INTERVIEW
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誰もが ”多様な性の当事者” である、と伝えたい【前編】

髪の毛に明るい色のメッシュ、足元はピンクのスニーカーと、ポップな出で立ちで現れた鈴木南十星(なとせ)さん。明るく、弾けるような笑顔の持ち主だ。今はレズビアンというセクシュアリティをポジティブに受け止めているが、過去にはつらい思いをしたことも。それも含めて「こんなふうに生きてきた、生きている」という自分の姿が誰かの力になれたらと、話をしてくれた。彼女はその名前のとおり、迷える人たちを救う目印になっている。話をすべて聞き終えた時、そう思った。

2017/05/11/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Yuko Suzuki
鈴木 南十星 / Natose Suzuki

1995年、神奈川県生まれ。現在、中央大学総合政策学部4年生。1年生の秋に友人と2人でLGBTについて考えるサークルを立ち上げ、「誰もが多様な性について考えられるようなきっかけづくり」をと、活動を開始した。また、セクシュアル・マイノリティの支援を行うNPO法人のボランティアスタッフとして、学校や自治体などに出向き、レズビアンの当事者として講演活動を行っている。

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INDEX
01 女の人が好き
02 同性愛者って、汚いの?
03 ”らしさ” にとらわれて
04 レズビアンの看板を捨てた
05 母は知っていた
==================(後編)========================
06 仲間がほしい
07 活動を始めて見えてきたもの
08 LGBTは、”新種” ではない
09 与えられた性の役割から解き放たれて
10 「へー、そうなんだ」で済む社会に

01女の人が好き

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グラビアアイドルに胸ときめかせ

小学生くらいから、心惹かれるのはいつも女の人だった。

”女性らしい体つき” に魅せられていたのだと思う。

「叶姉妹や女優の井上和香さんのことが、すごく好きだったんです」

家は郊外にあり、周りには畑が多く残っていた。

「話すのがちょっと恥ずかしいんですけど・・・・・・。畑の中に、エッチな雑誌がよく捨てられていたんです。そのグラビアページにのっている女の人を見て、きれいな体だなあって、ドキドキしてましたね」

これは大人が読んだり見たりするもの。まだ子どもの自分とっては、見てはいけないものなのかもしれない。

そう思いながらも、どうしても「見ちゃう」。

「そのことに罪悪感というか、後ろめたさを感じていました」

自分でも女の子の絵を描いたりしていたが、両親に見つかったら困るからと、いつも破って捨てていた。

みんなも女の子が好きなんだ!

幼心にも、女の人にばかり惹かれる自分は「変なのかも?」とずっと思っていた。

でも、中高一貫の女子校に入ると、周りにも女の子を好きな人がいっぱい。

「みんな普通に、恋バナとして『◯組の◯◯ちゃんて、かわいいよね』『△△先輩のことが好き』なんて、キャッキャとはしゃいでいたんです」

「バレンタインデーになると、もう大騒ぎ(笑)。先輩に、チョコレートはもちろん、手編みのマフラーをプレゼントする子もいました」

なんだ、みんなも女の子が好きなんだぁ。

ホッとした。

「同じクラスの子を好きになったんです。彼女は窓際の席に座っていて、風が吹くと、その子からふわーっといい香りがしてくる」

「あ、いいな、って(笑)」

02同性愛者って、汚いの?

事件は、保健の授業の時に起きた

小学生の頃から、学校でも家でもパソコンが身近にあって、調べようと思えば何でも自分で調べることができた。

インターネットからの情報で、世の中に「同性愛者」と呼ばれる人たちがいることもすでに知っていた。

でも、自分がそれに該当するとは思っていなかった。

「同性愛者というと、何か特別な存在のような感じがして。でも、周りのみんなも女の子のことが好きだと言ってるんだから、自分は特別じゃない」

「だから同性愛者じゃないんだ、と思っていたんです」

ところが、中学3年生のある日、事件が起きた。

保健の授業でHIV・エイズが取り上げられた時のことだ。

教科書に、HIVの感染経路が絵で説明されていた。

それによれば、感染経路は「母子感染」と「血液感染」、そして「異性間の性交渉」の3つ。

「でも私、その頃にはもう、HIV感染は同性間のほうが多いということ知っていました」

「だから先生に『この説明、違いませんか?同性間の感染もありますよね?』と質問したんです」

その男性教師は、少し驚いたような顔をしながらも「なるよ」と答えた。

「ほらやっぱり、と思っていると、先生は続けて『同性愛者って、汚いよな』と言ったんです」

今度は、自分がびっくりする番だった。

そして、怒りが湧いてきた。

「先生のことはけっこう信頼していたのに、同性愛者のことを『汚い』と言うなんてひどい、って」

「ものすごくショックでした」

「そのうち、悔しさもこみ上げてきて・・・・・・」

その時点では同性愛者だという自覚はなかったけれど、なんだか自分のことを否定されたような気がした。

自分は、みんなとは違うのかもしれない

授業の後も、悔しくて涙が止まらない。

その様子を見てクラスメイトたちはびっくりし、「どうしたの?」と声をかけてくれた。

そこで、「さっき先生が『同性愛者は汚い』と言ったけど、それっておかしいよね」と言うと、みんなキョトンとした顔をして「そんなこと、言ってたっけ?」。

「またまたショックを受けました。え、みんな、そんな感じなの? って」

自分が怒りを覚えたことを、クラスメイトたちは何とも思わず聞き流してしまっている。

ひょっとして、自分はみんなとは違うの?

「急に、これまで自分とは違う人たちだと思っていた『同性愛者』という分類に、ポンと入れられたような気がしました」

その日以来、みんなと一緒になって「私、◯◯ちゃんが好き」とは言えなくなってしまった。

その後、高校に上がるとクラスメイトたちは男子校などの文化祭に行くようになり、そこで彼氏を見つける子もいた。

いつの間にか、恋バナの中心は彼氏、男の子の話に。

「私はその頃、学校の活動のほかに『青少年赤十字』の活動をしていて、同年代の男の子たちとも接する機会はたくさんあったんです」

でも、彼らに特別な感情を抱くことはなかった。

やっぱり自分はみんなとは違うのだと再確認した。

03 ”らしさ” にとらわれて

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NPOに掛け合う

保健の授業での一件については、「何とかしなくては」と思っていた。

「自分自身の怒りや悔しさを晴らしたいというよりも、先生という立場の人が同性愛者を差別するようなことを言ってはいけない、このままにしておくのは良くない、と思ったんです」

先生に直接訴える勇気はなかったが、何とかしてこらしめたかった。

インターネットでLGBT関連の情報を集め、その中でLGBTの相談窓口の一つとして紹介されていたNPOが、LGBTである子どもたちの支援を行っていることを知る。

「そこに電話をして、学校でこういうことがあったので何とかしてください、それはよくないことだと学校に伝えてもらえませんか?とお願いしました」

NPOはすぐに学校に連絡をし、セクシュアル・マイノリティ啓発用ポスターを送ってくれた。

そしてそれは、学校の保健室に貼られることに。

気持ちは、少しおさまった。

ただ、「自分はレズビアンである」ということを、なかなか受け入れることができないでいた。

「同性愛者を気持ち悪いと思っている人たちがいる、ということが心に引っかかっていたんです」

レズビアンらしくしなくては

とはいえ、女性の同性愛者は「レズビアン」だということに変わりはない。

「だったら、レズビアンらしくしなくちゃいけないと思ったんです」

”レズビアンらしさ” を身に着けようと、インターネットで検索して情報を集め、レズビアン関連の掲示板を読み込んだ。

「でも、記事の多くがアダルト目線というか(笑)。セクシュアルな内容ばかり」

「”タチ” とか ”ネコ” といった言葉も知りましたけど、まだ女の子とつきあったことがないから、自分がどっちなのかわからない」

「がんばってレズビアンらしくしなくちゃと思えば思うほど、どうすればいいのかわからなくなっちゃったんです」

実は、「レズビアン」という言葉にも抵抗があった。

自分は女性で、女性のことが好きなのだから、レズビアンであることは間違いないだろう。

ただ、例の一件によって同性愛者=汚いと思っている人がいることを知ったことで、「レズビアン」という言葉にもそういう意見が含まれているように感じていたのだ。

だからずっと、その言葉を受け入れることができないでいた。

04レズビアンの看板を捨てた

初めてのカミングアウト

自分が同性愛者であることは周りに伏せていたが、2人だけ、打ち明けた子がいた。

「1人は、同じ部活でいちばん仲がよかった子。彼女には本当のことを知ってもらいたくて、高1の時にカミングアウトしたんです」

「彼女は『ふーん』と言った後、『私は、バイセクシュアルかもしれない』って」

その子は恋愛をガツガツするタイプではなく、その時は彼氏もいないようだったし、女の子とつきあったこともないようだった。

そんな彼女がなぜ、「バイセクシュアルかもしれない」と思っていたのかは、今となってはわからない。

でも、彼女にそう言われて、うれしかった。

「実は、その子のことが好きだったんです。だから、これはひょっとして私にもチャンスがあるのかな?って、告白しました(笑)」

でも、その子の答えはうやむや。

気まずくなって一言も話さなくなってしまった。

「もう1人も仲よしだった子なんですよ。ある日、一緒に電車に乗って学校から家に帰る時に彼女が突然、『私、バイセクシュアルなんだよね』って」

「びっくりしたけど、うれしかった。同じ日に『私も、レズビアンなんだよね』とカミングアウトし返したんです」

彼女は「へー、そうなんだ。でも、なとせは、なとせだよね」と言ってくれた。

わかってくれる人がいる。

自分はひとりじゃない。

勇気がわいた。

私は私でいい

高校3年の冬、大学の受験期間が終わったある日のこと。

たまたまグランドに、クラスのみんなが集まっていた時にふと「もう卒業するから言っちゃおう」と思い立ち、カミングアウトした。

中にはそれほど親しくない子もいたが、みんなの反応は「ふーん、そうなんだ」。

嫌悪されることも拒絶されることもなかったが、その代わり質問攻めにあってしまう。

「あのオモチャを使うんでしょ?とか、性的なことばかり聞かれて戸惑いました」

まだ、実際に女の子とつきあったことがなかったから、そんなことを聞かれても答えようがない。

「わからない、と答えると『ホントにレズビアンなの?私だってそんなことくらい知ってるよ、ノンケだけど』みたいなことを言われて(笑)」

この時、自分の中のレズビアン像と、みんなが「こうなんだ」と思っているレズビアン像があまりにも違うことに気がついた。

「彼女たちが思っているようなレズビアンには絶対になれない、と思いました」

17、18歳といえばちょうど、性的な行為への興味が高まるお年頃。

異性愛についても同性愛についても ”耳年増” の状態だったのだろう。

今なら適当に受け流すことができる。

でも、その時は「こんな下世話な話ができるようになんて、なりたくないわ!」と大いに憤慨した。

ただ、この出来事によって自分の立ち位置が明らかになった。

「”レズビアンらしさ” というのが、もしみんなが考えているようなものだとしたら、それは身につけたくない」

「私は私でいい、と思ったんです」

実は、今回LGBTERの取材前に、当時の日記を読み返した。

「この日のページには、私、イラストを描いていました。『レズビアン』と書いてある看板を捨てている絵です」

05母は知っていた

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言いたいけど、言えない

自分が同性愛者であるということについては、とくに困ることはなかった。

「SNSを通じて同じ境遇の人と話をすることができたし、中学生の頃にお世話になったNPOともおつきあいが続いていたから、孤独を感じることもなかったですし」

一つだけ、気がかりなことがあった。

母親に話せないでいたことだ。

「母とは、その日にあったことを事細かに話すほど仲が良かったんです」

母親の口ぐせは、「なんでもやってみな」。

「気になること、興味のあることはやってごらん、って。その結果、どうなるかはわからないけれど、とにかくやってみたら?と言うんです」

なぜ、いつもそんなふうに言えるのか、気になって聞いてみたことがある。

「母の人生の中では、迷った末にやめたり、諦めたりして後悔したことが多かったそうなんです。それに、親が厳しくて髪型一つとっても自分の自由にはできずに息苦しかったみたいで。だから、自分の子どもには自由に、何でもやってほしいんだ、と」

娘のことを信じ、尊重してくれる母親だけに、不安だった。

「中学の先生の件で、大人の反応として同性愛は『汚い』というのがあると知ってしまったから、言い出しにくかったんです」

「でも、大好きな母には本当のことを知っていてほしい」

長い間ずっと、つらかった。

母は待っていてくれた

ところが、ひょんなことからチャンスが訪れる。

「当時、ある新聞社の高校生新聞の記者としても活動していたんです。そこで私は、迷わずLGBTについての記事を書こうと思いました」

編集者のひとりには、同性愛者であることをカミングアウトしていた。

その人に「LGBTの記事を書こうと思う」と言うと、「じゃあ、いろいろなセクシュアリティの子たちを集めて座談会をやろうか」という話に。

「取材の前日、母に『明日、LGBTの取材だよ』と話しました。それに対して母は『へー、そうなの』と言うので、ついポロッと『私も、女の子が好きなんだよね』と言ったんです」

ついポロッとではあったがやはり勇気が必要で、そのセリフを口にした時には泣いていた。

「母は、洗濯物を畳みながら私の話を聞いてくれていたんですけど、『知ってたよ』って」

「小さい頃から、女の子のことが好きだったもんね」とも。

母親はすべて知っていた。でも、これまで問いただされることもなかった。

「へ?って拍子抜けしましたけど(笑)、ホッとしました。ああ、自分が同性愛者でもいいんだ、って」

大切で、大好きな人に打ち明けられたこと、受け止めてもらえたこと、そして実はずっと見守ってくれていたこと。

うれしかった。

「この日のことは私の人生にとって、本当に本当に、大きなことでした」

 

<<<後編 2017/05/13/Sat>>>
INDEX

06 仲間がほしい
07 活動を始めて見えてきたもの
08 LGBTは、”新種” ではない
09 与えられた性の役割から解き放たれて
10 「へー、そうなんだ」で済む社会に

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