INTERVIEW
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トランスジェンダーという事実を知っても、理解してくれる人はいる。【前編】

ニッコリ笑顔が印象的で、やわらかな雰囲気をまとう江藤天音さん。「かつての自分は気性が荒かったんです」と、第一印象からは想像もつかない過去が飛び出した。幼い頃から胸に抱えていたモヤモヤが晴れたのは、つい最近のこと。自分がトランスジェンダーであることを自認してから、人生が大きく動いた。変わっている最中の自分だから、伝えられることがある。

2020/11/20/Fri
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
江藤 天音 / Amane Eto

2000年、大阪府生まれ。幼い頃からスカートやドレスに興味が湧かず、地味なジャージを選んで着ていた。高校時代にレズビアンと自認するも、初めて女性と交際した際に、トランスジェンダー(FTM)なのではないかと気づく。大学入学後にカウンセリングを受け、性同一性障害と診断された。現在は学生のかたわら、株式会社マイユニ代表取締役を務めている。

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INDEX
01 活発でケンカっ早い少女期
02 学歴重視の両親が選んだ進路
03 言葉にできないモヤモヤ
04 気づかれてはいけない気持ち
05 もしかしてレズビアン?
==================(後編)========================
06 トランスジェンダーである自分
07 打ち明けて知った両親の想い
08 人の人生を変えていける事業
09 当事者だからできる生き方
10 数々の出会いで形成された人生

01活発でケンカっ早い少女期

面倒見がいい年長者

「天音」という名前は、気に入っている。

「自分は産まれた瞬間に泣かなくて、看護師さんにお尻を叩かれて、ようやく泣き出したみたいなんです」

「両親がその産声を “天から来た音” って感じて、『天音』と名づけたそうです」

生まれも育ちも大阪。奈良にほど近いところ。

「家の周りは住宅街で、近所には年下の子が多いので、面倒を見つつ遊ぶことが多かったです」

きょうだいの中でも一番上。2人の弟の面倒を見てきた。

「すぐ下の弟は4歳下で、一緒に遊んで育った感じですね。一番下の弟とは12歳離れてて、今は小学2年生。めちゃめちゃかわいいんです」

中学2年生の時に下の弟が産まれたため、おむつ替えなども当然のように自分がしていた。

良くも悪くも活発

幼い頃の自分は、とにかく活発な子。

「親や親戚からも、よく『いい意味でも悪い意味でも、すごく活発だった』って、言われます」

「外に遊びに行くと、『まだ遊びたい!』って騒いで、家に連れて帰るのが大変だったらしいです(笑)」

外遊びが好きだったが、近所の友だちは女の子ばかり。

「周りの子の影響で、おままごとしたり、リカちゃん人形で遊んだりもしてました」

「ただ、楽しさを見出せなくて、おままごとではいつもお父さん役か犬役。みんながリカちゃん人形で遊んでる横で、ロボットで遊ぶみたいな」

幼稚園に入り、男の子の友だちが増えてからは、ドッジボールを楽しんだ。

「積極的にボールをキャッチして、当てに行くタイプでしたね(笑)」

男の子を泣かせる側

活発なだけではなく、やや気性の荒い子どもだったことを覚えている。

「小学校低学年の頃は、短気だったかな。ちょっかい出されると、すぐに怒るタイプでした」

「男の子と殴り合いのケンカになって、泣かせてしまうこともよくあったみたいで(苦笑)」

明確に覚えているケンカがある。

当時、『ポケットモンスター』のシールを集め、水筒に貼ることにハマっていた。

そのシールを、同級生の男の子に取られてしまったのだ。

「『取ったやろ!』って問い詰めたけど、相手の子は認めなくて、ケンカになりました」

お互いに手を出したが、相手の子が先に泣き出してしまう。

「お母さんが学校に呼び出されて、泣かせた自分が謝るみたいな形になってました」

「殴ってしまったことは事実だったので、仕方ないかな、とは思ったけど(苦笑)」

02学歴重視の両親が選んだ進路

一切家事をしない父

父は、古い考え方の “亭主関白” タイプ。

「『家事は女がやる仕事だ』みたいな考えの人で、『俺はしない』って、公言してます」

「『男なんだから』『女なんだから』ってことは、よく言っていた気がしますね」

厳しい父は、学歴コンプレックスを抱いていたのかもしれない。

「両親とも大学を出ていないからか、『勉強はしっかりしろ』とは、今でも言われるんです」

「『いい大学に入って、いい企業に就職することが幸せ』って考えてて、自分も弟たちも期待されてるんだと思います」

子ども思いな母

母も勉強には厳しいが、考え方は近代的。
亭主関白な父に対して、意見を伝えることもある。

「前はお父さんに『手伝ってや』って言ってたんですけど、最近は『ほっとけばいい』って、割り切ってますね」

「お母さんも短気で、弟が勉強してない時とかは、怒鳴り散らしてます(笑)」

一方で、周囲の目を気にするタイプでもある。

「お母さんの両親が離婚していて、子どもの頃に振り回されたみたいなんです」

浮気相手が家に乗り込んでくるようなことも、あったという。

「『そういう思いを子どもにしてほしくないから』って、すごく子ども思いな母親です」

勉強に関しては厳しい両親だったが、ルールで縛られた記憶はない。

「門限も緩かったし、そこまで厳しい家庭ではなかったと思います」

性格改善のための中学受験

自分の気性の荒さを改善するため、両親が考えた方法が、中学受験。

小学校高学年から、ほぼ強制的に塾に連れていかれて、ひたすら勉強する日々が始まる。

「遊ぶ時間はなかったんですけど、反発とかはしなかったです。勉強はイヤだったけど、やらないとお母さんに怒られたので(苦笑)」

塾には自分と同じ状況の子がいたため、すぐに仲良くなれた。

「友だちがいたから、塾自体は苦じゃなかったんです」

「塾の友だちにボーカロイドの曲を教えてもらって、ニコニコ動画とかYouTubeでよく聞いてましたね」

徐々に、音楽そのものに興味を持つようになっていく。

「中学受験は、無事に第一志望に合格しました」

「第一志望といっても、親が選んだんです。『大学までエスカレーターで行ける付属校だし、家から近いから』って」

入学した学校は、ひと学年8クラス、ひとクラス30~40人ほどの共学校。

03言葉にできないモヤモヤ

心の中に浮かび始める違和感

同じ小学校の友だちは、ほとんどが地元の公立中学校に進学した。

「でも、新しい世界に飛び込むことは好きなので、環境が変わることに不安はなかったですね」

「私立校に入ってびっくりしたのは、お金持ちアピールする子がいたこと(笑)」

最新のスマホを見せびらかす子や、ブランドものを身につけてくる子が、それなりにいた。

「ガジェット系が好きだったので、スマホは羨ましかったです。でも、わざわざ見せびらかす必要はないよなって(苦笑)」

中学生になってから、ほのかに嫌悪感を抱いたものがあった。

「制服のスカートがイヤだったし、制服の採寸でバストを測られることも違和感がありました」

「当時はまだ自分がLGBT当事者だなんて気づいてなかったけど、なんとなくモヤモヤしましたね」

ヒョウ柄のスカート

最初にモヤッと感じたのは、幼稚園児の頃。

「その頃から、男の子じゃなくて女の子をかわいいと思ったし、ドキドキしてたんですよね」

「でも、周りの女の子は『足が速い○○君ってかっこいいよね』って、話してたんです」

「自分は人と違う感じがして、周りに合わせて『○○君かっこいい』って、言ってました」

7歳の時の七五三、フォトスタジオで記念写真を撮る時は、フリフリのドレスを着た。

「ドレスは着たんですけど、口紅がイヤだった記憶は、うっすら残ってます」

「小学校に入ってからは、スカートとか派手な色の服がイヤでした」

母が選んでくれる服は、ヒョウ柄のスカートなど、派手なものが多かった。

「好みの問題もあったと思うけど、なんとなく着たくなかったんです」

「女の子向けの服を見てても楽しくなくて、中性的な服ばかり選んでました」

「これは着たくない」と断り、地味なジャージを選んだ。

母はその選択を否定しなかったが、「ちゃんとした服を着ていき」とは言っていた。

女の子である証

中学校では、スカートの下に体操服のズボンをはいてしのぐ。

「体育の前に更衣室で着替えることは、あまり意識してなかったけど、今思うとイヤだったのかな」

体育のある日は、制服の下に体操服を着ていき、脱ぐだけでいいようにしていた。

「早く体育をしたい気持ちが強かったけど、着替えを見られたくなかったのかもしれないですね」

生理が始まった時も、そこまで嫌悪感を抱かなかった。

「当時の自分は知識がなかったから、生理は男女関係なくあるものだと思ってたんです(笑)」

「でも、中学2年の保健の授業で、女性だけのものだって知って、イヤな気持ちになりました」

中学生の間は、このモヤモヤの理由がわからなかった。

04気づかれてはいけない気持ち

没頭した吹奏楽部

小学生の頃から音楽に興味があったため、中学では吹奏楽部に入る。
部員30人ほどの部活で、パーカッションを担当。

「トランペットがやりたかったんですけど、希望者が多かったので、パーカッションにしました」

「毎日練習があって、結構忙しかったです」

「体のこととかモヤモヤはあったけど、部活に没頭してたから、悩むほどではなかったんですよね」

中学生にもなると、女の子たちは恋愛にも積極的になり、男の子とつき合い始める子もいた。

その中にいても、自分が気になる相手は女の子だった。

苦い片想い

同じ吹奏楽部の友だちで、気になっていた子がいた。

「ずっと仲が良かったんですけど、自分は恋愛として好きだったんでしょうね」

毎日一緒に帰るほどの仲で、部員からも「2人って仲良しだよね」と、言われていた。

一緒にいたかっただけだから、告白などはしない。

しかし、中学3年のある日、突然「明日から一緒に帰らへんから」という連絡が届く。

「それ以降、部活で顔を合わせても口を聞いてくれなくて、ばっさり遮断されました」

部員から「最近一緒にいないね」と言われるほど、明確な関係の変化。

「連絡しても返ってこないので、そうなった理由も確認できなかったんです」

「自分は気になると、つい積極的にアプローチしてしまうタイプだから、気持ちに気づかれてしまったのかな・・・・・・」

「やっぱり女の子が好きなことはおかしいし、人に言ってはいけないことなんだ、って認識しましたね」

空白の数カ月

「その子と話せなくなったことがかなりのダメージで、病んだ時期がありました」

学校には通ったが、何に対してもやる気が出ず、自暴自棄になってしまう。

「無の期間というか、部活中も放心状態でしたね」

「それが中3の2月くらいだったんで、高校進んでからはちゃんとしよう、って感じでした」

中学卒業までの期間は、ただ日々をこなしていくような感覚だった。

05もしかしてレズビアン?

高校でも続けた吹奏楽

大学の付属中学から付属高校へと、ストレートに進学。高校でも変わらずに、吹奏楽部に所属した。

「高校の吹奏楽部は強豪だったので、他校から推薦で入ってきた子もいて、100人前後くらいの規模でした」

「高校でもパーカッション続けようと思ってたんですけど、中学の頃から上手だった子が入学してきたので、諦めました(苦笑)」

「コンクールに出たかったから、希望者の少ないファゴットを選んだんです」

その読みは当たり、2年時、3年時はコンクールに参加。
在籍中に、関西大会金賞という結果も残すことができた。

この頃は、男の子に憧れるような気持ちはなかった。

「同じクラスの男の子も吹奏楽部の男の子も、おとなしい子が多かったんですよね」

「友だちは女の子ばかりだったし、男の子との接点もなくて、何も思ってなかったです」

レズビアンというセクシュアリティ

高校1年生の時、他校から入学してきた女の子と知り合う。

「同じ吹奏楽部だったんですけど、その子とはお互いに、女の子が好きなんだな、って理解し合えたんですよ」

2人とも女性アイドルが好きで、「あの子かわいいよね」と、共通の話題で盛り上がることができた。

たまたま家が近く、行きも帰りも一緒だった。

「2人でいる時に、その子から『レズビアンなんだ』って、言われたんです」

「 “レズ” とか “ホモ” って言葉はなんとなく知ってたけど、LGBTは知りませんでした」

「その子の言葉がきっかけで、自分もレズビアンなのかな、って認識するようになりましたね」

互いのセクシュアリティは、2人だけの秘密。それでも、気持ちはだいぶ軽くなった。

「コイバナができるってこんなに楽しいんだ、って初めて感じたし、自分らしく生きる大切さを知りました」

「誰が誰を好きでもいいやん」

レズビアンという言葉を知り、自分のセクシュアリティについて考えるようになる。

まずは、LGBTについて調べた。

「最初は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーっていっぱいあったら理解できひん! って思ってました(笑)」

「でも、自分以外にも同じような人がいるんだ、って思ったら、安心したんです」

当事者であることに、不安はほとんど感じなかった。
自分自身を知れた喜びが大きく、迷いが生じるようなこともなかった。

「部活が忙しかったのもあるけど、セクシュアリティに関して悩むことは少なかったと思います」

「将来のことは考え切れてなかったけど、誰が誰を好きでもいいやん、って考えが強くなって、あんまり気にしてなかったです」


<<<後編 2020/11/24/Tue>>>
INDEX

06 トランスジェンダーである自分
07 打ち明けて知った両親の想い
08 人の人生を変えていける事業
09 当事者だからできる生き方
10 数々の出会いで形成された人生

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