01コカ・コーラのDNAにあるインクルージョン
── 日本コカ・コーラはサスティナビリティ戦略の柱のひとつとして「インクルージョン(多様性の尊重)」を掲げていますが、多様性を尊重することは、御社にとってどのような意義があるのでしょうか?
私たちのサスティナビリティ戦略は「多様性の尊重」「地域社会」「資源」という3つのプラットフォームで構成されていて、このうちの「多様性の尊重」においては「ジェンダー」「年齢/世代」「障がい者支援」「LGBTQ」という4つの課題を設定しています。
サスティナビリティについては、私たちは常に話題にしています。社員同士ではもちろんのこと、各メディアや政府当局と話すときも。
さらにインクルージョンを話題に取り込めたら、消費者を含めた社会に対して、変化をもたらすことができるのではないかと考えているんです。
そもそもインクルージョンやダイバーシティは、コカ・コーラのDNAの一部です。私が2019年に日本に来て、ここでのサスティナビリティ戦略を考えたとき、多様性の尊重については迷うことなく推進を決めました。
── 企業としてインクルージョンを推進するにあたって、日本に来るまでとなにか違いを感じたことはありましたか?
まずは日本の文化について学んで、尊重しなければと思いました。私が生まれたアイルランドとも、大人になってから過ごしたオーストラリアとも、環境はまったく異なりますから。
そして、日本人は調和をとても大切にするということ、そして “出る杭は打たれる” という言葉があることを知り、インクルージョンをボトムアップでやっていくには、とても勇気が必要だと感じました。
だからこそ、137年もの歴史をもち、DNAにインクルージョンが組み込まれていて、これまでもいろんな取り組みを進めてきたコカ・コーラなら、もっと大胆にできることがあるんじゃないか、と。
そして、私がカタリスト(触媒)として役に立つはずだと考えたんです。
── インクルージョンを推進するため、自分自身を触媒として使おうと思われたわけですね。それは確かに勇気が必要なことだと思います。では、具体的にどのように進めていかれましたか?
自分には果たすべき責任がある、と強く感じていたんです。
ですから日本で働くにあたって、最初から、自分がゲイであることをオープンにしました。パートナーがいるということも。
人と違っていてもいいんだ、ということをみんなに伝えたかったんです。
具体的な取り組みとしては、コカ・コーラシステム全6社で一緒に、戸籍上同性のパートナーにも対応した福利厚生と就業規則の整備を2021年5月までに完了しました。
また、2021年からの毎年10月は “インクルージョン・マンス” として、外部からスピーカーを招いて、LGBTQだけでなくインクルージョンに関するさまざまなトピックを網羅する勉強会を開催しました。
02活動を通して、社内にも明らかな変化が
── LGBTQ支援については、社内だけでなく社外に向けた取り組みも積極的に行っていらっしゃいますね。
はい。2020年11月にコカ・コーラシステムは同性婚の法制化(婚姻の平等)をサポートする企業キャンペーン「Business for Marriage Equality(BME)」、日本コカ・コーラとしては日本でのLGBT平等法の制定を目指すキャンペーン「Equality Act Japan ―日本にもLGBT平等法を」に、それぞれ賛同しています。
そして2022年7月には、「LGBTQ+アライのためのハンドブック」を全社で一斉に導入しました。
第一の目的としては、2万人いる私たちコカ・コーラシステム従業員の啓発が挙げられますが、これに関しては、競合他社であっても競争相手ではなく仲間であると考えて、このハンドブックを無償でダウンロードできるようにしているんです。
ハンドブックを各社の啓発活動に使用する企業には、企業ロゴや問い合わせ先を入れられるスペースを入れたハンドブックも用意しています。コカ・コーラではなく自分たちの会社の取り組みだと認識していただきたいので。
私たちが正しい行いを示すこと、それこそが重要だと考えているんです。
── 多岐にわたって積極的に取り組んでいらっしゃいますね。お話しくださった取り組みを通じて、ジョーダンさん自身がなにか “いい変化” として感じられたことはありますか?
はい、ありますよ!
私はいつも、誰に対しても、自分のストーリーをシェアするようにしているんですが、あるとき別の社員も自身のストーリーをシェアしてくれました。
ある女性社員のきょうだいには障がいがあって、彼女の結婚式に両親が「そのきょうだいのためだ」と、出席させないほうがいいと判断するなどしていて、彼女は悩んでいたらしいんです。
でも、私がオープンに自分のセクシュアリティについて話しているのを見て、その社員も「人と違っていてもいいんだ」と思うことができるようになって。
そして、先の東京オリンピック/パラリンピック競技大会の聖火リレーのランナーとしてきょうだいを推薦し、見事、彼女はきょうだいと一緒に走ることができたんです。
ご両親は衝撃を受けたそうですが、同時に喜んでもいたそうです。
ほかにも、約600人もの社員が集まる会議で、自分がゲイだとカミングアウトした男性社員もいました。とても勇気が必要な行動だったと思うんですが、ようやく私以外にもセクシュアリティをオープンにした人が出てきたわけなんです。
そんな前向きな変化が、私の周りでも確かに起きています。それは、誰もが安心して、自分らしくいられる環境づくりにつながっているんだと信じています。
03社会全体を巻き込んだ取り組みへ
── “インクルージョン・マンス” の実施や同性のパートナーにも対応した福利厚生と就業規則の整備などに加えて、「LGBTQ+アライのためのハンドブック」を社員の啓発のために導入されましたね。さらに、その知識や経験を社外に向けて発信するほか、同性婚やLGBT平等法の推進にも賛同するなど、広く社会に向けて取り組みを展開されていますが、日本社会全体として、なにか変化は感じられますか?
そうですね・・・・・・さまざまな活動が起こり、変化は確かに起きていますが、もっとその変化を加速させる必要があると感じています。
私の個人的な体験をお話しますと、最近オーストラリアからパートナーが日本へやってきたんです。でも、オーストラリアで正式に結婚しているにも関わらず、同性カップルという理由で配偶者ビザが認められなかったんです。
そういった手続きのために、パートナーが日本へ来るまで3年かかってしまい、さすがに苛立ちました。
そもそも、ビザ申請のための提出書類では、パートナーのことを「husband」ではなく「wife」と書かなければならなかったり、「世帯主」を記入しなければならなかったりしたことにも驚きましたね。
もちろん、悪意なく作られた書類であることは理解していますが、ひさしぶりに「差別されている」と強く感じてしまいました。
きっと、そのほかの場面でも、日本にはまだ、意図せず差別につながってしまうようなシステムやプロセスがあるのではないでしょうか。
だからこそ、コカ・コーラのような企業が、他社の啓発活動をサポートすることで、そういったシステムやプロセスも変えていけると思っています。
── おっしゃるとおり、有名企業や大企業の活動は社会への影響も大きいはずです。では、今後の活動についてはどのように考えておられますか?
これまでにやってきた活動は、効果を実感しているので続けていきたいと思っています。そして今後は他社とともに、そして消費者とも一緒に活動の範囲を広めていきたいですね。
愛すること、信じること。その対象が人と違ったとしても、なにも問題がないんだと、広く伝えていきたいと思っています。
グローバル企業である私たちは、各国で活動してきたなかで、さまざまな経験を得て、ツールや教訓を蓄積してきました。それらを日本の企業にも共有していきたいです。
LGBTQに関する活動についてお話しすると、多くの企業で「取り組みたいけれど、どこから手をつけたらいいのかわからない」という声が聞かれます。そんな声に応えて、サポートしていこうと思っています。
04 “ノーマル” な家庭の “ノーマル” じゃない自分
── 先ほど、「いつも、誰に対しても、自分のストーリーをシェアするようにしている」とお話しくださいましたが、ここからはジョーダンさんのストーリーをお聞かせいただけますか。ご出身はアイルランドのダブリンだそうですね。
そうです。ダブリンは、少し東京に似ていますね。フレンドリーで思いやりのある人が多くて、子どもが育つには素晴らしい環境だったと思います。
同時に、カトリックが主流の、宗教が重んじられる地域だったため、とても保守的な環境でもありました。
そんなダブリンの、愛に溢れたごく “ノーマル” な家庭に育ちました。子どもの頃は、平凡すぎてつまらないって思っていたくらいです(笑)。
でも10代の頃、もしかしたら自分は “ノーマル” じゃないかも、なにかが人と違うかも、と気づきました。
周りのみんなはガールフレンドに夢中で、ディスコでナンパすることで頭がいっぱいで。私も一緒にディスコへ行きますし、ガールフレンドもいたんですが、本当はあまり興味がなかったんです・・・・・・。
── ジョーダンさんがその “違い” を具体的に意識したのはいつだったのでしょう?
16歳のとき、「自分は男性に惹かれているんじゃないか」という考えが頭をよぎりました。でも、ゲイという言葉を使いたくなかったし、自分はそうであると認めたくもなくて、そのことを考えないようにしていました。
考えないようにしていれば、“ノーマル” に結婚できるんじゃないかって、そう思っていたんです。いま思えば、不健康な考えでしたね。
そのせいで未来に対して不安を抱えてしまって、自殺を考えたこともありました。
大学を卒業して、大人になると、「結婚」というイベントが待っています。でも、私が結婚することは、自分に対しても、相手に対しても、嘘をつき続けることになってしまう。
そうして誰かを傷つけるくらいなら、死を選んだほうがいいんじゃないかと・・・・・・。
幸運にも実行に移すことにはならず、自分の心を強く持って、「ゲイかもしれない」という考えを隠し通そうと決心しました。その考えを頭の隅に追いやって、鍵をかけ、「自分はゲイではない」と暗示をかけたんです。
── 自分に暗示をかけることは簡単ではなかったと思います。相談したり、サポートしてくれたりする相手はいませんでしたか?
当時は誰もいませんでしたね。唯一のサポートは、自分の頭です。本当の自分を閉じ込めておくことができていた自分の頭だけでした。
05家族や友人から拒絶されるという恐怖
── 大学を卒業し、就職されたのちに、23歳でオーストラリアに移住されたそうですね。
はい。勤めていた銀行を辞め、世界中を旅していたことがありまして。オーストラリアは旅の目的地のひとつだったんですが、とても気に入ってしまって、滞在が長くなっていき、そのまま住むことにしました。
その頃には、ガールフレンドと付き合うことはやめていましたが、カミングアウトするのは怖くて、頭の隅に鍵をかけたままでした。
── カミングアウトのどんなことが怖かったのでしょうか。
拒絶されることが一番怖かったです。常に愛情をもってサポートしてくれた家族、素晴らしい友だち、それを失いたくなかったんです。
当時はもう、カミングアウトせずに頭の隅に鍵をかけておくことは、とくにつらくはありませんでした。「自分は “ノーマル” である」と暗示をかけることに慣れてしまっていて、いわばセルフエディティング・・・・・・つまり自己編集の達人になってしまっていましたから(苦笑)。
でも、振り返ると、そのときは気づかなっただけで、かなりの不安を抱えていたんだと思います。
── いま、誰にでもオープンに、ご自身のことを話しているジョーダンさんにも、そんな過去があったんですね。では、とうとうカミングアウトを果たしたのは、どんなきっかけがあったのでしょう。
30歳の誕生日の朝、目覚めて突然、「30歳という節目を迎えて、頭の隅に追いやっていたものに向き合おう」と思ったんです。
でも、ゲイの友だちはいなくて、知っているゲイといえばテレビに出てくる人たちくらいで。ロールモデルになるような人は見つからず、どうやって “ゲイである自分” と向き合えばいいのか、わかりませんでした。
そしてまず、大切な家族や友だちを失うかもしれない、という覚悟を決めることから始めました。それからゲイコミュニティで友だちを見つけて、少しずつカミングアウトしていったんです。
そうして、家族にカミングアウトする練習を少しずつ重ねていきました。
06 「大丈夫、愛しているからね」
── 30歳に決心して、実際にご両親にカミングアウトされたのはいつですか?
31歳のときですね。決心してから1年半も経っていました。やはり、両親にカミングアウトするのが、一番難しいですね。
アイルランドの実家に行き、まずは母に「話があるんだ」と伝えたんです。
ものすごく緊張していて、手の震えが止まらなくて、呂律も回っていなくて、母が心配して「大丈夫?」と訊くほどでした。
呼吸を整えて、ようやく「重要な話をしなければならない」と言うことができたら、母は「赤ちゃんができたの?」と(笑)。それで、「ノー、違うよ、その反対だよ」と答えました。そしたら母は「ゲイなの?」と非常に驚いていました。まったく思ってもみなかったようでした。
そして翌日、今後は父に伝えました。実は、カミングアウトするのがもっとも怖かったのは父だったんです。
父は「10代の頃から知ってたよ」と。そして「It’s OK. Because I love you(大丈夫、愛しているからね)」と・・・・・・。
父から「I love you」と言われたのが、そのときが初めてでした。
── 愛に満ちた言葉が心に沁みますね。ご両親は、その後もカミングアウトをすぐに受け止め、理解されたようでしたか?
母は、やはり衝撃を乗り越えるのに2日間かかりました。それでも受け入れてくれたことに、本当に感謝しています。
私は、32年近くもカミングアウトの準備をしていたのに、両親には準備をする時間はまったくなく、突然私からカミングアウトされたわけですから。
でも、両親も、きょうだいも、友だちも、私を受け入れてくれました。
ひとつ後悔が残ったとしたら、親しい人たちへのカミングアウトを、最後にしたことです。最後に知らされたことに傷ついた人もいたので。
それにしても、友だちを失うんじゃないかって恐れていたにもかかわらず、いまはその逆で困ってるんですよ。いままでの友だちに加えてゲイの友だちも増えて、電話やメッセージがすごいことになってます(笑)。
07カミングアウトしやすい職場環境の利点
── ご家族やお友だちへのカミングアウトを果たし、プライベートでは自己編集の必要がなくなったわけですが、その頃、お仕事ではどうでしたか?
両親へのカミングアウトと同じく、職場でのカミングアウトもやはり難しいものです。ある意味、職場のほうが難しいかもしれないですね。職場には、自分と異なる価値観や信念をもつ人もいますから。
なので、職場ではカミングアウトせず、自己編集を続けていました。例えば、「週末はなにしてた?」と訊かれたら、自分がゲイだと疑われるようなキーワードは決して言わず、ときには男女のカップルの名前をわざわざ挙げて、彼らのハウスパーティに行っていたと答えることもありました。
そうやって、職場にいるときはまだ自分にバリアを張っていたんです。
でも、オーストラリアの銀行で勤めていたときに、上司から「きみは、いいアイデアを出してくれて、いい仕事をしてくれる。でも、グッドからグレイトにならないね、どうしてだろう」と言われたんです。
そしてさらに、あるとき「きみの人生において、誰か特別な人はいるの?」と訊かれました。とても興味深い質問ですよね。ほかの人は「結婚してるの?」「ガールフレンドはいるの?」と訊いてくるのに。
そのとき、本当のことを言わなかったら、彼の信頼を失うだろうと思い、実は男性のパートナーがいることを話したんです。
それからは、その上司がサポートしてくれていると感じられたので、徐々に職場でもカミングアウトすることができ、私の仕事のパフォーマンスもグッドからグレイトに転じることができました。
そして思ったのは、ゲイだろうと、女性だろうと、障がいがあろうと、社員が「本当の自分でいていいんだ」と思うことができれば、仕事のパフォーマンスは上がるのだということ。
それはビジネスの成長にも寄与するんだと実感しました。
── カミングアウトしやすい職場環境には、そんな利点があるのですね。その後、コカ・コーラに入社されたときはいかがでしたか?
前職の上司のおかげで、自分をオープンにして働くことのよさを理解できたので、コカ・コーラ入社時には最初からオープンにしていました。
その結果、コカ・コーラは私を信頼して、重要なポジションを与えてくれましたし、私もコカ・コーラを信頼することができました。自分に自信をもつことができたので、セミナーなどでも自分のストーリーを話すようになりましたよ。
会社は、そういった私の活動をサポートしてくれていますし、これからも活動を続けていきたいと思っています。
08きっと日本は、もっとオープンな国になる
── LGBTQ関連の取り組みにおいて、ジョーダンさんの目標を教えてください。
日本にいるあいだは、日本社会が変わっていくことをサポートしたいと思っています。まずできることとしては、声をあげていくこと。そして、企業のLGBTQ理解促進をお手伝いしたり、LGBTERのようなメディアのインタビューで私のストーリーをシェアしたりしたいと思っています。
このコカ・コーラの社内でひとつ、必ず成し遂げたいと思っていることは、上司や同僚にカミングアウトできるような環境づくりです。
統計によると、日本の人口の8〜10%がLGBTQとのことなのですが、日本コカ・コーラに500人いる社員のなかでカミングアウトしているのは私のほかに1人だけなのです。とすると、40人から50人くらいの人がまだカミングアウトしていないということになります。
その人たちが、安心してカミングアウトできるような職場にしたいです。
── 冒頭でジョーダンさんはアイルランドを「保守的な環境」とおっしゃいました。しかしいま、アイルランドは同性婚を法制化した国のひとつとなっています。日本もまたタブーが多く、保守的な国です。そんな日本もインクルーシブな社会を目指すことができると思われますか?
アイルランドが保守的だったのは、宗教の影響を大きかったのだと思います。日本は、宗教的なタブーはそこまで大きくないですよね。
だから、同性婚に関しても、誰かが受け入れて、その行動がみんなに広がっていけば、きっと社会全体が変わっていくと思いますよ。
プライベートでは、パートナーと出かけるときは腕を組んで歩くんですが、オーストラリアでも日本でも、それは変わりません。日本ではまだ同性カップルが腕を組んで歩いているのをあまり見かけないので、ふたりで街を歩いていると視線を感じることもありますが、私は気にしません。
パートナーに対して、隠すことなく、心のままに、愛情を表現してもいいんだ、ということを示したいんです。
そんな私たちを見たゲイカップルも、周囲の人も、そう感じてくれたらいいなと思っています。