INTERVIEW
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「好き」という気持ちは、揺るぎない自信になる。【前編】

ゲイの自認が確信になったのは高校生。初めてのカミングアウトもその頃だった。ほぼ周囲に言い尽くした頃に両親へカミングアウトをするが、母親の反応にどこか引っかかるものを感じ、時間をかけてふたたび、カミングアウト。でも、家族よりも友だちが大事な “友だち至上主義者”。そんな思想が形成されたのには、家族が大きな役割を果たしているところが逆説的だ。現在、カミングアウトのさまざまな位相を分析中。

2017/06/24/Sat
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Ray Suzuki
網谷 勇気 / Yuki Amiya

1978年、東京都生まれ。情報サービス大手企業、ITベンチャー企業などを経て、現在は児童養護施設から社会に巣立つ子どもたちの自立支援に取り組むNPO法人「ブリッジフォースマイル」の職員。2014年、NPO法人バブリングを設立。打ち明けたい何かを抱える人々の支えになる活動をしている。

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INDEX
01 “人と向き合う” 仕事を選び続けて
02 家族至上主義より、友だち至上主義
03 網谷家のオキテ、その社交術
04 性指向に気づいた中学時代
05 憧れの先輩を追いかけて
==================(後編)========================
06 カミングアウトしても、同じにはなれない
07 俺がルール。そんな男に成長する
08 心のなかに引っかかる、母親の存在
09 もっと強くなりたいから、受け止めたいから
10 今、必要なのは、カミングアウトの構造分析

01“人と向き合う” 仕事を選び続けて

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得意なことは、概念を言語化すること

抽象的な概念を言語化することが、子どもの頃から得意だった。

「考え事が好き。文章を書くとか、言語化することが、得意なほうだったんですよね」

「中学から高校まで生徒会をやっていたから、人前で喋ることも自然とできていて」

沈黙しているように見えるときでも、頭のなかは思考のマシン。
物事の成り行きをシミュレーションし、考え続けている。

「寝る直前、布団の中で延々と考えごとをしてしまう。朝、起きてから夜、布団に入るまでの間、頭の中がずっと喋ってる」

「なんか、シミュレーションする脳味噌なんです、ずっと(笑)」

「明日の予定とか、例えばこの人がこうやって動いたらこうなる、でもこうだったらこうなるって、ずっとシミュレーションしてる。だから、すごい疲れる(笑)。でも癖だからやめられない」

仕事に関することなら尚更、思考が止まらなくなる。

20代、30代と歩んだ会社員時代は、人材を育成する仕事に取り組んできた。

採用した部下たちの成長を促し、育て、守る。そんな仕事だった。

「基本的に、人に向き合うことが好きなんですね」

子どもたちのために、ベストな自分でいたい

今、過剰になりがちな思考の量を、少し減らそうとしている。

そこで、大好きだった映画を観る時間を、意識的に増やし始めた。

今年は100本観るのが目標。

脳の放電作業を、自分に課している。

「自分を整えることが最近のテーマです。気力をコントロールしておかないと、子どもたちと対面した時にいい支援ができないと思って」

子どもたちとは、児童養護施設にいる中学生や高校生、社会へ巣立った子どもたちのことだ。

児童養護施設を出るとすぐ自立を迫られる子どもたちが、未来への希望を持って生きられるよう支援する、NPO法人「ブリッジフォースマイル」の職員として働いてまる3年が経った。

一般企業からの転職だった。

人材育成畑で経験を積んだが、株式会社にはもう限界を感じていた。

「利益よりも断然、人が大切だったから、次はソーシャルビジネスやNPOにしようと探していたんです」

役割の一つは、個別面談。子どもたちに会うのだ。

「高校2、3年生は施設を出なくてはいけない時期が迫っています。そのため、進路相談の面談を繰り返し、場合によっては職業体験などをしながら企業につなぐこともあります」

一般企業で採用面接を担当していた経験を生かし、今、およそ10名の子ども達とコンスタントに向き合い、話を聞く。

「面接の練習もしますが、その子の思いを“言語化する”お手伝い、となることが多いんです」

「なぜその会社に入りたいのか、自分の長所や短所はなんなのか。ずっと話して、文章にして」

さまざまな背景を持つ子どもたちに、ゆっくり伴走しながら、その子の夢の実現をともに目指していく。

生きる力を、どう育てるか。

「就職がうまくいかなくても借金や夜の仕事をしないで、自分で新しい仕事を探せるかどうか。そういうベースとなる生きる力をどう育むか」

「大人とちゃんとコミュニケーションを取りながら、自分で考えて選択して決断する。そうやって生きていけることが、ゴールになるとは思うんです」

「でも、その判断基準になるものを、今の彼らが持っているかというと、まだ持っていない。そこに、難しさがあります」

今までで一番のやりがいと、難しさとを、同時に感じる毎日だ。

初めは自分のことを人にうまく伝えられなかった彼らが、わずかの年月で見違えるほどしっかりした大人になっていく。

「1年前と比べて、背がすごく高くなっていたり、しっかりした発言をできるようになったりするから、とてもうれしいですね」

その成長には目を見張るものがあり、感動的だ。

だからこそ、面談のときは、健康な精神状態のままでいたい。

子どもたちには、ベストの自分で向き合いたいのだ。

02家族至上主義より、友だち至上主義

友だちは、家族よりも素晴らしい

交友関係が広く、友だちが多いのは、昔から変わらない。

男女を問わず「誰か紹介してよ」と言われることも多かった。

そこで大学在学中は、「友だちの友だちと友だちになる」を合言葉に飲み会をアレンジ。

その活動はやがて大規模なイベントと化し、2007年まで続いた。

「僕は、友だち至上主義。友だちがいちばん大切だと思っているんです」

「家族が大事、みたいな風潮が今、一般的だけれども、僕は全然そうは思わない」

「大事じゃないとは言わないけれど、友だちこそがいちばん。そう思っています」

家族至上主義を疑え!

家族至上主義への疑問は、現在の仕事を通じても感じてきた。

「両親が揃って育つ方がいい、というような前提の議論が好きじゃないんですよね」

「それがいいとは限らないし、一人親の家庭が劣っていることになってしまうから」

現実は、両親が揃っていても幸せでないケースもある。

「ひとり親でよかった」という場合だって、現実にはあるのだ。

「何かを『より素晴らしい』とか言っていると、そこからこぼれ落ちている人たちを否定することになりますよね」

結婚して家庭を持って子どもを作る。

そんな生き方のレール自体をそもそも否定して生きてきたから、そこからはみ出る人たちの目線を、ずっと持っていた。

「家族がいなくても幸せだと思っているならそれでいい。その人が何を幸せと認定しているか、そこがポイント」

「人がそれぞれ大事にしているものが一番価値があって、周りがゴチャゴチャ言うことじゃないって思うんです」

03網谷家のオキテ、その社交術

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特定の友だちとだけつるむな

子どもの頃のことを、事細かに記憶しているわけではない。

「思い出話とか、すごい苦手」

「友だちから『ああいうことあったね』と言われて、『あ、そうなんだ』ってなっちゃうくらい、ほんとに覚えてなくて(笑)」

それでも、友だちが多かったことは覚えている。

色々な友だちが自宅を訪れ、よく一緒にファミコンで遊んだ。

「うちでは『特定の友だちとだけつるむな』っていうのが親の教えだったんです。つまり『複数のグループと、ちゃんと遊べ』っていう意味です」

特定のグループとだけ付き合うと、そのグループ内で仲間外れやいじめのターゲットになってしまった場合、あとがない。

両親は、子どもが万が一そうなってもいいようにと考えていた。

「親は、友だちの属性に左右されるのではなく、どんな友だちと、どこでどう付き合ってもいいけど、決してつるむなって」

親友の存在は、大歓迎。

父と母は中学時代からの同級生同士。

そんな両親の友だちとも、自分は顔見知りの関係だった。
だから、友だちの来訪は、いつもウェルカム。

そんな風通しのいい、自由な気風の家庭だった。

「家族だけで閉じない。そこには僕の友だちもちゃんと混ざっていて、それが普通」

「もし親が『そういう子と付き合うのはやめなさい』って言うような親だったら、僕も性格が変わっているだろうし、それこそ生きてないだろうなって思ってます」

友だちがいたからこそ、このあとやってくる辛いことを乗り越えられた。

友だち至上主義を内面化できたのも、友だちを尊重するという両親からの教えがあってこそ。

母親によく似ている、僕

「今になって、この教えは、めちゃくちゃありがたいですよ(笑)」

不偏不党で独立性を保てる付き合いの作法が、自然と備わった。

概念を言語化するのが得意で、読書や映画が大好きなのは母親の影響かもしれない。

「推理小説がすごい好きで、それは母親の影響ですね」

「映画館も、子どもの頃から連れて行ってもらいました。文化系の趣味は母の影響を受けていて、いい影響だったかなと思います」

最近、ふと思い出した。

母親からよく「ちゃんと喋れ」と言われていたのだ。

「何をどうしたいのか、はっきり言いなさい。主語と述語をはっきり言いなさい。内容を具体的にきちんと言いなさい、って」

筋道立てて考えることが得意なのは、そのせいかもしれない。

「僕は、母親に似ています。母親と同じ喋り方なので、父親にはうんざりされていて(笑)。顔は父親と同じだけど、中身は “お母さん” 」

仕事を持ち、しっかりものの母親は、いろんなことを考えている人。

おおらかな父親と、いいバランスをとっていた。

母親が父親のことをとても尊敬していたのも、わかっていた。

04性指向に気づいた中学時代

好きなのは男子なのか、女子なのか

小学校のときと同じように、普通に遊んで、普通に部活のバドミントンをしていた中学時代。

友だちと同様に、性的なことへの興味も湧いた。

早熟なほうだったかもしれない。

「中学に入るとだんだん男子が、色めき立ってくるじゃないですか(笑)。でも、そういう男子と同じテンションで女の子が好きなわけじゃないなって、気づいていました」

好きなのは男子なのか、女子なのか。正直、よくわからなかった。

「男子が好きだし、男子に興味がある。でもその頃は女子にも興味があったんです」

「どっちかっていうと恋愛は、女子に向いていた。付き合う、付き合わない、という話の対象は基本的に女子でしたね」

ただ、当時の憧れの存在は、男子。1歳上の先輩だった。

「でもそれは、単なる憧れだと思っていて・・・・・・」

「明るくて、友だちも多い人気者。でも言うことはちゃんと言う。怒るときは怒る。そういうすごい人でした」

イジられていたことの記憶が蘇る

当時は気づかなかったが、後から思うと、あれはいじめだったのか、と思う記憶もある。

「中1のときでしたが、上履きがなくなるし、教科書や下敷きには『死ね』とか『おかま』とか書いてあったんですよ」

「大事なシャーペンを取られたり、裸にはされなかったけど羽交い締めにされて体をいじられたり」

からかい程度に思っていたので、それで萎縮することなどなかった。

「ただ鬱陶しかった・・・・・・」

「だから『うるさいよ、やめろよ』って反抗すると面白がられて、さらにイジられちゃう」

でも、いわゆる、いじめられっ子ではなかった。

勉強もできたし、生徒会や部活に打ち込む、充実した日々を送っていた。

05憧れの先輩を追いかけて

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応援演説は、本心の表明だった

中学校の生徒会長に立候補したとき。

演説のステージで感じていたのは、先に生徒会に入り活躍していた、
憧れの先輩の視線や存在だった。

ステージで先輩は、自分の背後にいた。

そして、全校生徒に向かって「この先輩に憧れています」と、
堂々と宣言した。

先輩への自分のおもいに、確固たる自信があったから。

「その人のことを尊敬していて、憧れていて、立派な人だと思ったんだから、自分が人にどう思われても恥ずかしくないくらいに、自信がありました」

「そのことを自分が表明することで、その人の価値が上がればいいな、とも思っていたんですね」

これが恋愛感情だったのかは、わからない。

しかしこの先輩は、今も憧れの人だ。

強い自分を育んでいく

同性愛とはなんなのか。

心に、漠然とした疑問が浮かんでいた。

「中学校の時に辞書で調べてみたら、同性愛が『異常性愛』って書いてあって」

字義通りだと、自分が異常者だと思いながら生きていかないといけない。

「自分が異常であることを受け入れるか、よそが異常であるって状態にするか、多分、二択しかないってことになってしまうから」

「それで僕は、よその方が異常だと、認定したんだと思う(苦笑)」

自分のことを否定しない。

自分の思考で、自分なりに考えていた。


<<<後編 2017/06/26/Mon>>>
INDEX

06 カミングアウトしても、同じにはなれない
07 俺がルール。そんな男に成長する
08 心のなかに引っかかる、母親の存在
09 もっと強くなりたいから、受け止めたいから
10 今、必要なのは、カミングアウトの構造分析

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