02 いじめ、そして自殺願望と人間不信
03 辛い日々に見つけた、ひとつの夢
04 性同一性障害という言葉との出会い
05 大号泣のカミングアウト
==================(後編)========================
06 男として新たな人生を歩むため
07 鈴木さんから、鈴木くんへ
08 心と身体が一致するとき
09 GIDの存在を知ってほしい
10 世界一のリハビリ施設を目指して
06男として新たな人生を歩むため
女性の名前との決別
まずは、名前を変える必要があった。「なにかあったら、父ちゃんが力になるから」と理解を示してくれていたお父さん。いざ、“名前を変える”という段階になると、立ち向かう問題がリアルに浮かび上がり、すこし怯んでしまったようだった。
「名前を変えてしまったら、もう男としてしか生きられないんだぞ。本当にいいのか?」
実は、鈴木さんの名前に対して、お父さんには特別な思い入れがあった。鈴木さんが、まだお母さんのお腹にいるころ、性別がまだ分からないにも関わらず、お父さんはお腹にいる赤ん坊に「あさみちゃん」と呼びかけていたのだという。
「この子は女の子に違いない。名前は麻未がいい」
そうして生まれた、待望の女の子だったのだ。そのお父さんの気持ちを知ってはいながらも、改名を渋るお父さんに対して、鈴木さんは反発してしまう。
18年分の苦しみと家族の想い
「女として生きられないから、こんなに苦しんでんだよ! ずっと苦しんできたんだ! この苦しさ、わかんねえだろ!」
18年間の苦しみを両親にも理解してほしいのに。分かってもらえない悲しさ、早く男として生きたいという焦りで、心が焼けつきそうだった。
しかし、やがて気づく。18年間、自分でさえ理解できなくて、誰にも言えずにいたことを、両親にはすぐに理解してほしいなんて、そんなの無理じゃないか。
ある日、家族共用のパソコンで、インターネットの検索履歴を見たら、こんなキーワードが残っていた。性同一性障害、生き方、幸せ。そして、名前の画数を調べた履歴も。
「うれしかった。僕のために両親もいろいろ考えてくれているんだということが分かって。時間はかかるかもしれないけど、すこしずつ理解してもらおうと思いました」
画数を調べながら、名前を考えてくれたのはお母さんだった。
麻斗。お父さんからもらった、麻未という名前の「麻」。そして、お母さんからもらった「斗」。ふたりからもらった、大切な名前。改名申し立てが許可され、いよいよ、新しい人生の幕が上がろうとしていた。
07鈴木さんから、鈴木くんへ
また、いじめられてしまうかも
次のハードルは、学校のクラスメイトにカミングアウトすることだった。これから男として生きていくためには、飛び越えなくてはならないハードルだ。
「授業を始める前に、鈴木からみんなに伝えたいことがある」。先生に促され、クラスメイトの前に立つ。
「怖かったです。みんなの前に立っただけで、ひと言も発せられないまま泣いてしまいました。また、いじめられてしまうかもしれない。もう、学校にいられなくなるかもしれない。でも、それ以上に女子として生きるのが嫌だという気持ちのほうが強かったんです」
呼吸を落ち着かせて、ようやく口を開く。
「自分が性同一性障害を抱えていること。先生と相談して、男として学校に通わせてもらえるようになったこと。やっとの思いで伝えて、席に着きました。みんなの顔は見られなかったですね。どうしても怖くて」
新しい名前で、新しいスタートを
そのあと、授業を始める前に出席をとった。鈴木さんの通う学校では、男子は“くん”付けで、女子は “さん” 付け。そして、先生が言った。
「鈴木……は、今日から“さん”じゃなくて“くん”だな」
みんなが、あたたかく笑ってくれた。
授業が終わったあと、クラスメイトたちが集まって「あの演説よかったな!(笑)」「本当は気づいてたよ」「よく今まで我慢したな」と肩を組んでくれた。
「言ってよかった。それから、また学校が楽しくなりました」
そして、各地の病院やリハビリ施設での長期実習が始まった。もちろん、男子生徒として参加だ。
「聞くところによると、ホルモン治療をしてから改名するのが一般的らしいんです。でも、僕の場合は先に改名をしてしまいました。だから、実習先で『鈴木くんって、女の子みたいだよね。肌とか指とかキレイ』って言われたりしましたよ。ときには微妙な反応をされることもありましたけど、気にしません。新しい名前で、新しいスタートを切れたから」
2年間の実習のあとには、次のハードルが待っていた。いよいよホルモン治療が始まる。
08心と身体が一致するとき
ホルモン治療と身体的治療
ふたつのクリニックでの計14回にわたるカウンセリング、染色体検査やホルモン値の測定など様々な検査を受け、2名の医師による診断書と意見書を受け取った。
そして、男性の身体に近づくため、エナルモンデポー(男性ホルモンの一種)の投与が始まった。声が低くなり、月経が停止し、陰核が大きくなるという効果があるとされているホルモンである。
「注射を打つと、身体が熱くなってダルくなっちゃうんです。でも、次第に顔つきが男らしくなってきて、声も低くなりました。肌質も変わりましたね。特に、ニキビがひどくなっちゃって。でも、辛くはありませんでした。ただ、身体の変化が楽しみでした」
3週間に1回。定期的に血液検査で身体の状態をチェックしながら投与する。徐々に心と身体が近づいてくるうれしさを糧に、投与による痛みや身体のダルさに耐え、今後起こるかもしれない副作用への恐怖にも耐えた。
次に、鈴木さんが越えたハードルは身体的治療だ。性別適合手術である。
その頃には専門学校を卒業し、介護会社で理学療法士として働き始めていた。あらかじめ事情を知っていた社長も背中を押してくれ、手術を受けるためタイに向かった。
「ついに手術だ、といううれしい気持ちが高まると同時に、罪悪感もありました。せっかく元気な身体に産んでもらって、育ててもらったのに、あえて傷をつけるなんてこと、本当はやっちゃいけないよなって。やっぱり、この身体で生きていく方法はないのかなとも考えました。どうしても両親のことが頭をよぎるんです。それでも、やっぱり僕は男として生きたい、心から元気になった姿を両親に見せよう、と思って手術に踏み切りました」
今までバラバラだった心と身体をひとつにするための手術。それを乗り越えてこそ、自分は幸せなんだよ、と両親に伝えよう。
2週間足らずの滞在を経て、帰国。ついに、名実ともに男性としての人生が始まった。
男とか女とか、どうでもいい
「ある日、テレビを見ながら、母とご飯を食べているときに、3.11を映像で振り返る番組が放送されていたんです。震災のとき、僕たち家族は全員バラバラだったんです。父は岩手の久慈、母は自宅、兄は仕事場、僕は栃木で実習中でした。母と兄と僕は、すぐに連絡がとれて、家に集まることができたんですが、父とは3日経っても連絡がとれない。もう、だめかもしれないとあきらめかけたとき、やっと父から電話があったんです。携帯の手回し式充電器を足で回しながら。本当に、生きててよかったと思いました。あの日、被災地ではたくさんの不幸がありましたが、僕たち家族にとっては絆が深まった日でもあったんです」
そして、そのときのことを思い出して、お母さんが言った。
「生きていたからこそ、バラバラだった家族が、もう一度会えた。わたし、家族が生きててくれたら、もう、男とか女とか、どうでもいいや」
心からの言葉だった。
09GIDの存在を知ってほしい
当事者と周りの人のための活動
鈴木さんは職場のみんなに、自分がもとは女性だったことを話している。
「そういう人が身近にいるということを知ってほしいんです。性同一性障害(GID)の存在を多くの人に伝えたいんです。僕のことを知ることで、その人は『自分の職場にも性同一性障害の人がいる』『意外と普通のことなんだ』と思ってくれるかもしれない。それに、僕自身が、性同一性障害の存在を知って、自分が何者であるか分かって救われたから」
さらに積極的に、性同一性障害への理解を広めるため、そして当事者をサポートするため、鈴木さんはNPO法人Medical G Linkの代表として活動している。誰もが安心して医療を利用できるように、学校や病院、企業で講演会を行ったり、性同一性障害をもつ親や医療従事者向けの勉強会を開催している。
それに加えて、FTMによる大阪のクラブイベントPROGRESのオーガナイザーも務めている。内容は、DJイベントもあれば、トークショーのときも。特に、トークショーは経験談を聞けるとあって、親と一緒に参加する当事者もいるという。
「うれしい反響をいただくこともあります。今を幸せそうに生きている僕たちを見て、参加した親御さんが娘さんに『あんたも、あの人たちみたいに幸せになって』って言ってくれて、娘さんも『初めて、お母さんと向き合えた』と。このトークショーで、自分以外の当事者に初めて会ったという参加者もいました」
カミングアウトしやすい環境を
イベントに参加した人の目には、鈴木さんは希望の光に見えているのかもしれない。その期待を背に、仕事に励み、活動に励む。
「僕が高校を卒業するまで、いじめについても性同一性障害についても、誰にも話せなかったし、誰も気づいてくれなかった。でも、本当は話したかったし、気づいてほしかったんです。僕は、当事者が話しやすい環境をつくりたい。周りの人たちが、性同一性障害の存在を知って、受け入れてくれる態勢でいてくれると、とても心強いと思うんです。たとえば、『友達にレズビアンのカップルがいて、なんか幸せそうなんだよね。わたし、そういうのいいと思う』なんて、さりげなく会話にはさんでくれたり。そうすれば、当事者は、あ、話してもいいのかな、と心が軽くなるかもしれないですから。身近なところから、そういったコミュニティづくりをしていきたいですね」
10世界一のリハビリ施設を目指して
リハビリへの熱い想い
鈴木さんは現在、リハビリ特化型デイサービスにて、理学療法士として、そしてセンター長として勤めている。デイサービスという施設の特性上、利用者は高齢者が多いが、特定疾患を抱える40代もいるという。
リハビリに関しては、マシンを揃えてはいても、サポートするのはパートの主婦などが多いとされるデイサービスにおいて、理学療法士が在籍するケースは珍しい。
「やはり、機能回復のプロである理学療法士がサポートすることで、リハビリの効果は上がります。歩けないのも、腰が痛いのも、原因は人それぞれ。その原因を、理学療法士とトレーナーが共有して、リハビリに臨んでいます。スタッフ全員、勉強熱心で、リハビリに対する想いは、かなり熱いんです」
いつもスタッフに問うことがある。「自分のおじいちゃんやおばあちゃんを、ここへ通わせたいと思うか」と。
「僕は、絶対に通わせたい。こんないいリハビリをやっているとこ、他にあるのなら教えてほしいくらい(笑)。ここを、世界で一番のリハビリ施設にしたいんです。それだけのプライドをもって、やっています」
みんなが心から笑えるように
いじめと性同一性障害の苦しみを乗り越え、理学療法士として目標に向かって突き進む鈴木さん。もちろん、自身の努力あっての今ではあるが、ここに来るまでには、専門学校の友だち、職場の上司や仲間、そして家族の支えも大きかったのだろうと思う。
それから、付き合って2年になる彼女。あと2年以内には結婚したいと思っているとのことだ。お互いの両親の説得、妊娠や出産・・・・・・、また新たなハードルが見えているが、きっと彼女とともに飛び越えられるはずだ。
「本当に、自分は恵まれていると思います。家族や仲間、彼女、僕とつながってくれている人みんなが心から笑えるように、これからもずっと、この関係を大事にしていきます!」
そう言って鈴木さんは、とびきりの笑顔をくれた。