INTERVIEW

自分と家族と仲間と越えた 新たな人生へのハードル【前編】

 本当に楽しそうに笑う人だ。鈴木麻斗さんに会ったときに、まず、そう思った。軽やかな笑い声を響かせて、目を輝かせて。まさに、生き生きとしているのだ。それはきっと、彼が今、本当に自分らしい新たな人生を歩み始めたからなのだろう。しかし、性同一性障害を抱えて生きてきた20年間の辛さも、心のなかに確かに存在する。“人間としての強さ”に姿を変えて。

2015/09/11/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
鈴木麻斗 / Asato Suzuki

1989年千葉県生まれ。高校卒業後、理学療法士を目指して専門学校へと進み、2012年に介護会社へ就職。2014年からリハビリ特化型デイサービス「機能回復リハセンター 篠崎」のセンター長を務めている。2009年から性同一性障害(GID)の治療のためカウンセリングを開始し、2011年から治療へ。2013年に性別適合手術を受ける。NPO法人P-net代表、クラブイベントPROGRESオーガナイザー。

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INDEX
01 転校先での恒例“道場破り”
02 いじめ、そして自殺願望と人間不信
03 辛い日々に見つけた、ひとつの夢
04 性同一性障害という言葉との出会い
05 大号泣のカミングアウト
==================(後編)========================
06 男として新たな人生を歩むため
07 鈴木さんから、鈴木くんへ
08 心と身体が一致するとき
09 GIDの存在を知ってほしい
10 世界一のリハビリ施設を目指して

01転校先での恒例 “道場破り”

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男として認めてほしかった女の子

「このクラスで一番強いのダレ?」

小学校で転校2回。そのたびに鈴木さんは、クラスで一番喧嘩の強い男子を指名して、勝負を挑んでいた。まるで、道場破りのようだ。しかし、Tシャツにパンツ姿とはいえ、小学生の女の子である。なのに、喧嘩を売る。そして、勝ってしまう。

「6年生のときに千葉へ引っ越してきて、初めて負けたんです。やっぱり、そのころになると男女で体格差が出てきちゃうので……。今になって考えると、あのときの自分は、喧嘩に勝つことで男として認めてほしかったんだと思うんです」

髪をのばすのが嫌で、スカートをはくのが嫌い。おままごとやお絵描きなんかよりも、サッカーや鬼ごっこが好き。そして、喧嘩。おてんばすぎる子ども時代、自分は男なんだと信じて疑わなかった。

兄貴と親父と、自分は違う?!

そんななか、5年生のとき、初潮教育があった。女子だけ教室に残って、生理とは何か、これから起こる体の変化について学ぶ時間だ。教室を出ていこうとしたら、先生に呼び止められ、自分が女性である事実を突きつけられた。

「大人になると生理がきて、胸が膨らむ。え、俺もそうなのって、びっくりしました。兄貴にも親父にもぶらさがっているモノが、自分にもいつか生えてくるもんだと思ってましたから。そこでやっと、自分は女性だったんだ、生えてこないんだということを認識しました。……ショックでしたね」

もしかしたら、薄々とは気づいていたことだったかもしれない。それを打ち消すための喧嘩だったかもしれない。見ないように、受け入れないようにしてきたこと。それが突然、目の前に動かぬ事実として突きつけられたのだ。ただ、肩を落とすしかなかった。

しかし、同時に鈴木さんを苦しめるものが、もうひとつあった。

いじめだ。

02いじめ、そして自殺願望と人間不信

バケモノと言われて

「僕、小中高とバイト先でもいじめられたんです。なんかスゴイですよね」

鈴木さんは、そう笑いながら話す。しかし、そのいじめの内容は、笑いながら聞けるものではなかった。朝、登校したら上履きがなく、ゴミ箱やトイレやグラウンドに捨てられている。教室に入ったら机がなく、ベランダに出されている。上履きを探すとき、机を教室にもどすとき、誰も手伝ってはくれない。みじめだった。

「バケモノとかオトコオンナとか言われて……、超ツラかったですよ。先生にも親にも、誰にも相談できなかった。自分がいじめられていることが恥ずかしかったし、僕が相談したおかげでいじめている子が怒られたりなんかしたら、いじめがエスカレートするんじゃないかと怖かった。誰がやったのか分からないイタズラもたくさんありました。ベランダから机を戻している僕を見て、みんな、陰で笑ってたのかもしれないですね」

いじめに耐えながら登校するのが辛い。自分が女性だと認めたくないのにセーラー服を着なければならないのが辛い。いろいろ辛い。

「毎日、死にたいって思っていました」

死ねと言われても死ねない

そして、中学2年生のとき、クラスの男子4人に屋上に呼び出された。セーラー服の胸ぐらをつかまれ、フェンスに押し付けられ、「オマエ、早く死ねよ!」と言われた。

「ずっと死にたいって思っているのに、死ねと言われても死ねなかった。胸ぐらをつかんでたやつを蹴っ飛ばして、逃げたんです。なんで死ねなかったんだろう。もちろん、死ぬのが怖いからというのもある。じゃ、なんで僕は死にたいんだろう。そこで気づいたんです。僕は、自分が生きたいように生きられないから死にたいんだ、と。じゃあ、自分らしく生きられるように努力しようと思ったんです」

しかし、長い間いじめの対象となっていたために他人が信じられず、さらには、次第に躁鬱病のような状態に陥っていった。学校の休み時間は、誰ともコミュニケーションをとらず寝ているだけ。声をかけてくれる人がいても、無視してしまうこともあった。

笑顔で話しかけてくるけど、もしかしたら、この人が自分をいじめているのかもしれない。優しくされればされるほど、怖い。そして、ますますクラスから孤立していった。その負のスパイラルから逃れられないまま、12年の学生生活を過ごすことになったのだ。

03辛い日々に見つけた、ひとつの夢

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バレーボールだけが自分の居場所

「保健室登校も考えたんですが、さらに孤立するのが怖かった。死ぬのも怖いし、何をするにも怖かった。でも、部活だけはがんばってたんです。唯一、自分が必要とされていた場だったから」

中学生からバレーボールを始め、県大会にも出場する強豪校のレギュラーとして活躍していた。女子サッカーなどに比べ、ボーイッシュなタイプが少ない女子バレーボール部において、ツンツンと髪を立てたショートカットの鈴木さんは女子から熱い注目を浴びた。

「大会になると、他校の女子から『プリクラ交換してください』って言われたりしましたよ。なんか、やたらモテました」

小柄ながら、ジャンプ力を生かしてレフトでアタッカーを務めた。そのころは、バレーボールをしているときが躁状態で、その以外のときは鬱状態。そのギャップは自分でも驚くほどだったという。

「鬱状態のときは、笑わないし、ずっとうつむいてました。バレー部には友だちと呼べる人もいたんですが、いじめについては打ち明けられませんでした」

居場所を失った、その先で

高校生になってもバレーボールは続けた。しかし、ある日、バレーボールから離れざるを得ない事故が起こってしまう。練習中、走ってボールを追いかけていて、ふと振り返ったときに左ひざのじん帯を切ってしまったのだ。治療とリハビリに1年かけて、やっと復帰できたと思ったら、なんと、次は右ひざのじん帯も痛めてしまった。

さすがに意気消沈して、暗い気持ちで診察を受けていたときに、診察室を訪れてくれた人がいた。1回目の怪我のときのリハビリをサポートしてくれた理学療法士だった。

「大丈夫? って、忙しいのにわざわざ様子を見にきてくれたんです。なんて優しい人なんだろう、と感動しましたよ。ほんと落ち込んでいたので、とても嬉しくて。怪我をした人や病気になってしまった人は、心まで病んでしまいがちです。そんな患者の心に寄り添うような理学療法士になりたいと、そのとき思ったんです」

まさに怪我の功名。怪我は痛いし、バレーボールができないのも辛いが、将来目指すべき仕事が見つかった。「じん帯を切って、結果的によかったのかも」と、そのときのことを思い出して、鈴木さんは笑った。

04性同一性障害という言葉との出会い

生理がくるたび、死にたくなる

いじめで苦しむと同時に、自分の心と身体のギャップでも苦しんでいた思春期。バレーボールは束の間の救いとなったが、生きる苦しみは続いていた。

「生理がくるたびに死にたくなりました。女性の身体であることを思い知らされるのが辛くて。それに、夏もイヤでした。胸は小さいほうでしたが、Tシャツ一枚だと、やっぱりふくらみが出ちゃうから。いつも猫背でしたね」

日常生活のありふれたシーンでも、“現実”は鈴木さんの心を鋭く切りつけた。

「毎日、お風呂に入ることさえイヤだったんです。お風呂の鏡に、女性の身体を映っているのを見るたびに、脳が錯覚を起こしてました。あれ、俺の身体なの?って。脳では、僕の身体は男なんです。夢のなかなら、立ちションだってしてるんですよ。とにかく、自分の身体が嫌いで。見るのもイヤだった。公衆トイレだって、どっちに入ろうか悩みました。男子トイレに入ったら変な目で見られて、女子トイレに入ってもおばさんに『男性はあっちよ!』と言われたり。なので、多目的トイレを使うようにしていました」

自分は男なのか女なのか? 自分の身体が嫌いで堪らない。死にたい、死にたい!

そんな混沌とした暗闇のなかで、一筋の光が差した。自分が何者であるのか。そのヒントとなるような言葉が。

僕は、変態じゃなかった

「高校を卒業して、理学療法士を目指して入学した専門学校に、同じ“ニオイ”のする子がいたんです。その子に『オマエ、将来どうすんの?』と聞かれて、『エ、なにが?』と答えたら、『だってオマエ、性同一性障害だろ』って言われたんですよ。正直、『なにそれ?』と思ったんですが、その場は『あぁ、そうだよ、それだよ』と知ったかぶりをしておいて、家に帰ってすぐに調べました」

初めて知った「性同一性障害」という言葉。調べれば調べるほど、自分に当てはまる。自分はコレだったんだ。

「ものすごく救われました。僕は変態じゃなかったんだ。障害なら治療法がある!」

そして、鈴木さんは治療に向けて一歩ずつ進み始めたのである。

05大号泣のカミングアウト

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僕、性同一性障害なんだ

ある日、鈴木さんは決心をする。18年間、誰にも言えなかったことを、やっと巡り合えた信頼できる友だちに伝えようと。

「専門学校の仲のいいグループで、栃木に旅行へ出かけたんです。僕はもう、このタイミングで絶対に言おうと思ってて、一日中ソワソワしていました。みんな仲良くしてくれているけど、本当のことを話したら、離れていくかもしれない。いじめられていた経験から、人を信じられない気持ちが、まだ残ってたんです。だから、怖くて」

イチかバチか。勇気を振り絞り、言った。

「みんなに言いたいことがある。僕、性同一性障害なんだ」

「うん。だよね。知ってたよ」

知っててくれた。本当の自分を知っててくれる人がいる。ホッとした途端、堰を切ったように涙があふれた。その日は、思いっきり泣いた。

友だちが受け入れてくれて、こんなに心が軽くなるなら、家族にも伝えたい。そう思って、次はお兄さんにカミングアウトした。

「いいんじゃないの? ちゃんと慎重に考えて進めていけば、いいと思う。『妹が男になっちゃいました』って本でも書こうかな(笑)」

お兄さんなりの激励だった。勢いづいて、次はお母さんに伝えようとした。しかし、なぜだか今度ははっきりと伝えられない。友だちよりも、お兄さんよりも、そこにはさらなる勇気が必要だったようだ。

「性同一性障害という言葉が出せなくて。胸のふくらみを押さえるための、通称ナベシャツがほしいって、母に言ったんです。なぜ胸のふくらみを押さえたいのか、その理由は言えませんでした。『あんた、なんでそんなの必要なの? スポーツブラでいいじゃない』って言われて、そのときはそれで終わりました」

家族への本気の告白

それでも、鈴木さんは諦めることはできなかった。なぜなら、治療をスタートして、男子生徒として専門学校に通うという目標があったから。カウンセリングの予約を入れて、再びお母さんと向き合った。

「性同一性障害って知ってる? 自分はたぶんソレだと思うんだよね、専門家の意見が聞きたいから、カウンセリングに行ってくるって伝えたんです。そしたら、『生まれたときから、あんたのこと知ってるけど、たぶん違うよ』って言われました。で、専門家もきっと同じ意見だろうから、と送り出されたんです。そして、カウンセリングが進み、単身赴任中の父にも、状況を伝えることになりました。父は『そうか、生きたいように生きろ。なにかあったら、父ちゃんが力になるから』と言ってくれたんです」

診断結果は、やはり性同一性障害。両親は、戸惑いとあきらめが入り混じった反応だったという。そんなとき、目の前に専門学校の長期実習が迫っていた。なんとしても、男子として実習に行きたい。その気持ちが、鈴木さんを後押しした。

後編INDEX
06 男として新たな人生を歩むため
07 鈴木さんから、鈴木くんへ
08 心と身体が一致するとき
09 GIDの存在を知ってほしい
10 世界一のリハビリ施設を目指して