INTERVIEW

女性と男性の狭間で見つけた“私”という性【前編】

本当に不思議だ。経営する理髪店の店先で、にこやかに迎えてくれた関本さん。その第一印象は、「快活な女性」だった。ところが、写真撮影の際に、普段から愛用しているつけ髭を付けてもらうと、そこには紛れもない男性が立っていた――。 ヒゲ一つでこんなに変わるものだろうか。いや、外見のせいだけではない。内面から発せられる“何か”が変わったのだろう。その何かは、語られる中から少しずつ見えてきた。

2015/12/09/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Masaki Sugiyama
関本 愛子 / Aiko Sekimoto

1974年、東京都生まれ。理容専門学校を卒業後、実家の理髪店「イドヤ」で働き、父が亡くなった7年前に家業を継ぐ。バイセクシュアル、レズビアン、FTM、そしてXジェンダーと、様々なセクシュアリティを変遷してきた。その体験を活かし、自身の店を〈LGBTフレンドリー床屋〉と銘打って、LGBTER向けに魅力的なヘアスタイリングを提案している。今後、〈ジェンダーリベラリスト愛太郎〉として、パフォーマンスや講演などの活動を広く展開する予定。

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INDEX
01 家族関係とセクシュアリティ
02 “女性スイッチ”が入ったけれど
03 レズビアンだと思えた喜び
04 自分探しで見つけたこと
05 レズビアンからFTMへ、そして
==================(後編)========================
06 すべてのセクシュアリティを受け入れる
07  人間は多面体
08 すべてをぶつけ、そして親に感謝した
09 子供の感性が人間の土台
10 さまざまな色が混ざり合う世界

01家族関係とセクシュアリティ

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寂しさを抑え続けた少女

東京の下町荒川で、理髪店「イドヤ」を経営する両親のもとに生まれた関本さん。両親はお店に段ボール箱を置いて、そこで子守をしていた。大人しい赤ん坊だったという。地元の人々に親しまれる地域密着の店で、お客さんや従業員に代わる代わる抱っこされ、オムツも変えてもらった。
ただ、「近所の人に育ててもらったようなもの」という下町らしい暖かさに包まれる一方で、家族の団らんにはあまり縁のない生活だったと振り返る。

「小さい頃は、住み込みで働く若い従業員が4,5人いて、シェアハウスみたいだった。私と弟は、いつも従業員のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒にご飯を食べて、家族揃って夕食を食べた記憶はあまりないの。だから、今でもお母さんと一緒に夕食を食べるとヘンな感じがするくらい」

両親は毎晩遅くまで仕事。店を終えて片づけが一段落してから、やっと夕食を摂る。お母さんは従業員の世話で手一杯だった。小学校時代の夏休みは、青森にあるお母さんの実家に預けられていた。寂しさを感じながらも、親に好かれたいから“いい子”でいたという。が、心の中では、ごく普通の家族の姿を求め続けていた。

「子供だから、両親と心の繋がりとかスキンシップとか欲しいじゃん。いろんな人が世話してくれるけど、やっぱりお父さんとお母さんに愛されていると実感して安心したい。その気持ちはずっとあった」

それでも両親をおもんばかって、ワガママを言わないように自分の欲求を抑え続ける。思春期になってからも、裏では悪さもして発散していたが、表立って親に反抗したことはない。近所の人たちからは、「お姉ちゃんはしっかりしてる」と褒められていたが、あまり嬉しくはなかったのだ。

これって家族なんだろうか

次第に、心の声に応えてくれない両親の、嫌な部分ばかりが目につくようになっていく。直情的で、すぐにヒステリーを起こすお母さん。無口なお父さんは、自分が困っているときにも助けてくれないと苛立った。中学に入って、弟がグレていったときもそう。荒んでいく弟に両親が向き合えない。父が厳しく叱るでもなく、母が優しく諭すでもない。それを歯がゆく思っていた。

「親として叱ってほしかったり、愛情を見せて欲しかったんだけど、それがウチの両親はできないんですよ。子供っぽいというか、親としてという感覚がないように思えた。まぁ、仕事して家族を養うだけで精一杯だったんですよね。貧しい時代に育った人たちだから、そこだけはちゃんとしようという思いで生きてたんだと思う。それは今だから理解できるんだけど」

これって家族なんだろうか――そう思えば思うほど、余計に家族のあるべき姿を求めてしまう。特に父親とはこういうもの、母親とはこういうものという理想像に強くこだわっていた。

「自分が思う理想のお父さんとお母さんの役割を、親になり切れない両親に代わって、自分がやろうとしてきたのかもしれない。家族をまとめるのは自分しかいないと思ってた。たぶん、私に父性と母性、男性性と女性性の両方があったから、そう考えたと思うんです」

それが元からあったものなのか、成長する過程で生まれたものなのかはわからない。でも、間違いなく自身のセクシュアリティの根源になっていると、関本さんは考えている。

「両親に失望する気持ちは、私の男性と女性に対する複雑なイメージに、そのまま繋がったんじゃないかな。生まれて初めて男と認識するのはお父さんで、女と認識するのがお母さんでしょ。その人たちとの関係性って、セクシュアリティの形成にすごく係わってる気がする」

両親に対する不満や不信感、その一方で繋がりを求めるアンビバレントな感情。あるいは、男性と女性それぞれに対する失望感。その後、この2つの感情が絡み合って、男性と女性の間で揺れ動く、関本さんのセクシュアリティの変遷に、色濃く反映されていく。

02“女性スイッチ”が入ったけれど

女性の身体の柔らかさが好き

幼い頃から女の子が好きだった。それは、触れたい、手つなぎたいという感覚。保育園の先生のお尻をずっと触っていた記憶もある。お母さんに抱かれることがあまりなかったので、女性の身体の柔らかさを求めていた。その一方で、こんな感覚もあった。

「年長組くらいになると、大人ぶって女の子に優しいみたいな、妙にマセた男の子いるじゃん。女だけど女として見られることが、何故だか気持ち悪かったの。もうその時から、内面で男性と女性が混在してたんだと思う」

そのためだろうか、近所に男の子が多かったこともあって、自然と男の子の輪に入っていた。サッカーやメンコに夢中で、女の子との遊び方わからなかった。ただ、小学校高学年になると、男子たちとも疎遠になっていく。

「たぶん、男女どっちのグループにも入りきれなかったんだと思う。だんだん、誰とも口を利かないし、交流しなくなっていった。男女問わずに、距離を置いてる感じだった」

“ラブ”ではない“憧れ”

ところが、中学1年の夏に生理を迎えると、その性格が一変する。関本さんによれば、生理という女性を象徴する現象によって、“女性スイッチ”が入ったという。好きな男子がいれば、積極的に告白した。彼氏もできて、外見も女っぽくなっていった。

「髪型も松田聖子みたいでしたからね。彼にマフラー編んであげたり、結構可愛いこともしてた。母性も強いから、相手に何かしてあげたいなという気持ちもあったし。でも、そんな時でも好きな女の子はいるの。男子と女子、両方好きだった。その時はまだ、男になりたいっていう意識はなかったから、バイセクシュアル的な感覚だったのかな」

ただ、男子とはデートしている時ももちろん楽しいのだが、触れ合いたいという感覚が、心底から湧いたことはなかった。友達、仲間、あるいは家族的な親しさに近かったかもしれない、と振り返る。

「好きな感情が溢れだして、どうしようもなく心が揺さぶられるのは、何故か女の子に対してだったの。好きな女の子とは、わざとホラー映画を一緒に見に行ったり、友達グループでディズニーランドに行った時も、手を掴まれるように必ずその子の隣にいたり。彼女と肌が触れることにドキドキワクワクしてた」

時々、その女の子を想って妄想もした。不良に絡まれたときに、関本さんが彼女を守るために立ち向かう、という完全な男目線のもの。“女性スイッチ”が入っているはずなのに、時々男の面が顔を覗かせていたのだった。

「今思えば、好きになる男子は、女子にモテるのと同時に、男子からも慕われるようなリーダータイプ。 “ラブ”というより、自分の “憧れの姿”だったんでしょうね」

03レズビアンだと思えた喜び

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好きなものはしょうがない

明確に、自分の恋愛対象が女性なのだと自覚したのは、19歳のときだ。当時、彼氏がいたにもかかわらず、同級生の女子への想いが止まらなくなってしまった。その子が男子と話していると、嫉妬でおかしくなりそうなほどだった。

「その時初めて、女の子が好きなことを、友達に泣きながら相談したんだよね。でも、自分のセクシュアリティに戸惑ったわけではないの。“女の子が好き=レズビアン”だということで、むしろストンと腑に落ちた感じだった」

思い悩まなくても、すっきりしない気持ちはずっとあったのだろう。それまで女性に告白するなんて考えも及ばないことだったが、「自分はレズビアン」という安心感を得て、積極的に女性にアプローチするようになる。
まずは同じ認識の人と会いたいと、すぐに新宿2丁目デビュー。通ううちに、当然のように女性と付き合ってみたいという気持ちが芽生えてくる。そうしてできた初めての同性の恋人に、人生初めてというくらい夢中になった。ますますレズビアンであるという意識が固まった。

「自分で変だと思ってないから、親友とかに彼女ができたことをカミングアウトしましたよ。気持ち悪いと言われることもあったけど、好きなものはしょうがないと思ったんですよね」

両親はカミングアウトするまでもなく、早い段階から知っていたようだ。初めての彼女ができたとき、「好きな人ができた」と言ったら、お母さんに「男と女、どっちなの」と聞かれた。

自分が知らなかった自分

しかし、その彼女とは半年で破局を迎えてしまう。その原因は、皮肉にも初めて表に出た “素直な自分”だった。

「“初めての自分”に出会ったんですよ。自分はしっかり者だと思ってたのに、赤ちゃんみたいな部分が出ちゃった。仕事も手につかないし、好きすぎてストーカーみたいなことをしたり。子供の頃から親に表現したくてもできなかった、“甘えたい”“寂しい”“泣いてぐずりたい”が出てしまったんだと思う。こんな自分がいたのかとビックリした」

自分が知らなかった自分。それは、親に甘えたかった幼い頃の関本さんだったのだろう。しかし、それを肯定的に受け入れることができるのは、ずっと先のことだった。

04自分探しで見つけたこと

何でお父さんになれないんだろう

25歳のときに3人目の彼女と付き合い始めた関本さん。そこからまた、セクシュアリティは変化していく。2人目の彼女まで関本さんは化粧もしていた。女性の性自認でのレズビアンの関係だった。ところが、2回目の失恋と同時に髪の毛をバッサリ切って、短髪にしようと思い立つのだ。
レズビアンの中には、好きな女性に振り向いてもらうために、結果としてボーイッシュになっていったという人も多いが、そうではなかった。
ちょうどその頃、お父さんが病気で倒れた。すでに関本さんは実家の理髪店で働き始めていたが、お父さんに代わって、店を切り盛りしていかなければならなくなった。
そんな環境の変化も影響していたのかもしれない。身体への違和感を覚えることこそないものの、徐々に自身の男性性を意識するようになっていく。

「何でお父さんになれないんだろう。何で彼女に子供を身ごもってもらえないんだろうって、ふとした瞬間に思うんですよね。ほかにも、お祭りで男しか担げないお神輿があることにもムカついたり、弟に対して、アイツいい身体しやがってとか、要するに男に対して妬んでる自分がいた」

とはいえ、忙しい日常に追われて、自分のことで悩んでいる暇はなかった。お父さんの病気や店のこと、あるいは弟が深刻なトラブルを抱える時期が長かったこともあって、ずっと気持ちが外に向いていたという。もしかすると、慌ただしくすることで、自身のセクシュアリティへの疑問から目をそらしていたのかもしれない。

女性であることへの拒絶感

長らく伏せっていたお父さんは7年前に亡くなり、弟もようやく元気に生活できるようになった。家族の問題に一段落ついたとき、ようやく自分に時間を割く余裕ができた。まるで、子育てが終わった母親のような気持だったという。
そうして通い始めた自己啓発のセミナーは、最初は「自分らしく稼ぐにはどうしたらいいか」という割と気軽な動機だった。その流れで、自身のセクシュアリティを生かそうと、〈LGBTフレンドリー床屋〉というサイトを作った。ところが、ビジネスをテーマに勉強していると、次第に自分のセクシュアリティについて、いろいろな“気づき”が出てきた。

「ビジネスにおけるメンターでも、女性に憧れることが一切ない。自分が憧れる人は、何で全員男なのだろう」

そうした疑問を解消するために、ビジネス関係以外の感情解放のセミナーやスピリチュアルセミナーなど、多種多様なセミナーにも顔を出すようになった。自分らしく生きるにはどうしたらいいのか。自分探しのためには、惜しみなく投資した。

「自分の身体をヒーリングしたり、身体の声を聴くセミナーに参加していると、自分の価値観や願望の根底に、女性である自分に拒絶感があることことに気付かされた。男の子を妬んだり、羨ましいと思っていたのは、そういうことだったのかと。自分はレズビアンではなくて、本当は男性になりたかったんじゃないかと思うようになったんです」

05レズビアンからFTMへ、そして

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ナベシャツを着けて涙する

そんなことを考え続けている時に起きたのが、東日本大震災だった。あらがえない人の死を目の当たりにして、関本さんは一つの決断をする。

「人間いつ死ぬかわからない。やりたいことをやり尽そう」――そう思い立って、新宿にナベシャツとつけヒゲを買いに行った。ナベシャツを身に着けたとき、これで憧れていたメンズファッション誌のような着こなしができると、嬉しくて涙している自分がいた。

「これが本当の私だ!」

かつて、レズビアンだと納得した時と同じだった。今度はFTMという枠にスッポリと収まることで、疑問が解消された安堵感に浸っていた。そこから、ホルモン注射はどうなんだろうとか、乳房の除去手術を調べたりするなど、本格的な身体改造も視野に入れ始めていた。
ところが、男になることを目指して突き進むうちに、思いもよらない自分のセクシュアリティに直面することになる。

「男になり切ろうとすると、何故か自分の女性の部分を認識しちゃうんですよ。男ばかり見てるはずなのに、横目に女性が映るというか、『あれ、こっちに女性としてのあなたもいたのね』と。それを無視して手術するのはどうなのか、後悔することになるんじゃないかって躊躇するようになったんです」

男嫌い、女嫌いの私

男になりたいのに男になれないジレンマ。自分のセクシュアルに関して真剣に悩んだのは、この時が初めてかもしれない。レズビアンでもFTMでもない。自分が何者なのか、この世から消えてしまいたくなった。自分を安心させたくて、統合失調症や性同一性障害、パーソナル障害など、様々な病名を探して自分を当てはめようとした。でも、その時ばかりは外から自分を定義してくれる言葉が、まったく見つけられなかったという。

「何故女性としての自分が嫌いなのだろう。でも、何故男性になり切れないんだろう」

自分の内面を深く探っていくと、またそこで、お父さんやお母さんへの嫌悪、弟への嫉妬など、家族の関係性がクローズアップされていく。さらには忘れかけていたことも甦っていく。
小さいとき、近所のちょっとイヤらしいオジサンに、お尻を触られた記憶。男って気持ち悪いというトラウマ。お母さん、ピアノの先生など、ヒステリーな女性への嫌悪感。次から次へと掘り返していった。

「結局、私は男嫌い、女嫌いなんだっていうことがわかったんです。だから、自分が男であるのも女であるのも、居心地が悪い部分が出てくるんじゃないか。だとしたら、一体何者何なのか」

後編INDEX
06 すべてのセクシュアリティを受け入れる
07 人間は多面体
08 すべてをぶつけ、そして親に感謝した
09 子供の感性が人間の土台
10 さまざまな色が混ざり合う世界