INTERVIEW

治療はゴールではない。自分がどう生きるかが大切【後編】

治療はゴールではない。自分がどう生きるかが大切【前編】はこちら

2017/05/27/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Mayuko Sunagawa
山下 直海 / Naomi Yamashita

1979年、大阪府生まれ。工業高校を卒業後、航空自衛隊に入隊し、愛知県にある基地で救難機などの整備に7年間従事。その後、国家資格の作業療法士を取得し、現在、通所介護施設で勤務している。国内の病院にて2010年に乳腺切除術を受け、2013年にホルモン治療を開始。2016年に性別適合手術を受け、今年戸籍変更をしている。

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INDEX
01 自分を女性と思ったことがない
02 あきらめと折り合いを身につけた幼少期
03 つらかった体の変化
04 今は通過点。もっと広い世界がある
05 自分の力で生きていくために
==================(後編)========================
06 治療への障壁
07 作業療法士の道
08 ゆるぎない愛情の土台
09 手術、ホルモン治療、戸籍訂正
10 LGBTが社会で自立し生きていくために

06治療への障壁

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LGBTを知ってから

中学や高校の頃は、性同一性障害やLGBT、GIDという言葉を知らなかった。

知ったのは、自衛隊に入隊して2、3年目。

寮で、TVドラマの金八先生を見たのがきっかけだ。

それから自分で調べるうちに治療ができることがわかった。

「ある程度自分で金を稼げているし、自分の力でできるならやったらええやんって思って」

自分の体に強い抵抗を感じていたから、やっぱり治療をしたいという気持ちが強かった。

とはいえ、女性として入隊した以上、そうスムーズにはいかなかった。

上司に性別適合手術について相談してみると、一度は「わかった。聞いてみる」と言ってくれたが、現実は難しかった。

就職氷河期に多数の応募があった中で女子枠として入隊したのに、その枠を性別を理由で外れるのは、落ちた人たちに示しがつかないというのが組織の見解であった。

また、今まで一緒に暮らしていた同僚たちが、急に男だと言われたら困るだろうとも言われた。

確かに自分が本当は男であることに気づいている同僚はいなかった。

自衛隊にいる限り、治療をすることは難しいと感じた。

自分に診断は必要ない

治療をして体を変えたいとは思っていたが、GID診断をする気はなかった。

「医師から『性同一性障害じゃない』と言われて、じゃあ認識を変えられるのかと言われれば、それは無理ですから」

「男だとか女だとか、なんでそれを他人に決められなきゃあかんねんって(笑)」

「自分が男やと思ってるんやから、それでええやろって思っていたんです」

今でこそGID診断は受けたが、それは戸籍訂正のために必要だったから。

診断が出た時も、「そんなんハナから知ってるし・・・・・・」という感じだった。

07作業療法士の道

自衛官を辞めた理由

もともと自衛官を目指したのは、機械をいじりたい、救難活動をしたいという思いから。

だから、有事のことはほとんど想定してなかった。

年に一度行う射撃訓練では「なんで人を殺す技術を磨くんや、自分は何してんやろ」と思っていた。

しかし、2003年。24歳、入隊6年目のこと。

TVで「さとうきび畑の唄」という戦争ドラマを観た時に、非常にむなしくなった。

何かがあれば自分も戦争に参加して、人を殺さなきゃいけない、と思ったからだ。

また、「きけ わだつみの声」という映画も自分を見つめ直すきっかけとなった。

「自分と同じ整備員が戦闘機を見送るシーンがあって、自分も戦闘機を飛ばすために整備することになるかもしれないなと考えるようになったんです」

その考えは、9.11の米同時多発テロ事件でさらに現実味を帯びた。

基地の警備要員となり、夜な夜な防弾チョッキを着て銃を持ち、基地内を巡回する。

本当に戦争が始まるかもしれないと思った。

もちろん国防は大事だ。

でも、自分はこれをしたくて自衛隊に入ったわけじゃない。

作業療法士への転身

高校を卒業後は、まず社会人としての生活を成り立たせることが最優先だった為、自衛隊への入隊を決めた。

自立して生活をしていくことが前提。

その上でどう生きていきたいのか、というのが成り立つ。

「自衛隊の仕事を辞めて、どう自分で生計を立てるかと考えた時に、手に職をつけたいと思ったんです」

自衛官の時に腰を痛めて通った病院で、リハビリ訓練の仕事があることを聞いた。

「もともと人を助けたい、人の役に立ちたいという思いもあったので、作業療法士の仕事を選びました」

日中は父親の仕事の手伝いをし、夜間の専門学校を4年かけて卒業し、国家資格を取得した。

その後、通所介護施設に作業療法士として就職した。

作業療法士の仕事は面白かった。就いて正解だった。

「作業療法士の面白いところは、いろんなものを作るところ。もともと機械をいじるとか細かい作業が好きだったので向いていました」

日常の動作の中に、うまくリハビリを取り入れていくところも面白い。

「単にコップを持つにしても、いつもと違う持ち方をすることで違う箇所の筋肉が鍛えられるんですよ。利用者さんをうまく誘導しながらリハビリをやっています」

利用者はご高齢の方なので、マッサージや関節の運動をやってほしいというニーズも多い。

そのニーズを受け入れつつ、作業療法のエッセンスをうまく取り入れていくところが面白味だと思う。

「高齢の利用者様たちと、楽しみながらやっていくのが好きです」

「出会った方々と長く関わっていけたらいいなと思っています」

08ゆるぎない愛情の土台

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親の存在

思えばカミングアウトをしたことが一回もない。

聞かれれば正直に話すつもりだが、周りの人に「どっちなん?」と聞かれたことがほとんどないのだからカミングアウトしようがない。

もし、聞かれれば「(男と女)どっちがいいですかね?」と聞き返すからかもしれない。

通所介護施設に就職した時に1泊2日の研修合宿があったが、上司から「(男部屋か、女部屋か)どっちにする?」と聞かれた。

もともと中世的な顔立ちで、声も低めだったというのはあるが、男とか女ではなく、ありのままの “自分” であることを周りが認め、受け入れていてくれていたからかもしれない。

カミングアウトに対する恐怖心も感じたことがなかった。

周囲の人に恵まれていたし、親の存在も大きい。

「ある時、お袋さんが『世の中の人がおかしいって言おうとも、どんなに反対されたとしても、私はあなたの親だから。私が一人になってもあなたのことは否定しない』って言ってくれたんです」

思えば、幼い頃から親の愛情を疑ったことはない。

自分には、確固たる愛情の土台があるのだ。

「世の中は女でなきゃあかんというふうでも、親は『それでいいよ』って認めてくれていたから。だから自分はこれでいいんだ、って思えたんです」

「うちの親は人に迷惑さえかけなきゃという考えだから、おかしいかもしらんけど、誰にも大きな迷惑はかけてないからええやんって自分も思うことができたんです」

手術の同意を得ること

30歳の時に、乳腺摘出手術をすることを決意した。

両親を無視して手術をすることは考えられなかったので、手術をすることを伝えた。

「体は女性やけど、生まれてこの方自分を女性だと思ったことはない」

「胸もいらないし、あっても邪魔やから手術をする」と伝えた。

医師から渡された手術説明の用紙も見せた。

母は、「金も自分で払うし、30歳過ぎた人に私がごちゃごちゃ言うこともないし、止める術もないから」と言った。

ただ、体のことをすごく心配していた。

「あなたの生き方を否定するつもりはないけど、あなたの体が心配だから反対はする」

「手術をしてもいいけど、海外はやめてほしい。日本のほうが安心だから」と。

父は「30歳まで我慢できたんだから、今さらしなくても」という意見だった。

自分は今まで我慢して来たからこそなんだと説得した。

両親は、認めてくれたように感じた。

でも、実はかなり戸惑っていただろうし、父と母は何度も話し合い悩んでいたと思う。

今では父も一生懸命理解しようとしてくれている。

31歳の時に、大阪の病院で乳腺切除手術を行った。

「自分は海外に行ったことがないし、パスポートもありません。食事も安全性も日本に勝る国は無いと思っているし、何かあった時に日本のほうが両親にとってもいいと思ったんです」

日本での手術を決めた。

09手術、ホルモン治療、戸籍訂正

治療のリスクを知ってほしい

乳腺切除手術後、3回の再手術をしている。

体への負担は相当なものだった。

「それでもまだ、自分はイマイチな仕上がりだと思っています(苦笑)」

治療の跡が残っている。

それでも手術を選択したことに納得している。

それは、事前に手術によるリスクを徹底的に調べたし、SNSでつながったFTMの仲間から情報を得た上で手術に臨んだからだ。

「調べている時に失敗例ってあまり出てこないんです。でも、失敗例がないわけじゃない」

「壊死して乳輪がなくなってしまうこともある。自分は手術に失敗するとどうなるか、あらかじめ主治医に聞いておきました」

リスクは手術だけではない。

「ホルモン治療の副作用がひどくて、長期間動けなくなってしまった人もいますし、脳梗塞や心筋梗塞のリスクが上がると聞きます。全身毛むくじゃらになった、禿げてしまったという話もあります」

リスクを含めて治療をするかどうかを考えるべきだ。

リスクも知らずに急いで治療を始めてはいけない。

「早くやってしまおうという気持ちはすごくわかるけど、焦ってはいけないと思う」

「よい面だけに目を向けるのではなく、正確な情報をきちんと捉えてほしいんです」

情報の取捨選択。
そのコツは、経験者のリアルな声だと思う。

自分もSNSでつながったFTMの仲間からリアルな情報を得ることができ、治療のメリット・デメリットをきちんと知ることができたから。

性別適合手術と戸籍訂正

胸がなくなった分、生理への嫌悪感が増した。

大人になってからも生理中は眠れない、体がしんどい、というのは続いていた。

だから、34歳でホルモン治療を始めた。

注射を始めて精神的に落ち着いた。自分の場合は、副作用が少なかった。

戸籍訂正まで至ろうと思った理由は、当時付き合っていた彼女の存在が大きい。

「自分としては将来結婚したいと思っていたんです。でも、このままじゃ婚姻届を出せない」

「彼女に対してちゃんとしとかないとあかんと思って、手術を決意しました」

2016年に性別適合手術を受け、今年、戸籍訂正を済ませた。

ただ付き合っていた彼女とは、手術前に別れてしまった。

今はパートナーがいないが、将来的には結婚をしたいと思っている。

10LGBTが社会で自立し生きていくために

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LGBTの発信について

最近はLGBTがメディアなどで取り上げられることが増えてきた。

多くのLGBTが発信することで、今まで自分が何者かわからず悩んでいた人が救われていることは確かだ。

ただ一方で、LGBTという存在がオープンになることで、それまでクローズで生きてきた人が周囲に気づかれてしまうという弊害も生まれている。

「せっかくクローズで生きてこられたのに、LGBTが知れ渡ることで『自分そうちゃうん?』とストレートの人に気付かれてしまうこともあると思うんですよ」

クローズでいたい人が、世の中にさらされてしまうリスクが高まるとも言える。

LGBTが知られることは、よい面と悪い面の両方があると思っている。

今はまだLGBTの存在を知ってもらう時期だと思うが、ゆくゆくはLGBTという言葉自体がなくなっていくといい。

それはLGBTという枠があるからこそ、周囲が特別視してしまうという風潮があるからだ。

周囲が特別視せず、オープンにする人、クローズの人それぞれが生きやすい社会になっていってほしい。

セクシュアリティに縛られない生き方を

「手術や治療を目標にしてしまい、すべて済んだら燃え尽きてしまう人がいると聞きます」

本来、目指すのはその先の人生であるはず。

自分の将来をしっかり見据え、ゆるぎない覚悟と目標を持った上で治療を
したほうがいい。

「長年マイノリティとして生きていると、治療を経てマジョリティになった時、どうしたらいいのかわからなくなる人がいるんです」

「FTMである自分に固執していると、治療をしてアイデンティティが失われてしまうことになる。すると、自分を見失ってしまうんです」

そもそも自分たちは、セクシュアリティだけに縛られて生きているわけではない。

いくつもの側面が合わさって、複合的にできているのが人間なのだから、マイノリティの側面に固執する必要はないのだ。

幼少期や学生時代は男女の区別を付けられてしまいがちだが、社会人になり会社に入れば、セクシュアリティに関する障害は少なくなってくる。

「最初は大変だけど、毎日休まず出勤し仕事できちんと結果を出せば、周囲は自分のことを認めてくれる・・・・・・。セクシュアリティに関係なく、自立して生きていくことができると思うんです」

あれもこれも気にしていたら仕方がない。

LGBTがまだまだ社会に受け入れられていない、というのは確かにある。

しかし、セクシュアリティのせいにしてはいけない。

「生きづらさは確かにあるけれど、それは性同一性障害だけのせいじゃない」

「セクシュアリティが気になるのはわかるんですが、まずはきちんと生きていくことのほうが大切だと思います」

セクシュアリティに縛られず、ありのままの自分を受けとめ、自分がどういう人間でありたいか。

自分自身を受容し、アイデンティティを確立できていれば、セクシュアリティの問題で大きく揺れてしまうことはないのだ。

あとがき
直海さんは、感じることを率直に語った。それは、決めた自分を信じる力の表れだ■「生き方は否定しないけど、体が心配だから手術は反対する」と言ったお母さんの言葉。“子どもが痛みを受けないように生きて欲しい” という祈りは、子が親に思う ”いつまでも元気でいて欲しい” と同じ響き。だって人生には、苦しみも最期の時も訪れるから■でも、胸をはって、着実な足取りで信じる道を歩む直海さんは、確かに祈りを受け取った姿だった。(編集部)