02 男の子がうらやましい
03 ハーレムだった女子大生活
04 カミングアウトされる側にも、葛藤はあるはず
05 恋愛は素晴らしい
==================(後編)========================
06 レズビアンではなく、FTMなのかも?
07 アラサーだけど、「男」としては1年生
08 男女どっちつかずなところが僕の個性!
09 感情をまっすぐ表現できるようになった
10 マイノリティでも人生を楽しめるはず
06レズビアンではなく、FTMなのかも?
職業選択の不自由さ
学生時代、就職活動はしたものの、新卒で入社した会社は2年ほどでやめてしまった。
それからしばらくは、あえて正社員にならず、派遣で働いていた。
「働くのは嫌いではなかったし、できればしっかり働きたいって気持ちはあったんです」
だが、性自認を隠して働かないといけない環境に馴染めなかったのだ。
それに、そうやって後ろめたさを抱えていたから、どんどん自信も失ってしまった。
「僕は、制服が会社選びの一番のポイントだったんです」
「でも、特に社員は制服を着ないといけないっていう会社が多いじゃないですか?」
制服がスカートだったり、身だしなみとして化粧をしないといけないような会社には、どうしても抵抗があった。
「当時はまだ、今ほど服装規程の自由な会社が少なかったんです」
「だから、そういった制約から逃れるために派遣で働いていました」
仕事自体は真面目にこなしていたため、会社から「正社員にならないか?」と誘いを受けることもあった。
でも、どうしても気が進まず、いつも断っていた。
両親にも、「ちゃんと会社勤めした方がいいんじゃない?」と心配されていたが、いつものらりくらりとかわすばかり。
しかし、正社員経験が少ないまま年を重ねていくうちに、徐々に焦りを抱くようになる。
「年齢が上がるほど、この先正社員として働くのは厳しくなっていくし、いよいよ30歳になって、これからどうしていこうって考えるようになったんです」
そこで、どうせなら今後手に職をつけたいと思い、リラクゼーションサロンに就職した。
「マッサージのようなボディケアを選んだのは、自分が誰かの癒しになるというか、役にたつようなことをしたかったからかな、と思います」
パートナーがもたらしてくれた気づき
リラクゼーションサロン勤務時代に付き合っていた彼女とは、LGBTコミュニティではなく、趣味を通じて知り合った。
だから、彼女はレズビアンではなくストレート。
「彼女とはネットで知り合ったんですけど、最初僕はネット上で女性ではなく男性として振舞っていたんです」
「ネットの世界ではせめて、社会的な自分に縛られず、ありのままの自分を出したい、って思ってたんですよね」
ネットの世界で性別を問われる場面、迷いなく「男」を選んでいた。
それが自分にとっては、ごく自然でもあった。
彼女とは次第に仲良くなり、「実は心と体が違う」ということもカミングアウト。
そんな自分でも受け入れて、交際してくれた彼女。
しかも、彼女はこれまで付き合ってきた恋人とは違い、はじめて自分を男性として扱ってくれた。
「それまでの恋人はみんなレズビアンだったから、付き合っていても、最終的にはどこか女子らしさを求められていたんです」
「でも、はじめて恋人に男性として扱われて、すごくしっくりきたんですよね」
それまでも、「もしかしたら自分はレズビアンではなく、性同一性障害なのでは?」と考えることがなかったわけではない。
しかし、パートナーにはじめて男性として扱われて、ようやく確信を持てるようになったのだ。
07アラサーだけど、「男」としては1年生
とにかく早く戸籍を変えたい!
「ようやく自分のセクシュアリティに気付いてからは、行動が早かったですね」
「すぐにFTMについて調べて、専門の病院も予約しました」
そうして病院に足を運び、性同一性障害との診断を受けた。
ガイドラインに沿って、ホルモン注射も開始。
すぐさま性別適合手術をしてしまおうと思ったが、日本だと手続きにかなり時間がかかってしまう。
そこで、とにかく早く名前や戸籍を変えたかったから、タイでスピーディな手術を受けることを決意。
「本当の性別がわかった時、僕の中でゴールは戸籍を変えることだって思ったんです」
「それに、戸籍を変えれば結婚できるともわかったから、年齢的にも急ぎたかったんです」
結婚して家庭を持つことは昔からの夢だったけれど、同性愛者の自分には結婚なんてできないと、ずっと諦めていた。
でも、戸籍変更をすれば、往年の夢が叶うかもしれない。
ワクワクした。
だから不安はなかった。
ホルモン注射も開始すると、徐々に声が低くなり、見た目も男性っぽくなっていった。
「ただ、そうなるとマッサージ店にいらっしゃる女性のお客様を、困惑させてしまいそうで、もうこの仕事は続けられないなって思うようになりました」
今の職場は、近いうちにやめないといけないだろう。
そうなったら、この先自分はどうやって生きていくべきなのかと考えるようになった。
「マッサージをやっていた時から、体と心の健康バランスの関係性には興味があったんです」
「だから、体のケアができなくなるなら、次は心のケアをやろう!って結論に至りました」
そうして各種セミナーを調べていたところ、たまたま「箱庭セラピー」の存在を知る。
「対面で話すのが苦手な自分には、これがピッタリだ!とビビッと感じて、勉強をはじめました」
スクールを卒業後、箱庭セラピーを専門とする、自身のサロンもオープンした。
自分は自分でいいんだと、誰よりも自分から言ってあげてほしい。
サロンが ”自分にかえれる空間” になればと思っている。
「振り返ってみると、30歳前後はかなり激動の時期でしたね(笑)」
戸籍変更後の不安
性別適合手術を受けて戸籍も変更、ようやく手にした新たな人生。
「でも、実は戸籍を変えた直後が一番しんどかったんです」
女だった頃の自分はもういない。
だからといって、胸を張って「男だ」とも言えなかった。
「それまで30年間女として生きてきたから、いきなり男性社会に入っても、何から何までどうすればいいのかわからないんですよね」
ネクタイの結び方はもちろん、スーツをビシッと着こなす方法すら知らない。
男としての振る舞いが、どういうものかもわからないから、男性社会に身を置く自分に自信が持てない。
それに、これまでずっと女性として生きてきたから、無意識に女性的な振る舞いをしているのではないかと心配になることもあった。
戸籍は変えたものの、自分がまわりからちゃんと男性として見られているのかが不安だった。
「だからといって、もう女に戻れるわけでもない。男女どちらの世界にも入りきれない感じで、すごくしんどかったです」
08男女どっちつかずなところが僕の個性!
「男らしさ」「女らしさ」にとらわれなくてもいい
戸籍変更後、しばらくは手探り状態だったものの、少しずつ男性社会に順応していけた。
「30代後半あたりになって、ようやく自分らしく生きている実感を取り戻したように思います」
新生活にも徐々に慣れた。
歩みを進めるごとに、「今が一番楽しい!」と思えるようになっていった。
「無理して男らしく振舞わなくてもいいのかなって、やっと気づいたんですよね」
仮に、自分の言動が周囲から「女っぽい」と言われたとしても、「それも含めて自分だから」と、ポジティブに考えられるようになった。
「だから、無理に自分のしゃべり方を変えようともしなかったし、変に男らしく振舞うこともなくなりました」
「今では、男女どっちつかずの自分でも全然いいじゃん!って、考えています」
お客さまと心から向き合いたい
家族や親しい友人へのカミングアウトに留まらず、SNSのプロフィールにも自分のセクシュアリティを載せるようになったのは、つい最近のことだ。
「セラピストをはじめてから、自分がセクシュアリティを公にカミングアウトしていないことが、ネックに思えてきたんです」
サロンに訪れるお客さまは、誰にも言えない感情を自分にさらけ出してくれている。
なのに、セラピストの自分が心を開いていなくて、通じ合えるのだろうか。
「そんなのフェアじゃないと思ったし、自分が隠しごとをしたら、お客さまの心にちゃんと踏み込んでいけないと思ったんです」
このままでは、セラピストとしての仕事が行き詰まってしまうかもしれない。
「だから、自分のためにもお客さまのためにも、カミングアウトは超えるべき試練だと思いました」
その第一歩として、まずはブログに自分のセクシュアリティに関する記事を投稿してみた。
それは、自分を生きていく宣誓だった。
「それもすごく勇気が必要だったし、本音を言うとめちゃくちゃこわかったです」
だが、意外にも、「カミングアウトしてくれて、いっそうハルくんのことが好きになった」というポジティブな反響が多く寄せられた。
「自分自身が恐れて飛び込んだ世界は、じつはすごく素敵な場所だったんだなって、気づきました」
「勇気を出してカミングアウトしてよかったなって痛感したし、そんな自分を好きだと言ってくれる人がこんなにもいたんだと、うれしかったです」
会う人会う人に、わざわざ声を大にして「自分はこういうセクシュアリティなんです」と主張するつもりはない。
「たまたまプロフィールを見た人にわかってもらえればいいかなって、今は考えています」
自分は自分でいいんだ。
09感情をまっすぐ表現できるようになった
もう偽らないでいい
これまでは、なるべく自分を隠して生きてきた。
周囲にバレないよう、人とは適度な距離を取ろうと努めてきた。
そうやって自分を偽っていたため、友人に「ハルってあんまり人間くさくないよね」と言われたこともある。
「プライベートな話もあまり言わないようにしてたので、まわりからすれば何を考えている人か、どんな人かもわからなかったんでしょうね・・・・・・」
「でも、カミングアウトして自分の思いを表に出せるようになってからは、人ともっと深く関わりたいと思うようになりました」
箱庭セラピーと出会って、自己表現の楽しさにも目覚めた。
「今後も箱庭をライフワークにして、悩みや迷いを持つ人が安心して自分を取り戻せる場所作りに、貢献できればいいなと思っています」
当事者の身近な存在が抱える問題
カミングアウトの輪を広げ、今では家族にも理解を示してもらえてはいるものの、まだまだ課題は多い。
姉には、「妹が弟になったって、友だちになんて話せばいいんだろう?」「書類を提出する時に、家族編成はどう書いたらいいんだろう?」と相談されたこともある。
姉個人としては自分を受け入れてくれているが、周囲にどう説明すればいいのかわからないのだろう。
「悩みを抱えているのは当事者だけじゃなくて、まわりの人も同じなんだなあってすごく感じました」
10マイノリティでも人生を楽しめるはず
セクシュアルマイノリティだけが生きづらいわけではない
自分の生きづらさの原因は、たまたまセクシュアリティに由来していた。
でも、セクシュアリティ以外の部分で生きづらさを抱えている人間も山ほどいるだろう。
「セクシュアルマイノリティだけが生きづらいわけではないと思うので、僕は自分のセクシュアリティを名刺代わりにするのには違和感があるんです」
とはいえ、自分がセクシュアルマイノリティだからこそ、同じような悩みを抱えている当事者を理解することもできるはずだ。
「過去を乗り越えてきた僕だからこそ、何かが伝えられるのかなって思ったりもします」
「マイノリティは大変だとか、生きづらいとか、そういうイメージも壊していきたいですね」
「僕みたいに40歳を超えたおっちゃんが、模索しながら自分らしく生きてますから(笑)」
何ごとにも、遅いってことはないんだと伝えたい。
どん底まで落ち込むことだって、時には必要だ
たとえ何かしらのマイノリティであっても、自分なりの人生を楽しみながら進むことは可能だと思う。
なんせ、自分自身がそうだったから。
「もちろん、深刻に考えてしまったり、つらくなることだってたくさんあるんだけど、そうじゃない部分に目を向ければ、また別の世界が見えてくるんじゃないかな・・・・・・」
自分も、落ち込む時はとことん落ち込んでいる。
「でも、どん底まで落ちきると、あとはもう上がるしかないんですよね」
落ちきれないところで右往左往している時が、一番つらい状態なんだろう。
とことん落ちてしまおうと決意するのにも、勇気は必要だから。
「だから、僕は悩みがあったらいったん落ちられるところまで落ちきっちゃうんです!(笑)」
それができたのも、たとえどんな自分を見せたとしても、少なからず支えてくれる人がそばにいたから。
時には、誰かに頼って弱い自分を見せること。
そして、自分らしく生きることを “自分で決める” こと。
それが、これまでの人生を前向きに歩めた秘訣なのかもしれない。