに思ってました」

その後も何人かから告白されたが、断った。
自分には、気になっている人がいたから。

「同級生の子が好きで、自転車の後ろに乗せて一緒に帰ったりしてたんです」

「でも、その子には、別に好きな子がいることは知ってました。悔しいけど勝ち目はないな、って思ったから、ずっと思いは伝えなかったです」

再び生じるモヤモヤ

一方で、男の子を好きにならなきゃいけない、という気持ちも抱いていた。

「友だちと話を合わせなきゃいけない、と思って、『ジャニーズで誰が好き?』って聞かれたら答えられるようにしてました(笑)」

「ただ、やっぱり男の子のことは好きになれなかったですね」

バイト先にかっこいい男性の先輩がいたが、まったく興味を持てない。

そして、再びモヤモヤが生まれ始める。

「スカートはやっぱり違和感があったし、化粧もしたくなかったです。なんでズボンで登校できないんだろう、って思ってました」

「でも、男の子になりたい、みたいに感じることはなかったんです」

05しんどい日々から救ってくれた人

夢に続くはずだった進路

楽しかった高校3年間を終え、ゲームクリエイターの専門学校に進む。

「小学生の頃から、ゲームクリエイターになりたいな、ってずっと思ってたんです」

希望の道に進み、夢をつかむはずだった。

「いろんなことがうまくいかなくて、うつみたいになっちゃったんです」

実家のある栃木から東京の学校まで、片道2時間半かけて通学する日々。
CG制作がうまくできず、ストレスが溜まり、教師とも反りが合わなかった。

「1年生の途中から、死にたい、って感情が湧いてきて、死のうとしたこともありました」

「当時は知識がなかったから、病院に行ってカウンセリングを受けるって選択肢がなかったんです」

親には、授業が辛いことも、死にたいと感じていることも伝えた。

しかし、「そんなバカなこと考えるんじゃない、友だちが悲しむでしょ」と、言われてしまう。

「専門学校にも友だちはいたんです。でも、アルバイトで忙しい子ばかりだったんですよね」

授業にもあまり出てこない友だちには、相談する時間もなかった。
それでも通い続け、無事に卒業できたのは、ある人のおかげ。

「好き」と言ってくれた人

専門学校1年生の頃、自作のホームページに、自分が描いた絵を載せていた。

「そのホームページの掲示板に、『あなたの絵がすごく好きだから、友だちになってください』って、書き込んでくれた人がいたんです」

相手は、10歳上の女性で、広島に住んでいた。

そのコメントがきっかけで交流が始まり、キャラクターになりきって会話する「なりきりチャット」を楽しむ。

「私は男の子のキャラクターでチャットしていたのですが、徐々に距離が縮まっていったんです」

「彼女から告白されて、遠距離恋愛が始まりました」

男の子のキャラクターとして会話していたが、お互いに女性同士であることはわかっていた。

そして、彼女は男性と結婚していた。

「社会人だった彼女が広島から東京に来てくれて、何回かデートしました」

「学校が辛い」と漏らすと、「ちょっとイヤなくらいで行かなくなるんじゃ、やっていけないよ」と、背中を押してくれた。

「20歳くらいの私にとって、10個も年上の彼女はすごく頼れる存在でしたね」

「ただ、おつき合いは1年くらいで終わりました。会う時に指輪を外していたとしても、彼女は結婚してる女性なんだ、って気持ちが常にあったので」

「ずっとこのままの関係ではいられないだろうな、って思ったから、関係を解消ました」

彼女がいたから、専門学校を辞めずに通い続けられた。

卒業とほとんど同じタイミングで、彼女との関係を終えることも決意した。

 

<<<後編 2020/12/11/Fri>>>

INDEX
06 人には話せなかった感情
07 自分はトランスジェンダーだという気づき
08 苦しい日々を生きられたワケ
09 カミングアウトでラクになった人生
10 生きているから「夢」を持てる

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