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誰を好きになってもいい。 誰と一緒になってもいい。【後編】

誰を好きになってもいい。誰と一緒になってもいい。 【前編】はこちら

2017/01/25/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
大久保 暁 / Akira Okubo

1981年、高知県生まれ。12歳からバスケットボールを始め、中学では高知県大会優勝および四国大会出場、高校ではインターハイや国体に出場し、大阪体育大学へ進学後も選手として活躍。大学卒業後は経験を生かして中学校や高校のバスケ部の顧問をしながら、保健体育の教師を務める。2010年にGIDの治療を開始、2013年に戸籍変更、2015年にストレートの女性と結婚。現在は、LGBT当事者として講演活動も行なっている。

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INDEX
01 控えめな兄、勝気な妹
02 すべての悩みをバスケで発散
03 トゲトゲを極めた高校時代
04 厳しい寮生活で学んだこと
05 恋愛依存症をこじらせて
==================(後編)========================
06 学校での呼び名は “軍曹”
07 男として生きる決意
08 新しい自分の新しい生活
09 トントン拍子で結婚へ
10 夢に向かって一歩一歩

06学校での呼び名は “軍曹”

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男性とは付き合えない

地元に戻ってからは高校で3年、中学校で5年、保健体育の教師として勤めるかたわら、社会人チームに所属してバスケを続けた。

そのなかで一度、男性と付き合ったことがあった。

一つ年下の柔道家。人柄だけでなく筋肉質な肢体にも憧れた。

しかし、いざ付き合い始めて、その先をイメージしてみると違和感を感じた。

「その人が『先のことを考えて付き合うつもりだ』と言ったこともあって、いろいろ考えてみたんです」

「いずれは相手のご両親に挨拶して、結婚式に色打掛とかを着て、料理をつくって旦那の帰りを待って・・・・・・いや、ぜんぜん違うなと」

それは自分の人生じゃない。自分は男性とは付き合えない。

「そして、別れました。自分は女性と付き合うのが自然なんだと、改めて知ることができた、いいきっかけだったと思っています」

先生、さらに男らしくなったね

学校では、男子バスケ部の顧問をしていた。

しかし、女性の先生では、男子生徒になめられることもあったのでは。

「いや、生徒たちにとっては怖い先生だったと思いますよ。他の先生方からは “軍曹” と呼ばれていましたし」

「 “鬼教師” と呼んでいる生徒もいました(笑)」

「部活では技術指導よりも先に、生活指導に力を入れていたんです。靴を揃える、挨拶をする、勉強をする。そんな基本的なことから教えていました」

「自分自身が長く女子部にいたので、男子部のほうが随分ラクだと思いました。女子は人間関係でもめることが多々あったので、指導するのも難しい」

「男子は純粋でかわいかったし、真正面からぶつかっていける感じがして、とてもやりやすかったですね」

「教師を辞めた今も、生徒から連絡をもらって飲みに行くこともあります」

「戸籍を変えたことを知っても、『先生、さらに男らしくなったね』と言われるくらいで。今では、生徒たちに対してもオープンです」

教職から退いた理由は、戸籍を変えるため。

地元に戻ってから恋愛を重ねるなかで、このまま女性として生きることは無理だと判断したのだ。

07男として生きる決意

これからどう生きるのか

地元に戻ってから、数人の女性と付き合った。自分を女性としてしか見てくれなかった人。男性として付き合ってくれていた人も。

しかし、恋愛関係は長く続かなかった。

「三十路手前で立ち止まって考えたんです。ここで決断しないと、と。一度きりの人生、これからどう生きるのか」

「胸のある体も嫌だし、好きな人と結婚できないのも嫌だ。男性として生きていく道を選びたい」

決意してからの行動は早かった。

まずは友達に、そしてチームメイトに話した。治療を始めるなら、バスケは引退しなければならない。

みんなは「あなたの人生だから」と受け入れてくれ、否定的な反応をした人はひとりもいなかった。

そして、引退した翌月からホルモン治療を開始した。

「親には、ホルモン治療を始める直前に話しました。心配性の母に話すのが一番ハードルが高かったですね」

「ちょっと不安なことがあったら眠れなくなるような人だったから・・・・・・本当に悩みました」

「話したあと、母はしばらくポカンとして、それから『言っていることは分かったけど、理解はしてあげられない』『どうしてあげたらいいか分からない』と言いました」

お母さんの不安は急速に膨らんでいった。

治療をして、戸籍を変えて、それで幸せに生きていけるはずがない。

結婚してくれる人なんていない。ひとりで生きていくしかない。

マイナスな考えが止まらなかった。

自分を否定された気持ちに

「父には、母から話してもらいました。あとで聞いたら、ふたりで泣いたらしいです。なんでこんなことになってしまったんだと」

「母に話した帰り道、兄にも電話して、男として生きていこうと思っていることを伝えました」

「美容業界で働く兄は、身近にゲイの方がいたこともあって理解が早くて。『俺からも親に言っておくから、やりたいようにやったらいいよ』と言ってくれました」

「でも、実は翌日、さらに詳しく治療について調べてくれたらしい兄から電話があって、『やりたいようにやれって言ったけど、治療は大変なことだから、お前も慎重に考えろ』と言われたんです」

「それでも兄は僕の気持ちを親に伝えてくれて、僕も頻繁に実家に帰って、親と話すようにしました」

しかし、なかなか両親の心配は晴れなかった。

仕事なんてできない、結婚もできるはずない、だったらずっと実家にいればいい、私たちが面倒を見てあげるから、と。

「いやいや、僕は自分で生きていくし、将来は結婚したいし。そして、何回か話し合いをしたあとに、父が『やるならとことんやりきれ』と言ってくれました。そこから両親にもカウンセリングに参加してもらいました」

「カウンセリングでも母は、『妊娠中に何かしたのが悪かったんでしょうか』『育て方に問題があったんでしょうか』と自分を責めてばかりいて。同時に僕自身も否定されている気持ちになって、辛かったですね」

やるならとことん。

治療を途中でやめるわけにはいかなかった。

08新しい自分の新しい生活

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手術、戸籍変更、そして引越し

いよいよホルモン治療が始まった。

お母さんには心配をかけたくなかったので具体的な日にちを言わず、「もうすぐ始めるから」とだけ伝えた。

「手術は、胸から始めました。早く取りたかったので。そのころはまだ仕事を続けながら、東京で手術を受けました」

「子宮の手術は石川で。母はすごく心配していて、『ついて行ってあげられなくてごめんね。負担をかけてしまってごめんね』と前日にメールをくれました」

「僕は、『前日にそんな弱気なこと言わんとって。大丈夫やから』と、ちょっと反発するようなメールを送ってしまいました」

一月に手術を受け、二月に戸籍を変え、三月には大阪へ引っ越した。男性として、新しい生活が始めるために。

それでも、まだお母さんは心配していた。

「大阪に引っ越すのも、ずっと反対してましたね。仕事なんて見つからないんじゃないのって」

「でも、専門学校で働くことが決まってから、ようやく母もホッとしてくれたみたいです。仕事を見つけることができて、生活できるようになったから」

「やっとそこから、親戚にも僕のことを話してくれたようです」

教師として働きたい

仕事は専門学校の広報担当だ。

面接では、履歴書には女子校である出身校の名前を書かず、口頭で事情を説明した。

すると、面接を担当した常務は「そんなことは別に構わない。職場でも言いたくないなら言わなくていい」と答えてくれた。

現在では、職場の先輩など信頼できる人には伝えている。

「でも実は、来年度から教師として働こうと思っているんです。やはり保健体育の先生として」

「以前は、教科書の『思春期になると異性を好きになる』と書いてある部分に違和感を感じても、変にアレンジして生徒に話すと自分の感情が入ってしまいそうだったんので、サラッと流していました」

「今は、今だからこそ、もう一度教壇に立つなら、ちゃんと伝えていこうと思っています」

「教育の現場で、当事者としてLGBTの性について語って、『異性を好きになる』だけではないということを伝えたい」

「子ども達に『誰を好きになってもいいんだよ』と言ってあげたい」

「 “性は男女の二極だけ” という概念を取り払って、どんな自分でもいい、誰を好きになってもいい世の中になれば、LGBTという言葉もいらなくなるかもしれませんね」

09トントン拍子で結婚へ

初めて会った感じがしない

大阪で新しい生活をスタートしてから1年後、運命的な出会いがあった。

関西レインボーパレードで知り合った友達に、京都で暮らしているという、ひとりの女性を紹介してもらったのだ。

「すぐにメールのやりとりが始まって、そのあと一度、連絡が途絶えたんですが、2014年の正月に『今年こそ彼女つくるわ。かわいくて、優しくて、温厚な子・・・・・・できれば天然だったらいいな』と友達に宣言してすぐに、彼女への連絡を再開したんです」

「そして、すぐ会おうということになって、会ってみたら友達に話していた理想像にぴったりだったんです」

「しゃべってても初めて会った感じがしない。ほんわかして、すごい落ち着くんですよ」

「あっという間に付き合うことになりました」

京都でドライブしたり、大阪の海遊館に行ったり、和歌山のアドベンチャーワールドへ行ったり。

彼女となら、どこへ行っても楽しかった。

トゲトゲしていた時代が嘘のようだった。

こんな子でいいの?

「きっと、男になったということが大きかったんだと思います。昔は自分に自信がもてなくて、恋愛に関してはいつも不安で、相手に執着してばかりでした」

「でも今は、男である自分に自信をもてるようになっていたし、彼女も自分のことを理解したうえで付き合ってくれていたので、それもまた自信につながりましたね」

そして、ふたりは次第に結婚を意識するようになった。

「ありがたいことに、結婚というハードルはヒョイッと飛び越えることができたんです」

「彼女の家族も『幸せならいいと思うよ』と賛成してくれて。彼女の親友にFTMの人がいたこともあって、彼女はもちろん、お母さんもお姉さんも僕に対して理解を示してくれました」

「僕の親も、すごく喜んでくれて。彼女を紹介したときには『こんなウチの子でいいの? もらってくれてありがとう!』と泣いてました」

「母は、今でもそのときのことを思い出しては泣いてます(笑)」

2015年11月22日。11(いい)22(夫婦)の日に入籍した。

「いつでも僕の味方でいてくれて、僕を癒してくれる大切な存在。まだ喧嘩をしたこともないくらい仲良くしています。これからもお互いを尊重し合って、お互いにできることをやっていこうと思ってます」

10夢に向かって一歩一歩

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子どもがほしい

「結婚して一年経ちました。僕が35歳で、嫁が29歳。来年には子どもがほしいと思っているんです」

「人工授精では父に協力してもらおうと思っていて、そのことも母には伝えました。『え、お父さんでいいの?!』 
って大笑いしてましたけど(笑)」

実は、こういったケースの人工授精を受けてくれる産婦人科にも目星をつけている。

着実に、具体的に、計画を進めているのだ。

そして、もうひとつ。ふたりには夢がある。

「彼女のお母さんと一緒に小料理屋を始めたいんです」

「お母さんが、めちゃくちゃ料理上手なんですよ。一緒にご飯を食べるようになって、10kgも太っちゃったくらい(笑)」

「お母さんは以前から、お店をもつことが夢だったみたいで。今では、僕らと一緒にやりたいと言ってくれています。今もカフェで働いてるんですよ」

「そろそろ開店に向けて準備をしていこうかな、と相談しています」

子どものことと、お店のこと。

来年は、また幸せな予定がいっぱいだ。

家族にも友達にも感謝を

「FTMとの結婚となると、認めてもらえない人もいっぱいいる。認めてもらって結婚したのに、偏見の目で見られたりする人もいる」

「僕らは、お互いの家族からも、友達からも協力してもらって、本当にありがたいと思っています」

「なかでも、一番感謝しているのは、手首を切ったときに駆けつけてくれた親友です」

「親に言えない恋愛はするな。彼女の言葉には、深く考えさせられました」

「結婚することを報告したときも、『早すぎないか?! 落ち着け!』と言いながらも、『大事にしなあかんでーーーっ!』と励ましてくれました。本当に感謝しています」

目の前の幸せに溺れず、周りへの気遣いと感謝の気持ちを忘れない。そんなふたりの笑顔あふれる未来を、祈らずにはいられない。

あとがき
「すごいひねくれてたなぁ」と苦笑いする暁さん。親心は絶え間がなく、それを鬱陶しくおもうのは、反抗期のあるあるだ。また、性別違和の原因を自分のせいだと悩む母親は多い。原因ではないと分かっても、心配はつきない■辛かったあの頃、命を手放したかった暁さんが、今は命を刻める人と一緒に歩いている。来世でももう一度、自分を選ぶのかもしれない。「いい子が残っていてくれてホントに良かった・・・」。幸せそうにつぶやく暁さんに思った。(編集部)

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