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自らに付けた性被害のハッシュタグ【後編】

自らに付けた性被害のハッシュタグ【前編】はこちら

2019/05/26/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Rei Suzuki
卜沢 彩子 / Ayako Urasawa

1987年、埼玉県生まれ。2009年から実名・顔出しで性暴力サバイバーとしての経験を発信。A-live connectを設立し、多様性に関する相談や講演活動、居場所づくり、SEX and the LIVE!!プロジェクトの運営などを行っている。英才教育オタクとして漫画批評などにもそのセンスを遺憾なく発揮している。

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INDEX
01 それは、ハッシュタグのようなもの
02 求められる「被害者像」への反発
03 「落ち度探し」はやめよう
04 「英才教育オタク」誕生
05 自由を求めて、外へ飛び出す
==================(後編)========================
06 息苦しさへの反抗と、居場所探しと
07 「意識高い系」から、引きこもりに
08 自分を殺そうとしていた結婚生活
09 オープンマリッジという処方箋
10 たくさんのハッシュタグ付きの私

06息苦しさへの反抗と、居場所探しと

「2ちゃんねる」に書き込みが

「高校からのほうが自分らしく、鬱屈抱えずにやれたなって思います」

生徒会に入り副会長として、仕事をこなすのが楽しかった。

その一方で、私大付属の高校らしく少し閉鎖的な、ある種のぬるま湯ならではの息苦しさも感じていた。

「当時の私は、2ちゃんねるで叩かれたりしてたんです」

女子生徒として、少し目立つ行動が多かったと振り返る。

「ちゃんとしているように見えて、ちょっと変なことをする子だったんですよね」

生徒会の選挙で型破りな応援演説をしたり、指定のセーターがダサかったから、校則違反の服装をしてみたり。

「校則違反も、みんなと同じようにするんじゃなくて。パンクが好きだったから、スタッズやワッペンつけたり。蛍光ピンクを着たり」

すべて大真面目だった。納得いかないことは、やりたくなかったのだ。

注目されていたらしく、一挙一投足や発言が、ネットの掲示板に書かれた。

「男を弄んでる」と、子どもじみた想像から生まれたとしか思えない噂がたったこともあった。

学外活動で楽になれた

「あれはショックでしたね。学食に行くと、指さされるんですよ。そういうのが息苦しくて」

「変な噂があると、腫れ物に触る感じになりますよね。男子と二人で話すだけで邪推されて行く感じ(笑)」

だがこの閉塞感は、生徒会活動を通じて学外に出ることで、打破できた。

首都圏の中高生の討論会である生徒協議会を舞台に、学外活動を始めたのだ。

執行部のメンバーになり、討論会の運営を通じて他校の生徒と交流するようになった。

学外活動は、すごく楽しかった。
外の世界がちゃんとあること、そこが自分の居場所になること。

それが、自分にとって救いになった。

「人と会い、話をし、考える。そういうのが好きだったんです。自分のなかでも、あれは青春だったかなって」

恋愛も、楽しかった。人と深く接することも、好きだった。

ただ、そんなときでも、子どもの頃から遭ってきた性被害のことが、頭をよぎる。

入学式の日に、違うクラスの男子3人にメアドを聞かれたり、いきなり「女子扱い」されるようになったことも違和感だった。

なにより高校入学以来、通学時に痴漢の被害に頻繁にあっていた。

「私は、男性から性的なことじゃないと求められないのかなっていう、さみしさがあって」

「もともと、自分が人気のある子だとは自分で思ってないし、そういう不安が、けっこうありましたね」

07「意識高い系」から、ひきこもりに

「純粋培養意識高い系」として大学へ

「大学に行って、救われたと感じました。閉鎖的でないので。歩いていても、じろじろ見られたりしない、みたいな」

さっそく学生NPO団体に参加し、海外インターンを運営するといった活動に身を投じる。

フィリピンへ短期留学も経験した。

「すごい意識高い系。自分で、純粋培養意識高い系って言ってるんですけど(笑)、学生団体をやっていたんですね」

運営や企画として仕事をする感覚が、楽しかった。
やがて、自分で自由にやることに、魅力を感じ始めた。

「今でもずっと同じなんですが、自己顕示欲はそんなにないんです。人前に出ているけれど、目立ちたいというより、やりたいことをやるのに自分を使うのが楽なだけで」

「人といて安心したい、受け入れられたい、という気持ちは結構あります」

そして、念願だった学生団体を立ち上げた。

「いろいろやりたくて入ったはずの大学で、何をしていいかわからない。そんな人が多くてもったいないな、って思っていました」

「でも自分のまわりには、学外でバイトや旅を楽しんでいる素敵な人たちもいて、いろんな選択肢があるんだと感じていて」

学内のオピニオンリーダー的な人や、個性的な仲間を集めて話す会、新入生向けの交流会を企画した。

差し向かいで、さまざまな意見を交わす。そんなカルチャーが好きだった。

だがその頃、度重なる性被害のPTSDにより、学校へ行くことが、ついに困難になってしまった。

学生団体の運営が、軌道に乗り始めた矢先だった。
志半ばで活動を諦めた。

大学3年のときだった。
長めの大学生活を送ることになる。

「ひきこもり」を支えてくれた人々

「私は、すごく恵まれていたんです。強制わいせつを受けたときも、すぐに周りの人に打ち明けることができました」

被害の直後から、学生団体で出会い意気投合していた男性の友人に連絡した。状況を報告し、その後も精神的な支えになってくれた。

「彼は友人というか、家族みたいな親友に近い存在。恋愛とか性的な対象ではないけれど、私は『世界で一番愛してる』って言っています(笑)」

大学に行けない自分を、母も優しく受け止めてくれていた。

「家で過ごしている時に抱きしめてくれたり、一緒にひなたぼっこしてお茶飲んだり。お母さんと過ごした、幸せないいい時間だったと思う」

性被害に遭っても、PTSDで心身が疲弊しても、人間への信頼は失っていなかった。

人間のことが、好きなのだ。
人嫌いには、なれない。

「人間を好きでいるのを、諦めたくなくて。今、活動をしているのも、人を好きでい続けたいから。そんな感じなんです」

08自分を殺そうとしていた結婚生活

くまと、新しい家族になった感覚

そしてもう一人、この時期の心の支えとなった大切な人がいる。
のちにパートナーとして結婚することになる「くま」と呼ぶ男性だ。

彼とは、学外活動で出会い、集団痴漢に遭う直前に交際を始めた。

彼といると、すごく楽だった。
くまと一緒なら、素の自分でいられる。

社会問題や経営戦略の話も、ポンポンと噛み合った。

くまは、あだ名に似合わぬキュートな顔をした「オトメン」タイプ。
「リラックマ」など可愛いものが好きで、一緒に雑貨屋さん巡りをしても楽しい。

「くまは性自認は男性で、女性を好きなんですが、私にとっていわゆる『男』でも『女』でもないんですよ」

大学5年目のとき、実家を出て、くまの家で暮らし始めた。
くまの家は、くまのお父さんと2人暮らし。
そこに自分が加わった。

「最初は、嫁的な感じで行かなきゃと気合入れていたんですが、むしろ私が敬語を使うのをすごく嫌がられましたね」

前は近所の子どもたちが遊びにくる、オープンな家だったらしい。漫画がいっぱいおいてあって、ご飯も作ってもらえた。

こどもたちが大人になって来なくなっていたのを、寂しがっていたお父さん。

「いい意味で、私も子ども扱いしてくれたんですね」

まさに、新しい家族ができた感覚だった。

くまは大好きだけど、結婚は辛かった

大学には7年通い、卒業した。
付き合い始めて5年目、くまと結婚した。

24歳だった。

「でも私、くまは大好きだけど、結婚は辛かったんですよね」

「私は変わらないのに、周りが変わっていく感覚でしょうか」

卒業の前後から、フリーランスのライターとしての仕事を始めていた。

「でも結婚した途端に『主婦であることを生かして書いてください』と言われたり、飲み会に行っても『旦那さんがいるんでしょ、ご飯やお弁当つくらなくていいの』とか、言われ始めたんですね」

「アルバイトをしようにも、子なしの主婦はすぐやめるからと採用されなかったり」

「旦那さん旦那さん、と言われることが、すごくしんどくなってしまって」

自分たちは実質的には、何も変わっていないのに。
外堀から何かが、少しずつ、噛み合わなくなっていた。

家族になることの副作用

「いい夫婦、いいカップル。昔からそう言われていて、すると彼は、いい旦那さんでいることに居心地のよさを感じちゃったんですよね」

夫がSNSで家事やってるアピール、いい旦那さんアピールをする。
だが実態と違っていれば、当然、妻はいらつく。

そんなことが小さなトゲとなって、刺さったままの日常だった。

結婚が、くま自身の人生へのスタンスを変えてしまったことも、残念だった。
「彼は、昔は自然にやりたいことに向かって進んでいく人でした。でも結婚して家族ができたから、もういいんだって言う」

「全部、一緒になっちゃった、家族だからといって」

「結婚したんだから」「いい旦那さんなんだから」と、友だちは悟す。

もっともだ。

みんな、悪気があってそんなことを言うのではないのは、よくわかっている。

「くまと結婚したのはうれしいけど、まるで結婚に逃げたかのような罪悪感が、私にもありました。ただ、結婚生活を送りながら立て直そうと思ってました」

PTSDも再発し、苦しかった時間が続いた。

今だから思う。

「私、全部自分が悪いと思ってたんですよね。私の具合が悪いから、全部うまくいかないんだって」

「それって、自分を殺そうとしていたんだと。結婚や、やがて子どもを持つことなど、そういうものに縛られていたんだと、気付いたんです」

09オープンマリッジという処方箋

離婚の危機!? くまの問題と、自分の問題を分けた

具合が悪く横たわる自分のそばで、お出かけしたくても一人じゃいやだと、つまらなそうにしているくまがいた。

これはまずいな。
このままでは、一緒に暮らせない。

別居を提案した。

「一人暮らしを始めたら、私の調子がどんどんよくなって。自分のために時間を使うことで、どんどん元気になれたんです」

くまと話し合いを重ねた。どこがすれ違っていたのか。

「私がいてもいなくても、あなたには自分のしたいことをしてほしい」
「私もしたいことをするし、したいことをしたうえで一緒にいたいから」

そして「あなたのこと嫌いじゃないけど、今の状態はいや」と怒りをぶつけた。

それまで、自分が悪いと思い込んでいたから、怒りを感じなかった。

PTSDの治療で通っていたクリニックを変えたことも、状況に変化をもらした。

「あなた、全部自分が悪いって言ってるけど、あなたじゃなくてまわり人の問題だよ」と、新しい医師は指摘した。

仕事や友だちのこと、彼の抱える問題。そして、自分の抱える問題。

この2つを、切り離して考えるようにした。

そして、自分を大事にするレッスンが始まっていた。

「自分の好きなことをする。それが、自分で自分を大事にすることの最初の一歩だったと思います」

「私は、オタクコミュニティに救われました(笑)。ひきこもってる間は、卜沢彩子をやめてたんですよ」

オープンマリッジがしっくりくる

思い切って、「仕事に集中したいから都心で一人暮らしを始めたい」と伝えた。

すると、くまから逆に提案があった。

「1LDKを借りて、くまの通い婚にしようって」

これが、ちょうどよかった。

週2、3回のくまの通い婚で、心身のバランスがとれてくる。

かねてから、くまには自分が出会った人々の魅力を、聞いてもらっていた。
人間が好き。

そんな自分の人との出会いを語っていた。

「彼は楽しく聞いてくれて、きみは愛情の絶対量が多いんだねって。私も、出会った人たちとデートしたりしていたんです」

でも、彼らと明確に付き合うことはしなかった。

「それはだめだと思っていましたから」

同じ頃、4人の性を語る女性アクティビストのひとりとして「SEX and the LIVE!! プロジェクト」の活動を始めることになった。
そのメンバーのひとりが、ある読書会で出会っていたきのコさんだ。

彼女が「ポリアモリー」であることも、くまに話して聞かせた。
すると「きみはポリアモリーだったんだね」とくま。

その指摘に驚いたが、なにかが、腑に落ちた。

いろんな人を好きになる、付き合いたいとも思ってしまう。
でも、結婚していると、それがしんどくなる。

それを素直に伝えて話した。

「オープンマリッジいけるかも」と、くまがいった。

自分への愛は減らないと感じているという。

「やってみようか」

新しい関係が始まった。

「たぶん私、くまのお母さんに似ているんですよ」

両親が離婚し、お母さんのいなかったくま。
新婚生活は、彼の家族の「母のポジション」に、自分を入れ込もうとするものだったのかもしれない。

そこから、抜けられた。そう思った。

「生存戦略として、婚姻関係を保とうという話になったんです」

妻、夫の呼称もやめて、パートナーと呼ぶようになった。

「すると心が、すごく楽になったんです」

一時は辛すぎて、手を繋ぐのも躊躇するほど、溝ができていたふたり。

「新婚のころより仲良くなったと思います」

いろんなぎくしゃくを、乗り越えて今がある。

10たくさんのハッシュタグ付きの私

人を傷つけることは避けられない

見失っていた自分を取り戻し、自分のやりたいことと、自分のできることが、ぱっと繋がった瞬間があった。

そして、今、情報発信を続けている。

「生きづらさを抱える人には、自分が心地いいと感じる、自分の好きなことを、大事にしてほしいと思っています」

自分の好きなものを大事にすることは、自己肯定感を高めてくれるのだ。

「好きなものを楽しむって、豊かなこと。自分が大事にしていることを、そのまま大事にすることで、救いを見出せると思うんです」

性被害について、顔も本名も出して啓発活動をしてきた。

「自分を出して、共感してくれる方がいること自体が、救いなのかな」

ただ、発信することで、自分が傷つくのは、やはり怖い。
逆に、自分が人を傷つけることだってある。

複雑な世の中を前に、悩むことは尽きない。

「ただ、人を傷つけることは避けられないと思っていて。そのうえで、ものを考えたいですね」

人が傷つかないなんてありえないし、逆に傷つけないこともありえない。

それでいいんだ。

人の心の傷、そのでき方、癒し方について、そのように受容するようになっていた。

たくさんのハッシュタグと私

「私はたぶん、すごく分かりにくい人間なんですよ」

自分には、いろんな要素がある。自分のなかに、多様性がある。

「だから、性被害者というカテゴリに分けられるのもしんどかったし、逆に、そうなろうとするところもありました」

自分のままでいたいと思いながら、当てはまれなさに悩んだ。

「でも別に、わかりやすくなくても、いいんですよね」

最近は、そう思う。

「いろんなハッシュタグが、自分のなかにあって、それを活かしていけばいい。複雑でも、わかってくれる人はいるから」

こういう自分が好き、とか、好きな自分を、いっぱい見つけて生きたい。

たくさんのハッシュタグ付きの自分は、豊かな自分である証。
これからも、自分で自分を選んでいけるはずだ。

あとがき
卜沢さんは細やかに心をくばる。性と暴力が結びつく体験を発信しはじめて、無遠慮な矢も飛んできたのかと想像したが、鎧は見当たらない。まとっているのは、やわらかくて美しい羽衣のようだった■当事者性について、ずっと考えてきた。[アライ]って言葉こそ早くなくなればいい、とも。人はいろいろな属性をもつから、多数か少数か、当事者かそうでないかの場面も交錯する。代弁も忠告もない。「ここにいるよ」は、アライも同じ。ひとつの目印だ。(編集部)

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