02 動静脈奇形のため長くは生きられない
03 もしかしたらゲイかも
04 カミングアウト前に「あんた男が好きなんじゃない?」
05 介護職は天職かもしれない
==================(後編)========================
06 みんなのおかげで人生が変わった
07 生涯のパートナーと出会って
08 さいたま市にパートナーシップ制度を
09 1日も早く同性婚を!
10 悩んでいる当事者に手を差し伸べたい
01まるで母親が4人いるみたいな
タラちゃんが13人
埼玉県さいたま市生まれの、5人きょうだいの末っ子。
一番上の姉と18歳差、すぐ上の兄とは8歳差という、歳の離れた姉3人と兄1人と自分、そして父と母の7人家族で育った。
「姉たちとは仲がいいっていうか、母親が3人増えたみたいな感じ(笑)」
「甥っ子や姪っ子のほうが自分と歳が近くて、友だちみたいな感覚です」
幼い頃は住んでいた団地の子どもたちと一緒に遊んだ。
ベイブレードや遊戯王カード、ポケモンカードなど、男の子のあいだで流行っていた遊びもひと通りやったが、女の子の友だちが多かったこともあり、おままごとや一輪車で遊ぶことが多かった。
「幼馴染の女の子がいたんですけど、まぁ、どちらかというとその子が男っぽくて、自分が女の子っぽくて(笑)。そのせいか、ずっと仲良くて、いつも遊んでいて、いまでも家族ぐるみで付き合いがあります」
「あとは、一番上の姉の息子の、6歳下の甥っ子が近所に住んでたんで、よく遊んでました」
「言ってみれば『サザエさん』のカツオくんとタラちゃんの関係ですね。うちはタラちゃんが13人いるんですけど(笑)」
「産んだお前が責任を」
長女の子が3人、次女が4人、三女が3人、長男が3人。
甥っ子と姪っ子は合わせて13人だ。
「お正月とか、家族みんなで集まると賑やかどころじゃないです。やばいですね。祖母の葬式も一周忌も大変でした(笑)」
「まぁ、ちびたちは自分たちの親よりも、俺のことを慕ってくれて、『遊びに連れてってよ』とか」
「そのうち大きくなって働き出して、給料とかもらうようになると『ボーナス入ったから叙々苑に連れてってあげるよ』とか言ってきたり(笑)」
毎年、正月には家族みんなが実家に集う。
7人だった家族は、いくつもの家族が集まった大きなファミリーになった。
そのファミリーの中心である母。
苦しいとき、堪えきれず母に放った言葉を思い出すと心が痛む。
「生まれたときから自分には、動静脈奇形っていう血管の病気があって、いつかくも膜下出血を起こして死んでしまうかもしれない、って医者から言われてたんです。しかも小学生の頃は治療法がなくて」
「でも中学生のとき、治療法が見つかったって言われて1回目の手術をしたんですね。でも、そのあとでもう1回手術をするってなったときに、母に『なんで俺は何回も手術しなきゃいけねぇんだよ! お前が産んだんだから、お前が責任取れよ!』みたいなことを言ってしまって・・・・・・」
「母だって、この病気を治すために何軒も病院を回ってくれて、一生懸命になってくれていたこともわかっていたのに」
「いま考えたら、本当にひどいことを言ってしまったと後悔しています」
02動静脈奇形のため長くは生きられない
自分なんか生まれてこなきゃよかった
小学校から中学校、そして高校までずっと友だちはほぼいなかった。
「言ってみれば、ずっと “陰キャ” だったんです」
「女の子の友だちが多かったので、『女とばっかり遊んでる』とからかわれたり、動静脈奇形のせいで顔にアザがあったから、『アザがうつる』とか言われたりしました」
「カツアゲされたり、教科書を破かれたり。トイレの個室に入っていたら、上から水をかけられるとかも。小学4年生くらいからがひどかったですね」
「いじめられているのもつらかったですが、やっぱり病気のことがあって、何度も死んでしまいたいって思いました」
「アザもドクドクいって、痛いし・・・・・・」
治療法がなく、長くは生きられない。
そう思い込んで、どうせ生きられないんだったら、もう死にたい、と。
自分なんか生まれてこなきゃよかった、とまで思った。
「でも母は、『学校は絶対行け』って言うんですよ」
“双子” に命を助けられた
暗い気持ちで過ごすことが多かったその頃、男女混声の合唱団に入り、それだけが日々の楽しみだった。
「合唱団を続けたいんだったら学校には行け、というのが母の方針で。合唱は続けたいし、しょうがねぇから学校行くかって渋々通ってました(笑)」
「歌は、自分を楽器のようにして表現できるのが楽しいんです」
「合唱は、さらにみんなで合わせていって、きれいなハーモニーになったとき、あ、すげぇな、俺らめっちゃ団結してるじゃん、って感動します」
「自分だけで歌うのも好きだけど、合唱の楽しさはまた別物ですね」
中学生になっていじめはエスカレートしていったが、保健室で自習するなどしてなんとか登校し、合唱団も続けることができた。
そして2回にわたる手術が成功。現在に至るまで再発はしていない。
「病気自体は完治することはないって言われてますけど。いまのところは、良かったな、と。顔の腫れも前よりよくなったし」
「あと、中学ではひとりだけ友だちができました」
「そいつのこと “(俺の)双子” って呼んでるんです。同じ日に同じ病院で生まれたから。その双子に何度も死にたいって相談してたんですけど、いつも冷静に話を聞いてくれて、ほんと、何度も命を救われました」
「いまも付き合いは続いてます」
03もしかしたらゲイかも
夢も希望もなにもなかった
セクシュアリティの気づきは中学生の頃。
同級生の男の子を目で追っている自分に気づいた。
しかし、『もしかしたらゲイかもしれない』とは誰にも言えなかった。
女の子と付き合っていたこともある。
「その子のことも好きだったとは思う。でも、同時に気になっていた男の子に対する感情とはまったく違う感覚だったんですよね・・・・・・」
「男の子に対しては、ドキドキする感じがあって」
「付き合っていた女の子には、すごく申し訳ないことをしてしまったんですけど、これは男の子のほうが本命かもって思ったんです」
「でも、誰にも言えず・・・・・・」
つらいのは自分だけ、と殻に閉じこもっていた。
ずっと、二十歳になるまで。
いい思い出なんて、おそらくひとつもなかった小学校と中学校。
学校に行きたくないし、勉強だってしたくなかった。
「姉たちに数式とかを部屋に貼られて、勉強させられて、高校はなんとか入ったんですが、なんというか、まぁ荒れてる学校で・・・・・・」
「ここでは勉強できないけど高校くらいは出ておかないと、という気持ちから、高卒認定が受けられる学校に編入して、なんとか卒業しました」
「卒業してからは清掃業とか、アルバイトをいろいろやって・・・・・・」
「本当に、夢も希望もなにもなかったですね、あの頃は」
「俺、ゲイだと思う」。FTMの親戚にカミングアウト
社会人となって、自分以外にもゲイがいると知り、アプリなどを通じて出会うようになっても、周囲の誰にもカミングアウトできない状態が続く。
「そんなとき、親戚のひとりに思い切って話そうと思ったんです」
「FTMとは公表してないけれど、見た目もボーイッシュで、みんなが暗黙の了解のように『男だよね』みたいに思ってるいとこがいて」
とはいえ、ようやくLGBTという言葉を知ったくらいの自分が、どうやって相手にゲイであることを伝えたらいいんだろう。
「悩みまくって、神妙な雰囲気でそのいとこに電話して・・・・・・『俺さ、多分、ゲイだと思うんだよね』って」
「そしたら『いいじゃん』って。別に問題ないじゃん、俺だって彼女いるし、って言われて。なんか拍子抜けしました(笑)」
04カミングアウト前に「あんた男が好きなんじゃない?」
幸せに生活できていればいい
ある日、実家のリビングでコーヒーを飲んでいるときに突然、姉のひとりに「あんた、もしかして男のことが好きなんじゃないの?」と言われた。
「え、こいつなに言ってんの!? って、動揺しましたけど、ここは嘘をついておこうと思って『え、彼女とか連れてきてたじゃん?』って返したら、『あれフェイクでしょ、お姉ちゃん、なんとなく気づいてたよ』って言われて、えぇーーーっ! みたいな(笑)」
「しかも、『お母さんも気づいてると思うから、お母さんには正直に言ってあげなよって』言われて、『う、うん・・・・・・』って言うしかなかったですね、もうキョドっちゃって(笑)」
そうなったら、もう母に言うしかない。
「おふくろさぁ、俺、男が好きなんだよね・・・・・・って言ったら、『ふーん、人は桜梅桃李(自分らしく個性を活かすこと)だし、それぞれ十人十色なんだから、いいんじゃない』って。ここでも拍子抜け(笑)」
さらに「あんたが幸せに生活できていれば、お母さんは、それでいいよ」と言ってくれた。
「その言葉をきっかけに、ようやく友だちにも少しずつカミングアウトするようになって、いまじゃ完全にオープンです(笑)」
カミングアウトしていない父から「女を好きになることはないのか?」
父に対しては、母のときのようにはっきりとは「自分がゲイであること」をカミングアウトしていない。
「なんか言いづらいじゃないですか、父には」
「でも、いまのパートナーと付き合ってるのは父も知ってたし、『俺、あいつと結婚式挙げるから』って言ったら、『お前は、もう今後一切、女を好きになることはないのか?』ってひと言だけ言われて」
「ごめん、申し訳ないけど、そういうことはないんだって言ったら、『そうか、わかった』とだけ。でも、パートナーのことも自分の息子同然に可愛がってくれてます」
「母にも、稲垣家の跡取りをもてなくて申し訳ないってことを伝えたら『そんなの関係ないのよ。ただ、家族みんなが元気で暮らしてくれればそれでいいの』って言ってくれて。どんだけ偉大なおふくろかよ(涙)」
「散々迷惑かけたのに、いま、感謝の想いしかないです」
おそらくは、母も思い悩んでいた時期があっただろう。
でもきっと、そんな母を姉たちが支えてくれていたのだと思う。
「姉たちがうまく家族をまとめてくれて、両親はすごく優しくて。だからこそ、以前は心を病んでいた自分も、いまこうして生きていられて、周りにはたくさんの仲間がいる」
「家族には昔もいまも本当に助けられてます」
05介護職は天職かもしれない
歌を通じて利用者のお年寄りと
現在の仕事に就いたのは、祖父母の死がきっかけだった。
「父方の祖父と祖母が老人ホームでお世話になっているのを見ていて、介護職ってすごく尊い仕事だな、自分もやってみたいなと思いました」
「祖父が101歳、祖母が96歳で、2ヶ月違いで亡くなったあと、たまたま老人ホームの職員募集のチラシが郵便受けに入っていて」
「祖父母に、もっと孝行したかった気持ちもあったので、じゃ、ここで働くことで孝行させてもらうっていうのもいいなと思ったんです」
しかし働き始めてすぐ、「この仕事は続けられない」と感じた。
「下の世話とか認知症による徘徊とか、思っていたよりもずっと大変だな・・・・・・って。でも、せっかく入社したんだから、介護士の資格をとって、それから辞めようと決めました」
「・・・・・・でも、なんだかんだ10年働いてますね(笑)」
もともとお年寄りと接するのが好きだったこともある。
日常生活の介助は次第に慣れたし、なにより歌を介してのレクリエーションがとても楽しかった。
「自分の父も年齢いってるんで、小さい頃から演歌とかも聞かされていて、昔の曲もだいたい歌えるし、施設で歌うと、おじいちゃんおばあちゃんたちが、すごく喜んでくれるんですよね」
「最近は、女装してキャンディーズを歌ったりしてますよ(笑)」
セクシュアリティもオープンに
入社当初は実務以外のつらさも感じていた。
パワハラまがいの言動を受けたこともあった。
「でも、仕事を早く覚えて、文句を言われないほど完璧に仕事ができるようになってやる! 絶対に負けない、マジ負けない!! って感じで」
すると10年のあいだに、職場環境はみるみるよくなっていった。
「以前は仲が悪かったメンバーとも打ち解けたり(笑)。続けられてよかった。職場のみなさんにも感謝ですよ、本当に」
そんな職場でも、セクシュアリティについてオープンにしている。
「女性職員が多いこともあって、恋愛話をふられることも多くて」
「だから『俺、相手いるよ』って言ったんです。そしたら『え、彼女いるの?』って言われたんで、『ううん、男!』って(笑)」
「別に恥ずかしいことじゃないんだから、言っちゃえばいいやって感じで」
珍しがられたり、驚かれたり、距離をおかれたり。
最初はさまざまな反応があったが、ゲイであることは自然と広まり、職場のみんなが知っていて当たり前のことになった。
職場の利用者のなかにも、パートナーのことを知ってくれている人がいて、「今日は連れてこないの?」ときいてくることもある。
そして勤続10年の節目に、主任へ昇格の話も持ち上がった。
「せっかくお声がけいただいたんで、いろいろ大変だろうなとは思いますけど、頑張らせていただこうと思ってます!」
介護職に就く前は、自分には夢も希望もなにもないと考えていた。
「でも、ここで、やりがいを見つけられました」
<<<後編 2023/08/12/Sat>>>
INDEX
06 みんなのおかげで人生が変わった
07 生涯のパートナーと出会って
08 さいたま市にパートナーシップ制度を
09 1日も早く同性婚を!
10 悩んでいる当事者に手を差し伸べたい