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それでも僕は自分に正直に生きたい【後編】

それでも僕は自分に正直に生きたい【前編】はこちら

2016/08/17/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Momoko Yajima
森田 和弥 / Kazuya Morita

1972年、埼玉県出身。子どもの頃から同性が好きなことに気づきつつも女性と結婚。3人の子どもに恵まれる。中学卒業後、宣教師のほか様々な仕事を経て30代でうつ病を発症し、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の診断も下される。2016年、セクシュアル・マイノリティのポートレート撮影プロジェクト『OUT IN JAPAN』に応募し、社会へのカミングアウトを果たす。

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INDEX
01 厳しい父と乱暴な兄
02 アイドルに憧れた幼少期
03 自分は「変な子」
04 コミュニケーションが取れない混迷の時期
05 宣教師の仕事と結婚
==================(後編)========================
06 自分を隠して生きる
07 うつ病と発達障害
08 人生の岐路
09 カミングアウト
10 子どもたちへ

06自分を隠して生きる

それでも僕は自分に正直に生きたい【後編,,01厳しい父と乱暴な兄,ゲイ

転々とする仕事

「結婚もしたし、働かなくては」と、都内でたまたま見つけたガラス作家の仕事をすることになった。

宣教師時代に北海道で知り合ったガラス作家さんに影響を受けたことがきかっけだったが、体調不良もあり、ガラス作家になることは諦める。

その後も工場などに勤めるが、人間関係が苦しくなったりとなかなか続かない。

「家の前が牛乳工場だったんですけど、そこにすごく意地悪な人がいて精神的に追い詰められて。単純作業なのに牛乳パックに詰められないとか、失敗する度に、自分はダメな人間だってものすごく落ち込んで・・・・・・

結婚から2年後に長男を授かり、さらに3年後に次男が生まれ、いよいよ家計は厳しくなっていた。

ベルトコンベヤーに乗せられ運ばれてくるものを、淡々と機械的に処理していく毎日。

本当は絵を描いたり、お芝居や歌など、自分を表現することに喜びを感じる方だったが、そんなことを言っている余裕はなく、とにかく生活のため、食べるために仕事を続けた。

ある時、福祉の仕事をしたいと思いハローワークに通ったところ、福祉関係のコーナーに求人を見つける。

それは福祉の仕事ではなかったけれど、病院のリネンやカーテンなどを交換する会社の社員の募集だった。

就職した会社を今度は1日も休めなくなる

「今度こそは頑張ろう、と思ったら、逆に1日も休めなくなっちゃったんです。40度の熱が出てふらふらになってもバファリンを食事代わりに仕事してました」

しかし元来、人と交わるのが苦手な性質で、どうしてもできないこともある。

人前で食事ができない。職場でトイレに行くことができない。会社にかかってくる電話を取ることができず、電話が鳴るとさりげなく遠くに逃げてしまう。

仕方がなく電話に出ても、会社の名前を言うだけで精いっぱいで相手の名前が聞き取れない・・・・・・など、周囲からすると不思議に見える行動が多かった。

予定が急に変更になるとパニックになってしまい、それを職場の人に伝えられずに問題になってしまったり、実務にも影響が出始める。

ストレスがたまっていたのか、段々と心身ともにおかしくなっていくのも感じていた。

それでも、自分が働かなかったら誰が家族を食べさせていくのかという妙な ”男のプライド” もあり、病院にはかからず、出勤し続けた。

07うつ病と発達障害

死にたいほどつらくなってしまう

実はこのサラリーマン時代が職歴の中で最も長く、会社には8年間勤務した。

この間、うつ病を発症し、セクシュアリティのことでも悩み、妻ともぶつかり、3人目の子どもが生まれ、両親のガン、そして父の死を経験するなど、とにかく、様々なことが起こった、長く大変な時期だった。

「カミングアウトもできずにうつで悩んでいたこの時期、会社の車で高速道路を走ってると、このまま突っ込んだら死ねるだろうなと思ってスピードを上げたことが何度もありました」

ストレスから目まいを起こすメニエール病も発症し、うつ病も相まって、毎日「死にたい、死にたい」と口にするようになる。

「病院が嫌いだったのでなかなか行かないで時間ばかりが過ぎていってしまったんですけど・・・・・・。どんどんひどくなって、自分がおかしいのが分かるんです。奥さんに状況を話したら、もう会社を休みなさい、辞めていいよと言われて、それからようやく病院に行きました」

うつ病、発達障害の診断

それまでも長くうつ状態であったが、39歳の時にうつ病と診断され、会社を休職した。

それをきっかけにブログを始め、少しずつ、自分の苦しさやつらさを綴るようになる。

「うつ病で病院に行きながらブログを書いて、最初は相当ドロドロした思いを吐き出していたんですけど、徐々に、人にも自分が苦しいということを言えるようになってきて。その頃ぐらいから少しずつ自分も変わり始めたんだと思います」

うつ病が回復してきた頃、本屋で発達障害の本を見つける。

読んでみて「あ、これ、自分だ」と思った。
友人にも「たぶんそうだと思うよ」と言われ、地域の発達障害支援センターを訪れる。

そこでテストを受け、専門の病院を紹介してもらい、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の診断を受ける。

「これまでいつも、ひとりぼっちが苦痛で友だちが作りたいのに、人といるともっと苦しくなるような、こんな自分、なんでなんだろうって思っていた。でも大人の発達障害のことが分かって、『そうかあ』って、ちょっと楽になりました」

自分は宇宙人かもしれないと思っていた小学生の頃。

生まれてきたこと自体が間違いだったのか、前世で何か相当悪いことをした罰なのか、そんな風にネガティブにしか考えられなかった自分。

「あの頃に比べたら、こんなに自分が明るくなるなんて信じられない」と笑う。

「いまは、あの時高速道路で車で突っ込んで死ななくてよかったと思います。あんなに人が苦手だった自分が、この数年で素晴らしい出会いにいくつも恵まれたから」

08人生の岐路

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自分は「ありのままに」、家族にとっては「混乱」

セクシュアリティを隠して生活を送るのにもそろそろ限界が来ていた。

「ゲイ」という言葉をきちんと知ったのは30代になってから。

「でも、新宿2丁目も知らないし身近に同じような人もいないし、インターネットの世界か外国の話みたいに、自分からは遠い世界だと感じていました」

しかしインターネットで調べるほどに、やっぱり自分はゲイなのだろうと確信を深めていく。

「だけど、男が男を好きだとか、これは絶対に人に言えないぞ」。

だが、会社員として収入が安定してきた頃、興味本位から足を踏み入れたゲイのお店にはまり、散財してしまう。

また、ブログ経由で知り合った男性には、自分がつらい時に親身に助けてくれた感謝の気持ちと、恋愛感情を抱く。

妻のことは尊敬しているし大好きだけれど、妻に抱く感情と彼に抱く感情が、まったく別物であることに気づいてしまった。

妻からは疑いの目を向けられ始める。

ボーナスが出ているはずなのに持って来ない。男性から「会いたい」とメールが入る。
これは、おかしいのでは? 明らかな証拠を見つけ問い質しても、夫はかたくなに首を縦に振らない。

家族は、混乱した。

ゲイ疑惑における妻との攻防戦

妻は直感の鋭い人だ。不安も募ったに違いない。これまでにも何度も何度も、追及された。

しかし数々の出来事が明らかになっても、全力で否定を続けた。

そんな妻との攻防戦は、2~3年にも及んだだろうか。

その間、少しずつ「そういう気持ちはあるけれど……」など、小出し小出しで、自分のセクシュアリティを妻の前で認め出していた。

この頃はうつ病が最もひどかった時期と重なり、ケンカばかりの壮絶な毎日に、死にたい気持ちが強くなるなど、本当にきつかった。

そして昨年の夏頃、初めて冷静に自分から妻に切り出した。

「もう仕方ないじゃん、一回リセットしようと思って、別れたいと言われた時用に離婚届も用意して、『話したいことがあるんだけど』ってすべてを話しました。そうしたら奥さんも、やっと言ってくれたという脱力感と安心した表情を見せて、『ああ、そうなんだ』って。その時は割と冷静に話を聞いてくれたと感じました」

子どものこともあり、ひとまず離婚はしないこととなったが、夫婦として、家族として今後どうしていくかは、まだ決めきれていない。

妻もからも「この先、夫婦としてどういう心境でやっていけばいいの?」と聞かれる。

妻もまだ、完全に納得したわけではない。

時々混乱した状態で、「うつだわ、死にたいわ、男が好きだとか、一体何なの!」と言われたり、質問が次々と飛んでくることもある。

そうすると自分もパニックになり家を飛び出してしまう・・・・・・。

妻にセクシュアリティのことが明らかにでき、発達障害も分かったのはいいけれど、だからといってこういう時にどう対応したらいいのか分からないのはつらいところだ。

09カミングアウト

一通の間違いメッセージ

ある日、母から「あなた、男の人に興味があるの?」と言われる。

「奥さんから相談がいったみたいで。これまでも息子が女の子になっちゃうんじゃないかと心配していたようです。でも結婚して子どもも生まれたことだし、改めて確認したかったんでしょうね。実家に遊びに行ったら、お母さんから『ところでさ……』って直球で聞かれて(笑)」

妻とは何度も話しをして、気持ちについては一応理解をしてくれていると思う。

しかし自分の女性らしいしぐさや言動を見て「それっておかまキャラを演じているの?」と発言したり、「発達障害ゆえの思い込みなのでは?」、「暴力的な父親のトラウマや影響があるのでは?」など、同性愛は一時期のもので治せるのではないかと思っているふしもある。

それは、戸惑いからくる、期待のこもった気持ちなのかもしれないが、その度に子ども時代のことから説明しなければならなかった。

家族を混乱させたのは否めないが、同時に自分らしく生きたいという思いはどんどん強くなっていった。

そんな時、SNSで宛先間違いの一通のメッセージが届く。

差出人はOUT IN JAPAN事務局で、写真家レスリー・キーさんがLGBTのポートレートを撮影するプロジェクトのことを知る。

「レスリーさんに撮ってもらいたい一心でまず、応募したんです。そうしたら採用の連絡があって、奥さんにも許可をもらって撮影に臨みました」

実はまったく隠せていなかった!

今年に入り名古屋で撮影があり、本名と顔写真、それに自分のセクシュアリティがウェブサイトを通して公表された。

そもそもこのような形でカミングアウトをしたいと思っていたのだろうか。

「いえ、まったく。それまで人に言ったら地球が終わるぐらいに思っていたので、カミングアウトなんてするつもりはなかったんです。だからまさかいまこんな風になるとは思わなかったけど、でもカミングアウトしても地球は全然終わらなかった(笑)」

「おもしろいのが、話したらみんな『知ってたよ』って。『見れば分かるじゃん』って(笑)」

宣教師時代の同僚だった男性にも伝えたところ、帰ってきた言葉は「そうだと思ってたよ」。

「森田くんがゲイであろうと、いいと思っているから友だちでいるんだし、関係ないよ」

どうして聞かなかったのかを尋ねると「だって、森田くん結婚したじゃない」と。ゲイだと思っていたけど結婚したから違うのかな、言っていいのかな、と思っていたという。

長いこと、同性愛は悪いことだと思っていた。それこそ地球が滅びてしまうぐらい。

でも、実はみんなにはバレていて、自分だけが何十年も隠し通している気でいたのだと思ったら、なんだか気が抜けた。

10子どもたちへ

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どうしても伝えたいこと

初めから、自分がゲイであると明確に分かっていたわけではない。

アイドルに憧れ、かわいいものやきれいなものが好きな、女の子っぽい男の子だと思っていた。

同性を好きになるだなんて、いけないこと、悪いことだと信じていた。このことが人に知れたらと思うととても恐ろしかった。

結婚して、家庭を築いたら、きっとゲイも治るのではないかとどこかで期待もしていた。

愛情によって、きれいに浄化されていくような、「あれは一時の気の迷いだったね」と笑い話になる日が来るのではないかと。

クリスチャンになり、妻に出会い、人間として尊敬でき共通点もたくさんあり、一緒にいるならこの人、と思ったから結婚した。

このことに、嘘偽りはない。

そうして、3人の子どもに恵まれ、家族ができた。

「優しいお父さんになりたかった」という夢を子どもたちが叶えてくれた。

ただ、自分自身が、自分の心を開けていなかった。
大切な感情を心の底にしまい込んでいた。そのことで自分も苦しかったし、妻も、子どもたちも巻き込んだ。

だけど、これだけは伝えたい。

変なこともたくさんして、みんなにはたくさん迷惑や心配をかけたけれど、それでも、すごく家族の幸せは願っていた。

お父さんもお母さんも、あなたたちの誕生を待ち望んでいた。
あなたたちが生まれてきたことは、みんなに祝福されたできごとだったんだ。

自分ができること

カミングアウトは、ただ自分のセクシュアリティを話せばいいということではない。

自分がどういう人間になりたいか、それを考えていくことが大切だと学んでいる最中だ。

「いままで受け身で生きてきたけど、これからは歌やお芝居、絵などを通してカミングアウトをしながら、誰かが元気になるためのことをしていきたい。それを見せていくための、スタートの年にしたいと思っているんです。自分には、それしかできないから」

「この世界にはセクシュアルマイノリティだけではなく、他の社会的なマイノリティの人もいる。でも、”知らない” ということが、差別やいじめの原因になるんです。子どもたちに何か教えられることがあるとすれば、そういうマイノリティの人たちに対して偏見を持たない、ということなのかなって」

最近、子どもには「うちって変わった家族だよね」と言われる。

「子どもたちも思春期で多感な時期だから、自分から聞いてくることはないんだけど、やっぱり僕がパニックになったりしている姿を見ているから心配していると思います。『お父さん、前より元気になったよね』って言ってくれることもあります」

「もし今後、離婚をしてもしなくても、自分がゲイであることも、そして父親であるということにも、変わりはないんですよね」

これから、和弥さんたちがどういう決断をしていくのかは誰にも分からないけれど、もしも家族として一緒にやっていこうというのであれば、きっとどこにもない、新しい家族のかたちとなるだろう。

その道のりは決して平坦なものではないけれど。

いまは友だちや理解者にも恵まれ、ひとりではない。このことはきっと、どんな決断をしてどんな結果となろうとも、これからの人生を生きる上での宝物になるはずだ。

あとがき
「自分に正直に」の使い途は、なかなか難しい。ともするとそれは、利己的に映るから−− 自由にも見える和弥さんだったが、お会いするといつも誰かのココロを大切に抱えていた。そのどれもが祈りのように透明だった■大切な気持ち、本当のことは、一つなのか?和弥さんの話を聞いて、中学で習った「one of the most」を思い出した。家族も友人も、内も外も変化し続ける。それでも、互いの間で唯一無二だと思えたら、どんなに豊かだろう。(編集部)

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