INTERVIEW

セクシュアリティを語る前に まずはやるべきことをやる【前編】

取材場所は、2年前に結婚したひとみさんと暮らすご自宅だった。そこは、ゆるやかな川のほとりに建つマンション。窓からはのどかな景色が眺められる穏やかな場所。「もうね、老夫婦のような生活ですよ」と笑う大川さん。激流にもまれながら、どう生きて、どう感じ、何を目指してきたのか。この川のせせらぎに耳を傾けつつ、話を聞いた。

2016/02/05/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Henshu-bu
大川 忍 / Shinobu Okawa

1977年、大阪府岸和田市生まれ。短期大学卒業後、スイミングスクールや派遣会社の人事、IT企業の営業、不動産会社に医療事務など、さまざまな職に就いてきた。スイミングスクール以外は男性用スーツを着て出社し、男として働いてきたという。36歳で性同一性障害の治療のためのカウンセリングを受け、性別適合手術を受けて戸籍変更。その後、妻のひとみさんと結婚して現在に至る。「大川忍オフィシャルブログ〜自分らしく生きる〜」で、自己実現やより充実した生き方につながる知識や知恵、おもいをシェアしている。

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INDEX
01 隠したコトは一度もなかった
02 女子校で青春を謳歌
03 必要なのは妥協と主張のバランス
04 激務の日々で“突然の発病”
05 忘れちゃいけない“命”のコト
==================(後編)========================
06 絶望と生への執着心
07 自己破産からの完全復帰
08 妻がくれた治療のチャンス
09 結婚しても何も変わらない
10 誰もがフリーダムに生きるために

01隠したコトは一度もなかった

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赤はイヤだ、黒がいい!

大阪府岸和田市で大川家の長女として生まれた。

自身ではほとんど覚えていないというが、お母さんいわく「2、3歳からすでに男の子向けオモチャで遊んだり、赤よりも青い服を着たがったりする子だった」。

性別への意識は特になかった少女時代だが、そのなかでも強烈に記憶に刻まれていることがある。それは、小学校入学時のランドセルの色だ。

「両親からしてみたら長女だし、当然のように赤いランドセルを買ってくるわけですよ。でも“赤はイヤだ、黒がいい!” と駄々をこねて嫌がって。でも、自分にもそれなりに適応能力はあったみたいで。最初はもちろんイヤだし、背負うたびに違和感はあったけど、次第に学校の楽しさの方が勝ってきたんです。まー、そのうち全然気にならなくなっちゃいましたね」

赤は女の子のための、黒は男の子のための色。

そんなイメージから、理由は分からずとも赤を身につけることに違和感を感じていたのは確かだった。体への違和感については、それほど記憶に残っていないという。

「小学生くらいまでは、そのうち自分にも男性器が生えてくるハズだと思ってました。でも、あまり男だ女だと意識はしてなかったのも本当です。それよりも学校で男友達と一緒に遊ぶ方が楽しいし、遊んでいれば性別なんて忘れちゃうし。自分ではあまり記憶にないけど、親の話じゃ『よく男友達にイジワをしたり、チョッカイをだして、いろんなお宅に謝りに行った』らしいです(笑)。ガキ大将的な感じで、ヤンチャだったんでしょうね」

型にはハマるが、心は隠さない

小学校の赤いランドセルの次は、中学入学のセーラー服という問題が待っていた。

制服がなかった小学校6年間、スカートは一度もはかなかった。それが、毎日スカートをはくことになるのだ。

「セーラー服に関しては、ランドセル以上に駄々をこねました。『スカートは、死んでもはかない』とスネて。だけど、中学入学と同時に、部活のなかでも特に男っぽいイメージのあったソフトボール部に入部したんです。練習がハードなのも良いなって。部活が始まっちゃえば夢中になるし、毎日忙しいから、すぐにスカートが嫌だと言ってる場合じゃなくなっちゃって。小学校の時から一人称も常に “オレ” だったし、男っぽく振る舞っていたから、“オレは男だ” って想いを隠してはいませんでした」

そして、その想いを言葉にして相手に伝える時がきた。

いわゆる最初のカミングアウトは、中学生の時に付き合っていた彼女だった。

「初めての彼女に『オレは男として、お前のことが好きなんだ』って。もともと信頼関係を築けていた友達だったので、恋人に発展する時にもすんなり受け入れてくれましたよ。でもまあ、付き合うったって、電話で話したり手紙を交換したりっていうカワイイ感じだけど。中学時代は部活に恋愛に充実していて、あっという間の3年間でした」

02女子校で青春を謳歌

ソフトボール部で鍛えた精神

中学卒業を前に、進学先に選んだのは女子校だった。

「自分を男であると認識していたオレが、どうしてわざわざ、女だらけの女子校に入学したかというと、そこが県内でも有数のソフトボールの強豪校だったから。単純に全国大会に出場したかったし、高みを目指したかった。だからもう、早朝も放課後も猛練習して、家に帰れば “即寝” の日々ですよ。キツかったけど、毎日がイキイキとしてました」

中学の部活も相当ハードではあったが、それとは比べ物にならないくらいの練習量に加え、部員全員が目指すレベルも高かった。当時を振り返って大川さんは、「この頃の経験が、今の人生の指針に大きく影響している」という。

「やっぱり、あの体力的にも精神的にもキツい練習や、ポジションを勝ち取ることへのプレッシャー、そして部員が一丸となって勝利を目指す団結力は、自分の根底に大きく影響していると思っています。勝ちたい試合があるなら、それなりの努力をしないと勝てない。痛い目をみたり辛い経験があったりしてこそ、理想の未来に近づけるんだと」

ソフトボール部のスター

ソフトボール部でのレギュラーポジションは、サード。

基本的に内野手だったらどこでもよく、球をビシバシ受けたかったという。

「目立ちたがり屋なんですよ。女子校のソフト部ってのは、男でいったらサッカー部とか野球部くらいの存在。そのサードとなればスター扱いですよ。正直ね、女の子を取っ替え引っ替え付き合ってました。ソフトは大マジメだったけど、恋愛は・・・・・・ 女性泣かせでしたね(笑)」

しかし、高校生ともなれば体型も大きく変わる時。そういった心と体のズレに傷ついたりはしなかったのだろうか。

「もちろん、オッパイは大きくなるわ、生理は毎月くるわで。それらは苦痛でしかなかった。でも部活の練習も恋愛も忙しくてそれどころじゃない。もともとが、体の違和感に苦しんで沈むタイプじゃなかったし。イヤだけど、どうやらオレは女みたいだから受け入れるしかない、っていう感じで。そんな苦しみより、毎日の楽しさの方が勝ってましたね」

03必要なのは妥協と主張のバランス

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男として家庭をもちたい想いが芽生える

高校卒業後は体育の先生になるために短期大学へ進学。

初めてのひとり暮らしに、セーラー服からの解放、さらには同じアパートに住む同級生とのお付き合い。毎日が新鮮だった。

「その頃から、将来は男として女性と結婚して家庭を持ちたい願望が強まったんです。だからこそ、家族を養える立派な男になろうと思いました。付き合ったのは、みんなノンケの女性でした。女としての自分を愛してほしいわけじゃなかったので。もしかしたら、どこかで意識してレズビアンは避けていたのかも」

しかし、彼女へのアプローチのとき、セクシュアリティに対する考えをあえて伝えはしなかったという。

「率直に好きって言うだけで、特別な話しは何もしませんよ。相手に驚かれることはあっても、拒否られたりイヤな顔されたことは一度もないです。その頃にはもう、体は女でも心は男として生きていく意思があったから。それに、ナヨナヨした男は大嫌いだったし、男に自分の好きな女をとられるのもイヤだったから、本気度が伝わったのかな?」

諦めや心の折り合いをつけることも大事

実は、大学在学中にスポーツインストラクターのバイトに打ち込みすぎたせいで、1単位だけ足りず、教員免許がとれなかった。そして、卒業後はスイミングスクールに入社した。

「その時は、女性用の水着を着ていました。そりゃ嫌でしたけど、小中学生の時みたいに『こんなの着たくない』って駄々をこねてもしょうがない。自分がやりたい仕事に就くわけだし、やらせてもらえる環境に辿り着けたんだから。そういうところの諦めはついたし、そんな妥協はセクシュアリティ関係なしに、誰もがしてることでしょう」

まず “これがやりたい” “こうなりたい” という理想があって、そこに近づくために心の折り合いをつける必要があると、大川さんは言うのだ。

そして、3年間勤めた後にスイミングスクールを退職。

しかし、その理由は女性用の水着を着ることに抵抗があったから、ではない。

「単純にその時の給料では生活が苦しかったことと、一日何時間も水の中で過ごす生活をしてると体の不調も出てきてしまったんです。それに、そろそろ “男性用のスーツを着て仕事する” ってことを経験したくなって」

04激務の日々で “突然の発病”

オレ、このまま死ぬのか!?

就職活動の面接で、大きな勝負に出た。

「自分は男として生きていきます。男として働かせて欲しいんです」と自分を売り込んだのだ。そして、ある派遣会社の人事部に採用が決定。スーツにネクタイで初出社した時は、本当に嬉しかったという。

「毎日ウキウキでした。でも、そのウキウキも最初だけ。仕事自体はかなり激務で。派遣スタッフが体調不良で休めば交代要員を探さなきゃいけない。いなければ自分が力仕事の工場勤務に入ることもありました。男として働かせてくれと言った以上、中途半端はしたくなかったから毎日必死で。ヒドいと3、4日帰れないこともありましたよ」

とにかく必死に日々の仕事をこなした。

派遣先からのクレームも真摯に対応し、自分ができる最善を尽くしてきた。そんななか、突然の発病。

「家路につく運転中にいきなり心臓がバクバクして、手足が痺れ、汗びっしょり。突然、呼吸さえもままならない状態になって『オレ、このまま死ぬのか!?』と怖くなりました。その日は母親と緊急外来に行くも『おそらく過労でしょう』と言われただけでした」

いったい自分の体に何が起きているのか、わからなかった。ただ過労と言われても「そんなわけない」という想いだけが頭を巡っていた。

正体のわからない病気と戦う日々

運転中に感じた “死ぬかもしれない”。

発作は、その後もたびたび起こるようになった。時間や場所に関係なく、毎回突然に大川さんを苦しめ続けた。

「発作はよく夜に起きました。眠れずに悶々としている時、何の前触れもなく心臓がバクバクして手足が痺れて。そのたびに、当時付き合っていた彼女に車で病院まで連れて行ってもらっていたんですが、毎回、医者からは “過労” と言われるか “内臓には異常ナシ” と言われるかのどちらかで。一体、オレは何の病気と戦っているんだと狂いそうでした」

しかしある時、お母さんからの勧めで心療内科に行ったところ、パニック障害だと診断された。実は、お母さんも同じ障害を抱えていたのだ。

発作の正体は判明したものの、今度は、そんな精神の病に侵される自分自身が信じられなくなった。

いや、信じたくなかったのだ。

「なんでオレがそんな精神の病にかかるんだよ、そんなわけがない! 能天気で明るく生きてきたオレが、そんなわけない! 医者の言うこと、すべて信じられませんでした」

05忘れちゃいけない “命” のコト

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優しくされたい、親が喜ぶ顔を見たい

「実は発作が起きてから数年、記憶が曖昧な部分があるんだけど・・・・・・」

最初に発作を起こしてから、しばらくはムリヤリ仕事を続けていた。そんななか、知り合いからの紹介で、ある男性と出会う。

とても優しく、思いやりのある人だった。

「たぶん発作が起きて気弱になっていたから、不安が募って、人に優しくされたい思いが強かったんだと思います。そんな時に、その人の優しさに触れたんです。それと同時に前々から両親に『早く結婚して孫の顔を見せて』と言われいて、『なんとかしなきゃ』って想いもありました。『コイツと結婚した方が良いんだろうな』って思いながら、ほぼ同棲生活のような暮らしをしていて。優しくてイイ奴だったから生活そのものは楽しかった。でも『やっぱムリだわ』と実家に帰ったあと、信じられない事態が起きたんですよ」

男女が同棲すれば、セックスをすることもある。大川さんにとって、その行為は苦痛以外のなにものでもなかったが、同棲しているパートナーの “義務” として受け入れていた。

毎回「早く終われ!」と思いながら耐えていた。しかし、その結果、妊娠が発覚したのだ。

「生理がこない。“まさか” なんて気持ちで妊娠検査薬を使ったら陽性反応。『うわぁ!』でしたよ。驚いた。それと同時に発作もあるし産めるわけない、とも思いました」

悔やんでも悔やみきれない中絶

妊娠検査薬の陽性反応を見たあと、重たい足を引きずるように産婦人科に行った。

そこでエコー写真を見て、心が揺らいだ。

「エコー写真で、小さいけど確かにオレの腹に命がいる。あれを見たらやはり葛藤しますよ。自分を責めました。何ヤッちゃってんだオレはと。それと同時に相手のことも『お前、ナニしてくれちゃってんだよ!!』と責めました」

そして、お互いの両親とともに話し合いの場を設けた。すると相手側の両親から信じられない言葉が出てきて、愕然とする。「慰謝料を払うから中絶してほしい」と。

「ふざけんな!って思いました。慰謝料だと? 命を何だと思ってるんだ!って。でも現実問題として、やはり病気のこともあり、自分のなかでも生む決心はつかなかった。もちろん、これからどんどん自分のお腹が大きくなっていく、そのサマも想像できなかった。そして、中絶手術をしたんです」

手術後、しばらくは家に引きこもってしまった。避妊もできたのに、それができなかった自分を、ただただ責めていた。

両親が切望していた結婚をしようともがいたものの、自分のセクシュアリティとの不一致はどうにもならなかった。グルグルグルグルと考えていたという。

後編INDEX
06 絶望と生への執着心
07 自己破産からの完全復帰
08 妻がくれた治療のチャンス
09 結婚しても何も変わらない
10 誰もがフリーダムに生きるために