INTERVIEW
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知らなかったFTMのこと、暴力に対するおもい。ちゃんと向き合いたいから、全てを話す【前編】

澄んだ瞳の持ち主で、優しい雰囲気の木部さん。身体に対する嫌悪感、家庭内暴力、イジメ。ストレスのはけ口がケンカだった。傷害罪で逮捕・勾留された3ヶ月は、被害者に謝罪し、人生を見つめ直す貴重な時間となる。今は、NPO団体の一員として活動を開始した。1人でも多くの人を助けたいと、自分のことを包み隠さず話してくれた。

2017/09/22/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Junko Kobayashi
木部 智輝 / Kibe Tomoki

1989年、埼玉県生まれ。祖父母、両親、妹の6人家族で育った。幼稚園の時に両親が離婚。幼少から20歳くらいまで、父親から暴力を受ける。身体に対する違和感は小学校高学年から。それらに学校でのイジメが重なり、中学校の一時期は不登校に。21歳、タイで性別適合手術を受ける。現在はトラックドライバーをしながら、性同一性障害を支援するカウンセラーとして活動している。

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INDEX
01 女の子と思ったことはない
02 20歳まで続く父親の暴力
03 男子ではないという現実
04 身体への嫌悪感、暴力、いじめの三重苦
05 ネットの世界で男として生きる
==================(後編)========================
06 ケンカ三昧の日々
07 FTMに対する怒り
08 24歳、傷害罪で逮捕
09 生まれ変わった自分
10 悩みを抱えながら生きる

01女の子と思ったことはない

気持ちは男の子

祖父母と両親、妹の6人家族。

男の子と一緒に、ずっと外で遊ぶ活発な女の子。母親の趣味で、髪の毛は腰に届くほど長かった。

見た目は女の子でも、自分のことを女の子とは思っていなかった。

「男の子と信じていたんです。髪が長くても、自分は男の子だから平気という感じです」

体を動かすのが好きで、足も速かった。

幼稚園の運動会の写真には、一人で走っているように見える一枚がある。

「何で一人しか写っていないの?と聞いたら、他の子が写り込まないくらいダントツの早さで走っていたと言われました」

家族から、女の子らしくしなさいと言われたことはなかった。

男の子のように遊び、男の子だと疑うことなく幼少期を過ごした。

男の子なのにどうして?

セクシュアリティについて、違和感を持ったのは小学3年生。

水泳の授業で、水着に着替えている時のことだった。

「男の子と違うと思ったんです。何で自分は女の子の水着を着ているんだろうって」

あまり深く考えない性格なので、疑問に思っても悩むことはなかった。

「その時は、周りの女の子も自分と同じように疑問を持っていると思ったんです(笑)」

みんなも嫌だと思いながら着ていると信じていたので、先生や家族に相談することもなかった。

高学年になると、女子だけが集められた教室で生理の説明をされた。

「何でそんな話しを聞かないといけないんだろう?自分がその場にいるのが不思議でした。早く外で遊びたいって」

生理とは関係がないと信じていたから、初潮がきた時は病気かと驚いた。

「血がでてきた。ヤバイっ」。あわてて同居していた祖母に話した。

生理がくるのは嫌だった。

“自分は女なんだ” って、毎月身体に言われているような気分で、決して受け入れることは出来なかった。

02 20歳まで続く父親の暴力

はじまりは幼稚園から

母親と妹と寝ていた時に、父親が起きる音で目が覚めた。

トイレに行くのかと思っていたらいきなり「ドン!」と凄い音がした。

「何の音だろうと思いつつ、そのまま寝てしまったんですが、翌朝壁を見たら大きな穴が開いてたんです」

夜中の大きな音は、父親が壁に穴を開けた音だった。

「母親と怖いねと話したのを覚えています」

父親は口数が少なく、家ではほとんど話さない。

怒る時は「何回言ったらわかるんだ」と言うのと同時に、手がでてきた。

「両親は幼稚園の年長の時に、離婚しました」

理由はわからないが、母親はいつの間にかいなくなっていた。

「その頃の記憶はあまりないんです。もしかしたら、親父は母親にも手を上げていたのかなと思いますね」

母親がいなくなり、祖母が母親代りとなった。

父親の暴力を見かねると、祖母がとめてくれた。しかし、その祖母にも父親は暴力を振るう。

母親がいなくなり、父のことを誰にも止められなかった。

3日ごとに殴られる

父親の暴力は小学校の時が一番ひどかった。

「流血は日常茶飯事です。たとえ血が出ても、親父の気が収まるまで殴るのをやめなかったんです」

長い時は45分くらい殴られ続けた。

妹も一緒に殴られる。殴られる理由は他愛もないことだった。

「妹と一緒に風呂に入っていて、ふざけていたんです。そうしたら父親がやってきて『うるさい!』と怒鳴られて、2人ともボコボコです」

ドラマで見るように、髪の毛をつかまれ、湯船に顔をつけられることもあった。

「親父は空手の黒帯で元ボティビルダーなんです。抵抗なんてできません。暴力がはじまったら、ただただ我慢するしかないんです」

他の家のことも知らなかったので、自分がうるさかったから殴られるのだと思った。

「“ あと何分やられるんだろう”とか、“ ああ今日は短かくて済んだな”
とか、そんな日々です」

3日ごとに繰り返される暴力。さすがに耐えられなくなってくる。

一度だけ、学校で配られたDV相談のお知らせを見て、電話をしたことがある。

「でも何も言えなくて、1時間無言のまま・・・・・・。結局電話を切りました。親父にバレたら何をされるかわからないと怖かったんです」

誰かに相談したい、助けて欲しいと思ってもどうしたら良いかわからない。

一人で耐えるしかなかった。

03男子ではないという現実

父親にカミングアウト

小学校6年生の授業参観日で、父親に手紙を渡す機会があった。

「みんなは親に対する感謝の気持ちを書いていたのかな・・・・・・。でも、自分は『本当は男なんです』って書いたんです」

3年生くらいで違和感を感じ、高学年になるとどんどん男ではないことがわかるようになってきた。

「だって、立ちションもできないでしょ(笑)。体は女子だけど、本当は男子なんだって、どうしても伝えたかったんです」

家では殴られている父親にカミングアウトすることを、怖いとは思わなかった。

それよりも、わかって欲しいという気持ちが強かった。

「親父は手紙を渡してから半年間、まともに口をきいてくれませんでした・・・・・・」

祖母にセクシュアリティの話しをしたことはない。

母親には、離婚後もよく会っていたので、性同一性障害かもしれないと話していた。

「お母さんはオカマバーとかに行っていたので、そんな話しも抵抗ないようでした。『友だちに何人もいるよ』って、明るく話してくれたんです(笑)」

母親には自分の気持ちを正直に話すことができた。

理解してくれる人がいるのは、ありがたかった。

胸だけはゆるせない

身体の変化で、どうしても受け入れられなかったのが胸だった。

「中学生になった頃、胸が大きくなってきて、エーっでした」

女の人に胸があることはわかっていたが、自分の身体が他の女の子と同じように成長するのは想定外。

「思い描いていた身体とは違うんです。もう絶望でした」

胸が嫌で嫌で仕方がない。

登校する時はラップで胸をぐるぐる巻いて、押し潰していた。

「蒸れるし、汗でぐちょぐちょです。でも毎日やっていました」

親戚の叔母さんにブラジャーを買いに連れて行ってもらったことがある。

「最初はブラジャーをするものと思っていたんですが、ある時、周りの男子はしていないことに気づいたんです。それからしなくなりました」

何でこんな身体なんだ、本当はこんな身体じゃないと悩む毎日。

中学校ではイジメにもあった。

「机がなかったり、自分の物がゴミ箱に捨てられていたりとか。バスケ部だったんですけど、ボールや靴を投げられたこともありました」

家に相談できる人はいなかった。

なんとか耐えていたが、止まらないイジメに限界を迎えつつあった。

04身体への嫌悪感、暴力、いじめの三重苦

不登校になる

中学校になると男女の区別がはっきりしてくる。

身体は違ってくるし、行動も男女で分かれるようになる。

「自分が男子でないことが嫌でしたし、家では相変わらず親父に殴られていたし、学校ではイジメられる。もう全部やだ!となってしまいました」

とうとう2年生の時に、不登校になる。

「家にいたら親父に怒られるから、朝普通に家を出て近所で隠れているんです」

「親父が出勤するのを見届けてから家に戻りました」

祖母は何も言わず、不登校の孫を見守ってくれた。父親に告げ口することもなかった。

「とにかく現実から逃げたい。それだけでした。家では何もせず、ずっとテレビを観ていましたね」

半年ほどそんな生活を続けた。

「そろそろ学校に戻らなくてはいけないと思うようになったんです」

「近所に小学校から一緒の女友だちがいるんですけど、学校に行こうよと誘ってくれたんです。それが登校するきっかけになりました」

茶髪にして、半年ぶりに登校した。

「何かしたかったんでしょうね(笑)」

それまでのモヤモヤ、半年間家に閉じこもっていた気持ちを突っぱねる儀式のようなものが必要だったのかもしれない。

髪の毛は担任に注意され、翌日は黒髪に戻して登校した。

遺書を書く

思い悩んだ中学時代。

悩みがピークに達し、自殺を考えたこともある。

「今の状況が続くより、リセットした方がましと思ったんです」

死ぬしかないと考えたとき、せめて自分の気持ちは伝えたいと思い、家族や友人にあてた遺書を書く。

「まず、カミングアウトです。男として生きたかったということ。そして親父の暴力、学校でのイジメ。一通り書きました」

「でも、書き終えたら不思議と気持ちが落ち着いたんです」

書くことで、漠然とした悩みを整理することができた。

「ちょうどテレビで金八先生がやっていて、自分と悩みが一緒だ。手術ができるんだ、って知ったんです」

遺書を書いて少し冷静になったこと、そして手術ができる可能性を知ったことが、一線を超えることを引き止めた。

しかしながら、父親の暴力、学校でのイジメは相変わらずだった。

「不登校前は攻撃的なイジメだったけど、登校後はシカトに変わっただけ。やられるのも無視もどちらも嫌でした」

「学校に行っても、教室にポツンと1人でいました」

イジメのことを、離れて暮らす母親に相談することはなかった。

「お母さんは借金があったり・・・・・・。ダメ人間だったんですよね(苦笑)」

セクシュアリティのことは話せたが、母親のところに逃げて一緒に住もうとは思えなかった。

05ネットの世界で男として生きる

ネット番長

高校は、不登校の時に声をかけてくれた友人と同じ女子校に進学する。

「本当は制服がない高校に行きたかったんですけど、偏差値が足りなくて(笑)」

女子校の制服は、違う自分が着ている感覚だった。

「本当の俺じゃない、そう思うほかなかったです」

そんな生活に変化が起きたのは、プリペイド携帯を持ってから。

ネットで流行っていた「前略プロフィール」というプロフィールサイトで、男として投稿し始めた。

「完全に口だけのネット番長です(笑)。掲示板で『かかってこいやー』みたいに意気がっていました」

ネットの世界にはまった。

ネットでは男として、望む自分になれた。

依然、女という自覚はなく、実社会では制服のスカートをはいた大人しい女子高生。

それは自分が思う姿とはかけ離れていた。

「将来の夢は、『本当の自分になる』とネットに書いていました」

高校2年の時に、母親と一緒に性別違和に関する受診をしてカウンセリングを開始する。

性別適合手術が唯一の希望だった。

ヤンチャの世界へ

ネット番長として意気がっていた時、地元で有名なヤンキーにネット上でケンカを売ってしまう。

「男になりきって、『俺に勝ったら男として認めてやる』みたいなことを書いていたんです」

「で、その人にケンカしろよと言ったら、相手が乗ってきて。まぁ相手は本物のヤンキーですから(笑)」

ケンカの場所を決めて、いざ当日。しかし、自分はその場所に行かなかった。

「『お前、何で来ないんだ!』とネットで書かれ、これは謝るしかないと」

その人は、ケンカが強く、人望もあり、その手の界隈では有名な人だった。

直接、頭を下げに行き、本当は仲間に入れて欲しいと打ち明けた。

「自分が女だとはバレなかったです。今のようにLGBTが話題になることもなかったので」

その人との出会いをきっかけにリアルな世界でも、ヤンチャになっていく。

「原付3ケツとか、一通り悪さをしましたが、一番多かったのはケンカですね」

歩いていて気に入らない人にガンを飛ばす。相手が応じてきたら、ケンカ。

身体は女子なのに、負けることはなかった。

父親から日常的に暴力を振るわれていたので、男の人が相手でも怖くなかった。

家で殴られているのを、外のケンカで発散する。

ただ、誰かを殴れるというだけで良かった。


<<<後編 2017/09/24/Sun>>>
INDEX

06 ケンカ三昧の日々
07 FTMに対する怒り
08 24歳、傷害罪で逮捕
09 生まれ変わった自分
10 悩みを抱えながら生きる

あとがき
怯えて過ごした智輝さんの長い時代・・・。安全な環境、考えられる場所は留置所だった。消えない傷を負わせてしまった事実はこれからも変わらない。託された智輝さんの[ノート]には、懺悔のほか、過去と決別する言葉で埋め尽くされていた■子どもが荒い力の対象にならない日常を「普通」にするには、どうすれば良いのか。誰にも打ち明けられないでいるあなたへ。「自分のことを大事にしてもいいんだよ!勇気を出して“助けて”と、伝えてね」。(編集部)

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