02 学歴重視の両親が選んだ進路
03 言葉にできないモヤモヤ
04 気づかれてはいけない気持ち
05 もしかしてレズビアン?
==================(後編)========================
06 トランスジェンダーである自分
07 打ち明けて知った両親の想い
08 人の人生を変えていける事業
09 当事者だからできる生き方
10 数々の出会いで形成された人生
01活発でケンカっ早い少女期
面倒見がいい年長者
「天音」という名前は、気に入っている。
「自分は産まれた瞬間に泣かなくて、看護師さんにお尻を叩かれて、ようやく泣き出したみたいなんです」
「両親がその産声を “天から来た音” って感じて、『天音』と名づけたそうです」
生まれも育ちも大阪。奈良にほど近いところ。
「家の周りは住宅街で、近所には年下の子が多いので、面倒を見つつ遊ぶことが多かったです」
きょうだいの中でも一番上。2人の弟の面倒を見てきた。
「すぐ下の弟は4歳下で、一緒に遊んで育った感じですね。一番下の弟とは12歳離れてて、今は小学2年生。めちゃめちゃかわいいんです」
中学2年生の時に下の弟が産まれたため、おむつ替えなども当然のように自分がしていた。
良くも悪くも活発
幼い頃の自分は、とにかく活発な子。
「親や親戚からも、よく『いい意味でも悪い意味でも、すごく活発だった』って、言われます」
「外に遊びに行くと、『まだ遊びたい!』って騒いで、家に連れて帰るのが大変だったらしいです(笑)」
外遊びが好きだったが、近所の友だちは女の子ばかり。
「周りの子の影響で、おままごとしたり、リカちゃん人形で遊んだりもしてました」
「ただ、楽しさを見出せなくて、おままごとではいつもお父さん役か犬役。みんながリカちゃん人形で遊んでる横で、ロボットで遊ぶみたいな」
幼稚園に入り、男の子の友だちが増えてからは、ドッジボールを楽しんだ。
「積極的にボールをキャッチして、当てに行くタイプでしたね(笑)」
男の子を泣かせる側
活発なだけではなく、やや気性の荒い子どもだったことを覚えている。
「小学校低学年の頃は、短気だったかな。ちょっかい出されると、すぐに怒るタイプでした」
「男の子と殴り合いのケンカになって、泣かせてしまうこともよくあったみたいで(苦笑)」
明確に覚えているケンカがある。
当時、『ポケットモンスター』のシールを集め、水筒に貼ることにハマっていた。
そのシールを、同級生の男の子に取られてしまったのだ。
「『取ったやろ!』って問い詰めたけど、相手の子は認めなくて、ケンカになりました」
お互いに手を出したが、相手の子が先に泣き出してしまう。
「お母さんが学校に呼び出されて、泣かせた自分が謝るみたいな形になってました」
「殴ってしまったことは事実だったので、仕方ないかな、とは思ったけど(苦笑)」
02学歴重視の両親が選んだ進路
一切家事をしない父
父は、古い考え方の “亭主関白” タイプ。
「『家事は女がやる仕事だ』みたいな考えの人で、『俺はしない』って、公言してます」
「『男なんだから』『女なんだから』ってことは、よく言っていた気がしますね」
厳しい父は、学歴コンプレックスを抱いていたのかもしれない。
「両親とも大学を出ていないからか、『勉強はしっかりしろ』とは、今でも言われるんです」
「『いい大学に入って、いい企業に就職することが幸せ』って考えてて、自分も弟たちも期待されてるんだと思います」
子ども思いな母
母も勉強には厳しいが、考え方は近代的。
亭主関白な父に対して、意見を伝えることもある。
「前はお父さんに『手伝ってや』って言ってたんですけど、最近は『ほっとけばいい』って、割り切ってますね」
「お母さんも短気で、弟が勉強してない時とかは、怒鳴り散らしてます(笑)」
一方で、周囲の目を気にするタイプでもある。
「お母さんの両親が離婚していて、子どもの頃に振り回されたみたいなんです」
浮気相手が家に乗り込んでくるようなことも、あったという。
「『そういう思いを子どもにしてほしくないから』って、すごく子ども思いな母親です」
勉強に関しては厳しい両親だったが、ルールで縛られた記憶はない。
「門限も緩かったし、そこまで厳しい家庭ではなかったと思います」
性格改善のための中学受験
自分の気性の荒さを改善するため、両親が考えた方法が、中学受験。
小学校高学年から、ほぼ強制的に塾に連れていかれて、ひたすら勉強する日々が始まる。
「遊ぶ時間はなかったんですけど、反発とかはしなかったです。勉強はイヤだったけど、やらないとお母さんに怒られたので(苦笑)」
塾には自分と同じ状況の子がいたため、すぐに仲良くなれた。
「友だちがいたから、塾自体は苦じゃなかったんです」
「塾の友だちにボーカロイドの曲を教えてもらって、ニコニコ動画とかYouTubeでよく聞いてましたね」
徐々に、音楽そのものに興味を持つようになっていく。
「中学受験は、無事に第一志望に合格しました」
「第一志望といっても、親が選んだんです。『大学までエスカレーターで行ける付属校だし、家から近いから』って」
入学した学校は、ひと学年8クラス、ひとクラス30~40人ほどの共学校。
03言葉にできないモヤモヤ
心の中に浮かび始める違和感
同じ小学校の友だちは、ほとんどが地元の公立中学校に進学した。
「でも、新しい世界に飛び込むことは好きなので、環境が変わることに不安はなかったですね」
「私立校に入ってびっくりしたのは、お金持ちアピールする子がいたこと(笑)」
最新のスマホを見せびらかす子や、ブランドものを身につけてくる子が、それなりにいた。
「ガジェット系が好きだったので、スマホは羨ましかったです。でも、わざわざ見せびらかす必要はないよなって(苦笑)」
中学生になってから、ほのかに嫌悪感を抱いたものがあった。
「制服のスカートがイヤだったし、制服の採寸でバストを測られることも違和感がありました」
「当時はまだ自分がLGBT当事者だなんて気づいてなかったけど、なんとなくモヤモヤしましたね」
ヒョウ柄のスカート
最初にモヤッと感じたのは、幼稚園児の頃。
「その頃から、男の子じゃなくて女の子をかわいいと思ったし、ドキドキしてたんですよね」
「でも、周りの女の子は『足が速い○○君ってかっこいいよね』って、話してたんです」
「自分は人と違う感じがして、周りに合わせて『○○君かっこいい』って、言ってました」
7歳の時の七五三、フォトスタジオで記念写真を撮る時は、フリフリのドレスを着た。
「ドレスは着たんですけど、口紅がイヤだった記憶は、うっすら残ってます」
「小学校に入ってからは、スカートとか派手な色の服がイヤでした」
母が選んでくれる服は、ヒョウ柄のスカートなど、派手なものが多かった。
「好みの問題もあったと思うけど、なんとなく着たくなかったんです」
「女の子向けの服を見てても楽しくなくて、中性的な服ばかり選んでました」
「これは着たくない」と断り、地味なジャージを選んだ。
母はその選択を否定しなかったが、「ちゃんとした服を着ていき」とは言っていた。
女の子である証
中学校では、スカートの下に体操服のズボンをはいてしのぐ。
「体育の前に更衣室で着替えることは、あまり意識してなかったけど、今思うとイヤだったのかな」
体育のある日は、制服の下に体操服を着ていき、脱ぐだけでいいようにしていた。
「早く体育をしたい気持ちが強かったけど、着替えを見られたくなかったのかもしれないですね」
生理が始まった時も、そこまで嫌悪感を抱かなかった。
「当時の自分は知識がなかったから、生理は男女関係なくあるものだと思ってたんです(笑)」
「でも、中学2年の保健の授業で、女性だけのものだって知って、イヤな気持ちになりました」
中学生の間は、このモヤモヤの理由がわからなかった。
04気づかれてはいけない気持ち
没頭した吹奏楽部
小学生の頃から音楽に興味があったため、中学では吹奏楽部に入る。
部員30人ほどの部活で、パーカッションを担当。
「トランペットがやりたかったんですけど、希望者が多かったので、パーカッションにしました」
「毎日練習があって、結構忙しかったです」
「体のこととかモヤモヤはあったけど、部活に没頭してたから、悩むほどではなかったんですよね」
中学生にもなると、女の子たちは恋愛にも積極的になり、男の子とつき合い始める子もいた。
その中にいても、自分が気になる相手は女の子だった。
苦い片想い
同じ吹奏楽部の友だちで、気になっていた子がいた。
「ずっと仲が良かったんですけど、自分は恋愛として好きだったんでしょうね」
毎日一緒に帰るほどの仲で、部員からも「2人って仲良しだよね」と、言われていた。
一緒にいたかっただけだから、告白などはしない。
しかし、中学3年のある日、突然「明日から一緒に帰らへんから」という連絡が届く。
「それ以降、部活で顔を合わせても口を聞いてくれなくて、ばっさり遮断されました」
部員から「最近一緒にいないね」と言われるほど、明確な関係の変化。
「連絡しても返ってこないので、そうなった理由も確認できなかったんです」
「自分は気になると、つい積極的にアプローチしてしまうタイプだから、気持ちに気づかれてしまったのかな・・・・・・」
「やっぱり女の子が好きなことはおかしいし、人に言ってはいけないことなんだ、って認識しましたね」
空白の数カ月
「その子と話せなくなったことがかなりのダメージで、病んだ時期がありました」
学校には通ったが、何に対してもやる気が出ず、自暴自棄になってしまう。
「無の期間というか、部活中も放心状態でしたね」
「それが中3の2月くらいだったんで、高校進んでからはちゃんとしよう、って感じでした」
中学卒業までの期間は、ただ日々をこなしていくような感覚だった。
05もしかしてレズビアン?
高校でも続けた吹奏楽
大学の付属中学から付属高校へと、ストレートに進学。高校でも変わらずに、吹奏楽部に所属した。
「高校の吹奏楽部は強豪だったので、他校から推薦で入ってきた子もいて、100人前後くらいの規模でした」
「高校でもパーカッション続けようと思ってたんですけど、中学の頃から上手だった子が入学してきたので、諦めました(苦笑)」
「コンクールに出たかったから、希望者の少ないファゴットを選んだんです」
その読みは当たり、2年時、3年時はコンクールに参加。
在籍中に、関西大会金賞という結果も残すことができた。
この頃は、男の子に憧れるような気持ちはなかった。
「同じクラスの男の子も吹奏楽部の男の子も、おとなしい子が多かったんですよね」
「友だちは女の子ばかりだったし、男の子との接点もなくて、何も思ってなかったです」
レズビアンというセクシュアリティ
高校1年生の時、他校から入学してきた女の子と知り合う。
「同じ吹奏楽部だったんですけど、その子とはお互いに、女の子が好きなんだな、って理解し合えたんですよ」
2人とも女性アイドルが好きで、「あの子かわいいよね」と、共通の話題で盛り上がることができた。
たまたま家が近く、行きも帰りも一緒だった。
「2人でいる時に、その子から『レズビアンなんだ』って、言われたんです」
「 “レズ” とか “ホモ” って言葉はなんとなく知ってたけど、LGBTは知りませんでした」
「その子の言葉がきっかけで、自分もレズビアンなのかな、って認識するようになりましたね」
互いのセクシュアリティは、2人だけの秘密。それでも、気持ちはだいぶ軽くなった。
「コイバナができるってこんなに楽しいんだ、って初めて感じたし、自分らしく生きる大切さを知りました」
「誰が誰を好きでもいいやん」
レズビアンという言葉を知り、自分のセクシュアリティについて考えるようになる。
まずは、LGBTについて調べた。
「最初は、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーっていっぱいあったら理解できひん! って思ってました(笑)」
「でも、自分以外にも同じような人がいるんだ、って思ったら、安心したんです」
当事者であることに、不安はほとんど感じなかった。
自分自身を知れた喜びが大きく、迷いが生じるようなこともなかった。
「部活が忙しかったのもあるけど、セクシュアリティに関して悩むことは少なかったと思います」
「将来のことは考え切れてなかったけど、誰が誰を好きでもいいやん、って考えが強くなって、あんまり気にしてなかったです」
<<<後編 2020/11/24/Tue>>>
INDEX
06 トランスジェンダーである自分
07 打ち明けて知った両親の想い
08 人の人生を変えていける事業
09 当事者だからできる生き方
10 数々の出会いで形成された人生