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男だから女だからではなく “自分だから”。【前編】

「自分らしくあることが大事」と確信をもって語った有田逸馬さん。しかし、父親に対する強い憎悪の言葉を吐き出す一面もあった。高校生の時に家を出て行った父親、何事にも厳しかった母親、“まとも” にはなれない自分。苛立ちを抱えながらも、有田さんは今、自分の選んだ道を少しずつ歩き出そうとしている。

2017/10/31/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
有田 逸馬 / Itsuma Arita

1995年、東京都生まれ。都内の高校を卒業後、多摩美術大学へ進学。卒業を前にLGBT向けの就職支援のイベントに参加し、その後高齢者の介護施設であるデイサービスに就職。現在は、男性の介護士として働きながら、社会福祉士主事の資格を取得するための勉強に励んでいる。

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INDEX
01 言えない気持ちが拳となって
02 女の子になれないのは未熟だから
03 希望をもてなかった学生時代
04 初めての告白とカミングアウト
05 人生のターニングポイント
==================(後編)========================
06 レズビアン? 性同一性障害?
07 お母さんへの花束と手紙
08 好きなものは好きって言っていい
09 男性としての働くということ
10 仕事も恋愛も、自分らしく

01言えない気持ちが拳となって

まるで犬のしつけみたいに

帽子のゴムを引っ張って男の子を泣かしたり、リカちゃん人形で怪獣ごっこをしたり。

そんな女の子だった。

「本当に荒くれ者でしたね(笑)。3つ下の妹とは、まったく違いました」

「僕は我が強くて、妹は大人しくて従順なタイプ。だから、お父さんは妹ばかりかわいがっていて」

「えこひいきされている気分でした」

「僕は両親から殴られることが当たり前。まるで犬のしつけみたいに」

「だから、妹がかわいがられているのが面白くなくて、妹に八つ当たりしてしまって、それを見とがめられてさらに殴られたりもしました」

小学生のころから両親の仲は悪かった。

お互いにののしり合い、母親はいつもヒステリックに泣いていた。

意見を言うと殴られる

「幼かったから、親がなんで喧嘩しているのか分からなかったし、ただ悲しかった」

「しつけと称して、引っ叩かれたり、髪を引っ張られたり、外に放り出されたりしても、自分だけなんでこんな目に合うのか理解できなかった」

「理解できないから反省することもありませんでした」

「今思うと、しつけとして成立していなかったですね(笑)」

それでも、殴られたくないという気持ちはあった。

反抗したら殴られる、意見を言うと殴られる。

その恐怖から、言葉を飲み込むクセがついた。

「そのせいか、誰かに嫌なことをされても『やめて』とは言えず、先に手が出てしまっていました。相手が女の子でも男の子でも」

「自分の気持ちをうまくコントロールできない子だったと思います」

「今ではもちろん、相手を殴っても解決にはならないってことは分かっています」

「でも未だに、考えが合わない人に自分の気持ちを伝えるのは無理だと諦めてしまいがちなんですよね・・・・・・」

「よくない傾向だと自覚しているし、改善していこうとは思っています」

02女の子になれないのは未熟だから

いつかは “まとも” な女の子に

自分の気持ちを言えないのと同様に、自分のセクシュアリティに違和感を感じながらも、やはり誰にも言えずにいた。

「物心ついたころから気になるのは女の子だったし、文房具やランドセルも男の子が持つような色の方が欲しかった」

周りの女の子たちは、ピンク色や花柄のファンシーなものが好き。ひらひらのスカートやリボンを欲しがった。

でも、そんなものにはまるで興味がなかった。

「でも、それを言ったら周りからどう見られるのか、怖くて言い出せなかった」

「それに、周りの女の子のようになれないのは、自分が未熟だからだと思っていたんです」

「成長が遅いだけだと」

いつかは周りと同じく “まとも” な女の子になるものだと思っていた。

好きなものは誰にも言えない

「小学校に入ったときにも、自動的に女の子の枠に入れられて違和感を感じていたのに、中学校になると、さらに周りの女の子と自分との違いが顕著になりました」

恋愛に興味を持ち始める周りの女の子たち。

誰がかっこいい、誰が好き、クラスで繰り広げられる話題はそんなことばかりだった。

「僕は女の子が好きだったけど、まさか言えるはずもなく」

「成長したら、ちゃんと男の子を好きになるんだと思っていたし」

「自分はジャニーズの誰かが好きだと言う設定をつくって、無理をして周りに話を合わせていました」

整った顔は好き。造形美として好ましい。だから、それは嘘じゃない。

しかし、言うまでもなくその「好き」は恋愛の「好き」ではなかった。

本当に好きなものは、誰にも言えなかった。

「小さいころから絵を描くことは好きだったので、中学では美術部に入ったんですが、部内の女の子たちとも話は合いませんでした」

アニメは好きだったが、彼女たちが好きなのはイケメンが登場する作品。

自分が好きなのは美少女アニメだった。

好きなものを誰かと分かち合うことすらできない。

「SNSで共通の趣味をもつ人と繋がることもできたと思うんですが、実際に会ったことがない人と繋がりたいとも思わなくて」

すべてを自分のなかに秘めたまま死ぬんだと思っていた。

03希望がもてなかった学生時代

美術部員はオタクでキモい

美術部は1年で辞めた。

理由は「キモい」と言われたくなかったから。

「美術部の女の子たちは、学校のなかで “オタク” として認識されていて、『あいつらキモい』と陰口と叩かれる存在でした」

「僕は、そんなスクールカーストの下位に属したくなくて」

美術部を辞めたあとは女子バレー部に入った。

「バレー部に好きな子がいたのが理由。それに、スクールカースト上位のバレー部に入っていた方がいいと思ったんです」

スクールカースト・・・・・・、学校での自分の立ち位置にこだわっていた。

セクシュアリティについて知られたくないという気持ちもあっただろうし、家庭内では望めなかった自分の居場所を学校に求めたのもあるだろう。

しかし、せっかく入部したにもかかわらず、バレーボールには興味をもてなかった。

「でも辞めることもできなくて」

「辞めたいなんて言ったら周りから何て言われるか怖かったし、お母さんには『根性が足りない』と言われるし」

空手に込めた淡い期待

何よりも辛かったのは、部員同士の恋バナだった。

好きな男の子の名前を挙げないと帰らせない、と言われたときには、仕方なく、顔が整ったクラスメイトの男子の名前を挙げた。

「そしたら次の日、その男の子が通ったら『ホラ! ○○くんいるよ!』とはやし立ててくるんです」

「言えって言われたから無理して言ったのに。もう、わけ分かんなくて」

次第に、バレー部の仲間とも距離を置くようになり、好きな子と話すこともなくなっていった。

「中学時代は人生で一番つまらなかったです」

数少ない楽しみといえば、絵と空手。

母親に「勉強しろ」と言われて自室にこもっては、ノートに絵を描いていた。

小学生のときに始めた空手は、父親とのつながりを期待できる唯一のものだった。

空手教室の送り迎えは父親の役目。

次第に空手に興味を示し、自らも教室に通い始めた父親を見て、「自分にも興味をもってくれるかも」と淡い期待をもった。

しかし、その期待は打ち砕かれた。

父親が興味を示したのは空手だけ。

自分に興味をもってくれたり、会話が増えたりすることはないまま、高校入学と同時に空手教室を辞めた。

その代わり、高校では美術部と軽音部に所属した。

もう一度、好きなものと向き合うことができた高校では、いくつもの大切な出会いがあった。

04初めての告白とカミングアウト

男の子とは無理だった

男女の恋愛沙汰に巻き込まれたくない。

それに、男の子より女の子の方がかわいいし、一緒にいて楽しい。

だから男の子と関わることを避けてきた。

しかし高校一年生の夏、クラスメイトの男の子から告白された。

「ものすごくいいやつだったし、これは “まとも” になれるチャンスだと思って、付き合うことにしたんです」

「優しかったし、趣味も合うし、付き合っていて楽しかった」

「でも、遊園地に行ったときに、手をつなごうとしたり、キスしたいって言ったり、僕の気持ちを確かめてきたりして・・・・・・」

「ダメだって思った」

「気持ち悪くて、そういう気持ちになれなかったんです」

「“まとも” になりたかったのに、無理でした」

そんなとき、また出会いがあった。

同じ美術部の女の子。大人しそうに見えて、揺るぎない “自分” をもつ、芯の強い子。

彼女のことが好きになった。

「彼には、他に好きな子ができたからゴメン、と伝えました」

「相手は誰だと何度も訊かれたけれど、女の子だとは言えるはずもなく」

「たぶん彼は納得しないまま・・・・・・、無理やり別れることにした感じでした」

そして確かに意識した恋心。

やっぱり自分は女の子が好きなんだ。

とうとう、その気持ちを抱えきれなくなった。

自分はレズビアンなのかな

「軽音部の友だちに、初めて、女の子を好きだってことを伝えました」

「彼女とは、いつも悩みを相談し合う仲。部活の帰りに一緒にマックに行って、そこで」

「すっごい怖かった。目を合わせられなくて、ずっとストローの差し込み口を見ていました」

「そのころは、性自認について考えたこともなかったし、自分が女の子じゃないなんて思ってもいなかった」

「自分はレズビアンなのかなと思っていたので、『実は好きな人がいて、その人は女の子なんだよね』と」

「その子は、『変なことじゃないし、話してくれてうれしいよ』と言ってくれました」

「その言葉を聞いて、僕は、死ななくていいんだと思ったんです」

「漠然と、このままだと自分は社会的に死ぬ、と思っていたから」

友だちに受け入れられたことが励みになり、好きな女の子への告白も試みた。

「でも、気まずくなっちゃって」

「怖くて、気持ち悪いよね、女の子が女の子を好きになるなんて普通はありえないよね、ごめんねって言ったら、その子には『私のことを勝手に決めつけないで』と言われました」

「自分に自信がなくて、自分はおかしいと決めつけていて、その子の気持ちも決めつけてしまっていた」

「自分だけ取り残されたような気分で。自分の生きる道は、この世の中には用意されていないと、思い込んでしまっていたんです」

否定される前に自ら否定した方がダメージは少ない。

それは、知らずに身につけていた自分を守る術だったのだろう。

「でも、その子とは今でも友だちです。この前も一緒にディズニーシーに行ってきたんですよ(笑)」

「告白したことは後悔したけど、誰かにセクシュアリティについて話すのは悪いことじゃないんだと、初めて学びました」

それは、大きな変化だった。

05人生のターニングポイント

与えられなかった父親の愛情

高校2年生の夏、父親が家を出て行った。

母親は、ますます子どもたちに厳しく当たるようになった。

「お父さんがいなくなって、お母さんも余裕がなかったんだろうなと」

「今になって思うと、両親は別れるべくして別れたんです。お互いがお互いに幸せにしてもらおうと、依存しすぎていたんだと思います」

「俺がこんなにしてやっているのに、私がここまで頑張っているのに。そんな言い合いばかりでした」

父親は、最後まで自分に興味を示してくれなかった。

「お父さんのことは・・・・・・好きじゃなかったけど、ずっと愛情が欲しかった」

親から与えられるはずの愛情を与えられなかったことで、悲しみは憎しみに変わっていった。

「もう、関わりたいとも思いません」

物事の本質を見ることの大切さ

しかし同時期に、自分を受け入れてくれる友だちを得た。

「世界は○と×だけじゃない、いろんな選択肢や、いろんな考え方があるんだと知りました」

「それまでの僕は、物事には○と×があって、生きていくためには○を選んでいかなければならないんだ、と思っていたんです」

その考え方が変わることになった大きな出会いが、もうひとつあった。

「高校3年生で美大受験を決めて、画塾にも通って、自分なりに頑張って勉強していました」

「高校の美術の先生もデッサン講習を開いてくれて、やることをやっていたし、こんな感じで大丈夫だろうと思っていたんです」

「でも、その美術の先生に言われました。『絵を学ぶための当たり前の流れの中で満足していてはいけない、有田が問題だと思うことを有田自身で克服していかなければ』と」

「自分がいかに物事の表面しか見ていなかったのかを気付かされました」

「本質を見ることの大切さを教えてくれた先生には、本当に感謝しています」

受験勉強にあたっても、ちゃんと自分に向き合い、何が必要かを見極めてトレーニングするように方向転換した。

そのおかげで、多摩美術大学に現役で合格。

また新たな世界が開けた。


<<<後編 2017/11/02/Thu>>>
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06 レズビアン? 性同一性障害?
07 お母さんへの花束と手紙
08 好きなものは好きって言っていい
09 男性としての働くということ
10 仕事も恋愛も、自分らしく

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