INTERVIEW
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”その人” が好き。セクシュアリティなんてどうでもいい【前編】

初めて会った時、爽やかな笑顔で「こんにちは」と言いながら、ごく自然に握手を求めてきた加藤敏美さん。心の扉がパーっと開いた感じがして、一気に緊張がほぐれた。ああ、これが加藤さんの力なのだ。話をしてみれば、何に対しても先入観や偏見がない。こういう人が隣にいてくれたら、みんなきっと気持ちよく生きていけるのではないか。インタビューを終えた後、しみじみとそう思った。

2017/11/23/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Yuko Suzuki
加藤 敏美 / Toshimi Kato

1994年、東京都生まれ。多摩美術大学美術学部デザイン学科情報デザインコース卒業。幼い頃から憧れていた美大に進学。自立して食べていくために、芸術家の道ではなく「具体的な職業が用意されている分野を」と情報系デザインを学び、株式会社LIFULLに就職。現在、Webデザイナーとして活躍中。

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INDEX
01 夢は、美大生になること
02 いつも親に気を使っていた
03 女の子っぽくない女の子
04 性別や年齢なんて関係ない
05 女性のことも好きになれるんだ!
==================(後編)========================
06 自分と向き合い続けた大学時代
07 しいて言えば、パンセクシュアル
08 隠すつもりはないけれど
09 ひょっとして、浮いている?
10 自分にできることは何だろう

01夢は、美大生になること

矢沢あいさんの描く漫画に憧れる

将来、何になりたい? と聞かれても、幼い頃にはまだわからなかった。

夢がはっきりしたのは、小学校5、6年生の時。

「美大生になりたい、と思ったんです」

当時、母親が少女漫画家・矢沢あいの大ファンだった影響で、自分も彼女の漫画を読むようになった。

『ご近所物語』や『NANA』など矢沢あいの描く作品の多くはファッションや芸術の学校が舞台で、そこに通う学生たちそれぞれがとても個性的で、自分の好きなことをやっている。

「何物にもとらわれずに自由に生きている彼らの姿を見て、自分もこんな世界に行きたい! って」

男も女もなく、自分らしく生きる姿に惹かれて

『ご近所物語』や『NANA』に描かれている学生たちの髪型や服装がそれぞれ個性的だということはもちろん、それ以外にも自由さを感じた。

「たとえば、オネエ言葉を話す人がいたり、ゲイやレズビアンも普通にいて」

「当時、なぜそういったセクシュアリティに着目したのか自分でもわかりません。別に、自分のセクシュアリティについて悩んでいたわけではないですし」

「ただ、こういう人たちがいるんだ、これでもいいんだって、わくわくしたんです」

絵を描くのが得意ではあったけれど、絵を描きたいというより、とにかくひとりひとりが伸び伸び生きている「美大という世界」に憧れた。

02言いたいことを言えなかった

つねに親に気を使っていた幼少期

自分の好きなことをやり、言いたいことを言う。

あくまでもイメージだったが、そんな美大生に憧れたのは、自分自身が真逆の環境にあったからだと思う。

厳格な家庭に育ったから、ではない。

大きな理由は、母親の病気だ。

「ある日、父親に『お母さんは病気なんだよ』と言われたんです」

「病名は告げられなかったけれど、幼心に『じゃあ、お母さんには気を使わないとな』と思ったことを覚えています」

後になって、母親が患っていたのは鬱病だったことを知る。

「私が4歳になった頃から両親の仲が悪くなり、それが原因で母親は鬱になったようです」

母親は看護師で、毎日忙しそうだった。一方、父親は仕事に出るわけでもなくずっと家にいる。

「母親は夜勤もあったので、私と弟の面倒は父親が見てくれていたんです。ご飯を作ってくれたり。そう、今で言う ”主夫” でした」

「でも、父親は母親の稼いできたお金を好きに使ってしまう。そりゃあ夫婦仲は悪くなりますよね」

鬱に入った時と正常な時とでは母親の雰囲気、とくに目つきがまったく違う。

だから、いつも母親の目を見て「いまはどっちの精神状態か」を判断した。

「鬱の症状がありそうな時は、いつにもまして慎重に接するようにしていましたね」

「お母さんの精神状態を乱さないように、機嫌をとるまでいかなくても、少なくても口答えはしないようにしていました」

母親は習い事をさせたがり、4歳から剣道の稽古に通わされた。

しかし、自分には剣道はあまり合わないようで、すぐに稽古に行くのが嫌になってしまった。

「でも、自分が剣道をしていれば母親は機嫌がいい。だから、行きたくないとは言えず、母親が喜んでくれるようにちゃんと頑張って強くなろうって、自分の中でなんとか気持ちに折り合いをつけていたんです」

言いたいことが言えない。

それは、親に対する怯えからではなく、むしろ母親や父親のことも「好き」だったからだ。

結婚=幸せ、なんかじゃない

両親のことが好きだったから、二人がケンカし始めると泣いて止めようとした。

でも、いっこうに止めてくれない。

「二人が生みたくて産んだ子どもが、すごい泣いて必死で頼んでいるのに、どうして? こんなに仲が悪いのにどうして子どもを産んだんだろうって、疑問でした」

だから、おそらく多くの人が潜在意識的に持っている「家族がいちばん」「結婚=幸せ」といった考え方が、まったく理解できなかった。

小学校4年生ぐらいのことだっただろうか。

母親に「そんなに嫌なら、離婚しなよ」と言うと、「あなたたちのために別れないのよ」と言い返された。

「びっくりしました。えっ、私たちはこんなに苦しんでいるのに? って」

「でも、そんなことを言ったらまた母親の精神状態に響くから、言葉と気持ちをぐっと飲み込みましたけど」

結局、その後まもなく両親は離婚。母親と弟との三人暮らしに。

その後、母親の精神状態は少し落ち着いたものの、弟が病気で倒れるなど家庭の中での心配ごとは尽きなかった。

とにかく親に気を使い続けた子ども時代だった。

03女の子っぽくない女の子

明るくて活発、運動大好き

家では気を使ってばかりいたが、一歩外に出れば明るくて、元気な女の子だった。

それは、母親から「他人に迷惑をかけてはいけない」と言われていたから。

家での悩みごとを誰かに話すのはもちろん、悩んだそぶりを見せてもいけないと思っていたこともある。

「周囲の人に心配をかけてはいけないから、明るくしていなくちゃと」

何よりも、家から出れば母親の顔色をうかがう必要がなく伸び伸びしていられる。

それがうれしくて、気分は自然と明るくなった。

「体を動かすのが得意で、外で野球とかをして遊ぶのが好きでした」

髪の毛は長く伸ばしていたが、ズボンを履いていることが多く、雰囲気としては男の子っぽかったように思う。

「でも、別にスカートを履きたくなかったわけではないんです。ズボンのほうが体を動かしやすかっただけで」

その頃はセクシュアリティという概念を知る由もなかったから、たとえ周りに「男の子っぽい」と言われても何とも思わなかった。

自分が女の子として存在していることにも、疑問を抱くことはなかった。

どの ”女の子グループ” にも属さず

ただ、思い返すと、周りの女の子たちと自分とはちょっと違っていた。

「小学校の高学年くらいになると、クラスの中で女の子のグループがいくつかできたんですね。でも、私はどのグループにも入っていませんでした」
仲間はずれになるのが嫌だから、とりあえずどこかのグループに入っておく、というのは、思春期前後の女の子にはよくありがちだ。

「私はめんどくさがり屋なので、そういうのってかったるくて(笑)」

「幸い、なぜかどのタイプの子とも仲良くなれたので、誘われて、楽しそうだなと思ったらそのグループのところに行って、一緒に遊ぶという感じでしたね」

一人でいることにも、寂しさはまったく感じなかった。

「今思えば、そういうところは女の子っぽくなかったのかもしれません」

中学校は小学校の隣にあったため、生徒たちのほとんどがそのまま中学校にスライド。

人間関係に大きな変化はなく、平穏な毎日だった。

「学校、大好きでした」

「家にいると母親に気を使わなくちゃいけないので、できるだけ長い時間、学校にいたいということもありましたけどね(笑)

04性別や年齢なんて関係ない

「モー娘。」の縁で広がった世界

学校で、どこのグループに属さなくても平気でいられたのは、学校の外に気の合う仲間がいたことも大きかった。

「中2くらいから、アイドルグループのモーニング娘。を好きになったんです」

「その頃、自分と同じ年代の子にとってはモー娘。はちょっと年上感があって、周りの子たちにとっては興味の対象ではなかったみたいですけど、なぜか私はハマってしまって」

折しもブログ全盛期。

自分もブログを立ち上げ、モー娘。について書き始めた。

すると、そこに同じモー娘。のファンからコメントが入るように。

「ブログ上で知り合った人とコンサート会場で落ち合うようになって、モー娘。ファンの友だちがどんどん増えていったんです」

モー娘。のファンは30代、40代で、その多くは男性だった。

「その頃は、父親がいなかったので、私にとって30代40代の男性は父親がわりだったのかもしれません」

「私は彼らにとても懐いていたし、彼らも私のことを中学生扱いせず、モー娘。ファンの同志として仲良くしてくれていました」

世の中にはいろいろな人がいる

このあたりから、学校だけ、地元だけの狭い世界の中で付き合っているのは「変だな」と思うように。

「共通した趣味や話題があったからですが、性別や年齢、出身地も関係な
く仲良くなれる。それがすごく楽しくて」

父親と同じくらいの年齢のオジサンが、自分と同じようにアイドルに夢中になって、熱く語り、カラオケを熱唱する。

「その一方で、当然ながら中学生の自分が知らないことを知っているし、自分では思いつかないようなことを考えていたり」

「刺激的でした」

みんなと一緒にいると楽しくて時間を忘れ、ついつい帰りが遅くなる。

当然、母親には「早く帰ってきなさい」と叱られたが、彼女が夜勤の日は監視から逃れられたし、叱られたところで言うことを聞く自分ではなかった。

「それまでは、ずっと母親に気を使い続けていたのに(笑)」

「ちょうど反抗期が重なったんでしょうね。年上の人たちと遊んでいることは隠していたんですが、もし母親にそれが知れて付き合いをやめるように言われても、構わず遊びに行っていたと思います」

自分は今、少なくてもプライベートでは相手の性別や年齢ではなく、その人の中身重視で付き合っていきたいと思っている。

そうした考えの土台になっているのは、中学時代の、モー娘。仲間たちとの楽しい時間なのだろう。

05女性のことも好きになれるんだ!

24時間一緒にいたい

高校は、美大進学の夢を叶えるべく美術コースのある学校に進んだ。

そこで、1つ年上の女性に恋をした。

「恋といっても、『好き』とただただ思うぐらいだったのですが」

それまで、彼氏がいたこともあった。

「ただ、周りの友だちがみんな男の子と付き合っているから私も一回付き合っておくか、というような感じで」

「だから、付き合ってはみたものの『別に好きじゃないや』と気づいてあっという間に別れてしまいました」

でも、彼女のことは心から「好き」と思った。

「これが恋愛感情というものなんだ、と初めて知りました」

「そして、自分は女性のことも好きになれるんだ、恋愛感情が女性に向くこともあるんだと知ったんです」

失恋

ただ、周りは男性と女性が恋人同士になるのが当たり前の世界だった。

女性である自分が彼女に恋愛感情を抱いているということを、うまく説明できそうにない。

とりあえず一緒にいられればいいと考え、自分のおもいを彼女に打ち明けないままでいた。

そうこうするうち、彼女が卒業する日が迫ってきた。

このままだと、後で絶対に悔やむことになる。

「とりあえず、卒業前に告白することにしました」

彼女のことをあきらめるために、「ちゃんとフラれよう」という思いもあった。

「案の定、フラれました」

「もう死んでもいい」と思うくらい落ち込んだ。

誰かに話を聞いてもらえたら少しは楽になったのかもしれないが、その時は頼れる人がいなかった。

「自分が女性を好きになっていることを、誰にも話していなかったんです」

自分では、好きになるのに性別は関係ないと思っていた。

でもきっと、そういう考えは世間的にはメジャーではない。

事実、周りの友だちはみんな ”彼氏” の話をしている。

「だから私は、自分のことを話していいのかわからなかったんです」

フラれた勢いで、カミングアウトすることもなかった。

ただ、自分が相当落ち込んでいることは、周囲も気づいていた。

「その時、何も聞かずに慰めてくれた人たちには本当に感謝しています」

その後は、美大進学を目指して受験勉強に集中することで、何とか気を紛らわせた。


<<<後編 2017/11/25/Sat>>>
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06 自分と向き合い続けた大学時代
07 しいて言えば、パンセクシュアル
08 隠すつもりはないけれど
09 ひょっとして、浮いている?
10 自分にできることは何だろう

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