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ピアスとタトゥーと性別適合手術と戸籍変更と。ベストな自分になるために。【後編】

ピアスとタトゥーと性別適合手術と戸籍変更と。ベストな自分になるために。【前編】はこちら

2022/07/23/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
久喜 ようた / Yota Kuki

1987年、千葉県生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きで、漫画やアニメにハマり、中学からはビジュアル系バンドに夢中になる。同性愛や性同一性障害が身近な環境のなかで、経験した初めての恋愛は、同性である女性の先輩。「こうありたい」という自分であり続けるため、ピアスやタトゥーを体に施し、胸を切除し、子宮卵巣を摘出し、戸籍を男性に変更した。デザイナー、イラストレーターとして中野区を拠点に活動中。

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INDEX
01 描いた絵をやぶかれて
02 まるで売れっ子漫画家のように
03 クラスでヒーロー戦隊を結成
04 家出の常習犯
05 BLとビジュアル系バンド
==================(後編)========================
06 「女性を好きになっても自然だった」
07 レズビアン? Xジェンダー?
08 疲れ果てて、死のうと思った
09 男性への性別移行は望んでいないけど
10 私にとってノンバイナリーがベスト

06 「女性を好きになっても自然だった」

なんで男とか女とか

cali≠gari好きの先輩のなかに、面倒見のいい、優しい人がいた。
仲良くなるにつれ、どんどん好きになっていく。

「わーい、って近づいたら、よしよし、って感じで、居心地良くて」

「付き合って、って言ったら、いいよ、って」

「最初の恋人、彼女です」

同性を好きになるのは、自分にとって自然だった。
バンギャ文化のなかにいたことに加え、以前から性別に疑問をもっていたということもある。

「小学3年生のときに、普通に男の子の友だちとヒーローごっこをしてたんですよ。そしたら、ある日突然、『おまえは女だから仲間に入れてやんない』って言われたんですよ」

「そこからです。なんで男とか女とか、あるんだろうって」

小6のとき、男ぎらいに

「さらに、小学6年生のときに同じクラスの男の子を好きになって、会って3日目くらいに告白したんですよ。相手は、私が誰だかわかんない状態だったんで、まぁ、断られて」

「そしたら、その子の友だちがクラスに言いふらして・・・・・・。そこから、ちょっと、男ぎらいになってしまって」

「だから、女性と付き合うことに、疑問なんてなかったです」

高校は埼玉にあったが、いつも東京のライブハウスに通い、朝まで遊んでから埼玉まで帰ってきて、高校の図書室で椅子を並べて寝て、軽音部に顔を出し、ライブを控えていたなら練習をする。

「自分たちのライブがなければ、練習はしないで、ただ遊んで、『じゃ、彼女と帰ります』って感じでした(笑)」

「女性の先輩と付き合ってたこともオープンにしてたと思います」

その頃から好きなものは変わらない。
自分のスタイルも確立していた。

「耳のピアスも、口のピアスも高校からです」

「耳は、穴を1個あけたら、なんか隙間があるなって思って、3個あけてみても、まだ上のほうに隙間があるなって、どんどん増えました(笑)」

「拡張したいなって思ったら拡張して。口にもピアスがあったらかわいいなって思ったらやって。髪の毛も、前髪を斜めにザクッと切って、刈り上げて」

「男には全然モテなかったですよ(笑)」

07レズビアン? Xジェンダー?

自分はXジェンダーなのだろう

最初の彼女と別れたあとは、ライブハウスで出会った女の子と付き合って、また別れて、を何度か繰り返した。

「女の人が好きな自分は、レズビアンなのかなって思うこともありました」

「でもmixiのコミュニティで、Xジェンダーの存在を知って、たぶん自分はそうなんだろうと思ったんです」

ファッションはロリータ系のかわいいのも好きだし、シルクハットをかぶったマニッシュなゴシック系も好き。

「男の子に見えるのも、なんかちょっとよかった。違和感なかったんです」

「それに、当時からビジュアル系バンドをやっていたんですが、ビジュアル系は女がやっちゃいけないって風潮があって」

「当時は、ステージに立つときは、ナベシャツで胸を押さえてました。胸が、すごいジャマだなって悩んだ時期もありましたね・・・・・・」

「でも、バンド見て、バンドやって、バイトして、お洋服買って、それに夢中で夢中で。楽しくってしょうがなくて(笑)」

楽しい時期は永遠ではなかった。
高校卒業とともに風向きが変わってくる。

卒業後は祖母の強い希望により、大学に進学した。

「将来の夢は、『絵を売って暮らすこと』だったので、最初から大学へ行くつもりはなくて。学びたいこともないし」

しかし、祖母の手前、行くしかないと判断した。

実家の部屋に引きこもり

「大学では、かなり浮いてましたね・・・・・・」

「下駄はいて、ボブルビーっていう硬いプラスチック製のバッグしょって、派手な格好してたんですよ」

見た目でからかわれることもあった。友だちはできなかった。
これ以上は続けられないというところで、「大学を辞めたい」と伝えるために、祖母に会いに行った。

「大学は行きづらいし、そもそも学びたいこともないし、本当に申し訳ないんけど、うちはほかにやりたいことがあるから、大学を辞めてもいいですか、って言いました」

「おばあちゃん、大号泣して・・・・・・。うちも、ごごごごめんなさいって感じで・・・・・・。でも『だったら仕方ない』って感じで受け入れてくれました」

大学に行かず、毎日していたこととは、高校のときと同じ。

バンドのライブを見に行って、ビジュアル系バンドとしてライブをやって、バイトをしてお金を稼ぐ・・・・・・。シンプルにそれだけだった。

「でも22歳くらいでバイトを辞めてしまって、実家の自分の部屋に引きこもるようになってしまったんです」

「ずーっとパソコンでニコニコ動画見て、たまに友だちからコピーバンドやるぞって言われて楽譜をつくって練習して、みたいな生活してて」

「そしたら、不眠症の薬を飲んで、フワーッとして、記憶を失ったりしちゃったんです。実は、高校の頃から不眠症の治療で病院には通ってたんです」

しかしある時、小学校からの友人、ホワイトから電話がかかってくる。

「なんか『そんな埼玉の奥地でなにグダグダやってんの!』って言われて」

「『お前は、そんなところで腐ってる人間じゃない』って言葉に、『わかった』って答えて、ようやく実家を出て、東京のホワイトの家に居候することになったんです」

埼玉から脱出して、東京で暮らすには、とにかく働かなければ。
まずは職探しから始めた。

08疲れ果てて、死のうと思った

店のナンバーツーに

「東京に行った頃はテクノのユニットをやってたんですが、そのボーカルが水商売をやってて、そこで接客業をさせてもらうことになったんです」

「でも、ぜんぜん向いてなくて。アルコールアレルギーだからお酒飲めないし、発達障害なので、話すのが苦手で」

「それでもオーナーが、その後、家を探すときも、手術するときも、手伝ってくださって・・・・・・。とにかく恩返しがしたくて、売り上げを増やすためがんばって、ナンバーツーまでのし上がりました」

「お酒が飲めないのにナンバーツーになれたのは、中野って土地柄もあったと思います。バンド好きやサブカル好きのお客さんもいらしたので」

「そんな話ができるキャバ嬢って、そんなにいなかったのかも(笑)」

しかし生活はラクではなかった。

「ホワイトとは、昔っから喧嘩ばっかりなんですよ。待ち合わせして、会って5分で喧嘩して帰って、1週間後には『いつ遊ぶ?』って話すような感じで」

「東京にも『そんなところで腐ってる人間じゃない、来い』って言われたから来たのに、3ヶ月くらいで『もう出てってくんねーか』ってなって(笑)」

そう言われても、すぐに住む場所は見つからず、近くにあった大きな神社で寝泊まりすることにした。

自殺する前に個展を

「賽銭箱の裏で寝てたんですが、雨の中、建設途中のスカイツリーを見ながら泣いてました(笑)」

「でも、それも無駄な時間じゃなかったと思います。無駄な時間とか、無駄なことってないんだなって、そのとき思ったんです」

結局3日ほど神社で過ごしたのち、スタジオを経営しているという店の常連客に、一室借りることができた。

「水商売やってて良かったな、て思いましたね・・・・・・」

とはいえ、生活はギリギリだった。
ナンバーツーになることに固執しすぎて無理もした。

「昼頃に起きて、同伴前の準備をして、15時にお客さんに会って、18時にご飯を食べます。で、21時に店へ出勤します。朝の6時まで働きます。そのあとアフターします。9時まで付き合います。家に帰って、10時に寝て、12時頃に起きますって感じで」

「考える時間もなくて、すごい疲れちゃってたのもあるし、なんでかな、もう自殺しようと思ってて・・・・・・」

「死ぬ前に、最後だからって、個展を開いたんです。これまでの作品を並べただけの」

しかし、個展を開いたあとも、自殺せずに済んだ。
そのときに付き合っていた彼女のおかげだ。

「電話で『死ぬわ』って言ったら、北海道に住んでる子だったんですけど、東京に行くから一緒に住もうよ、仕事も辞めなよ、好きなことして暮らしなよって言ってくれて」

「その子は、すごくバイタリティのある子で、北海道での仕事を辞めて、東京で仕事見つけて、本当に一緒に住むことができたんです」

彼女のおかげで、2〜3年はストレスなく生きることができたのだ。

「26歳くらいのときだったと思います。人生の転機って感じでした」

「友だちや恋人に、すごい恵まれている人生だなって思います」

09男性への性別移行は望んでいないけど

「女はバンドやめろ」

胸の切除手術を受けたのは22歳のとき。
所属しているビジュアル系バンドの人気が出てきて、動員数も増えてきた頃だった。

人気が出てくると注目度も上がり、さまざまな噂や、ときには批判がネットで囁かれるようにもなった。

やはり、女性がビジュアル系バンドをやることに反対する空気もあった。

「ステージに立つときは、ナベシャツを着ていたのに、『あいつって女?』ってネットで噂されて」

「女はバンドやめろ」と叩かれることもあった。

「ほかのメンバーは全員男性で、『あいつ、心は男だから』と認めてくれてたんですが・・・・・・」

「もう、そうやって『女だ』って言われるのが嫌で」

胸を取ろうと決めた。

「生理がきたり、胸を大きくなってきたりした頃は、性別を定めていなかったから、全然気にならなかったんですが、性別に違和感を感じて、自分はXジェンダーなんだろうなと思ってからは、胸にも違和感が生まれて」

しかし、男性への性別移行を望んでいたわけではない。

戸籍を男性に変えよう

「見た目は、いまのまま変えたくなかったんです」

「ホルモン治療も、声が変わるから、やりたくないと思ってました」

まずは乳房切除術を受ける。
胸を取って、それでも違和感が残れば、その先を考えようと思った。

「胸を取ったあとは、胸元がざっくり開いた服ばかり着てアピールしたんですけど、周りの反応は変わらなかったんですよ」

「相変わらず『あいつ女じゃないの』って噂されて」

それならば、戸籍を男性に変えようと思った。

「戸籍が男性だったら、自分が男性であることを一発で証明できる」

髪が長くても、体が小柄でも、声が高くても。
女性のように見えたとしても。

自分は男性だ、と胸を張って言える。

「手術も、戸籍も、変えたいから変えただけ。よく『いろんなことを経験してきて、がんばったね』って、人に言われるんですけど、“がんばった” って気持ちはないんですよ」

ピアスも、タトゥーも、体に手を加えて、変えるという点では同じ。
胸の切除も、子宮卵巣の摘出も、自分の体を自分にとってベターな方向へと導く手段だった。

10私にとってノンバイナリーがベスト

女である前に自分である

「いま、結果として、見た目は女性で、戸籍は男性で・・・・・・。言い方はよくないかもしれないけど、両方をもっていることで、ノンバイナリージェンダーでいられるのかなと、自分では思っています」

「いまが一番生きやすい、ベストな状態です」

性別適合手術を受けた人は、移行した性別としての “らしさ” を自分に強く求める人が多い。

FTMであれば “男性らしさ”、MTFであれば “女性らしさ”。

それは、もとは男性だった、あるいは女性だったということを消し去ろうとする思いの裏返しであるともいえる。

しかし、そこを消し去ろうという考えは毛頭なかった。

「見た目のアイデンティティは、いままでと変えたくなかった。これが『久喜ようた』ですっていうところが変わるのは違うな、と」

「うちの場合は、男である、女であるという前に、自分であるというのがあって、そのなかで自分が、なにをしたいのかを考えたときに、たまたま性別がジャマをすることがあったので、変えただけ」

「そうやって進んでいったら、いまいいところにいる、みたいな。なんて言えばいいのか、わからないけど、そんな感じです」

自分が何者であるかを証明したい

ベストな状態。いいところにいる。
そんないまも、ふとした言葉が胸に刺さることがある。

「初めて男性と付き合いだしたことを、働いていた店のオーナーさんに伝えたら、『おめでとう! やっと女性としての喜びがわかるようになったんだね!』と言われて・・・・・・。女性として? 喜び? って」

「とっさに言葉が出てこなくて、あ、ありがとうございます、って言いました(笑)」

「そういうとき、自分と相手と、どっちが正しいってのもないんですが、自分がおかしいのかもと思って、確認するために持ち帰って、気になった言葉について考えます」

小さな違和感も、無視せずに向き合う。
そうして生きてきたから、いまがある。

そして今後は、作品づくりに力を入れ、賞を狙いたい。

「自分が何者でもない、って感覚がいまも残ってるんですよ」

「どんな人でももっている感覚かもしれないんですが、自分はなにをしたいのかなって。お金を稼ぎたいわけじゃない、いい家に住みたいわけじゃない・・・・・・。そう考えたら、自分が空っぽのような気がして」

「いま、34歳で社会の軸から外れていて、子宮がないから子どもも産めない・・・・・・。でも、ま、幸せな家庭は持てるとは思います(笑)」

「とにかく、自分の表現したいことを通じて、自分が何者であるかを証明したいと思ってるんです」

「作品やSNSでの発信が、誰かのためになるかもしれないし。いまは、自分にとって、そんな時期なのかなって思います。たぶん」

 

あとがき
口元のピアスと極彩色のタトゥー。と聞いたらどんな人を想像するだろう。近寄りがたい? こわい?? ようたさんは、何色でもあって、何色でもない。ゆったりしたテンポ&やわらかさ。会っていてもメールでも変わらない■朗らかに続けられたエピソードには、欲しかったお母さんの愛情も、家をなくした夜も。感情をしまい込むクセのようで、胸がいたんだ■集中するペンの先には、息をのむほど微細なデザイン。それは地球を俯瞰する目、地上で人を見つめるおおらかさ。(編集部)

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