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自分が好き、といえるようになるまで【後編】

自分が好き、といえるようになるまで【前編】はこちら

2023/11/18/Sat
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Shintaro Makino
大野 海 / Kai Ono

1992年、沖縄県生まれ。故郷はきれいな海が広がるうるま市。小さい頃からリーダー的存在で元気に走り回った。自分は男の子と信じ、女の子扱いされるのが大嫌いだった。ところが中1のときに生理がきて、「自分は女の子だったんだ」という事実に直面。以降、「ボーイッシュで無口な女」という殻に自分を押し込めてきたが、ミックスバーで働いたことで性の呪縛から解放された。

USERS LOVED LOVE IT! 10
INDEX
01 故郷は青い海がきれいな沖縄県
02 自分は男の子、と信じていた
03 生理の日。驚きとショックで涙が止まらなかった
04 女の子として生きるために頑張った
05 トランスジェンダーという答えを探すのも嫌だった
==================(後編)========================
06 10人の友だちに囲まれて、初めてのカミングアウト
07 カノジョを追って名古屋へGO!
08 性別適合手術をして、子どもを育てることが大きな目標
09 男の名前で働き始める
10 沖縄で自分の店を出したい

06 10人の友だちに囲まれて、初めてのカミングアウト

教習所での新しい出会い

高校でもバスケットには打ち込むことができた。県大会まではいけなかったが、スタメンとしてプレーした。

「卒業してからのことは、進学も就職も、あまり考えてなかったですね。お父さんが飲食関係だったので、自分も将来はお店をやりたいな、と漠然と思ってました」

高校3年の夏で部活も終わり、自動車の免許を取るために教習所に通い始める。

「私服で通えたんで、いつも自分らしいボーイッシュな格好をしてました。気分も解放的になってたんだと思います」

晴れやかな気持ちで通った教習所で、ひとつの出会いが待っていた。

「別の高校の女の子で、明るい感じのかわいい人でした」

教習所に行き、彼女と会って話すのがとても楽しみになった。

「自分の気持ちは盛り上がっていたんですけど、やっぱり気持ちを伝えることはできませんでした」

彼女は4月から岐阜の専門学校に行くことになっていた。
別れの日はすぐ先に迫っていた。

整えてもらったカミングアウト

高校卒業。
小学校から仲がいい女の子たちが10人ほど集まって、お祝いをすることになった。

わいわいとにぎやかにパーティーを楽しんでいた、そのときだった。

「友だちのひとりが、ぼくに向かって『あの子のこと好きでしょ。彼女が岐阜に行っちゃう前に自分の気持ちを伝えたほうがいいよ』って、急にいったんです」

さらに、「もし、誰かに差別されても、私たちはずっと変わらない。友だちだから大丈夫」とも。

「男になりたければ、なればいいじゃない」
「自分らしく生きていくのが一番いいと思う」
「誰かに嫌われても、私たちがいる」

たくさんの言葉が次々に寄せられる。

「うれしくて、メチャ泣きました。これがぼくの最初のカミングアウトでした」

10人の友だちがお膳立てしてくれたカミングアウト。それは6年間の悩みを吹っ飛ばすパワーを持っていた。

「なかには『ずっと女の子が好きだったでしょ』っていった子もいました。友だちには、とっくにバレていたんですね(笑)」

07カノジョを追って名古屋へGO!

名古屋? 何しに?

友だちの励ましが、好きな人へ告白する勇気を奮い立たせた。

「彼女が岐阜に行くときに、自分の気持ちをストレートに伝えることができました」

彼女の答えは、「私も好きだよ。女の子として見たことはない。男の子として大好き」という満点の返事だった。

「それでつき合うことになって、その子が初めてのカノジョになりました」

しかし、最初から遠距離恋愛。会わないまま我慢はできない。

「半年間、働いてお金を貯めて、彼女の後を追って名古屋に行きました」

お母さんに「名古屋に行く」というと、「何しに?」という当然の質問が返ってきた。

「友だちがみんな向こうにいるからさって、いい訳しました。“みんな” っていっても本当はふたりぐらいだったんですけど、少し水増ししました(笑)」

人との距離は縮めなかった

名古屋の暮らしは素晴らしかった。

「初めての一人暮らしだったけど、なんの不安もなかったですね。今まで狭い町に住んでいたんで、誰もぼくのことを知らない世界が気楽でよかったです」

貯めておいたお金でアパートを借り、飲食店のアルバイトをかけ持ちして働いた。

「週末にはカノジョが遊びに来てくれました。メチャメチャ楽しくて、楽しさ以外なかったですね」

バイト先での人間関係も良好だったが、自分のセクシュアリティをオープンにすることはなかった。

「面接も女の子の名前で受けたし、どこでも女子スタッフとして採用されました。わざわざ自分のことを話すことはありませんでした」

むしろ、ボーイッシュな格好をしていることに踏み込んで来られることが嫌で、人との距離は縮めたことがなかった。

「親しくなれば、絶対にプライベートのことを聞かれるので、あまりしゃべらないようにしていました」

「レズビアンなの? なんて聞かれて説明するのも面倒だし・・・・・・。きっとメチャクチャ無口なやつだと思われていたでしょうね(苦笑)」

話す言葉は、「おはようございます」「お疲れ様でした」くらい。
クールでボーイッシュな女性を貫いた。

08性別適合手術をして、子どもを育てることが大きな目標

幸せになれる唯一の方法は性別適合手術?

名古屋で半同棲生活を続けるうちに、ふたりの愛情は深まっていった。

「その子のことがメチャメチャ好きでした。その子のおかげで自分のことを調べ始めることができました」

これまでは自分が何なのか、知ることが怖くて避けてきた。でも、彼女との将来を考えるためには、それは直視しなければならないことだった。

「心 体 違い」とキーワードを入れて検索をすると、さまざまな情報が目の前に現れてきた。

「どうやったら結婚できるのか、どうしたら体を変えることができるのか、子どもを持つにはどうしたらいいか、徹底的に調べました」

当然、彼女も結婚をして子どもを育てたいという希望を持っていた。

「そのときは、性別適合手術を受けることが唯一の幸せになれる方法で、自分らしい体はそれしかないと信じてました」

手術をして戸籍を変えて、結婚して子どもを育てる。
それが19歳のぼくたちが真剣に描いた夢だった。

お母さんは知っていた

彼女が専門学校を卒業し、ふたりで沖縄に帰った。
ふたりは21歳になっていた。

お互いの親には、「カレシ、カノジョ」ではなく、「仲のいい友だち」として紹介し合っていたが、実はお母さんには1年前にすっかりバレていた。

「『あんた、追いかけていったんでしょ』『一緒に住んでいるんでしょ』っていわれちゃいました」

そして、「幸せなんだったら、それでいいけど」ともいってくれた。

「いつか話さなきゃ、とずっと思っていたんですけど・・・・・・。女の子として生んでくれたけど、女の子としての人生は歩めませんって頭を下げました」

「ごめんなさい」と謝ると、「それでいいよ」と受け入れてくれた。

「それでスッキリした気持ちになったんですけど、お母さんにはひとつ条件がありました」

それは、成人式だった。

成人式だけは振袖を着て、きれいな写真を撮ってほしいというのだった。

「20年間、女の子として育ててきた親の夢だということも理解できました。わかりました、と返事をしました」

晴れ着で成人式に出ることを約束し、その代わりに男として生きる自由を認めてもらった。

親子のウイン・ウインの取り引きは成立した。

09男の名前で働き始める

思わぬ形で破局に

あとは相手の両親の承諾を得られれば、晴れて結婚へ向けての準備を進めるという段階になった。

ところが、話は思わぬ方向に迷走を始める。

「彼女が早く結婚したい、早く子どもがほしいっていい出したんです。ぼくにしてみれば、まだ自分の体のこともできていないし、お金も貯まっていないし、もう少し待ってよ、という気持ちでした」

胸を取って、ホルモン治療をして、性別適合手術を受けて戸籍も変える。その覚悟が揺らいだわけではなかった。

しかも、大好きなその子のためだから、という気持ちが強かった。

「弟は、性格は違いますけど、顔は似ているんです。パートナーに子どもを生んでもらうときは相談するかも、という話もしていました」

しかし、相手の要求が日増しに強くなるにしたがって、なんで、もう少しだけ待ってくれないのかというイライラが募る。

「だんだん喧嘩が多くなって、ついに別れることになってしまいました」

しかも、1年もしないうちにその子は男と結婚、すぐに子どもを生んだ。

「別れてもまだ、その子のことを好きでした。自分が結婚していたかもしれない、子どもも作れたかもしれないと思うと、悔しくて、悲しくて、初めてお母さんに当たってしまいました」

「なんでこんな体に生んだの? マジ、死にたい」

乱暴な言葉を投げつけると、お母さんは「ごめんね」と下を向いた。

友だちに誘われて東京に出る

自暴自棄になったわけではないが、それからは遊びまくった。

「飲食で働きながら、クラブに行くようになりました。けっこう、モテるやん! ぼくって感じでした(笑)」

地元には何もないが、那覇、沖縄市、コザに行くと、遊ぶところがたくさんあった。夜な夜なクラブに出入りして、若いエネルギーを爆発させる。

「24歳のとき、東京にいた友だちが誘ってくれたんで、東京に出ることにしました。仕事も住む場所も決めずに、ふらっと飛行機に乗りました」

友だちのアパートに泊めてもらって仕事を探すと、新橋の飲食店で厨房の仕事が見つかった。それ以来、新橋界隈で何度か職場を変えながら働き続けている。

男性として働きたい

「いつかは自分の店を持ちたいという希望はあったんで、接客の仕事も覚えたい、と思っていたんです」

そんなときに、店のマネージャーとしてやってみないか、というオファーがあった。新橋でロティサリー・チキンの店を4店舗経営している会社だった。

「その社長が面接のときに、あれ、違うよね? アレだよね?? って聞いてきたんです」

「仕事を任せたいんだけど、女性スタッフとして扱っていいの?」と、質問は続いた。東京に来ても自分のセクシュアリティを人に明かしたことはなかった。

「でも、その時は『本当は男性として働きたいんです』っていいました。そうしたら、男の名前で名刺も作ってあげるから、そういうことにしようっていってくれました」

初めて自分を男性と名乗れるチャンスがやってきた。名前は、大好きな沖縄の風景を思い描きながら、「海(かい)」とした。

「もう女の子じゃないんだ、と思ったら、すごく働きやすくなりました。制服はワイシャツで、髪も短くしました」

10沖縄で自分の店を出したい

今まで考えすぎていた

あるとき、ロティサリー・チキンの店に、ゲイなのかなと感じるお客さんが来た。

「見た目は男性なんですけど、しなやかなタイプなんです。その人がカラオケバーを経営しているから、うちで働いてみたらって誘ってくれました」

働き始めて「あの子、どっちだ?」など、お客さんからコソコソと指を指されることがあった。

でも社長からの誘いは、新しい可能性を感じさせた。27歳での新しい出会いだった。

「ゲイ、ミックス、バイセクシュアルの子が働いているバーの3店舗あって、ぼくはミックスバーで接客をすることになりました」

バーに立ってみると、「海くんは、どっちなの?」というストレートな質問が、お客さんからさっそく飛んできた。それに対して、先輩スタッフが「この子は女好きのおなべ」と返した。

「初めはびっくりしましたけど、そんな気楽な感じでいいんだって納得しました。そうしたら、急に楽になりました」

これまでは何かを聞かれたら説明をしなくてはいけないと身構えていた。でも、実際は、誰も他人のことに興味なんかない。そう割り切るとスッキリした。

「今は、どっちなの? って聞かれると、おなべですって答えてます(笑)」

なかには、「じゃあ、オレともできるんだ!?」という差別的なことをいうおじさんもいる。

「そんなときは、あなたは男とできますか? できないでしょ。それと同じですよ。ぼくも女の子とはできますけど、男とはできないんですって、軽く答えてます」

自分の顔が好き、自分が好き

今、大切に想っている人がいる。

「結婚したいと思っている人がいます。3年のつき合いなんですけど、今、ロサンゼルスの大学にいっていて遠距離になっちゃってるんです」

彼女が帰ってくるまでに、あと2、3年かかる。今、おつき合いは小休止だが、彼女が戻ってきたときにお互いにフリーであれば、真剣に結婚を考えたいと思っている。

「もう、彼女のお母さんにも会って、ごあいさつを済ませているんです。もちろん、ぼくがトランスジェンダーだっていうことも話してあります」

来年、沖縄で胸の手術をすることにしている。

「前のカノジョとつき合っているときは、ホルモン療法や子宮卵巣摘出が絶対って思ってましたけど、それは、今は考えていません。髭もいらないし、ぼく、自分の顔が好きですから(笑)」

自分の顔が好き、自分が好き。だから、今のままでいい。

「慌てて手術をしなくてよかったと思ってます。また、将来、変わるかもしれませんけど、そのときは、また考えます」

100人の前で自分の体験をスピーチ

店のオーナーは港区で初めてパートナーシップの登録をした人で、LGBTに関するいろいろな活動も行っている。

「去年、オーナーに誘われて、虹色の式典というイベントでスピーチをしました。自分がしゃべることで、誰かに勇気を与えられたらいいな、と思って」

テーマは、成人年齢に限らず、なりたい自分になれたことを祝う「成人式」だった。約100人の前で、自分の経験と考えを話した。

「緊張しないと思ったけど、メチャ緊張しました。沖縄からお母さんや親戚がわざわざ聞きにきてくれたんです」

お母さんはスピーチを褒めてくれ、本当の気持ちを聞けてよかったといってくれた。また、YouTubeでの配信もあったので、見たよ、というお客さんもいた。

早く死にたいと思っていたぼくは、今、夢を語れるようになった。

抱いている夢は沖縄で自分のバーを経営すること。みんなが集まる、居心地のいい場所が作れれば最高だ。

「4年後、35歳くらいまでに出したいですね。オーナーにも、もう話してあるんです」

「SNSで新しくつながった人もいます。なんで、そんなにハッピーなんですかって聞いてきた人もいました」

「最初からハッピーだったわけじゃないよって答えました(笑)」

あとがき
友たちに整えてもらったカミングアウト。「なんでこんな体に・・・」。失恋から吐き出したお母さんへの言葉。よろこびと悲しみ。海さんの顔が少しゆがんだ■慎重さを備えた海さん。チャンスを引き寄せて、思わぬ道がひらけたエピソードは、即行動できなくてもじっくり待てば ”そのとき” は訪れると教えてくれた■わるい時がすぎれば、よい時は必ず来るーー着々とわが力をたくわえるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。(松下幸之助『時を待つ心』)(編集部)

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