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トランスジェンダーの正しい知識を広めたい【後編】

トランスジェンダーの正しい知識を広めたい【前編】はこちら

2016/11/22/Tue
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
水流 瞬 / Shun Tsuru

1986年、東京都生まれ。男性として生まれながら、幼い頃からの夢は、安室奈美恵やSPEEDのような、パフォーマンスと歌唱力を兼ね備えた女性歌手になることだった。現在は仕事の傍ら、LGBTに関するイベントの司会や講演会、ライター、ラジオパーソナリティなども。さまざまな場所で自らの体験を語ることで、セクシュアルマイノリティへの相互理解を深めたいとも考えている。

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INDEX
01 歌って踊れる歌手になりたい
02 諦めながら生きるしかない
03 歌うことが好きだからこそ
04 気持ちは受け止めてくれた
05 両親へのカミングアウト
==================(後編)========================
06 夢と現実のはざまで
07 苦悩の日々は続く
08 当事者と繋がって
09 性同一性障害と向き合う
10 遅れて来た青春のなかで

06夢と現実のはざまで

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自己の漂流

性同一性障害の治療を開始するには、2人の精神科医師からの診断書が必要だ。セカンドオピニオンを得る必要があった。

「けれど1つめの病院で、セカンドオピニオンの取得をあまり勧められなかったんです。18歳以上なら治療を開始できるのにどうして?と思いましたが。それで、なんとなく治療する方向に話が進まなくなったんです」

編入制度を利用したこともあって、18歳の夏に通信制高校を卒業する。

そのまま実家から通える運送会社の配送センターで働くことになった。

しかも男性として。

「髪だけは伸ばしていたけれど、メンズの服を着て出勤していました。仕事は荷物の仕分けでしたが『はーい、男子は集まって』と召集があれば、重い荷物を運ばなければなりません」

「職場で男性として扱われることが苦痛で仕方がなかったんです。でもここは田舎だし、自分のセクシュアリティを隠して生きなきゃいけないんだろうな、と諦めていました」

両親へのカミングアウトと性同一性障害の診断を経てもなお、事態は好転しなかった。

ずっと感じてきた社会への諦めが、また首をもたげてきたのだ。

しかし同僚には、自分が性同一性障害であることを打ち明けていた。

格好も休日は化粧をして、レディースの服で出かけるようになった。

いざ東京へ

しかし会社から男性として扱われることが苦しく、いつしか出勤することができなくなってしまった。

退職に追い込まれてしまう。

「ハローワークに行く以外は、ずっと家にいました」

目的もなく暗闇をさまよう日々のなか、東京に行くことを決意する。芸能の夢、女性歌手としてステージで歌い、踊ることを本当は諦めてはいなかったのだ。

「地元には悩みを打ち明けられる人がいなかったけれど、好きな歌手のファンサイトを通して、東京には友達がたくさんいました。生まれた場所も東京だし。芸能の夢のために、いつか戻ろうと思っていたんです」

派遣会社を通して東京で仕事を探した。

見つかったのが老人介護施設の厨房で調理をする職。東京までの飛行機代や必要な電化製品まで支給してくれる条件だった。

「両親は家にいて就職しない私に『自立しないと追い出す!』と迫っていましたから、喜んではくれました。離れ離れになるのは寂しそうでしたが」

「旅立ちの日、『色々大変だと思うけど、頑張って』と、父に力強く握手をされながら、言われました」

こうして東京での日々が始まった。

小さな頃からの憧れ、芸能の夢が叶うことを信じて。

07苦悩の日々は続く

ちぐはぐな思い

実は派遣会社に履歴書を提出した際には、きちんと性同一性障害であることを記した。

それを承知の上で、自分を受け入れてくれたのだ。

「トイレや更衣室も配慮してくれました。同僚も優しい人が多かったので、恵まれた環境でした」

もちろん、それでも陰口を叩く人はいる。

「会社側に事情を伝えて、それでいろいろ言う人がいるなら、もうそれは仕方がないと割り切って考えていました」

調理の仕事を選んだのには理由がある。できるだけ人と顔を合わせることのない職場がいい、と思っていたからだ。

「老人ホームの調理の仕事と掛け持ちで、芸能の道を志してオーディションを受けていたのに。どうしても隠れて生きなきゃ、という気持ちが捨てきれなかったんです」

「人前に立つ仕事を志しているのに、隠れて生きたい。このちぐはぐな感情は、20数年の人生を通して生まれてしまった、自信のなさの表れです」

今まで隠れるように生活してきた。

ただ普通に街を歩いているだけなのに、化粧をして女性の服を着ている自分を見て、車から罵声を浴びせてくる人もいたからだ。

そこまでいかなくても、すれ違いざまに笑われたり、ひそひそ話をされることはよくあった。

「厨房の中にこもっていれば、人の目には付きません。仕事も対野菜、対お肉、対お魚。切って作るだけです」

「とにかく人と関わりたくなかった。というか、接しちゃいけないと思っていました。隠れて生きなきゃいけないんだ、って」

東京に来ても、諦めや自信のなさは、そう簡単になくならなかった。

自分を見失う

その調理の仕事も決して楽なものではなかった。派遣先が何回か変わったりして、始発で家を出なければならない職場もあった。

オーディションも受け続けた。もちろん書類には、性同一性障害であることは書く。

面接する事務所の担当者は、GIDであること自体には、さして驚きを示さなかった。ただ受けても受けても合格しない。そんな日々が続く。

「自分の夢が叶わないまま、朝早くから厨房で、ひとり野菜や肉を刻んでいる。なんで私、こんなことしているんだろう、とよく思っていました」

もちろん特養老人ホームでの厨房業務がいかに大切なことか、仕事に対する誇りはあった。

しかし報われない、夢が叶わない現実に、やりきれない思いでいっぱいだったのだ。

08当事者と繋がって

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避ける理由

21歳で上京してから、実は東京で一人の当事者ともアクセスしなかった。

LGBTに出会うことを避けてきたのには、もちろん理由がある。

「まず自分が女性として職場で受け入れられていたので、すっかり女として生きているつもりになっていました。それに何でも相談できる、仲のいい友達もたくさんいたんです」

「あと小さな頃に感じた、ニューハーフの人たちを馬鹿にする社会の風潮、それが何ら改善されていないとも感じていました。たしかに『オネエタレント』がテレビで活躍していたけれど『オネエ』の後ろに “(笑)” が入るような、そんな扱われ方をされている気がして、苛立ちを覚えていました」

LGBT当事者が嫌なのではなく、LGBTに対する社会の考え方が変わっていないことに疑問を覚えていた。

「だからオネエ、ニューハーフって、自分も一括りにされるのが嫌だったんです。その苦しみ、傷を群れて舐め合っていると社会から思われるのも避けたかった」

「だから当事者と関わらず、ひとりで生きたいと思ったんです」

それまではずっと、現実逃避していたのかもしれない。そう思わされるきっかけがあった。

2014年の「東京レインボープライド」だ。

時代は変わった

「ひとりで生きているつもりでも、実は性同一性障害であるという事実をもう自分だけでは背負いきれない、と思っていた頃でした」

そんなとき、2014年「東京レインボープライド」の広告でモデルを務めることになった。

当初はそれだけで終わるはずだったが、イベント当日も参加することに。撮影で知り合ったレズビアンの子に誘われたからだ。

「パレードは晒し者感があって、絶対に参加したくなかったんです。でも実際に当事者の人たちと一緒に歩いてみたら、驚きと感動の連続でした」

「一緒にレインボーフラッグを持って歩いている人の多さに衝撃を受けました。これだけの人が自分と同じ苦しみを体験してきたんだと思うと、なぜもっと早くアクセスしなかったのか、と思いました」

そして沿道で手を振る、当事者以外の人の数にも驚きを覚えた。

「こんなにたくさんの人が応援してくれている。もう笑いやバカにされる対象ではないのかも、と痛感したんです。社会の大きな変化を感じました」

これを機に、一気に人の輪が広がった。同イベントには翌年からも参加している。

09性同一性障害と向き合う

気になる言葉

「東京レインボープライド」との出会いをきっかけに、転職を決めた。

ニューハーフや男女のダンサーが共演するショーレストランで、ホール係として働き始めたのだ。

「でもまだ素直になれない部分もあって。自分の夢を考えれば、ステージに立つのが自然なんです。でもできなかった」

やはりLGBTへの差別意識は根強いと感じたからだ。

「『オカマ』『ニューハーフ』という言葉の遣われ方が気になるんです。それらは両方、性別を示す言葉ではないはずです。『オカマ』には蔑みの念があるし、『ニューハーフ』は職業を指すと思うんです」

「私は、トランスジェンダーという事情を抱えた女性です。けれどもステージに立てば、一括りで『ニューハーフ』にされてしまう。お客さんには『ニューハーフ』が性別を指すと思っている人もいるので、自分で誤解を広めるようなことはしたくないと思ったんです」

ホールで働いていても「お姉さんはニューハーフなの?」と聞かれることがある。

「『本来の意味では違うけど、このお店のシステムではそうです』と答えるようにしています」

ニューハーフとしてショーに参加する人の中には、女優をしている人もいれば、ネイルサロンを経営したり、行政書士をしている人、既婚者もいる。ニューハーフという言葉で決して一括りにはできないのだ。

本来なら自分もステージに立って承認欲求を満たされたい、そうしないと気が狂いそうになると感じたこともある。

しかし今はまだ立てていない。

性同一性障害への理解がもっと深まって、自分もいきいきと踊れる時代が来て欲しい。

切にそう願う。

同士の存在

「東京レインボープライド」に参加するのと時期を同じくして、女性ホルモン投与のためにメンタルクリニックに通い始めた。セカンドオピニオンの取得が目的だ。

「待合室にいると、建設現場で働いているのか作業着のまま来て、ホルモンを投与して帰っていく患者さんを見かけたりしました」

みんな頑張って働いて、やっと貯めたお金を治療に回しているんだ、ということをしみじみ痛感する瞬間だ。

「高額なお金が必要なうえに、ホルモン注射の副作用の可能性、性別適合手術にいたっては死の危険性もある」

「私たちは大変な思いをして本来の姿に生まれ変わろうとしています。できたら、その大変さを世の中の人にも理解してほしい。けれど、現状はそうはなっていないかもしれない、と虚しく思うことがよくあります」

「何のために生き地獄を生きるの?」と考えるときすらある。

それでもセカンドオピニオンは取得できた。今は費用と気持ちの準備が整えば、ホルモン治療を開始できる状態だ。

10遅れて来た青春のなかで

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過去を力に

LGBTに対する社会の寛容と不寛容を交互に体感する日々。

しかし自分が与えられた役割と、実現したい夢のために今、毎日を生きている。

「LGBT当事者と関わっていくなかで、自分の体験をスピーチする機会が増えました。講演後に『良かったです』『また会いたいです』『頑張ってください』というメッセージをいただくと、本当に嬉しいんです」

「メディアに出てもっと話して欲しい」と言われることもあり、講演することは自分の芸能の夢と重ねる部分があるとも思う。

「ずっと苦しいだけの人生だった。それがやっと報われた気がしています。傷ついてきた過去にも意義を見出せるようになったから生きていけると感じました」

自分の心の性に気付いてからずっと、現実を直視しないためにLGBT当事者と関わらずに生きてきた。

しかし避けて守っていても、何も得られなきゃ意味がない。

あのときレインボープライドに参加したことは大正解だったのだ。

「30歳を前にして、周りの同世代は社会に対して冷め始めています。でも私は今が青春。出遅れた分、取り返さなき。諦めないで自分のために頑張るんです」

小さなことから

21歳で上京してから、実家には1度も帰っていない。

しかし両親が2度、東京に来てくれた。今でも1ヶ月に1回は電話で話をする。

「まだガラケーを使っていると伝えたら『変えれば?』と言って、スマホを送って来てくれて。両親なりに私の生き方を認め、心配もしてくれているみたいです」

LGBT当事者と関わるようになって、時折、ある質問をされることがある。

「性同一性障害だと分かってから、よくずっと当事者とつるまずに生きてこられたね、って言われることがあるんです」

「たぶん自分の周りのLGBTではない人、ヘテロセクシュアルの人に、意外と支えられていたんです。相談にのってくれる友達もいて、好きになった人も思いは受け入れられなくとも、理解はしてくれた。職場の人も優しかったし」

「人間としてよき人であれば応援してくれる。29年の人生の中で感じたことです」

社会のLGBTに対する寛容に感謝する一方で、もちろん問題もある。

「私もGIDの治療は進めたいとは思います。でも性別適合手術までと考えると、高額すぎる。水商売して捻出する人もいるくらいですから」

「それに健康リスクも高い。この状況をもっとみんなに知って欲しい。周知されることできっと、状況は改善されるはずだから」

そして。いずれにせよ、好きな人に愛されて生きたいと考えている。

「夢があるんです。好きな人が肩を叩いて『よく頑張ったね』って言ってくれることです。夢としては小さすぎますか?(笑)。でもそんな小さな幸せが、大きな愛につながる気がします」

小さなことからコツコツ積み上げていく。それは社会を変えるうえでも、自らが幸せになるためにも、大切なことだろう。瞬さんが、どんな幸せな日々を送っていくのか。その積み重ねが、社会を変えていくことも祈りたい。

あとがき
気持ちが乾くほどの言葉のやり取りを、無配慮な視線を、どれほど経験してきたのだろうか・・・・・・初めて会った日、明るく伝えてくれる瞬さんだから余計にせつなかった。でも、人間不信より “信じたい” おもいを募らせていったように感じた■「今が青春」という瞬さんの笑顔。うるおいのある時間が見えるよう。サミュエルの詩を思い出す。「青春とは人生のある時期ではなく、心の様相をいうのだ」■幸せな水が、心をひたひたに満たしてくれたらいい。(編集部)

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