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結婚も出産も経験した。今、FTMとして生きる。【後編】

結婚も出産も経験した。今、FTMとして生きる。【前編】はこちら

2017/12/19/Tue
Photo : Rina Kawabata Text : Yuko Suzuki
田中 聖純 / Kiyosumi Tanaka

1974年、新潟県生まれ。短大卒業後に結婚、35歳で長男を授かる。40歳を過ぎてうつ病を患ったことをきかっけに自分の本当のセクシュアリティに気づき、家族の協力を得て42歳からホルモン治療を開始。現在、リラクゼーションセラピストとして働きながら、LGBT関連の講演活動も行っている。

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INDEX
01 ”男ったらし” と呼ばれて
02 女性観察に終始した中高生時代
03 母親の理想
04 結婚、そして出産
05 女性が怖い
==================(後編)========================
06 自分は、男だったんだ!
07 後悔する材料は何もない
08 夫がいて実子のいるFTM
09 男として生き始めて思うこと
10 誰もが自分の性を受け入れ、受け容れられる社会に

06自分は、男だったんだ!

2度目のうつから見えてきたもの

治療が功を奏し、「彼女はあの時、ああするしかなかったのだ」と母親のことが受け入れられるようになった。

女性への恐怖心は少しずつ減り、職場でも再び女性客を受け持つことができるように。

同僚たちとも、以前と同じようにつき合えるようになった。

ところが。

「彼女たちと遊びに行ったり飲みに行ったりすると、すごく楽しいんですけどその後、ものすごく疲れてしまって」

肉体的な疲れと精神的な疲れは、うつ病の大敵。

半年で再発した。

治療の過程で、疲れの原因を探ってみた。

「突き詰めていくと、自分が周りに合わせていることに気がついたんです」
何かものを買う時、「このデザインが好きだけど、これを選んだら女の子としておかしいよね」とか。

かわいいものを特に欲しくはないけれど、「女の子だったらほしい!と思わなくちゃいけないよね」というように。

小学校でのトイレ事件以降、女の子の輪になじむよう努力した。

結果、女の子に合わせることが苦にならなくなっていたが、それはただの「慣れ」だったのかもしれない。

「でも実は、自分にかなり無理を強いていたのでしょうね。それがとうとう限界に達して、うつ再発の引き金になってしまった」

Xジェンダーかも?

「振り返ってみれば、幼い頃は『男女の別なく遊んでいた』のではなく、女の子遊びよりも男の子遊びのほうが好きだったのだと気がつきました」

ひょっとして? と、性同一性障害に関する本を片っ端から読んだ。

FTM当事者による講演があれば聞きにも行った。

「初めは、自分がFTMではない証拠を求めて話を聞きに行っていたけれど、聞けば聞くほど、彼らが子どもの頃にかかえていた問題や気持ちがほぼすべて、自分と重なりました」

でも、自分は男性と結婚して子どもも産んでいる。

「わけがわからなくなりました」

ずっと女として生きてきたから、今さら男性として生きていく自信もない。

とりあえずは、ボーイッシュな女性というか「自分の中に男の子もいる」ということを認めることにした。

しかし自分のようなタイプは、セクシュアリティのどのカテゴリーに属するのだろう・・・・・・。

調べたところ、「Xジェンダー」というセクシュアリティがあることがわかった。

「自分はどうやらそこに属するらしいと思って、Xジェンダー系の会員制サークルに入って交流を始めたんです」

ほどなくして、Xジェンダーを含むLGBTの啓蒙活動をしている団体が、自分が暮らしている町の近くで活動していることを知る。

自分もそこで何かをしたい。仲間を得たい。

「その団体の主要メンバー全員がFTMだったのですが、『自分はXジェンダーですが、活動に関わらせてもらえますか?』と言うと快く受け入れてもらえました」

いやいや、男じゃん!

彼らと行動を共にするようになると、また新たな気づきがあった。

「メンバーたちは、みんな明るくて、楽しそうにしているんです。それは、自分のことをきちんと認めているからなんですよね」

「彼らを見ていて、ああ、自分らしく生きるのっていいな、うらやましいなと思いました。

でも、どうして彼らのことをうらやましく思うのだろう。

自分は女性でもあり男性でもあるXジェンダーということで、納得していたはずだ。

なのに、なぜ?

考えに考えた結果、「やっぱり自分は男なのだ」と認めざるを得なかった。
「でも、自分が男であることを認めたとたん、目の前がパーっと明るく開けました」

07後悔する材料は何もない

女としての仕事はやりきった

本来の自分の姿がわかったのだから、一刻も早くそれを取り戻したい。

そのためにはまず、ホルモン治療を受けなければ。

「一瞬、考えました」

「治療によって体が変わっていくけれど、自分はそれで本当にいいんだろうかと。でもすぐに、その迷いは消えました」

結婚をし、出産もした。

40歳を過ぎて、更年期を迎える日もそう遠くはない。

そうなれば、妊娠したくてもできなくなる。

「女としてやりきった感があるので、身体的特徴が女性でなくなり心身ともに男として生きていくとなっても、後悔する材料が何もないんです」

「これ、年がいった人間の特権ですかね(笑)」

誰に何を言われても、気にならない

自分のセクシュアリティについて、「周囲に何を言われてもおそらく気にならない」

これは、40歳を過ぎてからの性自認が明らかになったことのメリットだと思う。

「たとえば10代、20代だったら人の目が気になるでしょう」

「でも、40年も生きてくるとそれなりに強くなって、今さら誰に何と言われてもいいや、という感じです」

実は、親にはまだカミングアウトしていないが、打ち明けて受け入れられなかったとしても、別に怖くはない。

「幼い頃の母親とのいきさつもありますけど、もういい年ですからね」

「親の人生ではなく、自分の人生を生きてもいいと思うんですよ」

誰に何を言われても、どう思われてもいい。

自分が自分のことを男として認められたことが、何よりもうれしい。

「これまでの40年、女として生きていたから、今さら『女性として扱わないでください』と言うつもりもないです」

「そんなの、もういいよ、という感じです」

08夫がいて、実子もいるFTM

「理解はできないが、反対はしない」

ただ、問題は夫と子どもだった。

夫は体を悪くし、家を離れて療養する必要があるため、3年ほど前から別居中。

週末に息子と一緒に会いに行く、自分が仕事で忙しい時には息子だけが泊まりに行く、というのが今の田中家のスタイルだ。

自分は性同一性障害で、これからは男性として生きていく。

それはとても大事なことだから、夫には、きちんと会って直接伝えたい。

でも、次に会いに行ける日は少し先。

それまで待っていられないと、まずはメールで打ち明けた。

「離婚されてもしかたがないと思っている」という言葉を添えて。

すると、夫からこんな返事が戻ってきた。

「理解はできないけど、おまえがそれで幸せなら反対はしない」

自分にとって重たい、そして何よりもありがたい言葉だった。

「表面だけ『わかった、わかった』と言って受け流さず、理解できないということを正直に言ってくれたんです。それが、とてもうれしかった」

「『離婚する必要がないのであれば、しなくてもいいじゃないか』とも言ってくれたんです」

自分の心に蓋をし続けた結果、うつで倒れ、生死の境をさまよう妻の姿を見ていたからかもしれない。

あるいは、自分は年上で、しかも体が弱いのでいつ死んでもおかしくはない。

そうなった時、また性の違和感が原因でうつになって死にたいと思うようになったら、ひとり残された子どもはどうなるのか。

「夫はそんなことを考えて、僕の生き方を尊重してくれているのかもしれません」

「なぜ、ママは男の子として生きていきたいの?」

息子には、「ママは小さい頃から男の子になりたかったので、これからは男の人として生きていくけど、いい?」と聞いた。

「そうしたら、彼は『いいよ』と。まあ、まだ8歳なので性というものがよくわかっていないのでしょう」

ただ、「なんで男の子として生きていきたいの?」と聞かれた。

「だから、『あなたは、自分は男の子だと思う? 女の子だと思う?』と息子に聞いてみました。すると彼は『男の子』と即答した」

「その理由を聞くと、『男の子だと思うから、男の子なんだと思う』と」

「『じゃあ、男の子として生きていきたい? それとも女の子として生きていきたい?』と尋ねると、少し考えてから『男の子として生きていきたい』と」

そこで、「ママも同じだよ。ママは自分のことを男の人だと思うから、男の人として生きていきたいの」と言うと、彼は納得したようだった。

夫がいて、実子もいるFTM。

自分でも、相当変わっていると思う。

「でも、これが僕の生き方なんです」

09男として生き始めて思うこと

髪の毛が短くなっただけで、ママはママ

カミングアウト後、息子の自分への接し方はちょっと変わった。

「以前の息子は、理想のママ像があったんです」

それはイコール理想の女の子像。

大きなリボンやレースのひらひらがついたワンピース、花柄のブラウス、キラキラしたアクセサリーを身に着けている。

「だから以前は、出かける時に『ママ、なんかキラキラしたのつけたほうがいいんじゃない?』『ふわふわしたスカートをはいたほうがいいんじゃない?』なんて言っていましたね」

「ところが今は、洋服を買いに行くと『こっちのほうがカッコイイ』よなんて、男として先輩面をするようになって(笑)」

買い物に行くと荷物が重くなるので、つい肘にかけてしまいがちだ。

「そうすると、『ママ、それは女の子のする格好だよ』って注意されます」

ただ、自分がスーツを着た時は、彼は大反対した。

「講演に招かれて、初めてスーツを着ることになったんです。そうしたら、それまでさんざんメンズ服を勧めていたくせに『それは着ないで』と」

その理由を、息子はこう言った。

「スーツは、お父さんが会社に行く時に着る服でしょ」

息子にとっては、スーツは男性が着るものではなく、お父さんが着るものなのだ。

それを母親である自分が着たら、お父さんになってしまい「家の中にママがいなくなる。それは嫌だ」ということらしい。

「スーツを着たからといってママじゃなくなるわけじゃない」と説明して、講演にはスーツを着て行った。

でも、息子にとって自分は「たとえ男になったとしてもママはママ」なのだということをつくづく感じた一件だった。

自分も、息子に「ママ」と呼ばれることには抵抗はない。

「男になったからといって、自分が彼の母親であることには変わりないですから」

意外と、周囲は受け止めてくれた

ただ、そんな親子のことを息子の友だちは、そしてその親はどう感じるだろう。

自分は、周囲に何を言われても気にしないが、自分のことで大切な息子が傷つくようなことは絶対にあって欲しくない。

息子のためにも、PTAのママたちに理解してもらえるよう自分から働きかけたほうがいいのだろうか。

「スクールカウンセラーに相談したんです」

「カウンセラーさんには、自分がうつ病になった時に息子への接し方について相談したことがあって、その後、FTMを自覚して治療を始めたことをカミングアウトしたら、すごく応援してくれて」

彼女は、あっけらかんとしてこう言った。

「PTA内でも、共働きか専業主婦かで意見が分かれて対立するのよ。そこで理解し合おうとしない人もいるんだから」

「田中さん、ご自分のことを理解してもらえるかもらえないかなんて気にしなくていいわよ」

「そんなこと、放っておいて大丈夫」

その言葉に勇気づけられた。

職場の上司も、自分を支えてくれている。

「ホルモン治療で声や体つきに変化が出てくれば、それまで自分が担当していたお客様を混乱させてしまうだろう。どうすればいいか、上司に相談しました」

すると、「ほかの店に『転勤』という形にしましょう、そのお店で最初から男として働けるから」と言ってくれたのだ。

その上司は、仕事上だけでなく、自分のことを一人の人間として理解してくれている。

「先日、自転車を買ったんです。タイヤの幅が10センチもあるファットバイク。息子と二人で、『かっこいい!』と盛り上がった話を上司にすると、『息子と一緒に騒げる母親って、いいねえ』と(笑)」

彼女は、思春期の男の子二人を女手ひとつで育てているシングルマザー。

「私なんて、男の子の気持ちがまったくわからないのに〜」と、心からうらやましがっていた。

そんな会話ができることが、ありがたい。

自分は恵まれていると、心から思う。

10誰もが自分の性を受け入れ、受け容れられる社会に

いろいろな性のあり方、さまざまなつながりがあっていい

最近、わからなくなってきたことがある。

「性別って何なんだろう?って」

生殖のためには性別は重要かもしれない。

ただ人間として生活する上では男性でも女性でも、どっちでもいいのではないか。

「この人と一緒に暮らしたい、人生を共にして支え合って生きていきたいと思うなら、男性でも女性でも、元男性でも元女性でも、そのいずれでもなくても、本人にとっては関係ないことだと思うんです」

動物は、子孫を増やすだけのためにオスとメスがつながりを持つ。

しかし、進化の過程で精神と心を持った人間は、子孫を遺すということと人生を共に過ごすということを別に考えていいんじゃないか、と考えるようになった。

また、子どもを産める女性であっても、子育てが苦手な人もいるだろう。

逆に、妊娠・出産はできなくても子どもが好きで、育てたいという男性がいていい。

「そうなると家族のあり方が変わって社会が複雑になり、政治を行う人にとっては統制上、面倒くさくなってしまうかもしれませんが」

海外では養子縁組が珍しくなく、LGBT同士で子どもを育てているカップルもいる。

日本でも、いきなりそこまで到達しなくても少しずつ少しずつ、変わっていけたら。

「そうしたら、今起きている、血がつながっているというだけの家族の間での悲しい事件も防ぐことができるかもしれません」

みんなが幸せに暮らしていけるような気がする。

相手を理解できなくても、尊重することができたら

日本社会の中で、LGBTが置かれている現状については、「よくもあり悪くもあり」だと感じている。

「LGBTは決して社会から受け入れられているとは言えないけれど、必要以上に攻撃する人もいないですよね」

「いい意味で距離感がある」

外国では、道ですれ違った人がMTFとわかっただけで暴力をふるう人もいると聞いた。

FTMだから平気だろうとレイプされるケースもあるという。

「その点、日本ではSNSなどを通して『LGBTは気持ち悪い』と表現することはあっても、面と向かって攻撃する人はまだ少ないですよね」

よく言えば、日本はLGBTを適度に放っておいてくれている。この状況のうちに、何とかしてLGBTと社会との距離をより近づけることができたら。

「理解し合えなくても、お互いの存在をひとりの人間として認め合うことができればそれでいい、と思うんです」

そう、夫と自分の関係のように。

お互い「あるがまま」を受けとめられる社会に

実は、いちばんの親友には自分がFTMとして生きることにずっと反対されている。ホルモン治療にしても、さらにSRS(性別適合手術)を受けることになったら体に大きな負担がかかるだろうから心配だというのが、その理由だ。

「また、性同一性障害という障害があることはわかるけど、だからといって性別を変更することには共感できないみたいです。会うたびに『ボーイッシュな女の子でいいじゃん』と言われます」

「『ボーイッシュな女の子』は、女の子。でも、自分は男だから。彼女が『それを言われたらおしまいじゃん』と言うから、僕は『だからこの話はおしまい』と言う。会うたびにそんなやりとりをしています」

にもかかわらず、親友の関係は続いている。

「性別移行については意見が分かれるけれど、お互いに相手の考えを尊重している。だから今でも、きっとこれからもずっと友だちです」

自分との意見や考え方の違いも含めて、相手の「あるがまま」を受けとめることができたら。

「LGBTを取り巻く環境だけでなく、誰にとっても暮らしやすい、幸せな社会になると思うんです」

そのために自分ができることは何でもしたい。

FTMという自分自身を受け入れ、周りに少しずつ受け容れられている今心からそう思っている。

そして、そんな「あるがまま」を受けとめられる社会の実現のためにも、あらためて息子に伝えたいことがある。

息子が成長し、たとえば思春期を迎えた時に、彼が自分に対して複雑な気持ちを抱くこともあるだろう。

そんな時、この記事を目にして彼は心を閉ざしてしまうかもしれない。

無理もない。

でも、僕はいつでもいつまでも「あなたのことを心から愛している」と伝えたい。

大切な息子へ

あなたが、お友達のお母さんとは随分違う母親を持ってしまったこと、申し訳なく思います。

ただ、あなたに対する愛情は、他のお母さんに負けていないと思っています。そして、あなたはそれを理解してくれているようで嬉しいです。


あなたは、色々な国籍の先生がいる幼稚園に通っていましたね。
そして、今は、私のトランスジェンダーの友人達とも関わっていますね。

色々な人がいるけれども、自分と違うからといって接し方を変えずに、あなたは普通に接している。

それは当たり前のことで、大切なことなんだけど、人によっては、その当たり前の事が難しく感じる人もたくさんいます。


もしかしたら、これから先、みんなと違う母親のことで、あなたにとっては普通でも、あなたのお友達にとっては理解しがたいというギャップがあらわになることがあるかもしれません。

その時のためにも覚えていて欲しいのは、「人と違う」事が「だれかの幸せを奪う」ことにはならないってこと。


人は誰も「同じではない」ということ。

あなたにはあなたの幸せがあり、お友達にはお友達の幸せがある。
そしてお互いの幸せは、邪魔したりしないのです。


あなたには、自信を持って生きて行って欲しいと思います。



あなたの母親、田中聖純より

あとがき
洋服から仕草まで、息子さんは男の子の先輩としてママきよすみさんに助言した。現在もお母さんの男の子化を一番に支えてくれる■子育てで言われる子どもへの理解や受容は、別の人間関係でも同じだ。ママからの告白と相談に「いいよ」と応えた。門前払いされずに、OKをもらったきよすみさんはどれほど気持ちがスーッとしただろう■大切な人が、意を決して口にしたとわかった時はせめて、「そっか、そう思っているんだね」と、まずは伝え返したい。(編集部)

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