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知らなかったFTMのこと、暴力に対するおもい。ちゃんと向き合いたいから、全てを話す【後編】

知らなかったFTMのこと、暴力に対するおもい。ちゃんと向き合いたいから、全てを話す【前編】はこちら

2017/09/24/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Junko Kobayashi
木部 智輝 / Kibe Tomoki

1989年、埼玉県生まれ。祖父母、両親、妹の6人家族で育った。幼稚園の時に両親が離婚。幼少から20歳くらいまで、父親から暴力を受ける。身体に対する違和感は小学校高学年から。それらに学校でのイジメが重なり、中学校の一時期は不登校に。21歳、タイで性別適合手術を受ける。現在はトラックドライバーをしながら、性同一性障害を支援するカウンセラーとして活動している。

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INDEX
01 女の子と思ったことはない
02 20歳まで続く父親の暴力
03 男子ではないという現実
04 身体への嫌悪感、暴力、いじめの三重苦
05 ネットの世界で男として生きる
==================(後編)========================
06 ケンカ三昧の日々
07 FTMに対する怒り
08 24歳、傷害罪で逮捕
09 生まれ変わった自分
10 悩みを抱えながら生きる

06ケンカ三昧の日々

信じていた先輩の裏切り

性別適合手術という目標に向かい、バイトにも熱が入った。

女子高生として採用されたが、周囲に知られる性別のことよりも、とにかく手術のためのお金が欲しかった。

その頃、プロフィールサイトで知り合った同じセクシュアリティの先輩と仲良くしていた。

「兄貴と慕っていたんですが、ある日兄貴からお金が必要と言われたんです。兄貴が困っているならと、バイト代を貯めた40万円を貸しました」

その後、兄貴からの連絡が途絶えた。

携帯電話も変えられてしまい、会うこともできず、貸したお金は返ってこなかった。

「騙されたんです。信用していたんですけどね・・・・・・」

手術のためにコツコツ貯めたお金を盗られても、一人でこらえるしかなかった。

「考えることが苦手なので、ため込まない性格なんです」

そうは言ってもやるせない気持ちはどうしようもなかった。

そのせいか、非行に拍車がかかった。まさにケンカ三昧。

「ケンカで負けることはなかったので、スカッとするんです」

当時、人を殴ることを悪いとは思わなかった。

「今思うと、クソガキだったと思う」

溜まり続ける不満のはけ口が、当時は見つからなかったのだ。

ホルモン注射の効力

高校2年でカウンセリングに通い始めてから3年がたった。

性同一性障害の診断が下りて、すぐにホルモン注射を開始する。

声は低くなり、筋肉がついてきた。その効果が震えるほど嬉しかった。

「これこれ、この身体!って、自分が思い描いていた成長そのものなんです。やっと思春期がきたんです」

ホルモン注射の効果は、ケンカの場面でも発揮された。

「パワーが違うんですよ。おお強い!って。筋肉がついて、ますますケンカに拍車がかかりました」

ケンカをする時は一人だったが、その他の時間はヤンチャな仲間とつるんで遊んでいた。

「何人かは、自分が実は女だと知っていたんですが、ヤンキーの世界は男女はあまり関係ないんですよね」

「男として話せるのは、楽しかったです」

仲間ができて、初めて自分の居場所を見つけることができた。

高校を卒業して、必死に手術代を貯めた。

21歳の時バンコクで性別適合手術を受ける。

改名、戸籍変更。

やっと男になることができた。

07 FTMに対する怒り

FTM狩り

ケンカを売る相手は、ヒョロい男子や生意気と感じるFTMだった。

「FTMが大嫌いだったんです。映画のレディースデイは女として利用するとか、都合良く生きている感じがして許せなかったです」

ネットで出会ったFTMと会う約束をして、ケンカをふっかける。

自分のどうしようもない気持ちのはけ口を、同じFTMにぶつけていた。

「その頃は、女々しい奴をやっつけるのが爽快だったんです・・・・・・。今なら、自分が一番女々しかったと思うんですけどね(苦笑)」

身近にいた男が父親だったので、男は強いものと思い込んでいた。

強さへの憧れがあったのかもしれない。

「その頃から、通行人を殴ることもしていました。めちゃくちゃですよね」

父親の影響なのか、人を殴ることは全く抵抗がなかった。

家で父親の暴力を止める人がいないように、自分のケンカを止める人もいなかった。

怒りの伝え方を間違えた

その日もいつもとなんら変わらなかった。

いつか遊ぼうと話していたFTMに連絡したところ、用事があると断られたので、別の友人と遊ぶことにした。

「友だちもそのFTMを知っていたので、友だちから遊ぼうと再度連絡してもらったんです」

友人からの誘いの電話には「いいよ」と返事を返してきた。

「それで、プッツン。なんだ、こいつです!」

高架下に呼び出して、ボコボコにした。

自分の誘いは断ったのに、何で他の人からの誘いは受けるのか。許せない、怒りが収まらなかった。

「そいつが悪いんだ、と感情が爆発してしまいました・・・・・・」

一緒にいた友人が青ざめるような、殴り方だった。

友人のやっとの思いで、止められた時、殴った相手は片目を失明しかけるほどの怪我を負っていた。

明らかにやり過ぎた。

しかし、日常的に行っていたFTM狩りの延長。

その頃はまだ、悪いことをしたという気持ちは生まれなかった。

08 24歳、傷害罪で逮捕

逮捕・勾留

トラックのドライバーをしていたので、朝早く家を出ていたある日。

警察が自宅に来たと、家から電話が入った。

仲の良かった友人の顔が、すぐに頭に浮かんだ。

「えっ!?まずい家に帰れない」

その日は家に帰らず、友人の家に泊まった。

友人は、一週間後に予定されていた約束の海に連れて行ってくれた。

そして、翌日出頭した。

「逮捕されてから、その場にいた友だちが通報したと知り、そいつを恨みました。何でだよ、悪いのはあっちだろって思いました」

いつもは1人でケンカをしていたので、捕まらない自信はあったが、その時は友人が見ていた。

証拠もそろっている。

逮捕され、警察署内の留置所に勾留された。

あまりにも日常的にケンカをしていたので、正直悪いことをしたという思いはなかった。

自分と向き合う

逮捕される前、仲の良い友人から「いつまでそんなケンカみたいなことを続けるんだよ」と怒られたことがあった。

「都合良く女を使っているFTMが悪い。そんな奴らを殴って何がいけないんだ、と聞く耳を持たなかったです」

そんな自分の態度を見て「ずっとそんなことをするなら、お前との仲を考える」と言われた。

勾留されて、友人との会話を思い出した。

「逮捕前は突っ張っていたんですけど、独房で過ごすうちに初めて色々なことを考えられたんです」

まず、被害者のことを考えた。

留置所にいる時に書いた「留置所ノート」には、相手方は何の落ち度もなかったことに続けてこう書いた。

『約束を断られたことに憤慨してしまった事は、非常に自分勝手な考えで、大人げなかったと反省しています。本当は住まいが近くて、同じ性同一性障害を持った仲間が欲しかったのです』

相手を傷つけてしまった行為の裏には、FTMとして悩みを共感したかったという思いもあった。

もちろん、暴力は許されることではない。

09生まれ変わった自分

もう暴力はしない

起訴され裁判となったため、留置所での生活は3ヶ月に及んだ。

「いつ元の生活に戻れるのかわからない状況で、今までしてきたことをずっと振り返っていました」

なぜこんなことになったのか・・・・・・。

男なのに男ではない苛立ちが、常に自分の中にあった。

いくら服装を男っぽくしても、女の身体であることは変わらない。

「男女の関係がないと思ったのが、不良の世界です。気合、根性、力が全て。気持ち次第で男になれたんです」

力が全てという考えで突き進んだ。

自分が思う身体ではない苛立ちと、男の身体をもつ相手を倒す快感。

その思いも「留置所ノート」に綴った。

『私は力が強いのが男だと思っていました。でも本当の男は、力とか暴力ではなく、弱い者を助ける優しい人だと思いました。私は間違っていました」

『これからはどんなことがあっても、決して手をあげません。冷静に物事を判断して、弱い立場の人間の見方になって助ける事ができる人になりたいです』

気持ちの変化

被害者に対する謝罪とともに、気持ちの面で大きな変化があったのはFTMへの見方だ。

「事件前は、手術もしないFTMは中途半端だと思って許せなかったんです」

「でも留置所で、FTMの専門誌を読んで手術したいのにできない人とか、あえて手術をしない人とか、それぞれの事情があることを知ったんです」

今まで手術をしない人の理由など、考えたこともなかった。

FTM狩りと称して、FTMをターゲットにしていた自分にとって衝撃でもあった。

FTMの支援をしたい、もっと多くの人に悩んでいる人たちがいることを知って欲しいと思うようになった。

「自分もそうでしたが、世の中は性同一性障害のことを理解できない人だらけなんです」

「身体だけが違う性で生まれた違和感ってどんなものなのか、考えようとすらしない人がほとんどだと思います」

留置所では考える時間がたっぷりあった。

祖母が面会に来た時に「これからどうするか、考えているのか?」と聞かれて、ハッとした。

これまで、自分の将来を真剣に考えたことはない。

小学校の時に、人の悩みを聞いて支援するカウンセラーになりたかったことを、ふと思い出した。

「性同一性障害で悩んでいる人を支えてあげたい。悩みに悩んだ俺だからできると思ったんです」

留置所を出たら、今までの自分とは違う自分に生まれ変わろう。

そして、困っている人を1人でも多く助けよう。

そう誓った。

10悩みを抱えながら生きる

自分を支えてくれる友人への感謝

裁判で執行猶予つきの判決が下り、釈放された。

「留置所に入るようなことをしてはいけないけど、自分にとってはとても大事な時間でした」

留置所では、頻繁に手紙を書いた。綴った数は100枚を超える。

やってしまったことを反省し、自分を見つけ、これからの生き方を考えることができた。

「こんなにどうしようもない自分を励ましてくれたり、支えてくれる友だちが沢山いたんです」

「自分には友だちと呼べる人なんていないと思っていたのに、いろいろな人に助けてもらっていることがよくわかりました」

拘留中、面会に来てくれた友人、手紙でやり取りをした友人の顔が思い浮かぶ。

今までやってしまった行いの、全てを書いた手紙を友人に送った。

返事の冒頭には「そんなことしてたのか、引いたわ」と書かれていた。

「でも最後には『お前はお前じゃん。やってきたことはドン引きするけど、応援するよ』と言ってくれて、本当にありがたいです」

今は、性同一性障害を支援するNPO団体のスタッフとして活動している。

スピーカーとして講演会で登壇することもある。相談される機会も増えてきて、やりがいを感じている。

「悩んでいる子は、気持ちを聴こうとしても絶対に話さないと思うんです。だから、自分のような人間もいることをまず知って欲しいんです」

相手がどういう人かわからないと、腹を割って話すのは難しい。

「だから自分はこういう人間だって、何もかも包み隠さずさらけ出したいんです」

言いたくない過去もオープンにして、体当たりで、性同一性障害で悩んでいる人を助けたい。

そんな活動が始まっている。

父親との関係

性別適合手術、戸籍変更は終えている。

周りからは、なりたい自分に順調に近づいているように見えるかもしれない。

「戸籍上の男になったからと言って、全てハッピーということではないんです。常に悩みがある。生きている限り、続くのでしょうね」

今、一番引っかかっているのが父親とのこと。

「親父とは性同一性障害について、話したことがないんです。元々口数が少ないので、これまでまともに会話した記憶がありません」

幼稚園の頃から暴力を受けていたので、恐れしかない。

父親が前にいると身体が震え何もできなくなる。

「傷害事件は、確かに俺が悪いです。成人なので、父親のせいにしてもいけないと思っています」

「でも親父は『何でそんなことをしてしまったのか?』とか聞きもしないし、全く自分のことを考えようとしてくれないんです」

残念に思った。

寂しかった。

身体への嫌悪感、学校でのイジメ、家庭内暴力で自分がどんな気持ちでいたか。

わかってはくれないのだろうか。

「留置所に親父が面会に来た時に『いろいろな人に迷惑をかけたから、反省しろ』と言っていただけど、じゃあ俺に対してずっとしてきた暴力は何なんだって」

一言で良いから、自分や妹への暴力について謝って欲しい。

「親父も実は子どもの頃、祖父が酔っ払った時に殴られていたみたいなんです」

「だからと言って、暴力が許されるはずがない。俺は留置所で、痛いほど学んだことです」

「父親を恨む気持ちはない。ただ、見返してやりたいと思っています」

最近、NPOの活動が新聞などに出ることが増えてきた。自分に対し無関心の親父が「いつの新聞に載るんだ?」と聞いてくるようになった。いろいろ遠回りをしたが、これから自分の生き様を見せてやりたい。

あとがき
怯えて過ごした智輝さんの長い時代・・・。安全な環境、考えられる場所は皮肉にも留置所だった。消えない傷を負わせてしまった事実はこれからも変わらない。託された智輝さんの[ノート]には、懺悔のほか、過去と決別する言葉で埋め尽くされていた■子どもが荒い力の対象にならない日常を「普通」にするには、どうすれば良いのか?誰にも打ち明けられないでいるあなたへ。「自分のことを大事にしてもいいんだよ!勇気を出して、 “・・・あのね” と、伝えて」。(編集部)

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