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みんな迷いながら生きている。LGBTだけが、特別なわけじゃない。【後編】

みんな迷いながら生きている。LGBTだけが、特別なわけじゃない。【前編】はこちら

2017/01/15/Sun
Photo : Taku Katayama Text : Koji Okano
池田 元邦 / Motokuni Ikeda

1972年、東京都生まれ。高校卒業後、カラーコーディネーターとインテリアコーディネーターの専門学校を修了するも、店舗設計の勉強にと始めた飲食店のアルバイトで接客業の楽しさに目覚める。現在も飲食業界で働きながら、学校で習得したカウンセラーの資格を生かし、セッション等も行なっている。

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INDEX
01 お母さんに甘えちゃいけない?
02 理想は「キャプテン翼」の岬くん
03 女の子と付き合ってみたい
04 まだ恋だとは気づかずに
05 あっ、自分はゲイだったんだ
==================(後編)========================
06 本気の恋愛の悲しい結末
07 ヘテロセクシュアルに恋して
08 人生で最も濃密な4年間
09 家族へのカミングアウト
10 たくさんの人と関わっていきたい

06本気の恋愛の悲しい結末

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初めての彼

その後も伝言ダイヤルを介して、何人かのゲイの人と知り合った。

なぜか相手は年上の人が多かった。

実は大学1年生の途中から、彼氏と同棲し始めた。その出会いも伝言ダイヤルだった。

「年上の人たちは頼り甲斐もあって、いろいろなことを教えてくれました。ただ付き合う、っていう感じにはならなかった」

「伝言ダイヤルで同世代の人に出会うのは、珍しかったから。彼は僕より2つ上、大学3年生でした。グッと身近に感じられる存在で、継続して会いたいなと思ったんです」

交際が始まると、できるだけ長く一緒にいたいと思うようになった。

「彼といると心地良すぎて、家に帰りたくなくなるんです。僕が一人暮らし先に転がり込みました」

初めての彼氏だった。

日常の他愛もないことを共有できるのが嬉しかった。

「彼の家でご飯を作ったり、一緒に買い物をしたり。一度、ふたりで住み込みの短期アルバイトをしたこともあります」

「ゲイのカップルだけど、あまり人目は気にせず、外でも普通に接していました。小さな頃は、あんなに人目を気にして生きていたのに」

「きっと知っている集団ではなく、不特定多数にさらされるのなら、気にならないタイプなんでしょうね」

しかし歳月というものは残酷だ。

自分より一足先に就職活動を迎えた彼は、ある決断に迫られることになる。

別れの号泣

「彼が東京の会社からは内定をもらえなくて。実家が東北地方だったので、仙台の会社に就職することに決めたんです」

遠距離恋愛でも付き合って行こうと心に決めていた。しかし、彼の旅立ちの日。

水道橋駅のホームで、悲しさと寂しさと切なさがない交ぜになり、どこまでもなく嗚咽してしまう。

「誰かと離れるだけで、あんなに泣いたことは、今までありませんでした。悲しくて寂しくて。やりきれない思いでいっぱいになってしまったんです」

こうして遠距離恋愛が始まったが、すれ違いの日々が続く。

自分の方は、彼と離れ離れになる前後に大学に退学届を出した。面白くないと思いながらも通学することに、耐えられなくなったからだ。

「身軽になったのだから、彼を追いかけても良かった」

「でも、そうは思えませんでした。そんなことをして先々暮らしていけるのか、将来への経済的な不安があったからです」

向こうはサラリーマン、こっちは大学も辞めて何者でもない存在。

次第にすれ違いが多くなり、結局、この恋は終わった。

07ヘテロセクシュアルに恋して

好きな道に

大学中退に親は猛反対した。そう長くはブラブラしてはいられない。

「大学での専攻に興味を持てずに退学したので、今度は興味があることを学ぼうと思いました」

今までの人生を振り返ってみて。自分は色が好きなんだなと感じた。

その始まりは、小さな頃に母が買ってくれた「バーバーパパ」の絵本だ。

「春に大学をやめて、秋から東京・青山にあるカラーコーディネーターの専門学校に入学しました。好きなことだったので、2年間、きちんと通って勉強しましたね」

卒業はしたが、就職先を絞りきれなかった。カラーを取り扱う仕事は幅広いからだ。

そんななか、今度は店舗設計に興味を持ち始め、インテリアや建築のこと知りたい、とインテリアコーディネータの学校に2年間、通うことになった。

「カラーコーディネーターの専門学校時代、年齢でいうと21歳から23歳までは、全く気持ちが恋愛モードではありませんでした。出会いはあったけど、恋はなかった」

「新宿2丁目にもなんとなく行っていたけれど、そこまで恋愛に興味が持てませんでした」

それは当時、自分と同じセクシュアリティの人を求めていなかったからなのかもしれない。

次の恋の相手は、いわゆるノンケだった。

カミングアウト

カラーコーディネーターの専門学校を卒業する間際、ようやく気持ちのたかぶりを感じる相手が現れた。

「2つ下の大学生でした。やっぱり「キャプテン翼」の岬くんのような男の子で(笑)。色白だけどスポーツもできて、スマートな感じの人でした」

バイト先で同じシフトに入れるだけで、心が躍った。

仕事の合間に、よく音楽やファッションの話をした。

「休みの日には誘って、よく遊びに行っていました。もちろん、他のバイト仲間には声はかけず、彼と二人だけです(笑)」

あわよくば付き合いたいと思っていた。幸か不幸か、彼には彼女がいなかったからだ。

しかし一方で、告白したらどんな反応が返ってくるか、不安はあった。

「彼の顔を見たり、会話することが、あまりにも自分の生活の一部になっていたんです。会えない時は、家でもずっと思っていたので」

「もう、自分の気持ちを抑えきれないなと思って、セクシュアリティのモヤモヤも含めて、告白してしまったんです」

彼は驚きとともに「やっぱり・・・・・・その気持ちには答えられない」と。ただそれでもバイト先では態度を変えず、普通に接してくれた。

「振られたことを、最初はすんなり受け入れられなかったんです。で、カミングアウトと告白を同時に受けても、彼が今まで通りだったので、『もう一回言ったら、もしかして付き合える?』とも思いました」

ただもう、バイト先で一緒に居られるだけでいいかな、とも思った。

自分の人間性は好きでいてくれるから、こうして普通に接してくれるのかな、と感じたからだ。

しかし本心はもどかしくて、辛くて仕方なかった。

「そうこうしているうちに、バイト先が閉店にすることになってしまって。彼とも会えなくなってしまったんです」

08人生で最も濃密な4年間

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軽やかに生きる

インテリアコーディネーターの専門学校を卒業したのが25歳。

今度は実際に店舗を設計するには飲食店での実務経験が必要、と東京のビジネス街にある喫茶店で働き始めた。

「高校生のときにファーストフード店でアルバイトして以来、飲食の仕事には携わっていなくて。ただ喫茶店で働くうちに、接客業って面白いな、と感じました」

やがて働きぶりが評価され、アルバイトから社員に昇格する。

「せっかく専門学校を2つも卒業したのに、カラーに関係のない接客の仕事に従事するのはもったいないんじゃない、という意見もあるとは思います。が、カラーコーディネートの視点は、日常生活にも生かせることなんです」

「仕事で活用することにこだわる必要はない、と感じました」

日常を重ねる

この25歳から30歳にかけての時期に体験した恋愛は、いま思い返しても、最も印象深いものかもしれない。

「4つ下の男性と出会って、付き合うことになりました。彼はゲイだったけど、あまり積極的に自らのセクシュアリティを受け入れていなくて、僕が初めての男性の恋人でした」

交際がスタートして程なく、同棲することになった。

たとえば自分が休みの日曜日、仕事に行く彼を見送って、洗濯物を干す。

彼の服を物干し竿にかけるとき、その日常の一コマが、心から愛おしくて仕方がなかった。

「彼との日々を丁寧に生きることで、別々にいるけど、一緒にいるんだなという感慨が押し寄せてくるんです。そういう感覚を持てた、最初の相手でした」

「好きっていう思いが強すぎたけど、それもうまく表現できたんです」

彼は脚本家志望で、警備の仕事を掛け持ちしながら、一所懸命に家で作品を書いていた。なかなか選考に受からなくて、辛そうなときもあった。

それでも一緒に暮らしていて、他愛もない日常が愛おしかった。

4年続いた彼との交際の思い出は、今でも大切な宝物だ。

09家族へのカミングアウト

自分を大事に

30代になっても、飲食店やホテルで接客業の経験を引き続き積んで行く。

しかし2011年に、仕事が原因で体調を崩す。理由は激務と人間関係だ。

「人手が足りないため重責を負わざるを得ない状況で、上司とも関係がうまく築けませんでした」

「なんとなく体調が悪いなとは気づいていたのですが、過労で思考能力がうまく働かないから、病院にも行けなくて。ますます状況を悪化させてしまいました」

加えて、東日本大震災で親族が被災、近親者を失った。

このことによるショック、また東北の惨状を目にして「安定ってないのかもな」と、気持ちが塞ぎ込んだ。

「全快したときには、周りがどうこうじゃなくて、とにかく自分の身体、自分を大事にして生きていこうと思いました」

回復してから、周りの人から悩みの相談をされることが多くなった。

実体験も交えながら、それにうまく答えたいと思い、カウンセリングの学校に通って、公認の資格も取得した。

母への告白

体調不調で退職するとともに、約15年ぶりに実家に戻った。

実は直前に父親が肺ガンで亡くなっていて、母親が一人で暮らしていた。

「以前から人工透析で通院していると聞いていて、体調が優れないのは知っていました。そのあと、肺ガンだと聞いて『ヘビースモーカーだったから、それが原因かな』とも思っていましたが」

「半年入院しているとき、病に蝕まれる父の姿を見て、心の底から落ち込みました」

過労、震災、父の死。

いろんなことが重なっての体調不良だった。

「久々に実家に戻ったとき、もう言ってしまおうと自分の体調のことも含めて、セクシュアリティのことを母にカミングアウトしたんです。僕、ゲイなんだ、って」

母親の反応は意外なものだった。

「『あっ、大丈夫だから』って。そんなに驚いてもいなかったんです」

自分も体調が悪かったから、母の反応を気にする余裕もなかったというのが実際だ。

だが、その「大丈夫だから」という言葉に、何もかもが救われた気持ちになった。

「20代のときに、僕がポツリと『結婚しないかもしれない』と言っていたことを、母親は覚えていたんです。なんとなく違和感があったみたいで」

「それに付き合っていた彼氏も、ちょくちょく家に遊びに来ていたし、そうなのかな、とは思っていたみたいです」

母とわかり合えたことは、窮状を脱する、大きな支えになった。

カミングアウト以降、もう母親はこの話題には触れないが、おそらく何もかも受け入れてくれたはずだ。

10たくさんの人と関わっていきたい

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当たり前はない

病気を経て、カウンセラーの資格を取得した。

いま身近な友人たちにセッションをするなかで、できるだけいろんな人と関わりたい、と感じるようになった。

「接客業を始めるようになってから、どんどん他人に興味が湧いてきたし、カウンセリングをするようになって、さらに関心が深まりました」

「自分が生きている中で経験できることは限られています。人から話を聞いて想像することで、自分の心の引き出しがどんどん増えていく気がするんです」

「あとは『当たり前』という感覚が、どんどんなくなってきます。当たり前っていうのは、結局、自分がそう思い込んでいるだけなんですよね」

そうやって、自分の心がほぐれてきた今は、何かに焦ることもない。

「昔は一人でいるのが苦手だったから、なんとなく焦って生きていました。今、パートナーはいないけど、タイミングや縁で、きっと良い人に出会える気がします」

その際には、大事にしたいことがある。

「日常がイメージできる人と付き合いたい。20代後半に経験した恋愛のように、その人との間に、どのくらい愛おしい日常が紡げるか」

「日々の生活の中にこそ、きっと幸せがあるはずだから」

その人と出会う日を、自分も成長しながら、待つだけだ。

LGBTが特別ではない

44年の人生の中で、様々なことがあった。

しかし不思議と、自分がゲイだということで悩んだ、という思いはない。

「生きている中で話せない、隠していることは、誰にだってある。何もかもオープンな人なんていないんです。最近、カウンセラーとして話を聞くようになって、余計にそう思います」

「言わないでいる=隠している」ではない。

むしろ、相手のことを思いやる、心配させたくないからこそ、言わないという選択もある。

そして、全てを言わないでいることが、自分らしくない、ではないようようにも思う。

「LGBTの人だって、セクシュアリティ以外にも話しにくいことは、あるはずです。たとえば自らの病気の話だったり、職場の悩みだったり」

「セクシュアリティの問題は、話しにくい話題の一つに過ぎないと思うんです」

「それにストレートの人だって、多くの悩みを抱えながら生きている。セクシュアリティの悩みだけが、特別というわけではない」

「自分の迷いもみんなと同じ、そう思えば相談しやすくもなるし、そう思うことで悩みが軽くなって、救われるLGBTの方もいるのではないでしょうか」

人間、誰しも惑いながら生きている。LGBTだけが特別じゃないと考える方が、案外、軽やかに行動できるのかもしれない。池田さんのような俯瞰的な考え方は、あらゆる社会問題を考えるうえで、大切な視点なのだろう。

あとがき
どんな質問にも穏やかな抑揚で応答して下さった。帰りたくない、ずっと一緒にいたい−−− 。モトさんが初めて一緒に暮らした彼へのおもい■性的マイノリティの告白は、好意と同時に自分のセクシュアリティを告げることになる。誰かを好きになる感情さえ許されないならば、たまらない■散歩が好きなモトさん。心のままに見つける道端の花や雲間の日差しは、私たちの周りにもきっとある。幸せをみつけられる人は、幸せになれる人だ。(編集部)

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