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いろんな人が集まった多様なチームのほうが良い結果を出せる、という気づき。

かつては同性愛行為が犯罪とされていたオーストラリア。1970年代から各州で少しずつ非犯罪化が進められ、LGBTに対する差別が禁止されるようになり、郵送式の国民投票で国民の意見を問うた上で、同性婚が法制化されたのが2017年。いまやLGBTフレンドリーとして知られる国のひとつとなった。今回は、「日本のLGBTIQ+コミュニティをアライとして支持する」と公言している在日オーストラリア大使館の、クレア・エリアスさんにLGBT支援やジェンダー平等への取り組みについて、ご自身の考えをうかがった。

2022/11/01/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
在日オーストラリア大使館  政務担当公使 クレア・エリアス / Claire Elias

オーストラリア西オーストラリア州の小さな街で生まれ育つ。西オーストラリア大学では、インドネシアの政治経済や軍事、インドネシア語を専攻。卒業後は、インドネシアで広報や戦略的コミュニケーションのコンサルティング職に就き、2004年より公務の道へ。2005〜2008年は在マレーシア・オーストラリア大使館、2008〜2011年はキャンベラのオーストラリア外務貿易省、2011〜2015年はニューヨークの国連オーストラリア政府代表部、そして2016〜2017年に再びオーストラリア外務貿易省へ。2018年には在日オーストラリア大使館へ赴任し、政務部参事官を経て、現在は政務担当公使。政治や安全保障における日豪関係や、インド太平洋地域での両国の協力強化など、大使館の業務を統括している。

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01「なにもない」からこその好奇心や想像力

── 2004年から外交官としてご活躍されていますが、やはり子どもの頃から国際的なお仕事に興味をおもちだったのでしょうか?

そうですね。地質学者の父の影響もあってか、世界に対してとっても興味をもっていて、もっと深く知りたいと思っているような子でした。

外交の仕事についても、かなり幼い頃から興味があって、高校生のときには就業体験の一環としてパスポートオフィスで働いたりもしたんですよ

── きっと好奇心旺盛な子だったんでしょうね。幼い頃は、どのようなことをして遊んでいたんですか?

1日中、自然の中を探検していました(笑)。小さな田舎町でしたし、安全だったので、ほんと朝から暗くなるまで。

当時はiPadもないし、テレビは一家に1台だけでした。ITは、ほとんどなにもない時代でしたし、田舎なのでテレビのチャンネルも2つしかなくて(笑)。そんな環境だったからこそ、自然のなかで想像力を駆使して、自分たちで工夫して遊んでいました。

あと、田舎だったこともあって、先住民のコミュニティとも一緒に育ちました。同じ社会でともに暮らしていくこと、お互いにどうやって尊重し合っていくのか、ということを学んだように思います。

── 幼い頃から、自分とは異なるルーツをもつ人と自然に接せられる環境は大切ですね。ご家族はどのようなかたですか?

父は出張で家にいないことが多かったので、主に母が、私たちきょうだい4人を育ててくれました。真面目に働くこと、ちゃんと食べること、外の世界に興味をもつこと、公平さや思いやりの心をもつこと・・・・・・。母が実践していたそれらのことは、いまも私のなかに息づいています。

日本の親御さんたちと同じく、母も子どもたちに音楽を学ばせたかったようで、私もバイオリンを習ったり、ドラムをやってみたりしましたよ。家族みんな、音楽が大好きでしたね。

習いごとでは、水泳もやっていました。オーストラリアはスポーツ教育に力を入れていて、特に泳げることは必須とも言えました。海に囲まれた国ですからね。

02ジャカルタ、ニューヨーク、そして東京へ

── 学生時代に興味をもっていたことはありますか?

外国語を学ぶことです。実は、私が最初に学んだ外国語は日本語なんですよ。オーストラリアでは、80年代からずっと日本語は大人気で、私は小学校から学んでいました。

日本語のほかには、フランス語やインドネシア語も学びました。あとは、国際関係や政治に高い関心を寄せていました。

── 大学ではインドネシアをはじめとするアジア研究を専攻されたそうですが、なにかきっかけがあったのでしょうか?

祖母がインドネシア生まれなんですよ。食卓にインドネシア料理が上がることもありましたし、インドネシアのことが家族の話題になることも多かったので、子どもの頃からずっと、インドネシアに留学したいと思っていたんです。

それで大学卒業後に、友人とジャカルタへの片道チケットを購入して、現地で仕事を見つけて、しばらく暮らしました。

── 片道チケット! それは思い切りましたね! ジャカルタでは、どのようなお仕事をされていたんですか?

オーストラリア・インドネシア・ビジネス・カウンシルというNPO団体を通じて仕事を見つけて、広報などのコンサルティングをさせていただきました。インドネシアで事業を行う企業に対して、戦略的コミュニケーションのサポートなどもしました。

そして3年ほど、ジャカルタとシドニーで働いたのちに、晴れてオーストラリア外務貿易省への選抜をクリアすることができたのです。

── そして、マレーシアのオーストラリア大使館、キャンベラのオーストラリア外務貿易省、ニューヨークの国連オーストラリア政府代表部を経て、2018年から東京の在日オーストラリア大使館にお勤めなのですね。

はい。仕事で日本へ来たのは、2018年が最初ですが、実は子どもが生まれる前に、夫とふたりでスノーボードをしに北海道へ来たことがあったんです(笑)。

東京で働くことは長年の夢だったので、協力的な夫と3人の子どもたちと一緒に、東京での生活を思い切り楽しんでいます。

休日は、家族でいろんなところへ出掛けていて、もう半分くらいの都道府県を回ったと思います(笑)。

京都のお寺も好きですし、青森の奥入瀬の自然も素晴らしかったです。金沢は公園も食事も最高。あ、隈研吾の建築が好きなので、彼の作品が多く見られる四国も楽しかったですね。

どこが一番とは決められません。日本には好きな場所がたくさんあります。

実は私、どの子のときも産後3ヶ月で仕事に復帰したんですが、東京へ来たのは末っ子が3ヶ月のとき。いまは、もう4歳になりました。日本の保育園に通ってますし、日本で育ったので、半分日本人ですね(笑)。

03LGBTの友人や家族とともに

── 今回のインタビューは、「IDAHOBIT(国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日)」に合わせて、LGBTERを含むLGBTコミュニティがオーストラリア大使館にお招きいただいたことがきっかけとなりました。クレアさんご自身は、これまで当事者の方とどのように付き合ってこられましたか?

ティーンの頃を思い返すと、私の友人にも、もしかしたらLGBTだったのではと思う人が何人かいて、当時は自分のセクシュアリティについて悩んでいる様子でした。

でも、いまその友人たちは、LGBTであることに誇りをもって生きています。その姿を見ていると、彼らに対して、公平に、思いやりをもって接したことで、友人たちの力になれたかな・・・・・・と思っています。

そしてLGBTとして豊かな人生を送っている友人たちに対して、私自身も誇りをもっています。

── それぞれが誇りをもって生きられる・・・・・・とても素晴らしいことですね。現在も身近に、オープンにされている当事者の方はいらっしゃいますか?

私が勤めるオーストラリア外務貿易省の同僚にもいますよ。大使館だけでなく、省全体でもLGBTの支援を進めていて、もちろんLGBTの職員も歓迎されています。

そうした環境のおかげで、私自身がLGBTへの理解を深めることができていますし、仕事の面で大きく貢献してくれている同僚を支える面でも、LGBT支援の経験を積むことができていると思っています。

── LGBTの課題は、クレアさんにとっても身近なのですね。

実は最近、私の家族の一員である叔父が、自分がゲイであることを打ち明けてくれたんです。叔父は60代ですから、いままで打ち明けることができなかったことを考えると、胸が引き裂かれるような思いがしました。

でも、いまようやく、カミングアウトできる環境になったということは、とってもいい点だと考えています。

04 LGBTの問題は人権の問題

── オーストラリア大使館およびオーストラリア外務貿易省は、LGBT支援を積極的に進めているそうですが、クレアさんご自身は、どのような想いで取り組んでいるのでしょうか。

私たちは、LGBTの問題は人権の問題だと考えています。民族、言語、ジェンダー、障がいの有無・・・・・・そういったバックグラウンドなど関係なく、誰もが職場やコミュニティに参加できることが大切です。

差別を恐れることなく、自分自身を隠さずに100%の自分で生きられること、それこそが、誰もが等しくもっている人権なのです。

── その通りだと思います。ジェンダーやセクシュアリティによって差別されるべきではありません。では、大使館としてのLGBT支援の取り組みについて教えてください。

最近開催されたこととしては、先ほどもお話に挙がりましたが、「IDAHOBIT」の記念日に合わせて、LGBTの当事者コミュニティや、LGBT支援に取り組んでいる方々を大使館へお招きしました。

実際にお会いすることで、新しく関係性を築けたり、さらに絆を深めたりできたので、とってもいい機会だったと思います。

日本には、LGBTの人権の問題に取り組んでいる人がたくさんいらっしゃるので、「IDAHOBIT」のイベントではジャーナリストや議員のかたがたも大使館にお招きしていたんです。

今後も、この問題に対して一緒に取り組んでいくためにも、お互いの関係性を強化していくことで、円滑に進めていけると信じています。

いまは、新型コロナウイルス感染症のために、大規模なイベントを開催するのは難しいですが、この不自由な状況が明けたあとは、このようなイベントを、もっと積極的に開催していきたいと思っています。

05オーストラリアでの同性婚への道のり

── 日本に比べると、オーストラリアはLGBTの支援に積極的な印象です。クレアさんが日本に暮らしていて、LGBTが暮らす環境としてなにか違いを感じることはありますか?

そうですね。オーストラリアも、昔からLGBTが暮らしやすい環境だったわけではないんですよ。現在のようになるまで、実は長い道のりだったんです。ただ、2017年に同性婚が法制化されたのは大きな一歩でした。

法制化されるプロセスも、とても重要だったと思います。プレビサイトという郵送式の投票で、6割以上が同性婚の法制化に賛成したんです。

実際に、5年経ったいま、同性婚の数は多く、子どもをもつ同性カップルも増えていて、オーストラリアの社会としての発展が見られます。そして注目すべきは、多くの国民がこの社会を素晴らしいと感じていることです。

オーストラリアのこういった経験を、日本のかたがたと共有させていただきたいです。そうしたら、ゆっくりかもしれませんが、きっと確実に、LGBTが暮らす日本の環境にも動きがあると思います。

── ぜひお願いします。オーストラリア政界には、LGBT当事者であることをオープンにされている政治家もいらっしゃるので、その点でも大きな刺激になると思います。

2022年5月からの新政権で外務大臣となったペニー・ウォンさんはレズビアンであることをオープンにされていて、子どもが2人いらっしゃいます。2017年の結婚の平等に関する問題にも、非常に熱心に取り組んでおられました。

LGBTのかたがたに、愛する人と結婚するといった、生きていくうえで当たり前の権利、つまり人権が平等に与えられれば、社会にとって重要な貢献ができる存在となり得るということを、ウォンさんは自ら示しているのだと思います。

06ジェンダー平等に向けての取り組み

── オーストラリア政府は、LGBTの問題解決だけでなく、ジェンダー平等に向けての取り組みにも積極的ですね。外務貿易省では、2015年からの取り組みにより、女性大使の割合が27%から42%まで増えたとか。

私が外務貿易省に入った約20年前は、まるで別世界でしたよ(笑)。幹部層が男性だけでしたから。

男女同数で入省したとしても、上の層になっていくにつれて男性ばかりになっていくという・・・・・・。

それではいけないとクオータ制が導入され、職員募集の枠を男性と女性で40%ずつ、そして20%をどちらでもいいと設定したんです。

その結果、どの層でも、男女の割合がおよそ半々になり、優秀な職員を集めることができました。みんな素晴らしい仕事を行うことができていて、より良い世界が実現できたと思っています。

── 目標を設定して、それをクリアしただけでなく、より良い結果まで生み出したわけですね。

そうです。LGBTやジェンダー、障がい、先住民に関する問題において、外務貿易省を含むオーストラリア政府は、時間の経過とともに、すごく進歩してきたなと感じています。

というのも、オーストラリア政府は1種類の属性の人だけでなく、いろんな属性をもつ人たちが集まった多様なチームのほうが、良い結果をもたらすということに気づき始めているんだと思います。

いろんな人が、いろんな観点をもって、いろんなプロセスを経てこそ、良い結果が出せる。人権だけの問題だけではなく、さまざまな場面でそうであると気づいたことは、非常に重要な変化ですね。

先のクオータ制をはじめ、差別禁止法など、過去に導入されてきた諸々の施策などにより、偏見や差別意識を取り払う努力が報われて、国全体の変化が生まれてきたのです。

07誰もが自分らしく生きられる世の中に

── オーストラリアでは、ジェンダーやセクシュアリティに関係なく、いろんな人が活躍している印象です。

外務貿易省でいうと、現在の外務大臣ペニー・ウォンさんは女性ですし、前任も女性でした。幹部職員が女性であることは、ジェンダー平等に向けて、とても強いメッセージになると思います。

この大使館でも、ジェンダー平等や多様性のある社会に向けての委員会がありまして、毎日の業務のなかで、小さなことからでも取り組むようにしています。

例えば、オーストラリアから首相や大臣が来日するときには、日本側では男性だけでなく女性にもお会いできるようにするとか。そういったジェンダーのバランスをとることも大切ですね。

ほかには、普段の会議中でも、男性だけでなく女性の意見も意識的にすくい上げるようにしています。そうして日常的に、ジェンダー平等に向けて取り組んでいるんです。

── イベントやプロジェクトだけではなく、日々の業務、小さなことにも意識を向けることが大切なんですね。そうした取り組みによって、世の中がどのように変わっていくことを期待していますか?

多様性のある世の中です。LGBTの方々が、隠すことなく100%の力で、自分らしく仕事ができたり、コミュニティに参加できたりするような。

私たちは、そんな世の中が実現できるという事例を、この在日オーストラリア大使館において示すことができると信じています。

誰もが、自分をオープンにして、誇りをもって、多様な意見をもてることが大切ですね。

── 日本も、多様性のある世の中へと変わっていけると思われますか?

大使館にも同性婚をしている職員がいるんですが、そのパートナーも一緒に日本へ赴任できているんです。日本の外務省は、その点では支援してくれていて、とてもありがたいと思っています。

ほかの国では、同性愛者の外交官が赴任できないこともありますから。

外務省だけでなく、ほかの場面でも、日本でLGBTへの理解が広まっていく余地は十分にあると思いますよ。

08変わりつつある日本の家族像

── 同性婚の法制化をはじめ、日本がオーストラリアから学ぶべきことはたくさんありそうです。

オーストラリアは日本と違って、さまざまな背景をもつ国民がいる多文化主義国家ですから、同じように進めましょうとは言えませんが、日本も少しずつ変化してきているように思いますよ。

毎年6月に日本政府が発刊している「男女共同参画白書」の2022年版によると、日本の家族のかたちは多様化しているとありました。

お父さんが働いて、お母さんが子育てと家事をするという、かつての日本の家族は減少し、共働き夫婦やひとり親家庭が増えていて、さまざまな家族のかたちが存在していると。

そういった状況を踏まえて、日本政府が結婚に関する法律を見直す可能性もあるかもしれません。その際には、同性婚を含む多くの事例を日本政府に共有できると思っています。

── 確かに、共同親権に関する議論など、日本の家族観や結婚観には変化も感じます。ぜひ、引き続きご協力をお願いいたします。

世界最大規模と言われるオーストラリアのプライドパレード「シドニー・ゲイ&レズビアン・マルディグラ」も、ご紹介したいですね。

2023年2月から3月にかけて、「ワールドプライド」がシドニーで開催されますし、日本のかたがたにもぜひ参加していただきたいと思っています。

LGBTコミュニティのかたはもちろん、その家族や友人、アライ、いろんな人に参加いただけるとうれしいです。

私自身も、このビッグイベントをとても楽しみにしています。

 

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