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“Xジェンダー” という言葉と出会い、ようやく本当の自分自身を見つけた。【後編】

“Xジェンダー” という言葉と出会い、ようやく本当の自分自身を見つけた。【前編】はこちら

2017/09/30/Sat
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
大賀 一樹 / Kazuki Taiga

1988年、島根県生まれ。幼い頃から自身の性別に違和感を覚え、大学2年時に「Xジェンダー」という言葉を知り、自らのセクシュアリティを認識する。IT系の大学に進んだ後、臨床心理士の資格がとれる大学院に進学。現在は臨床心理士の資格を生かし、スクールカウンセラーとして働くかたわら、早稲田大学スチューデントダイバーシティセンター専門職員やNPO法人の理事も務める。

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INDEX
01 嫌いを好きに変化させるための仕事
02 言動をからかわれ続けた学生時代
03 唯一の支えと膨れ上がる違和感
04 希望にあふれた大阪への旅
05 大らかだった家族と厳しい家庭環境
==================(後編)========================
06 新たな居場所と迷走する自己表現
07 “Xジェンダー” というセクシュアリティ
08 自分自身の核を伝えていく意味
09 “自分は自分、人は人”という感覚
10 楽観的に思い描く明確なビジョン

06新たな居場所と迷走する自己表現

自分を発信するためのホームページ

高校生になってから、またもや「勉強に使うから」とせがみ、パソコンを買ってもらった。

ネットゲームをする一方で、ホームページを作り運営していた。

「中学3年の時に『金八先生』で性同一性障害を知ったんです」

「当時は『自分と似てるけど、ちょっと違う』って感覚を抱いていました」

インターネットで性同一性障害を調べると、社会の中に一定数いることがわかった。

「情報を得るごとに、自分もホームページを作らなきゃって思ったんです」

「自分の存在を示していかないと埋もれてしまうって、危機感があったのかな」

日々の出来事を綴ったり詞や曲を載せたり、ブログのような形式のホームページは人気サイトとなった。

「当時流行していた、セクマイ版の『ゲイアイドルランキング』というサイトにも登録していて、同年代の子の書き込みがすごかったです(笑)」

思いのままに書き記していくと、少し刹那的な少女っぽい雰囲気のホームページになっていった。

「もともと男の子っぽい趣味はなかったし、ありのままに書くと性を感じさせない表現になっていました」

「本当の自分は知られたくない」

ホームページやネットゲームの中にいると、自分らしくいられる感覚があった。

ネットの世界にいる時はラクだった。

「男という概念や “いじめられている自分” から一歩抜けられて、すごく安心しました」

「ネットを介した友だちとは、スムーズにコミュニケーションが取れたんですよ」

ただ、どこかに「本当の自分は知られたくない」という気持ちもあった。

「友だちはいたけど、ネットという距離感を保ちたかったのだと思います」

「まだ本当の自分に自信がなかったというか、ありのままの自分はあんまり好きじゃなかったな・・・・・・」

「キャラみたいなものを作っていないと、またいじめられるんじゃないか、と落ち着かなかったです」

外見を変えるという自己表現

高校に進学してからは、服装や髪形がジェンダーレスの方向に進んでいった。

学ランをリメイクして、自分だけのオリジナルに変えた。

髪の色も赤や緑、青と奇抜な色にすることも多かった。

私服も男性っぽいものにしたり、女性っぽいものにしたり、いろいろ試した。

「自分に迷いがあったから、服装や性別さえも変えて生活していました」

「自分がどう振る舞っても、結局は周りの人のフィルターで判断されてしまうんですよね」

「でも、もしかしたら見た目で印象を変えられるかもしれないって、賭けていた感じです」

ありのままの自分でいると、いじめられてしまう。

しかし、自分を作れば評価されるかもしれない。

「10代の頃は、とにかく試行錯誤していました」

07 “Xジェンダー” というセクシュアリティ

悩みを解消してくれた東京の街

大学進学に伴って上京。

地元は地方特有の限られたコミュニティだから、飛び抜けた個性に対して当たりが強いのだと感じていた。

「ただ歩いているだけで、誰であるか特定されて噂になる場所でした」

中学3年の頃から、すぐにでも東京に出ていきたいと考えていた。

「上京した当初は嫌なことが全部なくなって、すごく楽しかったです」

「一番うれしかったのは、自分が目立たなくなったこと」

高校時代に目立った髪色や服装も、原宿にいる人たちは誰も気に留めていない様子だった。

「少し変わった服装でいても人と違う性指向を持っていても、大丈夫って思えたんですよね」

中性的な洋服を身に着け、髪を伸ばして軽めにメイクもしていた。

大学の友だちは「そういう格好もありだよね」と言ってくれる。

特に仲がよかった友だちと一緒に、オールラウンドサークルに入った。

「自分を受け入れてくれる環境だったけど、壁にぶつかったんです」

「男友だちとコイバナができなかったんですよね」

男性に恋愛感情を抱くことは、気づかれてはいけないと思った。

再び「オカマ」と言われることを避けたかった。

「もう嫌な言葉をかけられたくなかったから、普通でいられるように過ごさなきゃ、って感じていました」

「でも、普通を意識すればするほど自分らしくいられなくて、生きづらくなっちゃったんです」

徐々に大学の友だちと距離を置くようになってしまい、再びネットの世界に閉じこもるようになってしまった。

しっくりきた “Xジェンダー” という言葉

引きこもりがちになりつつも、「20代に入ったら働いて、自分で生きていくしかない」と、自分に言い聞かせていた。

しかし、大学2年の時にリーマンショックが起こった。

就職できないのではないかという不安が圧しかかり、抑うつ気味になってしまった。

毎日20時間くらい寝て学校も行かず、あとはネットをするだけの生活だった。

奨学金で生活していたため、ただ借金ばかりが膨れて将来に絶望しかけていた。

自分のセクシュアリティに関しても、ゲイなのかバイセクシュアルなのか性同一性障害なのか、判断がついていなかった。

自分は女性になりたいのか? 男らしくないから男性であることを諦めているだけなのか?

考えれば考えるほど「自分は何者なんだろう?」という疑問は深まった。

「その頃、唯一 “死にたい” という言葉を受容してくれていたゲイの友だちがいて、彼がスタッフをやっているサークルに誘われたんです」

LGBT当事者が集まるインカレサークルだった。

その中に、同い年でFTXの子がいた。

「その子の話でXジェンダーというセクシュアリティを知って、『私もこれか!』って腑に落ちたんです」

「この時に初めて、性別って見た目じゃなくて中身の話なんだって知りました」

「どんなに見た目を変えてもしっくりこなかったのは、そのせいだったんだなって」

人を信じようと思った誕生日

男にもなれないし、女にもなれない。

オカマという、存在するだけでいじめられるような位置にもいたくはなかった。

何者にもなれなかった自分がXジェンダーという言葉によって、ようやく形を伴った。

「それからは、周囲から自分を守るような服装や過度なメイクをやめて、自然体になっていきました」

「自分は今のままでいいんだ、って思えましたね」

FTXの友だちとはすぐに息が合い、かけがえのない同士という関係になっていった。

サークルに入り2~3カ月が経った頃、サプライズで誕生日を祝ってもらった。

FTXの友だちが、サークルメンバー全員の寄せ書きを用意してくれていた。

中学時代の文集のように嫌なことが書かれた経験はあったが、やさしいメッセージが詰まった贈り物は初めてだった。

「自分が生まれてきたことを認識したくなかったから、毎年誕生日が嫌いだったんです」

「この時に人生で初めて、誕生日はうれしいものなんだ!って、感じられました」

初めて人を信じようと思った。

そのくらい心に響いた出来事だった。

08自分自身の核を伝えていく意味

初めてのカミングアウト

自分自身をXジェンダーと認識してから、周囲にカミングアウトし始めた。

最初はサークル内のメンバーに話した。

「まずはセクシュアルマイノリティの当事者の人たちに、わかってもらおうと思ったんです」

「Xジェンダーらしさってよくわからないから、伝えづらさはありましたね」

「ただ、FTXの子も一緒にいてくれたから、1人じゃないっていう安心感がありました」

サークルのメンバーの多くは、「そうだよね」「タイガはタイガだし、いいんじゃない」と言ってくれた。

カミングアウトの必要性

普段は勢いで行動するタイプだが、カミングアウトに関しては恐怖心や不安があった。

少しずつ近くの人から順に打ち明けていったことで、土台ができあがった。

「Xジェンダーは認識されづらいから、当時はセクシュアルマイノリティの当事者にもちゃんと伝えないといけない、って感じていました」

「その結果、カミングアウトすることへの抵抗はほとんどなくなりましたけどね」

30歳を目前にした今、Xジェンダーであることがそこまで重要ではないと感じている。

「自分の根本の部分だから、あえて取り出して語るところでもないというか」

「今の自分でいることに居心地のよさを感じているから、周りの反応を気にしなくなりました」

09 “自分は自分、人は人”という感覚

確認の末、辿り着いたセクシュアリティ

男性でも女性でもないXジェンダー。

そこに行きついたのは、すべてのセクシュアリティを試した結果だった。

「幼い頃は、体が男だからという理由で、男っぽい身のこなしやしゃべり方を研究しました」

サッカー部に入ったり、低い声を出してみたり、やれることにトライした。

しかし、すべてが自分らしくないと感じた。

「性自認が女性なのかもしれないと思って、女の子っぽく振る舞ったこともありました」

かわいらしいものやフェミニンさを、自分が求めていないことに気づかされた。

「仮に女性の体で生まれたとしても、自分はスカートをはかないだろうなって思ったんです」

ゲイバーやレズビアンバーに行ったこともあったが、どこもしっくりこなかった。

「FTXの子と2人で『結局Xジェンダーはどこにもいられないね』って話したことがあります」

「生まれた時から男女どちらでもないって気持ちはあったけど、一応確認した感じですね」

「男同士ならわかる」って何?

いざXジェンダーと自認すると、はっきりと見えてくるものがあった。

「Xジェンダーの人たちって、Xジェンダー同士のコミュニティをあまり積極的には作らないんですよね」

「『Xジェンダーで集まろう』という企画に何度か参加しましたが、結論、個人単位で考えている人が多い気がします」

コミュニティを作らない性質は、いわゆる “あるある” がほとんどないからかもしれない。

「『男同士ならわかる』『ゲイ・ビアン同士ならわかる』って感覚が、全然わからない立ち位置なんですよね」

例えば「僕は烏龍茶をよく飲む」は理解できても、「男だから烏龍茶をよく飲む」は理解できない。

「言葉の意味はわかっても、共感はできません」

「自分は自分、人は人って感覚が強いんです」

「セクシュアリティで区切られると、『それはあなたの中での話でしょ』って切り分けちゃうんですよ」

どこにも属さないXジェンダーだからこその感覚なのかもしれない。

“自分はこう見せたい” というモノサシ

現在のパートナーは、ゲイの男性。

彼は同性の恋人という認識でつき合っているが、相手のその気持ちを嫌だとは思わない。

「今のパートナーには『私はあなたを異性として認識してるから、それが嫌じゃなければ一緒にいてもいいよ』って話しました」

「Xジェンダーでありゲイではないことを伝えた上で、つき合っています」

20代前半は、男性の恋人から同性と見なされることがすごく嫌だった。

しかし、カミングアウトし始めたことで「自分の意志は伝えているから、どう捉えられていてもいい」と思えるようになった。

抱いていた嫌悪感も薄れていった。

「今は、周りの視線や受け取り方を判断基準にはしていないです」

「相手に抱かれているイメージは、自分自身にとっては何の必要性もないと思うから」

“人にどう見られるか” ではなく、 “自分はこう見せたい” というモノサシで動けるようになった。

10楽観的に思い描く明確なビジョン

楽しみで不安な将来

「Xジェンダーってロールモデルがほとんどいないから、将来どうなるかはわからないなって思います」

将来に対しては、楽しみ半分不安半分といったところ。

パートナーとパートナーシップ証明書をとるかどうかも、まだ決めていない。

「『同性パートナーシップ条例』だから、『片方はXジェンダーです』って説明する機会が増えそうだなって(苦笑)」

「周りにゲイだと思われてもいいんですけど、自分自身をどう納得させるかが課題ですね」

「あくまで戸籍上の話に過ぎないって、納得させようと思っています」

次世代の人と関わっていくこと

いずれ子どもを育てたいと考えている。

「血がつながっていなかったとしても、次世代の人たちと関わっていきたいんです」

「伝えていきたいことがたくさんあるし、自分も吸収したいことがあるから」

「育てたいというよりは、対等な関係を築いていきたいですね」

その第一歩として、現在は学校や児童相談所でも働いている。

いじめや虐待といった問題は、食い止めなければならない。

自身の幼い頃の経験からくる感情かもしれない。

「そのための手助けというと偉そうだけど、子どもたちと一緒に学び合っていきたいんですよね」

悩みといえば、日本ではまだセクシュアルマイノリティを対象にした里親制度が整っていないこと。

「もともと楽観的な性格なので、将来的には里親になれるかなって思ってます(笑)」

次世代の子どもたちと共に、希望のある未来を目指していきたい。

「私が20歳の時に誕生日を祝ってもらった時の感動や、人として尊重されている感覚を、子ども達にも感じてほしいんです」

あとがき
投げられた心無い言葉、冒険した大阪旅行・・・当時の悲しみや興奮が伝わったタイガさんのインタビュー。「中2で知ったネットの世界が救ってくれた」という。課題も多いインターネットだけど、世界は広いと教えてくれた■学校嫌いだったタイガさんが、今はそこにいる。あるべき姿を語ったりはしない。ただひたすら一緒に漂ってくれる。そんな人がそばにいてくれたら、明日は生きようと思える。絶望から、きっと離れられる。(編集部)

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