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LGBTとアライを繋ぐ “架け橋” になりたい【前編】

ふんわりとした華やかなオーラに包まれている、甲斐佐恵子さん。ハキハキと表情豊かに話す姿からは、幼少期から長く続いていた暗い経験をほとんど感じ取れないほどだ。両親の離婚、職場でのトラブル、引きこもり生活、男性嫌悪。そして現在交際しているFTXのパートナーとの出会いに至るまで、37年間の人生を紐解いていこう。

2016/12/09/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Mana Kono
甲斐 佐恵子 / Saeko Kai

1979年、東京都生まれ。専門学校を卒業後、就職を経て26歳でピースボートに乗船。性自認はストレートだが、FTXのパートナーと3年半ほど交際中。現在は、日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーとして、LGBT向けのワークショップやセミナーなどを開催している。

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INDEX
01 男の人がこわい
02 幸せだった家族の崩壊
03 学校にも居場所がない
04 職場が合わず引きこもりに
==================(後編)========================
05 職場が合わず引きこもりに
06 はじめてできた女性の恋人
07 家族からの反対を乗り越えて
08 “気づき” の架け橋に

01男の人がこわい

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異性との壁

「これまでの恋愛は、必ず振られるパターンでした」

付き合う男性は、愛してくれるし大切にしてくれる。

なのに、自分から「別れよう」と言って相手の気持ちを試してみたり、相手を傷つけるようなことを繰り返してしまうのだ。

そして、恋人はいつしか根をあげて去っていく。

これが、恋愛のお決まりパターンだった。

原因はなんとなくわかっている。きっと、幼い頃の経験からくる「男性恐怖」だろう。

「小さい時に父が家を出ていってしまって、苦労している母の姿を見ていたから、『女は男で苦労するものだ』って思い込んでいたんです」

男の人はこわい生きもの。信頼できない存在。

そう考えているから、男性に対して自分から壁を作ってしまう。

「男性にドキドキして、魅力を感じるようなことももちろんありました。だけど、それにふたをしてしまうから、すごく不健全に歪んでいく部分もあったんだと思う」

好きになるのは男性。

だけど男性がこわい。

心の中にいつも、大きな葛藤を抱えていた。

母の言いなり

そんな過去を経て、現在交際しているのはFTXのパートナーだ。

彼女に出会うまでは女性を好きになったことはなかったのだが、今思えば、幼い頃その予兆のようなものは経験していたかもしれない。

「小学校3年生くらいの時に、多分FTMだと思うんですけど、すごく爽やかな少年っぽい女の子がいて。その子といつも遊んでたんです」

快活な彼女にあこがれていたが、あくまでも友達としての “好き” だった。

「その時母に、『あの子とは遊んじゃダメ!』って言われたんです。『さえちゃん、あの子にどっか触られなかった?』って」

母がどうしてそんなことを言うのか、よくわからなかった。

彼女との付き合いを禁じられたことで、自分の中で何かが崩れたような気がした。

「小さい頃から、母の意見には全部イエスマンだったんです。ママにダメだと言われたから、私はその子から離れました。それがどこかでくすぶってて」

どうして彼女と離れなくてはいけないんだろう。

その後も、ずっとモヤモヤを抱え続けることとなる。

02幸せだった家族の崩壊

父との別居

10歳の時に、事件が起きた。

両親の不仲から、父が家を出て家族と別居することになったのだ。

「両親のケンカとか、予兆は1年前くらいからあったんです。でも、父に『パパは自由に生きていいよね?』って言われて、足にしがみついていたのを振りほどかれて、カバンを持って出ていかれたという、決定打がありました」

これまで幸せだった家庭が、その日をきっかけにガラリと変わってしまった。

「本当に、家庭の中の火が消えてしまったような状態になったんです」

母や兄たちは暗い顔をすることが多くなり、これまでのように自分をかまってくれなくなった。

「みんなが大変だから、私は “放置” みたいになっちゃったんです」

小さい時からパパっ子だったから、大好きな父がいなくなったショックも大きかった。

「父と母は仲が良くなかったけど、2人ともものすごい私に愛情があって、多分私は自信満々に生きていたんです」

「でも、その時に、私の自信は家族からかわいがられている中で育ったものだと気付いたんです。外からの栄養がなくなったら、自分では栄養分を作れなくなってしまう」

これまでたくさん注がれてきた愛情が、もらえない。どうして?

まわりからの栄養補給がない状態で、明るさも自信も、どんどん失われていった。

どんどん暗い子に

「私はそれから一気に暗くなって、人としゃべれなくなっちゃったんです」

変化は心だけでなく、体にもあらわれるようになった。

「満身創痍でいつも病院通いするくらい体も弱くなって、学校にも普通に通えなくなりました」

「もとは華奢だったのに、一気に10キロくらい太ってしまったんです。昔の写真を見ると、本当に同じ人間とは思えないぐらい、パツンパツンで眉間にしわを寄せて、暗い顔をしていました」

学校でも、友達とうまく話せなかった。

「おはよう」の一言すら出てこないこともあった。

「生きるとかよくわかんなくて、笑うとかよくわかんなくなっちゃって・・・・・・」

そんな状態だから、10代の頃は青春や恋愛どころの話ではなかった。

「イメージとしては、真っ暗な光のない風船の中に自分が入ってる感じ」

「でも変な話、薄い風船をちょっと割ってしまえば、世の中にはキラキラした世界が広がっていたんですけどね」

03学校にも居場所がない

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孤立した学校生活

高校生になってからも、周囲とは馴染めなかった。

「誰かとつるんだりとかはなくて、『甲斐さん変わってるね』ってよく言われてたかな」

同級生の男子が「甲斐って気持ち悪いよな」と話しているのを、たまたま聞いてしまったこともある。

「私って気持ち悪いんだ、話したこともないのに気持ち悪いって言われちゃった・・・・・・って、すっごいへこみました」

いじめられるようなことはなかったものの、友達との楽しかった記憶もほとんどない。

授業中はいつも寝ていたから、先生たちにもきっと目をつけられていただろう。

先生からのいじめ

友達はあまりいなかったけれど、かろうじて帰宅部ではなかった。

「高校で初めて隣の席になった子がすごくかわいくて、この子みたいになりたいなって思ったんです。そしたら、その子に柔道部に誘われて、迷わず入部することにしました」

憧れのあの子みたいになりたい。

ワクワクしながら入った部活だったが、待ち受けていたのは、顧問からのいじめだった。

ほかの部員に対しては優しいのに、明らかに自分に対してだけ態度がちがうのだ。

「今思えば、私はすごく柔道が上手だったんです。だけど、試合が苦手で、人の前に立つと緊張してしまうし、結果が出せない子だったの。だから、先生はそれで失望しちゃったんじゃないかな」

そんな日々が続いていく中で、孤独さを感じる以前に、自分が存在していることに息苦しさを感じていた。

「自分が生きていること自体間違いだと思っていたので、中高時代は『生きていてごめんなさい』って、常に考えていました」

こうした現状を、家族にはもちろん、友達や学校の先生にも、誰にも相談することができなかった。

「もし、少しでも『あなたは大丈夫だよ』とか『今苦しいのはこうなんだよ』って理解して肯定してくれる大人がいたら、すごく変わってただろうなって思います」

「どうして自分が苦しいのか、当時はわからなかったから」

そうやって、多感な思春期の時期をたったひとりで過ごした。

どうやって生きていけばいいのかまったくわからず、風に翻弄される木の葉のように生きていた。

04職場が合わず引きこもりに

社内でのセクハラ

そんな中、18歳で転機が訪れる。

8年間の別居生活を経て、両親の正式な離婚が決まったのだ。

「そしたら、母が天使のように変わって。菩薩みたいになったんですよ。だから、18歳からは随分と楽になったんです」

それでも家計は厳しかったから、高校を卒業してからは1年間のアルバイト生活でお金を貯めて、専門学校に入学した。

がんばって勉強して無事社会人になったものの、最初の会社は1年半という短期間で辞めることとなる。

原因は、職場の男性たちからのセクハラだった。

「お酒の場では足に手を入れられたり、狭い部屋で抱きつかれたりとか。『仕事なんかしなくていい。午後からの男たちのやる気を出させるのがあなたの役目なんだから』みたいな感じでした。向こうにとっては、お嫁さん探しなんですよね」

ただでさえ人付き合いが苦手だというのに、この環境。

耐えきれなかった。

男性がとても怖かった。

会社を辞めてうつ状態に

そうして会社を辞め、転職することを決めた。

しかし、新しい職場でもプライベートもないような多忙な生活が続き、ある日、何かがプツンと切れてしまった。

「私、存在しても意味ないかもって。それで、うつ状態でおかしくなって、会社に行けなくなっちゃったんですよね」

半年ほどの間、ずっと部屋から出られない、お風呂にも入れないような状態が続いた。

病院には行っていないからはっきりとした診断はおりていないが、うつに限りなく違い状態だったのは間違いないだろう。

「昔から結構引きこもりはしていたんですけど、お風呂にも入れなくて、物事を全部カットして、苦しみながら真っ暗な心で半年も部屋にいるっていうのは、初めての経験でした」

同居していた母に「したくないことはしなくていいよ」「逃げていいよ」と言われていたことが、唯一の救いだった。

そして、少しずつ、長い時間をかけながらだが、自力で快方へと向かう努力をした。

「何かのきっかけみたいなのはなくて、小さく小さくやっていったんです。相当時間はかかりましたけどね」

「まず、自分の部屋から出るとか、家の扉を1センチだけ開けるとか。そういうところからですよ。お風呂にも入れないから、まずはがんばって顔を洗ってみるところからはじめました」


<<<後編 2016/12/11/Sun>>>
INDEX

05 コミュニケーションが苦手
06 はじめてできた女性の恋人
07 家族からの反対を乗り越えて
08 “気づき” の架け橋に

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