02 多動な子ども
03 学ランにモヤモヤ
04 変態扱いされたくない
05 激務の銀行員
==================(後編)========================
06 結婚は深く考えないこと
07 初めてわが子を抱いたとき
08 トランスジェンダー女性と女装と
09 家族への責任は果たした
10 まだまだ学びたい
06結婚は深く考えないこと

元妻との出会い
長年連れ添った同い年の元妻とは、仕事を通して出会った。
「私は融資の仕事をしてた期間が長いんですけど、妻は当時銀行の取引先でアルバイトをしていて、そこで出会いました」
別の取引先で「あのお店の子、いい子ですよね」と何気なく口にすると、取引先の女将が「あの子はいい子だから! 私がセッティングしてあげる!!」と勧められ、いつのまにか周囲から固められた。
「当時は、年頃になったら結婚することが当たり前の時代でしたからね・・・・・・」
そこからはトントン拍子に話が進み、28歳のときに結婚する。
「特に深く考えもしないで結婚しました。結婚するときは深く考えちゃダメですね(笑)」
性自認と性的指向、恋愛指向
学生時代は、女性に目が向いていたように思う。実際、お付き合いした相手も女性だった。
「高校、大学時代には男性ホルモンが強烈に分泌されてましたからね」
現在、性自認は女性でMTF(トランスジェンダー女性)の当事者だが、性的指向はパンセクシュアル、恋愛指向はデミロマンティックだと考えている。
「いまのパートナーは男性ですけど、相手の性別に関係なく、親しい間柄になったうえで、好きになった人が好きなんです」
07初めてわが子を抱いたとき
わが子の感触
結婚後、元妻は喘息の発作が原因で2度流産したが、3度目の妊娠で第一子となる長女を出産した。
「長女が生まれたのは、私が33歳のときでした。めちゃくちゃかわいかったです!!」
看護師が私に娘を初めて抱かせてくれたときの感触を、いまでも鮮明に思い出せる。
「私の片腕に収まるくらい、本当にちっちゃくって・・・・・・」
看護師が娘を抱かせてから席を外して20分ほど戻ってこず、その間私は飽きもせずに娘をずっと見つめ、抱っこし続けていた。
「いまになって振り返ると、私はきっと母性をもってたんだなって思います」
自分で可能性をつぶさないで
子どもが生まれてからは、より一層仕事に励んだ。
「妻は専業主婦だったので、私一人で経済的に家計を支えないといけなかったんです。キャリアアップを目指して資格を取得したり、私なりに頑張ってたと思います」
長女は1歳になるかならないかというころに、初めて言葉を発した。
「最初にしゃべった言葉が、『痛い、痛い、痛いよ~』だったんです(笑)」
喘息を患う元妻をいたわって、私は時々喘息がよくなるツボを押してあげていた。
それが痛かったらしく、元妻は「痛い、痛い、痛いよ~」と声を上げていた。
娘はそれを真似たのだ。
「私がDVをしてたわけじゃないですよ(苦笑)」
数年後には第二子となる長男も生まれた。
特に子どもたちが中高生のころには「自分で自分の可能性をつぶすな」とよく伝えていた。
「人間って、ささいなことを含めれば毎日何百という選択をしてるんです」
選択によっては、ほかの可能性を捨てることにもなる。
「そのあたりをよく考えて選択すること。そのために『自分にはこんなことはできない』と決めつけるのはダメ。やればできるかもしれないんだから」
もうダメだ、と途中であきらめてしまうことはもったいない。
「子どもたちには、あきらめなければ自分にもできる、って考えてほしいなって思ってました」
08トランスジェンダー女性と女装と

パソコンやインターネットの普及とともに
約四半世紀前から、世間的に家庭用パソコンやインターネットが身近なものになってきた。
「会社でも業務でパソコンを使うようになってたので、面白そうだなと思って自分用のパソコンを買いました」
インターネットで検索していると、女装を趣味とする人たちがいることをたまたま知った。
「女装界隈には、『性自認は男性だけど、趣味として女装が好き』って人ももちろんいます。だけど、『家族がいるからトランスジェンダーだとは言えない。だから “女装” と言ってカモフラージュしている』人も結構いるな、って思いますよ」
「性自認は自分の意思で変えられるものじゃないけど、どう生きるかはその人が選択できますからね」
そのころから通販でよく買い物をしていたので、日用品などの買い物に紛らわせてレディースの服を買い始める。
すると、やっぱり手に入れた服を着て外を出歩いてみたくなるものだ。
「レディースの服を着て、最初はこっそり、本当に深夜の5分くらいだけ、外を歩き始めて・・・・・・」
「追いかけられたり、不自然にあとを付けられたりしたこともあります。オカマじゃないか、って思われてたのかもしれません」
怖い体験をしながらも、だんだんと外出時間を延ばしていった。
深夜帯ではなく夕方、昼間、人出の多いショッピングモールへ・・・・・・。
女性として「普通」の生活をする方向へ動き始めた。
参加したかった「女装ニューハーフ プロパガンダ」
女性の姿で過ごす時間が少しずつ増えていくにつれ、叶えたいと思うことがひとつできた。
「『女装ニューハーフ プロパガンダ』っていう、女装家の集まるパーティーにいつか参加したいなって思って」
2008年から新宿で深夜に開催されていた、数百人が集まる大規模なイベントだ。
「夜の9、10時頃からオールナイトでやってたんですけど・・・・・・」
「夜通し外に出かける用事がある」ということを、家族に疑念を抱かせずにどう説明すればよいのか、わからなかった。
「もしかしたら浮気? って疑われる可能性もあるし・・・・・・。行きたいなって思ってるうちに終わっちゃって、残念でしたね」
年をとったトランスジェンダーの性別移行はダメ?
MTF当事者と関わるようになってから、思っていることがある。
「年を取ってから性別違和に気づいた人はトランスジェンダーではない、っていう人がいるんです」
「幼いころから性別違和に自覚的だった人が、 “真” のトランスジェンダーだ」と言う人がいるが、それはちがうのではないだろうか。
「性別違和にいつ気づくかは人それぞれです」
大人になってから「あれ?」と違和感に気づく人もいる。それには時代背景などといった社会環境も関係しているだろう。
「そういう事情も全部無視して、結婚もしてるんだからトランスジェンダーじゃない! って決めつけるのはおかしいんじゃないかと思うんです。いつから性別移行したって構わないはずですよね」
09家族への責任は果たした
還暦と重なって
2人の子どもが自立して社会人となったころには、60歳を迎えていた。
「家族をもつという責任は果たした。子どもたちは自分の人生を生きていく。それなら、私も自分の好きな人生を歩みたい、と」
最初に、長女に自分のセクシュアリティを伝えると、長女が元妻にアウティングしてしまった。
「元妻からは、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられましたよ。修羅場でしたね」
バカじゃないの? 親戚にはなんて言ったらいいの? と否定的な言葉をいくつもぶつけられた。
「まあ、自分から元妻に伝えても受け入れてもらえないだろうな、とは思ってましたけどね」
シスジェンダーと同じように家庭をもち、人生が半分ほど過ぎてから性別違和に気づいて性別移行を始める人など、探してもそう簡単に見つかるものではないだろう。
「子どもたちは自立してるから、妻との2人だけの問題になるじゃないですか。だから妻が受け入れてくれなかったらしょうがない。そうなったらそのときに考えよう、って」
家族へのカミングアウト後、実家に住んでいた元妻と長男とは、数年間も家庭内別居状態が続いた。
「同じ家に住んでるんだけど、コミュニケーションも取らないし、食事もなにもかも全部別、って状態でした」
解放感
家の空気がギスギスした期間がしばらく続いていたが、ようやく終止符が打たれた。
「家庭をとるか、自分の人生をとるか、決断を迫られました」
長らく考えた末に、ここは私の家だ、私は自分の人生を選ぶから、2人にはこの家から出ていってほしい、と元妻と長男に伝えた。
「長男は、まさか私が家族より自分の人生を選ぶとは、自分たちがこの家から追い出されるとは、思ってもいなかったんだろうな、って。でも、それって自分のためであって、私のことは考えてないんですよね」
私が63歳を迎えた年の暮れに、元妻と長男は家を出ていった。
「今まで住んでた家に私一人になったら、解放感しかなかったです!」
その後、元妻とは正式に離婚してそれっきりだが、実は長女とはいまも連絡を取り合っている。
「長女は社会人になると同時に社宅に入るからって家を出ていってたんですけど、カミングアウトしてから6年ぶりに連絡があったんです」
「なんで連絡してくれたの?」とは聞かなかったが、「よく連絡してくる気になったね」と伝えた。
「いつまでも意地を張ってたってしょうがないでしょ、って返されました」
お互いに一人の人間として相手を気遣える大人になったことを実感しつつ、娘として親である私のことを心配してくれているんだ、と思うとうれしくなる。
10まだまだ学びたい

活動スタート
社会人になってからずっと勤め上げてきた銀行グループに、60歳で定年退職扱いとなった。
そのあとも嘱託社員として勤務していたが、65歳でとうとう仕事を辞めた。
「それから、LGBTQ当事者として社会的な活動を始めました」
LGBTQ当事者やアライが所属するレインボー千葉の会に参加し、学校や企業で、数十人の前で研修や講演を行っている。
「女性として、こうして生活してる人がいますよ、って私の身をもって知ってもらうことが大事だと思ってます」
本当は、私と同じようなMTF当事者がほかにもたくさん顔を出してくれたら、と思っているが・・・・・・。
「MTF当事者は埋没したがる人が多くて。仕方ないですけどね」
活動を始めてみて、自分が思っていたより、世間の人たちがLGBTQに関心をもっていることに気づいた。
とはいえ、「LGBT」がなんの頭文字かも知らず、悪意なくバイアスのかかった言葉を平気で口にしてしまう人が大半だ。
「嫌悪感を抱くことは仕方ない。でも、知識を深めることで、言動にバイアスがからないようにコントロールできたほうがいいと思うんです」
私が1回の活動で影響を与えられる人は、「たったの」数十人かもしれない。でもその後ろには、さらにたくさんの人がいる。
「来てくれる人がいるってことが大事なんです!」
67歳で「入学」
今年の春から、「早稲田大学 ライフリデザインカレッジ」という、50歳以上のシニア層向けの学校に入学した。
「きっかけは、そこの卒業生の方と知り合う機会があって、ぜひ学校内のサークルで講演をしてほしい! と頼まれたことです」
社会的には、性別は男女の2つしか存在しないことになっている。
でも、生物学的にも明確に男女に区分することには限界があることは明白だ。
だから、男女で分けるという考えが必ずしも正しいとは限らない
という話をした。
「そしたら、ぜひ学校に通いなよ! って話になって」
私のような存在が語ることが求められていると感じ、入学して1年間、社会課題や社会貢献について学ぶことを決意した。
「学費めちゃくちゃ高いんですけどね(笑)」
通信制ではなく、週3回、日本橋にあるキャンパスに通学して、学生たちとディスカッションする。
「週3なんで定期券を買うかどうか迷いまいした。でも活動で出かけることも多いから、とりあえず3か月分買って」
学生は70人程度いるという。
「LGBTQ当事者は約10%いるって言われてるんですから、私以外にいないわけないんですよね」
私は入学前から自分のセクシュアリティをみんなに公表した。
「皆さんすごく勉強熱心で、私の話を一生懸命にノートに取って聞いてました(笑)」
これからも求められる限り、全身全霊をかけて「こういう人もいるよ!」と地道に伝え続けていくつもりだ。