INTERVIEW
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誰もが認め合い、生まれてきてよかったと思える社会になってほしい。【前編】

俳優やラジオのパーソナリティなど幅広く芸能活動をしている若林さん。「LGBTのことを知ってほしい。LGBTとしてハッピーに生きている人もいることを伝えたい」というおもいがあってのことだ。関西弁の明るいノリでいつも笑顔の若林さんからは想像しにくいが、1人思い悩んだことも人からの無遠慮な言葉に苦しんだこともある。今、自分を受け入れ周りに感謝して生きる彼のこれまでの道のりをたどってみたい。

2017/01/09/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Mayuko Sunagawa
若林 佑真 / Yuma Wakabayashi

1991年、兵庫県生まれ。同志社大学神学部在籍中から演技などのレッスンを受け、卒業を期に上京。現在は芸能事務所に所属し、俳優やラジオパーソナリティーの他、東京レインボープライド2016ではステージパフォーマーとして出演し、脚本・演出もこなす。20歳からホルモン治療を開始。国内の病院にて、24歳で乳房切除・乳線摘出手術を受ける。

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INDEX
01 この気持ちは何だろう
02 自分は何者?
03 誰にも言えない
04 自分と同じ匂いがするFTMとの出会い
05 大きな2つのカミングアウト
==================(後編)========================
06 男として生きていく
07 自分を受け入れてくれた家族
08 「FTMで生まれてよかった」という瞬間がいっぱいある
09 自分にしかできないことがある
10 一歩一歩、前に進む

01この気持ちは何だろう

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明るく元気なお父さん子

小さい頃から明るくておしゃべり、人を楽しませるのが大好きだった。

「ちっちゃい時から僕はこんな感じ。いつもしゃべってました(笑)」

「オトンが大好きで、もうホンマむちゃくちゃええ人で」

「オトンが持っているものは全部ほしかったし、やっていることは全部一緒にやりたかったんです。お揃いの洋服を買ってもらっていました。今思うとオトンになりたかったのかもしれない」

オトンとお揃いの服で出かけていたので、よく男の子に間違われた。自分からスカートを履くことはしなかった。

小学校2年生の時に両親が離婚。週に一度オトンの家に泊まるのが楽しみで、一緒に買い物に行ってはオトンとよく似た服を買ってもらった。

そんなこともあって、普段から男の子っぽい服装だった。

ただ当時はまだ、性別を気にすることはなかった。

人気キャラクターの指人形でおままごとして女の子と遊ぶこともあった。

早熟な環境でのとまどい

性別を意識しだしたのは、小学校高学年くらいから。小学校3年生で転校したのがきっかけだ。

「転校した学校の雰囲気がぜんぜん違くて。小学生で高校生の男の子と付き合っているとかあったんですよ!?学区がおませさんエリアだったんです(笑)」

「『まい(改名前の名前)ちゃんは誰君が好きなん?』と聞かれて、適当な男の子の名前を答えていました。“えっ、かおりちゃんが好きなんやけど・・・・・・” って思ってたけど、周りの空気でそれを言っちゃあかんというのはわかっていたんで」

早熟な環境だったこともあり、高学年になるにつれて周囲ではカップルがどんどん増えていった。

自分もカモフラージュで片っ端から告白し、男の子と付き合った。

「自分も焦りました。小学校なんてちっさい世界。同じ土俵に乗らんとあかんと思って」

オトンの影響で小学校高学年から野球部に入り、昼休みは男子に混じってサッカーをしていたことから、少し変わった女の子だと思われやすい。

でも、いじめの対象にはなりたくなかった。

だからカモフラージュで男子と付き合ったし、明るくはしゃいでクラスの中心にいられるようにした。

女の子を好きな気持ち。「この気持ちは何なんだろう」と思ってはいたけれど、それほど深刻には考えていなかった。

02自分は何者?

男の子とは無理なんだ

姉が通う中高一貫の女子校を自ら選んだ。

「これ以上共学にいるとやばい」「女の子の中に入ったら、女の子になれる」と思ったからだ。

実際学内に男子がいないから、「誰が好き」という話にはならず、取り繕う必要がなかった。だから、中学のほうが楽にいられた。

初めての恋は中学3年生のとき。同じクラスの子を好きになった。

「気づいたら授業中も見てまうし、その子が見える所でわざと騒いでみたりして。おしとやかですごい可愛い女の子でした」

「でも、これはちょっとまずいとなと思って、小学校の時に仲良くしてた男子と付き合うことにしました。彼のことは今でも好きなんですけど、恋ではなく憧れだったことが後になってわかったんです」

彼のことは好きだったけれど、キスをするとなると抵抗が。とは言え、その先の関係には興味があってその彼と挑戦した。

結局、受け付けなかった。

「僕からしたらめっちゃ仲いい友達とするみたいなことですから。これが無理やったら、この子とは無理やと思い別れました」

それから高校2年生の時、初めて彼女ができた。

初めてその子と体を重ねた時、幸せすぎて涙が出た。

「好きな人と体を重ねるって、こういうことなんやろなあって」

同時に、自分はやっぱり男ではなく女の人が好きかもしれないという、今まで隠し続けてきた感情が顔を出してきた。

FTMを知る

当時LGBTという言葉は知らない。

男の子と付き合ったこともある自分は、レズビアンなのかバイセクシュアルなのか悩んだ。

ただ「3年B組金八先生」の上戸彩さんの役の男らしい感じとはちょっと違うと思った。

そんな時に学校で「あなたのセクシュアリティはなあに?」という授業があった。

そこで、性同一性障害と同性愛の違いをはじめて知る。

「セクシュアリティを細かく分類した表があって、体の性別、心の性別、恋愛対象と別れていて。FTMを見て “自分はこれかもしらん!” って思いました」

ただ性同一性障害の人にもFTMの人にも会ったことがない。

実際は、自分がどうなのか確信はなかった。

周りが他の同級生のことを「あの子はレズだから(嫌だ)」と言ってきたり、後輩から「あの子はレズなんで気をつけてください」と忠告された。

だからそう言われるのが嫌で、レズビアンではないと自分に言い聞かせていた。

自分はバイセクシュアルで、いつか男の人と結婚して子どもだって産める。

そう思っていた。

そう思いたかった。

03誰にも言えない

3

一生隠して生きていこう

授業を受けたあとすぐ、親友に相談してみようと思った。

でも、「いつも一緒にいるグループと家に帰る途中、仲良しの子が『うちさ、性同一性障害とか気持ち悪いとしか思わねんけど。きもない?』って」

その瞬間、自分の中で心の扉を閉じた。

そして、一生隠して生きていこうと決意した。

自分の心の奥の奥にしまい込んで、絶対に開けることはないブラックボックスを一人で抱えこんだのだ。

その場は適当に相づちを打つしかできず、なんにも言えなかった。

他の友達がどんな反応をするのか、それもすごく気になった。

オカンにバレた日

彼女との関係が友達にバレることはなかった。

女子校なので手をつないだり、常に一緒にいたりするは普通のことだったからだと思う。

彼女と毎日一緒にいたくて、部活終わりにどちらかの家に行って夕飯を食べて帰るという生活だった。

「ある日、夜遅くなったので、オカンが車で彼女を家まで送ってくれたんです。車の後部座席で並んで座り、膝掛けの下で手をつないでいて。それがバックミラーで見えていたみたいで」

「翌朝、オカンから『あの子のこと好きなん?』『手つないどったやろ?』って言われて。サーッと血の気が引いて、はあー!つないでないし!!ってむっちゃキレて(笑)」

「オカンが『つないでたやん。私は好きになるのが悪いとは言っていないし。私も女子校やったから、周りに女の子が好きな女の子とかおったし。好きなんかって聞いてるだけやん』って」

「めっちゃ気ぃ悪いわ!ってぶちキレました。手をぶるぶる震わせて、もう行くわ学校!って家を出ていったんです」

「内心はもうばれた!どうしよう、やばいやばいって」

それ以降、オカンとはそういう話は一切しなかったし、聞かれることもなかった。

今思うとオカンの対応はありがたかった。

「アカン」ではなく「そういう人は世の中にはいるし。責めてもないし」と言ってくれたから。

その後、彼女とこのまま隠して付き合い続けることに限界を感じ、高校を卒業するのを機に別れた。

付き合っている間、彼女にセクシュアリティの話を話したことはなかった。

そこに触れたら一緒にいられなくなる気がした。

彼女はストレートだ。今思えば、人として僕のことを好きになってくれて付き合ってくれたのだ。

04自分と同じ匂いがするFTMとの出会い

頑張ったら女になれる

高校がリベラルなキリスト教主義の学校で、聖書の授業はエイズやハンセン病、LGBTなど普段目を背けがちな事柄に向き合う内容が多かった。

これは人として生きる上で一番大切なことなのではないかと考え、「神学部に入って人生を変えたい」と神学部への進学を決めた。

入学後、お化粧をして大学に行くようになった。

ボーイッシュな恰好でかっこいい女子を目指した。

本当は化粧をしたくなかったが、自分のセクシュアリティは隠して女子として生きようと思っていたから仕方ない。

「ノリがいいキャラのままで自分のできる限界の女性を目指しました。女の子からはかっこいいねって言われて、男の子からは可愛いねと言われるようなポジション」

「頑張ったら女になれると思っていました」

見た目はかっこいい感じだけど、「でもやっぱり女なんだよね」というふうに見られたかった。

「ただ男の子に対しては、男同士のような友達感覚になってしまうので、朝あいさつがてら男の子に抱きついて『ウェイ!おはよ!!』みたいなノリでいったら、抱きつかれた方はビックリ!みたいな(笑)」

「僕は男の子に触れることになんの違和感もなかったんですけどね」

FTMの人との出会い

大学1回生のとき、バイトしていたカラオケ店でFTMの人がいることを知った。

すぐに会いたくなり、その人が働いている時間帯にバイト先に行った。ひと目見て同じにおいがしたのだ。

初対面のその日、飲みに誘った。

「僕の中では完全に闇の部分が、その人はすべてクリアになっていて、なんでも話してくれました。親や友達にカミングアウトした話、彼女の話、セクシュアリティの話とかなんでも」

「全部教えてくれて話し終わった後、頭が沸騰したんです。考え方が180度ブワーッと変わって。その日に知恵熱を出しました(笑)」

「もう彼のいる世界がすごすぎて。それで彼に相談してみようと思い立って話したら、『うちおいでや』て言ってくれて。当時彼は彼女さんと同棲していてその家に呼んでくれたんです」

「・・・・・・僕も同じかもしれないんですって言ったら、『わかってたわ』って笑われました。『聞いてくるポイントが、親のカミングアウトとか友達のカミングアウトとかわかりやすいんや(笑)。絶対そうやと思っていたわ』って」

アルバイト先や街の飲食店ではなく家に呼んでくれたのは、周囲に人がいると話しにくいのではないかという彼の配慮だった。

高校時代の彼女の話もした。

「『どういうおもいで付き合ってたん?』って聞かれたんです。どういうおもいで付き合っていたかはわからないけど、彼氏になりたいと思っていましたと答えました。そしたら彼の彼女さんが『じゃあ普通やん。あんたは男としてその彼女が好きやっただけやん。ストレートなだけやん』って言われて」

そうか!僕が彼女を好きだったことは普通なのか!!と、すごく納得して、心底ホッとした。

05大きな2つのカミングアウト

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友人へのカミングアウト

友人へのカミングアウトについても相談した。

「男だから女だからじゃなくて。お前という存在を好きなんやから、男とか女とか関係ないわ。人として好きになってくれた友達を、親友と呼べる奴をお前は信用できないんか?そんな浅い関係なんか?って」

「もしそれで嫌われたらそれは友達ではない。お前が嫌われるかもって思っているなら、相手に失礼や」

それを聞いて、すぐに友人にカミングアウトすることを決意した。

当時、上京していた親友がたまたま大阪に帰っていたので、深夜だったが会いに行った。

心も体もすごい震えた。

どう思われるんやろうと思うと、凄く怖かったから。

「実は心は男やねん・・・・・・と。しばらく間が空いて、親友は『えっ、どうでもえぇねんけど』って。『そんなん言うために夜中に来たん?時間とお金の無駄やで』って」

それから、体を変えるつもりもあると伝えた。「体に気いつけや」と言ってくれた。

「めっちゃうれしくて。今思うと、きっとその時はびっくりしたと思うし、心配もしただろうけど、それをどうでもいいという言葉で片づけてくれたんやろなって」

「それは彼女なりの愛やったんやろうなと思った。『そうなんや』で片づけてくれたのがすっごく嬉しかった」

それからいろんな人にカミングアウトしていった。大学の友人や教員にもカミングアウトした。

カミングアウトは一回一回が怖かった。

でも、誰一人、拒絶しなかったし、周囲は何にも変わらなかった。

「どうでもいい」と最初に言ってくれた親友の言葉が自信になった。そして、次第にこれで嫌われたら友達じゃなかったんだと思えるようになった。

もう怖くなくなった。

周囲にカミングアウトしてからは、化粧するのを止めて、なべシャツをつけて男っぽい恰好にした。

ただ恰好を変えてもまだ見た目は女性であったため、友人が自分のことをふと「彼女」と呼んでしまうことがあった。

悪意はないとわかっていても傷付いた。

でも、仕方がないよなとも思った。

母と姉へのカミングアウト

FTMの人に初めて出会ったのも、友達にカミングアウトしたのも18歳。濃密な1年だった。

19歳になる3日前、けじめとして家族へカミングアウトすることを決意。

当時オカンは高次脳機能障害を患っていた。僕が高校3年生の時、クモ膜下出血で倒れたのが原因で、新しいことが覚えられない。

ヘルパーやデイサービスを利用しながら、家族交代で在宅介護をした。

アルバイト中に何度も電話をかけてきたりして参ってしまった時期もある。

大変だった。

オカンがそういう状況だったので、まずは姉ちゃんに自分のセクシュアリティのことを話そうと思い、部屋に呼んだ。

「そしたら、なぜかオカンが部屋に入ってきて『何?その話私も聞かせて』って」

「2人に全部話した後に、オカンが姉ちゃんに『ええやんなー別に』って。姉ちゃんも『気づかんくてごめんなー。できることあったら言って』って言ってくれました。この日、オカンは病気とは思えないぐらい、話を普通に聞いてくれたんです」

「でも翌朝、昨日の話を覚えてる?って聞いたら、『あれー、なんやったっけ?』って言われてちょっとショックでした。でも、まあしょうがないな、ちゃんと言えたしええかって」

その日オカンはデイサービスの日。送迎車が迎えに来て、スタッフの人に僕のことを紹介した。

「うちの息子です」と。

きっと頭のどこかに、僕から聞いたことが残っててシフトチェンジされたんだ、きっと。今も会う人に息子だと紹介する。

息子って言われて泣きそうになるくらいうれしかった。

でも、オトンにはまだ言えなかった。好きすぎて。

どっかで「ごめんなさい」って思いもあった。

 

<<<後編 2017/01/11/Wed>>>
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06 男として生きていく
07 自分を受け入れてくれた家族
08 「FTMで生まれてよかった」という瞬間がいっぱいある
09 自分にしかできないことがある
10 一歩一歩、前に進む

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