INTERVIEW

生涯のパートナーと これからも【前編】

趣味は走ること。パートナーと一緒にマラソンに参加したり、旅先で走ったりすることもあるという。「でも、ぜんぜん楽しくないんですよ〜(笑)」とカラカラ笑う。明朗快活という言葉がぴったりな八木亨さん。つぶらな瞳を見開いて、こちらの目をしっかりと見据え、質問一つひとつにはっきりと答えてくれた。陰りをみじんも感じさせないそのキャラクターで、今まで一体どんな人生を歩んできたのか。

2016/02/10/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
八木 亨 / Toru Yagi

1979年、埼玉県生まれ。11歳のとき、同級生の男の子を好きになったことから、ゲイとバイセクシュアル間を揺れ動く。大学3年生のときに友だちにバイであるとカミングアウトする。大学卒業後にカナダへ留学し、帰国後、自分はやはりゲイだと確信し、親しい間柄ではオープンな人生を歩み始める。現在はIT系コンサルティング会社に勤めつつ、ひと回り上のパートナーと可愛い犬と一緒に都内で暮らしている。

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INDEX
01 男も女もどっちも好きな自分が好き
02 フツーっぽい思春期を経て
03 ゲイの扉を開けたり閉めたり
04 修羅場を超えて、カナダへ
05 仕事と家族とカミングアウト
==================(後編)========================
06 パートナーとの12年間
07 共通の趣味をもつこと
08 恋愛の安定は、心の安定
09 ゲイカップルの同棲事情
10 ふたりでのんびりと過ごしたい

01男も女もどっちも好きな自分が好き

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『聖闘士星矢』ではアンドロメダ

「実家が酒屋なんですよ。兄と姉がいるんですが、小さいころから『僕が家を継ぐんだ』と良い子ぶってました。祖母も一緒に住んでいたんですが、僕は完全に “おばあちゃん子” でしたね。なにか買ってくれる存在でしたから(笑)」

要領のいい末っ子。八木さんは完全に、そのタイプだろう。小さなころから明るく元気で、誰からもかわいがられる存在だったはずだ。

友だちと基地をつくったり、当時流行っていたアニメ『聖闘士星矢』の真似をしたり。もっぱら男の子として男の子と遊んでいたが、『聖闘士星矢』のキャラを演じるときは、なよなよした “アンドロメダの瞬” 役を買って出て、おままごとに参加するときは、お料理上手な “奥様” 役を進んで演っていた。

「男の子たちは『行ってきます!』とか言って出勤するんだけど、僕は『行ってらっしゃい、ご飯つくって待ってるから』なんて言ってました」

そんなエピソードからも家事をすることに、まるで抵抗がなく、むしろ好んでするタイプだったことがわかる。

両親が共働きで店を切り盛りしていたので、八木家の家事は子どもたちの仕事。八木さんも、包丁を握れるようになるころには家族のために料理をしていたという。

男の子に初めて恋をした

そして、小学校5年生の11歳のときに恋をした。相手は、同級生の男の子。

「明らかに他の男友だちに対する気持ちと違いましたね。もう、ストーカーのように追っかけ回して、『今週の土日空いてる? 次の土日は?』って一緒に遊ぶ予定を片っ端から押さえていました。僕としては、ふたりで遊びたいから他の友達を誘うこともせず。明らかに友情ではなく、恋って感じでした」

男の子を好きになったのは初めてのこと。でも、不思議と違和感は感じなかった。

「男なのに男を好きになるなんて、もしかしたら病気かも、なんて最初は悩んだゲイの人もいるかもしれませんが、僕は全然。だって、女の子のことも好きになっていたんです。男の子も女の子も好きな自分が、けっこう好きでした。なんて平和的な人間なんだろうって(笑)」

どっちかじゃなくて、どっちも好き。

そんなニュートラルな立ち位置が居心地よかった。

02フツーっぽい思春期を経て

キス以上は、どうしても無理

そして中学2年生のとき、同級生の女の子と付き合った。彼女から手づくりのクッキーをプレゼントされたり、放課後の校庭で待ち合わせて話をしたり。

そんななか、友達同士で話題となるのが「どこまでいった?」という話。

「周りがみんな、恋人だったらキスをして、そのあとは……みたいな話をしているもんだから、自分もそういうことをしなくちゃいけないんだと思って。キスは、がんばってやっていたんだけど、それ以上はどうしても抵抗がありました」

女の子と付き合って、キスをする。ストレートの思春期の男の子なら、いたってフツーの青春だ。でも、八木さんの心のなかには、彼女のことは好きだけど、深い関係になれないという葛藤があった。

結局、お菓子づくりが得意な彼女とは、高校が別々になってしまうタイミングで破局。

高校では、部活と勉強にひたすら励む、やや色気のない生活が待っていた。

恋愛発展性ゼロの高校時代

部活は中学と同じくテニス部に所属。男友だちとは、『メンズノンノ』を読んで買い物に出掛けたり、麻雀をしたりして遊んでいた。

そんななか好きな子ができた。またしても女の子だった。

しかし、やはり性的な関係をもちたいという欲望はなく、純粋に人間として、その子のことが好きなだけだった。しかもあいにく、相手に付き合っている彼氏がいたので、付き合うこともなかった。

そうして、誰とも付き合うことがなかった高校時代。

仲のいい男友だちがいても、漫才コンビのようにふざけ合って、いつも一緒にいるだけ。しかし、たまたま好きになれる男の子が高校にいなかっただけで、八木さんのなかで男の子への興味は強くなっていた。

03ゲイの扉を開けたり閉めたり

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雑誌に求めた “文通相手”

『Badi』などのゲイ雑誌を初めて買ったのは、そんな恋愛要素が乏しかった高校時代のことだった。ネットで雑誌を買う時代ではなかったので、地元の書店で参考書の間に挟んでレジに持っていった。

「友だちの間では、女の子が好きと言っておきながら、やっぱり自分は男の子が好きなんだという自覚があったんです。でも、周囲に相談することもできないので、雑誌を買って、誰かとつながろうと思って。でも結局、文通相手募集欄みたいなのでつながった人たちとは、手紙のやりとりがあっただけで実際に会うようなことはありませんでした」

そして、高校を卒業し、千葉県にある大学へと進学。

その大学はカナダからの留学生を積極的に受け入れていて、八木さんはひとりのカナダ人留学生と仲良くなった。

「そいつが良い奴で。田舎から出てきた俺にも、こんなに優しくしてくれるんだ……って、どんどん好きになっていきました。そしてある日、彼と一緒に旅行へ出掛けたんです。青春18きっぷで、途中下車して泊まりながら、千葉から広島まで行きました。で、酔った勢いで告白しちゃったんです。そのときは自分をバイと言ったと思います。自分はバイで、お前のことが好きなんだ、と」

彼と彼女の間で

しかし、実はそのころ、八木さんには付き合っている彼女がいた。

料理が上手で、ボーイッシュで、サバサバとした女性。しかも、その彼女こそが初体験の相手だった。さらには同棲もしていた。

「告白した日の翌朝、酔いが覚めて『言っちまったな〜……自分』と大後悔。でも、彼は『大丈夫、付き合えないけど、嫌いになったりしないよ』と言ってくれました」

しかし、彼女とは激しい悶着があった。

04修羅場を越えて、カナダへ

別れよう、いや別れない

「彼女としては、大学卒業後はそれぞれ就職して、いつかは結婚することを考えていたみたいなんですが、僕は海外に行きたいと言い出してしまって。別れよう、いや別れない、で毎晩喧嘩ですよ。もしかしたら、僕は自分の気持ちをうまくごまかそうとしていたのかもしれません。だって、彼女がいるのに男友だちに告白するなんて、浮気ですもんね……」

大学2年生から付き合っていた彼女。

一緒に暮らしていると、勘づくことがあったかもしれない。この人、本当に私という女が好きなのだろうか?

「そのころ、僕がよく遊んでいたのがゲイの友だちだったんです。大学の授業で出会って、仲良くなって。彼はゲイであることをオープンにしていたので、当然、彼女も知っていて、僕が彼と仲良くしていることをよく思ってなかったのかも。彼女とはやることはやってましたけど、僕から進んでやる感じじゃなくて。彼女から『八木くんってゲイでしょ』って言われることもありました。絶対に認めませんでしたけど」

喧嘩の果てに、彼女は家を出ていってしまい、それっきり。

カナダ滞在で得たもの

そして、大学卒業後、八木さんは留学のためカナダへ。

ホームステイ先はカミングアウトの相手だったカナダ人留学生の実家だ。

「正直、彼を頼ってカナダへ行ったつもりだったのに、僕がカナダに行った途端、彼は自分の彼女が住む日本へ行ってしまったんです。彼の家は北の方の田舎にあって、冬にはマイナス30℃になるようなところ。彼もいないし、寒いし、耐えきれなくなって、3ヶ月くらいでバンクーバーに引っ越しました。で、現地で知り合った日本人の女の子とルームシェアして、語学学校へ通っていました」

そのころにはバイセクシュアルではなくゲイであることを自覚しつつあった八木さん。

LGBTのパレードなども盛んで、ゲイコミュニティが確立しているバンクーバーのクラブやイベントへ夜な夜な出掛けていたという。

「友だちはできたけど、恋人はできませんでした。そのうち、日本に帰らなければならなくなっちゃって。2年半のカナダ滞在で得たものは、カリフォルニアロールがつくれるようになったことと、片言の英語がしゃべれるようになったことだけでした(笑)」

05仕事と家族とカミングアウト

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言う必要があれば言う

帰国後、英会話学校の受付、内装業、コールセンターなどの仕事を経て、IT系コンサルティング会社のバックオフィスに勤めて約10年が経つ。

外資系企業ということもあってか、社内にはLGBTネットワークがあり、性的指向や性自認にかかわらず、社員が平等に働けるような環境を目指している会社である。

「実はお恥ずかしながら、うちの会社がそんな取り組みをしていると知ったのは、入社してからだったんです。LGBTのセミナーを行なったり、レインボープライドでブースを出したり、担当の方がいろいろとがんばっていらっしゃいます」

そんな開けた環境であれば、八木さんもやはりオープンに過ごしているのだろうか。

「相手との関係性によりますね。同僚とか上司、近い関係の人にはカミングアウトしています。でもたまに、あまり面識のない人が僕のことをコソコソと話しているのを感じることがあります。そんなときは『そうですよ、僕はゲイですよ』ってはっきり言っちゃいます。別に隠しているわけじゃないので、言う必要があれば言いますよ」

リセットできて、楽になった

女性と同棲していたころは、自分はバイセクシュアルかもしれないと思っていた。

しかし、カナダ人留学生に恋をして、カナダに留学し、現地のコミュニティに触れるうちに、“やっぱりゲイかも” という99%の考えは、帰国後には100%になっていた。

「周りにカミングアウトして楽になりました。ごまかしたりしていた部分をリセットできた感じで。セクシュアリティを含めて理解し合える友だちも増えたし。理解できない人とは付き合わなければいい。今は、僕にとっていい環境になっていると思いますね」

お祖母さん以外の家族にも、自分がゲイであることを伝えてある。

今では、パートナーと一緒に暮らしていることも伝えている。皆、否定はしないが、まだ信じられないといった様子らしい。

「母は、『将来、子どもがいないと寂しいよ』なんて言いますね。『結婚はしないの?』とも聞いてきます。そこはハッキリと、寂しくないよ、女性とはしないよ、と答えています。もう兄姉には子どもがいるので、両親には孫がいるわけだし、僕に孫を求めているわけではなく、ただ僕のことを心配してくれているんでしょうね。その気持ちが分かるので、大丈夫だよ、安心して、と根気よく言ってあげることが大切なんだと思います」

後編INDEX
06 パートナーとの12年間
07 共通の趣味をもつこと
08 恋愛の安定は、心の安定
09 ゲイカップルの同棲事情
10 ふたりでのんびりと過ごしたい