INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

子どもがLGBT。それは、特別なことじゃない。

「ほんと素敵なの、あの子。大好きって、いつもハグしちゃう。今はパートナーと一緒に住んでるから、家に来ても『行ってくるね』と帰ってしまうので寂しいです。ジェラシィーーッ(笑)」と、愛娘について語る鈴木由美さん。通っている大学でLGBTサークルを立ち上げ、悩みを語り合うランチ会を開催したり、東京レインボーパレードに参加したりと奔走する娘を眩しく見つめる親の目は、広くて深い愛情にあふれていた。

2017/08/08/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
鈴木 由美 / Yumi Suzuki

1967年、埼玉県生まれ。サラリーマンの父、自宅で美容院を営む母のもとで育つ。母の勧めで歯科衛生士を目指し、横浜の専門学校に進学、現在の夫と出会う。26歳で長男、27歳で長女を出産。現在は歯科衛生士として勤めつつ、母として妻として家庭を守りながら、レズビアンであることをカミングアウトした長女のさまざまな活動を応援している。

USERS LOVED LOVE IT! 121

01みんなと同じなんて、なんか変

母がいつも応援してくれた

「生まれたのは埼玉の田舎でした。運動が得意だったりと、わりと目立つほうだったので、いじめられることもありました」

「そんな、田舎にありがちな “みんなと同じじゃなきゃいけない” という風潮ってなんか変だなと、いつも思っていて」

「いつか田舎から飛び出したいと、ずっと思っていました」

そこで、高校は実家がある街よりも規模の大きな街にある高校を選んだ。

新しい街で、新しい環境で、生まれ変わりたかった。

「とにかく “本当の自分” を表現したくて、バンドを始めたり、生徒会にも参加したりして・・・・・・」

「一気に弾けた感じでした(笑)」

「母が、いつも応援してくれたんです」

「昔の家庭ならではの “お父さんの言うことは絶対” という雰囲気があって、父に対しては出過ぎたことは言わなかったんですが、母はちゃんと私の背中を押してくれました」

妊娠に気づいたのは6ヶ月目

歯科衛生士を勧めてくれたのも母だった。

実家から通える範囲にも専門学校はあったが、志望したのは横浜の専門学校。

なぜなら、その学校には寮があり、一気に田舎から飛び出せるチャンスだったからだ。

しかし、父は猛反対。

そんなとき、父を根気強く説得してくれたのも母だった。

「母には、今も感謝しています」

「もともと母は、いろんなことに寛容なタイプだったんだと思います。孫である娘が金髪にしたときも、驚きもせずに『いいね、かわいいね』とか言ってましたし(笑)」

そして、横浜の専門学校に通う学生時代、現在の夫と出会い、そのまま結婚。

やがて長男が生まれ、その1年後、長女が生まれた。

「実は、娘がお腹にいることに気づいたのは妊娠6ヶ月目だったんです。それまでは、体の調子がおかしいのは花粉症のせいだと思っていて」

「気づいたのが6月で、11月にはもう生まれてきちゃった(笑)」

「出産もポンッて感じで、ラクでした。ほんと手のかからない子でした」

02母親として、ではなく同じ視点で

ポジティブな情報で説得を

年子の息子と娘。

息子は穏やかで優しいタイプ。娘は、兄を尊敬しつつも、どこかライバル心もあり、お互いに切磋琢磨しながら成長していった。

その後、息子は都内の名門中学へと進学。

夫は、ゆくゆくは一流大学に進学して、官僚や医者など、エリート道を歩むだろうと期待していた。

「でも、息子は美大を志望したんです。小さい頃から絵を描くのが好きで。もう、夫は頭ごなしに反対していました」

「私は、子どもたちの進路に関しては好きにさせてあげたかった」

「息子と何日も話し合ったり、美大出身で活躍している芸術家とか芸能人とか、ポジティブな情報だけを伝えたりして、かつて母が父を説得してくれたように、私も少しずつ夫を抱き込んでいきました(笑)」

「そのときにやりたいことをやらせてあげたいし、ダメならやりなおせばいいと思って」

兄の進学に関して一悶着あったおかげか、妹は進学で揉めることなく、比較的スムーズに志望した進路を進むことができた。

「娘に関しては、子育てで苦労した記憶はありません」

「むしろ、私が娘に育ててもらったような感じです(笑)。私が落ち込んでいるときに手紙を書いてくれたり、誕生日に心からお祝いをしてくれたり」

「あの頃の手紙は、今でも私の宝物です」

「今、あの子が自分からアイデアを出して、ときに潰されそうになりながらもLGBTの活動にチャレンジしている姿を見て、心から応援したいと思っています」

「でも、それは親としての視点ではないかも。一緒にがんばっている仲間のような、同じ視点のような気がします」

「そもそも、母親としての立場で娘に接していないかもしれません。私にとって娘は、信頼できる小さなお友だちという感じでした」

「しつけらしいことはしてないし、『こうなってほしいから、こう育てよう』っていう “理想の子育て論” のもなかった」

だからといって、子どもに期待していないのではなかった。

親がやらせるのではなく、すべて子ども発信であってほしいと思っていたのだ。

子どもの意見を尊重する

しかし、子どもに大きな期待を抱くのも、他の子と比較して心配するのも間違いなく親心だ。

「私は、人と違っていていいと思っています。みんなと一緒じゃなくていいんだよって」

「小学校のランドセルを選ぶとき、赤か黒が主流だった時代に、娘はピンクを選んだんです」

「周りと違うものを持つことは、目立ってしまう可能性もあったと思います。でも、いいじゃん、自信もって行きな、と背中を押しました」

周りからはみ出すことを恐れて反対するよりも、子どもの意見を尊重して背中を押してやる。

そもそも、みんなと一緒である必要はないのだ。

そして、家族と接するうえで、子ども達が小さい頃から、大人になった今でも大切にしていることがある。

「朝、玄関で送り出すとき、娘には『かわいいね!』『その服、すてきだね!』とか、息子や旦那には『今日もかっこいいよ!』とか、声をかけるようにしています(笑)」

ポジティブに1日をスタートする。

その積み重ねのおかげで、娘は自信をもって前に踏み出せる人間へと成長したのだろう。

03まずは、否定せずに話を聞く

ダメって言うのは親のエゴ?

「娘からのカミングアウトは中学生のときかな、高校だったかな」

「すみません、忘れちゃってるくらいなんです。聞いたときも、ふーん、そうなんだって感じで(笑)」

小さい頃から女の子のアイドルが好きだったし、もしかしたら男の子よりも女の子が好きなのかな、と思ったこともあった。

とはいえ、LGBTに対して特別な感情も確かなイメージももっていなかった。

「それに、私の考えの基盤に『相手を否定しない』というのがあるんです。否定せずに、とりあえず相手の話を聞く」

「なるべく同調して、吐き出したいことを吐き出させる」

しっかりと話を聞いて、考えを知ってから、どうしたいか決めさせる。

「だって、否定されたら、そこで折れちゃうじゃないですか。折れちゃって、何も言わなくなっちゃうかもしれない」

「だったら、どんどん思ってることを言ってもらったほうがいい。会話はとっても大切です」

「頭ごなしの否定なんて大嫌いです。それに、私は自分がポンコツなので、子どもにダメだなんて言えない(笑)」

「大人はどんどん凝り固まっていくけど、子どもはいろんな刺激を受けて日々成長しているんです」

ダメだと言うのは、親のエゴなのかもしれない。

カミングアウトは自分の言葉で

子どもは、親が想像できないようなことを経験し、ときに思わぬような成長を遂げることもある。

それを止める権利は、親にもないのかもしれない。

そんな風に考えられる母親だからこそ、娘は思い切ってカミングしてみようと思えたのだろう。

しかし、カミングアウトを受けたのは母親である自分だけだ。夫も兄である息子も、何も聞いていない。

「でも、ふたりとも薄々とは知っていると思いますよ。でも、私から言ったりはしません」

「あるとき、夫が冗談ぽく『あいつレズなんだろ〜?』って訊いてきたので、同じく冗談ぽく『そうかもよ〜っ』と答えただけ」

「夫や兄に伝えるのは、娘から直接のほうがいいと思っています」

言いたくないなら言わなくてもいいと思う。

自分の言葉で伝えたいこともあるだろうから。

04当事者親子の力になりたい

カミングアウトできない人のため

娘とは本当に仲良しだ。

夕飯を食べながら、一緒にお風呂に入りながら、娘は母に今日あったことを報告するのだという。

カミングアウトがあってからは恋愛相談が増えたとか。

「私自身も、夫婦喧嘩の相談にのってもらうこともあります(笑)」

「娘は今、カミングアウトできない人のためのボランティアもがんばっているんです」

「自分が中高生の頃に悩んでいたときにボランティアの方が力になってくれたので、今度は自分が力になってあげたいみたいです」

「私も同じ気持ちです」

「自分の子どもが、LGBTであることを受け入れられない親御さんがいらっしゃったら、『そんなことは特別なことじゃないし、息子さんや娘さんが成長しているなら、それでいいじゃないですか』って言いたい」

「娘は、中学校や高校で講演したりしているんですが、私も人前で上手く話せたら、親に向けてメッセージを伝えたいです」

「でも、講演まではできないので、今回の『LGBTER』のインタビューで少しでも力になりたいと思ったんです」

「子どもにとって、親は大きな存在。特に、こういったセクシュアリティの問題は、友だちにだって相談しにくいし」

カミングアウトされる側がラクに受け止められる方法。

それは簡単なことではないが、考え方ひとつで実現できる可能性もある。

その基盤となるのが教育だ。

先生はニュートラルな立場で

「親は子どもの将来に対して、『こうなってほしい』と、より具体的に思いがちです。私は、そういうのがなかったんですが(笑)」

「『こうなってほしい』のなかには、息子だったら女性と、娘だったら男性と結婚して、結婚したら子どもをつくって・・・・・・という考えが根強く存在しているように思います」

そうではない家族のかたちがあることも知ってほしい。

LGBT自体のことももっと知ってほしい。

「子どもと親が一緒に知っていく機会があったらいいですね」

「娘は、学校の性教育の時間に先生が言った『同性愛は汚い』という言葉に深く傷つきました」

「子どもたちが教育の場で性の多様性について知れるのなら、先生は、たとえ個人的には受け入れられなくても、ニュートラルな立場で子どもたちに接してほしいなと思います」

「いろんな人がいる。いろんな考えがある。受け入れられなくても、知ることは必要だと思うんです」

「マイノリティだからといって、よく知らないからといって、そこだけ“特別” にしてほしくないですね」

偏見は無知から生まれる。

セクシュアリティの問題は、“気持ち悪い”“いやらしい”・・・・・・ともすればマイナスイメージに覆われてしまいがちだ。

「私自身、LGBTについて詳しくは知りません。でも、パレードに行ったときにみんな本当に楽しそうにキラキラしていて、私たちと何も変わらないし、特別な存在でもないと感じました」

パレードなどで “触れること” は、“知ること” の第一歩。

そうでなくても普段の生活で誰もが自然にLGBTと出会って触れ合っている。

まったく特別なことではないのだ。

05レインボーパレードでハイタッチ

親だってパレードに来るんだよ!

娘が参加しているとあって、東京レインボーパレードに初めて行ってみたのは2年前の2015年のこと。

そして今年のパレードでは参加者とハイタッチしすぎて、次の日に肩が痛くなった。

「実は、初めて参加したときは、どういうものか分からなかったので、興味津々ではあったんですが、少し緊張していました」

「でも、行ってみたらみんな楽しそうだったのでビックリ。なので、今年は思いっきり楽しみました」

「娘と一緒に、パレードに参加している、LGBTサークルのお友だちとも話しますよ」

「『親だってパレードに来るんだよ! がんばれー!』って応援したいんです」

「理解者はたくさんいる。応援している企業も、こんなにある。自信をもって進んで!って」

「娘の大学の先生は小さいお子さんを連れて来ていました。」

「こういう親子が増えたらいいな。小さい頃から自然に情報が入ってくると、自然に受け入れられるようになるから」

そんな風にしっかり満喫した2017年のパレードだったが、ひとつ後悔していることがある。

いつか親子3人でパレードに

パレードの途中だったが、帰らなければならないときだった。

「原宿から表参道に向かったんです。ちょうどその頃、パレードが表参道を通っていたんですが、沿道には応援している人の姿がなく、シーンとしていました」

「飛び出していって、みんなとハイタッチしたかった。でも、信号待ちでイライラしている人もいる前で勇気が出なくて・・・・・・」

「娘に話したら、『そういうときこそ、やらなきゃ!』と言われて、そうだよね〜って」

「来年はやります!」

娘からのカミングアウトを受けていない夫も、妻がパレードに行っていることは知っている。

しかし、まだ一緒に行ったことはない。

「主人とは『パレードに行ってくるね』『行ってらっしゃい』って感じです(笑)。娘から直接のカミングアウトがないとはいえ、やっぱり分かっていると思いますよ」

なぜ、妻がパレードに行くのか。
なぜ、娘がパレードに参加しているのか。

その理由を少しでも手繰り寄せれば、あるいは手繰り寄せなくても、家族ならばきっと分かるはず。

「主人も娘のことが大好きなので、誘えば来ると思いますよ。石頭ですが、パレードでキラキラしている娘を見たら変わるかも」

「親子3人で参加できたらすごいですよね」

「いろんなメディアにアピールしないと! これが当たり前なんだよって発信しないと!」

LGBTは特別なことではない。
親が子どもを応援するのは当たり前のこと。

それを、身をもって発信したい。

05「なんでもやってみな!」

世の中を変えるのは子どもたち

「娘は、LGBTの活動のために一生懸命勉強しているし、ボランティアもがんばっているし、ほんとすごいなって思います」

「多くのひとが『みんなと一緒が安心』と思うなか、ひとり飛び出すのって難しいから」

「きっと壁にぶつかることもあると思うけど、私は背中を押します。だって、やってみないと分からないじゃないですか」

「子どもたちが小さい頃から、いつも言ってるんです。『なんでもやってみな!』って。やってみてダメなら、諦めるなり、さらに努力するなりすればいい」

まずは踏み出さないと。

「子どもには失敗させたくないのも親心。でも、失敗を恐れちゃうと何もできないと思うんです」

子どもたちの目の前には、これから越えていかなければならないハードルがある。

「娘は女性と付き合っていますが、今の日本では結婚できません。それも、結婚できるように変えていけばいいって思う」

「世の中を変えるのは子どもたちの世代なのかも。実現は簡単じゃないけど、動かないと進まないから」

とにかく話を聞きたい

前へ前へと進んでいく娘の力になりたい。自分にできることは何だろう。

「悩んでいる親御さんがいらしたら、話を聞きたいです」

「親だから子どものことを想っていろいろと心配するのではなく、親だからこそ、子どもを信頼して前向きに歩ませてあげたい」

「とはいえ、いろんな親子のスタイルがあると思うので、私はこう思うとか、こうした方がいいとか、無責任な発言はかえって相手の重荷になるかもしれない」

「だったら、とにかく話を聞きたいです。似たような境遇の人がいて、話を聞いてくれるってだけでも、気持ちがラクになればいいなって思います」

「子どもをひとりの人間として尊重して、娘の人格を大事にしたい。私は、娘を尊敬しています」

 

あとがき
子どもみたいな無邪気さを、自分に許すことができるチャーミングな由美さん。取材スタッフをリラックスさせてくれる雰囲気や明るさは、ご家族にとっての居心地の良さでもあると想像した■「何でもやってみな!」は、子どもがいざと言う時に飛び込んで安心できる懐の深さと温かさ。ためらいを捨てて、トライできる大きな後押しをくれる■ご自身を「ポンコツ」と名づける。愛情を注げる由美さんは、愛されるポンコツ可愛らしいお母さんだった。(編集部)

関連記事

array(1) { [0]=> int(5) }