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たとえ好きにはなれなくても。 自分を受け入れることが、僕の幸せへの近道だった。【後編】

たとえ好きにはなれなくても。自分を受け入れることが、僕の幸せへの近道だった。 【前編】はこちら

2017/07/09/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
木村 裕貴 / Yuki Kimura

1984年、栃木県生まれ。小学2年生の頃から同性に恋愛感情を抱くことに苦悩しながら、中学は陸上、高校はバレーボールなどスポーツに打ち込む。杏林大学外国語学部在学時は1年間、韓国にも留学。自動車部品メーカーを経て、現在は教育関連大手で、ダイバーシティ事業、LGBT研修の企業への営業活動を担当している。

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INDEX
01 男らしく、男らしくと言われても
02 オカマ、といじめられる訳でもない
03 走っているときは、全てを忘れられた
04 バレーボールとの出会い、そして
05 セクシュアリティが定まらない
==================(後編)========================
06 やっぱり自分は、そうだったんだ!
07 恋することは、こんなにも素晴らしかった
08 カミングアウトとアウティング
09 社会のために、僕がやりたいこと
10 自分を認めることの大切さを

06やっぱり自分は、そうだったんだ!

6

できない

「多くの同級生が異性と付き合っていたし。セクシュアリティの問題はおいても、とにかく交際することに興味があったんです」

告白してきた後輩は、色白でかわいい女の子だった。

「かわいいだけじゃなくて、本当に素直で性格の良い子でした」

「交際を重ねていくうちに、相手の家に遊びにいくことになって。二人っきりで話しているうちに、そういう雰囲気になりました」

自分も周りの同級生と同じように、初体験を済ませることになるのか。

いや、もう、ひとりの男として、捨てるものは捨ててしまいたいと考えていた。

「身体に触れても、唇を重ねても、僕の身体がまったく反応しませんでした。驚くくらい、ビクともしなくて(苦笑)」

初めてだから仕方がないのかな、と思った。

しかし次も、その次もダメだった。

「付き合って3ヶ月後、なんとなく気まずくなって、僕の方から『別れよう』と切り出しました」

理由はうまく言えなかった。

「もう分かるほど分かっていたけれど、どう説明すればいいか、言葉が見つからなかったんです」

僕はゲイだ

彼女と身体を重ねようと試みるたびに、感じていたこと。

それはなぜ、無理にそうしようとするのか、という思いだった。

「交わりたいんじゃない、交わらないといけない、と思っていたんです。男なら女を抱けないといけないんだって」

「それがそもそも、間違いだったんです」

実際に女性と交際してみて分かったこと。

それは自分がゲイだという確信だった。

部活に打ち込み、また悩みはしたけど、己のセクシュアリティにも気づけた、実りある3年間だったと思う。

イケメンのバレーボール顧問への恋心も、今となればいい思い出だ。

「大学進学を機に自宅を出てひとり暮らしをしたい、東京に出たいと思いました」

「地元では難しくても、東京になら自分と同じセクシュアリティの人がいるかもしれないと考えたのも一因です」

このまま自分がゲイであることを隠して、埋もれたくない。

そんな思いが強かった。

志望する大学を受験し、高校卒業と同時に東京で一人暮らしを始めた。

「新宿二丁目も知らないくらい、情報に疎かったので。リアルの世界、大学でもなかなか同じ境遇の人とは会えなかったけれど。思いきって掲示板にアクセスしてみたんです」

そこから全てが始まった。

07恋することは、こんなにも素晴らしい

パートナーができた

掲示板に目を通すうちに、ふと興味をひかれ、頻繁にやりとりする男性が現れた。

「自分と同じ年の大学生でした」

「気が合う感じだったので、実際に会ってみることにしたんです」

同じセクシュアリティの人と会うこと自体が、初めての体験だった。

どんな人が目の前に現れるのだろう。

期待と不安で胸がいっぱいだった。

「彼はとても感じのいい人でした。初めて会った人に、僕は自分がゲイであることを告げました」

初めての対面で、自分が抱える秘密を打ち明けられた。

もうそこからは、衝動を止めることはできなかった。

「セクシュアリティの問題を打ち明けること自体が初めての体験でした。地元では、誰にも話せなかったから」

「掲示板でもそうだったけど、自分が今抱えている気持ちを、今度は彼の顔を見ながら、伝えたんです」

彼はうなずいたり、黙ったり、笑ったりしながら、話を聞いてくれた。

「結局、彼と付き合うことになりました」

この瞬間、「ああ自分は完全にマイノリティになったんだ」という感慨があった。

カテゴリーが定まってしまったんだな、とも。

しかし、これが真実だ。

もう悩むのはやめようと思った。

親友に伝えたい

何度目かのデートで、映画を観に行ったときのことだ。

彼の方から手をつないできた。

嬉しくて仕方がなかったことを、今でも覚えている。

「僕は初めてだったけど、彼の方はそうでもなかった。いつもリードしてくれる存在でした」

「一緒に映画を観たり、ごはんを食べに行ったり、お互いの家を行き来したり。恋人同士なら誰もがする当たり前のことができることが嬉しかったんです」

でも、社会的なカミングアウトをしているわけでもないので、辻褄合わせで、嘘をつかなければならないこともある。

「バイト先で『木村くん、彼女はいるの?』と言われて、『彼氏ならいます』と言うわけにもいきません。『いやぁ、できないんですよ〜』と道化を演じないといけないんです」

でも彼がいるから平気だった。

それまでは罪悪感がついて回った行動も、愛する人がいれば、何の不安もなくできた。

それでも仲のいい友達には、本当のことを伝えておきたいと思った。

「同じアパートに親友と呼べる人が2人いて。1人は男、もう1人は女です。お互いの部屋を行き来して、一緒にご飯を食べるくらい、仲が良かったので、カミングアウトしてみたんです」

女友達の方は「マジ! でもいいんじゃない」という対応だった。

「男友達は『マジ!』のあとに『ちょっと考えさせて』と付け加えました。真面目な人だったんで、誠実に受け止めたいと感じたようです」

「数日後、『遊びに行こうよ!』と誘ってくれたので、ああ受け止めてくれたんだな、と思いました」

初めての交際と周囲へのカミングアウト。

少しずつ少しずつ、自分らしい生き方が実現しつつあった。

08カミングアウトとアウティング

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両親に

恋人もできた。

勇気を振り絞って、親友に本当のところを伝えた。

次に考えたのが、両親へのカミングアウトだった。

「父と母に気持ちを伝えたい、と同じアパートに住む友人に相談してみました。『親のことを思うなら、やめておいた方がいい』。友達ふたりは、そう答えました」

それでも自分のセクシュアリティについて、きちんと話しておきたかった。

帰省するたびに伝えようとする。でも、言えない。

その繰り返しだった。

「カミングアウトしよう、と決めたものの、今度は両親に心配をかけてしまうことが申し訳なくなってきて」

「なかなか実現に移せなかったんです」

不安を打ち消すための勇気が湧いてこなかった。けれど一念発起して、大学2年生の夏に母親にはカミングアウトした。

「母を車で連れ出して、二人っきりになったところで打ち明けました」

「女性が好きじゃないんだよねと、まず言いました。続けて、男の子を好きになってしまう、ということも」

母親の反応は意外なものだった。

「『ふーん、そうなんだ』という答えが返ってきました。平然としていました」

「どうして女の子を好きになれないの!」と憤られるか、「今まで隠していて大変だったね」と抱きしめられるか、そのどちらかだと思っていた。だから淡々とした母の受け答えは予想外だった。

「『まだ(ゲイだって)決めつけなくてもいいんじゃない?』とも言われました」

「そこには、まだわが子がヘテロセクシュアルに変わる可能性がある、いや変われるものなら変わってほしい、という気持ちがあったのかもしれません」

けれどその返答は、妙に納得がいくものだった。

確かに変わるかもしれない、でも今は自分のことをゲイだという我が子を信じよう。

そんなメッセージが込められている気がした。

「父にもカミングアウトしたいと思いました。でも母からカミングアウトされたことが伝わって知っていたのか、なかなかふたりで、この話題に触れようとはしてくれなかったんです」

面と向かっては話していないが、しかし今も関係は良好。

きっと心の底では、自分のセクシュアリティに理解を示してくれているのだろう。

妹にもカミングアウトした。

むしろ自分がゲイだと知ったことで、以前より打ち解けてくれるようになった。

「恋バナも、パートナーの話もするようになりました。今度、一緒に旅行しようって話もあるんです」

それまで会話もあまりなかった兄妹が、カミングアウトを通して、ぐっと仲良くなれたのだ。

「家族に嘘をつかないで済むことが、何よりありがたかった」

「両親と妹に理解されたことで、周りにどう思われようが、自分はゲイなんだと自信を持てる」

「ぐっと気持ちが楽になりました」

同級生が

しかし、そんな自信がくじかれる事態に直面する。

大学の同級生に不本意なカミングアウトを強要される、アウティングされたのだ。

「周囲で僕がカミングアウトできている人は数人しかいませんでした。そんなときに大学の同級生との飲み会で、携帯電話の写真を盗み見られてしまって」

「恋人と寝そべって撮影したものだったので、距離感の近さに不信感を抱かれたんだと思います」

「木村くんはゲイだ」。

そんな噂が学部内を駆け回った。

「よそよそしい態度をとる人が増えました。かと思えば突然、『木村くんってゲイなの?』と聞かれることもありましたが、うまく答えることができなくて」

「あまり仲のよくない人に自分のセクシュアリティを説明するための言葉を、まだ持ち合わせていなかったんです」

社会へのカミングアウトは、なかなかハードルが高い。

そう思った。

予期せぬアウティングに人間関係を掻き回され、どんどん気持ちが滅入っていった。

最終的には、学校にも行けなくなってしまった。

今、振り返っても、人生で一番辛い時期だった。

「そんなとき、大学のプログラムで韓国に留学できることを知りました。環境を変えるために何とかせねばならない、と思っていたので、応募することにしたんです」

09社会のために、僕がやりたいこと

韓国へ

3年生の夏から、韓国・ソウルに留学することになった。

「たまたまバイト先に韓国の人がいたので、自分にとって身近な国だったんです。語学を勉強するために、留学しました」

日本を離れることで、煩わしい人間関係からも解放された。

異国の地ではあったけれど、徐々に普段の自分を取り戻すことができた。

「韓国では、別にゲイじゃなくても、仲のいい男友達同士、肩を組んで歩く習慣があります」

「人との距離感が近い、コミュニケーションが濃密なので、そこが日本と違って興味深かったです」

当時はパートナーがいなかった。

ソウルにおける新宿二丁目のような街、梨泰院(イテウォン)などに通ううち、韓国人の恋人ができた。

「初めは筆談でやりとりしていましたが、付き合ううちに、語学もメキメキと上達しました」

「1年の留学の間の恋と期限は決まっていたけれど、良い恋愛ができました」

韓国での日々は楽しく、学校以外でも学びの多い毎日だった。

「韓国に行けば、日本人である僕は自ずと少数派になる。当たり前ですが、LGBT以外にもマイノリティがいることに気づいたんです」

社会へ

日本に戻ったのは、大学4年の夏だった。

アウティングで自分に奇異の目を向けていた同級生も、就職活動に忙しく、それどころではなくなっていた。

「出遅れた感はあったけど、身につけた韓国語を生かせる会社を探して、就職活動を始めました」

運よく、韓国企業とも取引のある部品メーカーから営業職として内定をもらった。

「入社してすぐは、雑務ばかり。理想とかけ離れていましたが、営業の現場に出るようになると、取引先との交流が楽しかったです」

成績が上がらないと苦しかったが、そんな悩みもパートナーがいたから、乗り越えることができた。

「入社3年目で熊本に赴任した時に出会って、今も遠距離恋愛しています」

「どっしりと構えて、僕を受け止めてくれるところに、人間的な大きさを感じています」

それでも会社や取引先で「彼女いるの?」「結婚はまだかい?」と聞かれるたび、少しずつ疑問を抱くようになった。

社会的カミングアウトを果たしていないため、仕方のない周りの反応なのだが、もっと自分らしく生きるためにはどうすればいいのか。

「熊本赴任から名古屋の本社勤務になったのを機に、LGBTの方が主宰する心理カウンセラーの講座に通ってみたんです」

「自分のこともよくわかったし、セクシュアルマイノリティに向けたカウンセリングの必要性も痛感しました」

カウンセリングルームのアシスタントも担当させてもらった。

これに近い仕事に就きたい。

そう思った。

10自分を認めることの大切さを

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大きな転機

本当にやりたいことが定まってから、自分のセクシュアリティを公にするようになった。

「より自分の理想に近い仕事を得ようと、勤めていた部品メーカーを辞めました」

「カミングアウトして転職活動をして、いま勤めている会社から内定をいただいたんです」

ダイバーシティ事業、LGBT研修も手がける会社に転職した。

今は営業職として働いている。

「引き続き、心理学も勉強しているので、いつかカウンセリングルームを立ち上げたいと思っています。いま仲間と、その準備をしています」

熊本にいるパートナーとも順調に遠距離恋愛中。

今は東京なので、なかなか会うことができないが、毎日、電話で話している。

「いずれはパートナーシップ制度も利用したいと考えています。指輪もしてみたい」

「普通の結婚に憧れているんです」

自分を認める

33年の人生を振り返って思うことは、セクシュアリティの問題は自分にとって大きい問題ではあるけれど、それだけが全てではない、ということだ。

「走ったり、ボールを追いかけたり。好きなスポーツをしているとき、邪念はどこかに消えて、目の前のことに夢中になることができました」

「それに世の中にはいろんなマイノリティが存在する。韓国留学を通して、そのことも知れました」

マイノリティの種類も多種多様。

それにマジョリティだって、生きていれば多くの悩みを抱えることになる。

「いちばん良くないことは、セクシュアリティの迷いに絡め取られて、全てをそのせいにして、身動きが取れなくなることだと思うんです」

だからこそ、ありのままの自分を認める、好きになりたいと、今は思えるようになった。

「悩みがあるからこそ体験できる感情もありますよね。向き合うことは辛いことかもしれないけれど、それも人生の一部だと思って乗り越えることで、得られることも多いと思うんです」

あとがき
7.6%と示される性的マイノリティーの割合、増やしたいアライの数・・・。定量的な示し方は大切。でも、数を集めようとすると「多い」「少ない」に終始しそうで気になる■裕貴さんの取材メモには「楽しかった」が続いた。過ぎた時間について、臨場感をもってそれを他者に伝える術はないけれど、口にする言葉は一番自分(裕貴さん)に効くはず■疎外?受容?孤独?連帯? 裕貴さんが口にする言葉は、間違いなく「今」の気持ちや考えをつくり出したのだと思った。(編集部)

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