INTERVIEW

俳優として、当事者として。僕が表現できることを。【後編】

俳優として、当事者として。僕が表現できることを。【前編】はこちら

2017/02/24/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
青木 結矢 / Youya Aoki

1983年、山梨県生まれ。15歳で「劇団ひまわり」の俳優養成所オーディションに合格。1998年放映の関西テレビ「学校の怪談G」でデビューした。初舞台は2003年公演のミュージカル「レ・ミゼラブル」。2015年、音楽劇『君よ生きて~先人たちが繋いだ命のバトン~』への出演を目前に、ゲイであることをカミングアウトした。なお、当作品は2017年2月22日から26日まで東京・天王洲「銀河劇場」での再演が決定。山本清治役で出演予定だ。

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INDEX
01 よく喋り、よく歌い、よく踊る
02 ゲイってどういうこと?
03 興味の対象は異性か、同性か?
04 ミュージカル俳優を目指して
05 ようやく訪れた本当の恋
==================(後編)========================
06 初恋は苦い思い出
07 人生、そんなに甘くない
08 表現者としての使命感
09 カミングアウトの波紋
10 大きな夢を描いて

06初恋は苦い思い出

6

深い喪失感

「もうどうしても、気持ちをしまい込むことができなくて。それに好きなら、たとえ相手が男でも、きちんと告白すべきだと思ったんです」

「友達の振りをしていれば一緒にいることができたけど、それでは我慢できなかった」

「男女の恋愛がそうであるように、ある一線を越えて付き合いたいと想ったんです」

同性への初めての告白だった。

結果、フラれた。

「『好きなんだよね。いや友達としての好きじゃなくて』と、どこか遠回しな告白の仕方になってしまいました」

「彼も初めは、状況が飲み込めないという表情をしていました。が、僕の告白の真意を理解して『そういうのじゃないから。友達として、お前のことを大切にしたいだけだから』と言われました」

丁寧で、真摯な断り方だった。

しかし告白のあと、何となく気まずくなって、養成所のユニット自体も解散することになってしまう。

「3人それぞれの方向性の違いから、一旦、離れようかという話は出ていました。だから僕の告白が解散の理由というわけでもなかったんですが」

「でも養成所で彼と会う機会も減って、友達関係まで薄くなってしまったことは悲しかったです」

彼は告白を受けたあと、逆に気を遣ってくれたのか、今まで以上に優しく接してくれた。

けれど親切にされればされるほど、なんだか申し訳ない気持ちになって、いたたまれない気持ちになった。

結果、一緒にいる時間はぐっと減った。

毎日の生活から好きな人が抜け落ちて、ずいぶんと落ち込んだ。

「ゲイというだけで本当のところで受け入れてもらえない、ここまで差別を受けるとは正直、考えていなかったんです」

男女の恋愛だったら、タイミングもあると思う。

1度目はダメでも、2度目の告白で受け入れられることがあるかもしれない。

でも同性を好きになると、なおさらうまくいかない。

相手もゲイでなければ、男女のように2回目で成就することは、おそらくあり得ないのだろう。

彼の態度を見て、そんなことを強く思った。

恋敗れて得たもの

ユニットを解散したあと、ミュージカルクラスに移ることになった。

しかし彼とは養成所の廊下ですれ違うことも。

もう昔ほど、仲良く話せないことが悲しかった。

「でもだんだん、仕方ないと思えるようになってきました。世の中って、きっとこういうものなんだな、と失恋を通して学んだ気がします」

失恋で落ち込みはしたけれど、小学校のときの男友達との奇妙な体験や、中学のときの家庭教師の存在を通して、自分がゲイだということは、すっと受け入れることができた。

それほど悩むこともなかった。

「自分のセクシュアリティに気づいてからは『バディ』にも目を通すようになりました」

「高校生のときには、携帯電話でインターネットにアクセスできるようになったので、掲示板を見て情報収集もしました」

家庭教師の先生に新宿二丁目のことを聞かされていたから、学校の帰りによく足を運んだ。

そこで自分と同じゲイの子と落ち合い、遊んだ。

喫茶店やファミレスに入り浸り、いろんな話をした。

同じセクシュアリティの人と一緒にいた方が楽だった。

女友達といるのもいいけれど、仲良くなり過ぎると、向こうも恋愛関係を期待してくる。

それが億劫だった。

「新宿二丁目で出会った同年代の子と付き合うことになりました。初めての彼氏です。1年半くらい交際しました」

「初めて男の人とセックスをして、中学校のとき彼女とエッチしたときより、ずっといい」

「こっちの方がしっくりくる、と思いました」

交際は順調だったが、周りにバレたら嫌われると思い、初めのうちはカミングアウトも控えていた。

でもそのうちに我慢できなくなって、養成所の仲のいい女友達には話していた。

「『そうなんだー。まさか “そっち系” だと思っていなかったよ!』というのが、大方の反応でした」

「ミュージカルって女性ファンの方が多いから、役者がゲイだってバレると、マイナスなんです」

「だから自分が有名になったときのことを考えれば、芸能人の卵にカミングアウトなんて、ものすごくリスキーなんです」

「でもそのときは、なんとも考えてはいませんでした」

交友関係が広がって、初めての失恋の傷跡は、すっかり癒えていた。

07人生、そんなに甘くない

チャンス到来

高校を卒業したあとは、演劇の専門学校に進みたかった。

しかし大学進学を希望する父親が許してくれない。

「仕方がないので、せめて少しはミュージカルに役立つことをと思い、大学の声楽科へ行くことにしました」

「課題のピアノなんて弾いたこともなかったけれど、1曲だけを集中的に練習して、なんとか合格することができたんです」

養成所に入った翌年、テレビドラマには脇役でデビューを果たしていた。

大学に通いながら芸能活動を続けていたが、仕事は映像系ばかりで、舞台の仕事は舞い込んでこない。

オーディションに応募する日々が続く。

努力のかいもあって、20歳のときに初めてミュージカルの仕事が舞い込んだ。

しかも演目は、あの『レ・ミゼラブル』。

東京での会場は帝国劇場。

ジャン・バルジャン役が山口祐一郎と別所哲也、ジャベール役を内野聖陽と高嶋政宏が演じるという豪華キャストだ。

「オーディションを経て、プルベール役で参加できることになりました。1幕ラストの『ワン・デイ・モア』で、旗を大きく振る青年役です」

「『レ・ミゼラブル』全編を通しても印象的なシーンなので、あまりの大役に一瞬、自分にできるのか、引き受けてもいいのか迷いました」

無理もない。

初舞台が憧れであった『レ・ミゼラブル』、役者も錚々たる面々だ。

重圧を感じるなか、稽古が始まった。

「両親の意見も変わりました。あれほどミュージカル俳優への道を反対していたのに、稽古に打ち込む僕を見て、やりたければ自分の信じる道を進め、と言ってくれるようになったんです」

『レ・ミゼラブル』の稽古は1年がかりだった。

東京公演は3ヶ月も続く。

多忙を極めるうちに、大学に行くのが難しくなった。

「辞めたければ、辞めればいい」。

今度は親も反対はしなかった。

大学に退学届を提出し、退路を絶って役者の道へ進むことにした。

自分の実力

夢が叶ったと飛び込んだ世界だったが、毎日が失意の連続だった。

「たいした実力がないのに、オーディションに受かってしまったと思いました。落ち込んでばかりで。稽古で怒鳴られるようなことはないけれど、場の空気でダメ出しされているのが分かるんです」

「音楽監督にリズムの取り方や、感情の込め方などを指導されても、要求されていることすら、理解できない」

「こういうことだよって隣の役者さんに教えてもらった時には、情けない気持ちになりましたね」

約15000人が受けたオーディションで80人が選ばれた。

しかし受かったからといって、公演中、毎日毎公演、ステージに立てる訳ではない。

ミュージカルの場合、ひとつの役を複数人で担当することがある。プルベール役はダブルキャストだったが、自分を含め3人が当てられていた。

「二番手までになれば舞台に立つ回数も増えるんですが、僕は三番手でした。他の二人に比べて、出番が少なかった」

「やっぱり実力がものを言う社会。甘くはないなぁ、と思いました」

初めての夢舞台は、苦い思い出をともなった。

08表現者としての使命感

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我慢の日々

その後も舞台を中心に、芸能活動を続ける。

「『ミス・サイゴン』のような大きな興行にも参加させていただきましたが、20代後半からは、小さな劇場での実験的なお芝居にも興味を持ちました」

芸能だけで生計を立てるのは難しいため、アルバイトを掛け持ちする日々が続く。

稽古や公演が入ると、ホテルやバーでの夜勤の仕事との両立は体力的にきつかった。

「それでもいつかはなんとかなる、ものになるはず、と思っていたので、辛いと思ったことはないんです」

「辞めて安定した仕事をと言うのも、考えたことはなかったですね」

何ができる?

そして2015年。

戦後70年記念音楽劇『君よ生きて』への出演が、自らの価値観を大きく変えることになった。

「出演が決まって台本に目を通した瞬間、胸にこみ上げてくるものがありました」

「シベリア抑留の辛い状況を生き抜いて、日本に引き揚げてきた人たち。彼らの命のバトンは、確実にその子孫、そして私たちに引き継がれていることを、物語を通して知りました」

何かが胸の中に引っ掛った。

稽古を重ねるたび、それは確信へと変わっていく。

「僕はどんな命のバトンを繋いで行けるんだろうと考えながら、毎日を過ごしていました」

「ゲイだから、子どもを作ることはできない。ならばどうやって、と」

行き着いた先は、公的カミングアウト、社会全体に対するカミングアウトだった。

「次の命を育むことはできなくても、今ある命を大切にすることはできるんじゃないかと思いました」

「LGBTの自殺率が高いと聞いていたので、僕という人間の存在をリアルに伝えることで、その人たちの理解者になりたいと考えたんです」

「僕も苦しみながら、それでも生きているよって伝われば、勇気を与えることができるんじゃないかって」

メディアを通じてカミングアウトしたのは、公演開始の1週間前だった。

09カミングアウトの波紋

失恋が後押し

公的カミングアウトを初めに思いついた際、当時の恋人にも相談した。

交際して7年の相手だ。

「『そんな余計な事しないで』という返事でした。彼も役者だったから、僕のことを心配してくれたんだと思うんですけど、冷たくあしらわれたと感じました」

「彼も役者だったから、僕のことを心配してくれたんです」

しかしその数ヶ月後、彼と別れることになる。

実は失恋の勢いも、応援してくれるファンへ、関係者へ・・・・・・ 自分のことを話す勇気を後押ししてくれた。

両親の理解

親にも自分の決意を告げた。

「母親の方はもう気づいていたんです」

「最初の恋人と別れて、落ち込んで寝込んでいたら『いつも家に連れてきていた、あの男友達のこと好きなんでしょ?』『 やめなさい、お父さんが知ったらどうするの。 女の子がいいよ』と言われたことがあって」

その時は、母親の言葉に否定も肯定もしなかった。

「あと僕を支援してくれていた人が、恋人がいると知って逆上して、親に手紙を送ってしまったことがあって。そこには、僕がゲイであることが綴ってあったんです」

「でも、そのとき両親は何も言ってきませんでした」

しかしそんな状況も、7年付き合った恋人が実家に遊びにきたとき、大きく動いていたことを知った。

すでに両親が自分のセクシュアリティを受け入れていたことに気づいたのだ。

そのことは自分と彼を目の前にして、伝えられた。

「実は大叔母がレズビアンだったらしくて。その大叔母は恋人と同棲していたのですが、死んだときに、一緒のお墓に入れてもらえなかったそうなんです」

両親はその話を自分と恋人に語り、「あなたはうちのお墓に入れるからね」と告げた。

「そんなこともあって、だから公的な告白も受け入れてくれると思ったんです。母には「カミングアウトする!」とだけ言いました」

結果、泣きながら大反対された。

「セクシュアリティはもう認めている、と。それより、あなたが社会的にどうなるかが心配なんだ、と言われました」

しかしもう決めていた。

最後には母親も泣きながらも「それだったらいいよ」と理解してくれた。

父には強引に「カミングアウトする」と言い、一方的に電話を切った。

でも楽しく毎日を過ごしていると母から聞いているので、きっと何も言わすとも認めてくれているのだろう。

そう思っている。

10大きな夢を描いて

10

ずっと楽に

公的カミングアウトをして、何もかもがうまくいったわけではない。

「1年くらいはどうしてカミングアウトしたんだろう?と思っていました」

「仕事がうまくいかないのも、カミングアウトのせいにしていたんです」

「でもそう思うのは、僕自身がゲイである自分を差別していたからなんです。そう気づいてハッとさせられました」

周りの人からあからさまに差別や偏見を受ける、ということもなかった。

「ただバイト先の同僚が、ゲイのカップルを横目に、今までホモ気持ち悪いって言っていたのに、言わなくなったんです」

「更衣室やトイレに僕がいると、さっと用事を済ませて出て行く」

「密かに僕を意識しているんだな、と思いました」

でもそんなことも気にならない。

公的カミングアウトをしたことで、社会への後ろめたさが消え、ずいぶんと楽に生きられるようになったからだ。

僕の進む道

それほど露出があるわけではないが、メディアに登場する人間として責任感を感じている。

「オネエタレントだけでなく、もっとメディアにリアルなLGBT当事者が登場すればいいと思うんです。ハリウッドだって、大スターがカミングアウトしているんだし」

「たとえば『ぺこ&りゅうちぇる』のLGBTカップル版のような人が出てくれば、良いロールモデルになると思うんです」

「実は僕も恋人ができたら、そうやってメディアに出て行こうかな、と思っています(笑)」

「でも恋って、そう上手くは行かない」

ひとりの男として思い描く夢は、俳優としての成功、そして結婚だ。

「恋人と同棲して7年付き合ったとき、この恋愛のゴールってどこにある?と思っていました。その答えが結婚でした」

「全く喧嘩をしない、仲のいい両親を見ていると、あんなふうに好きな人と結婚して家庭を持てればいいなと思います」

「戸籍上も夫婦として認められ、死んだら一緒のお墓に入りたい。よくクールで淡々としていると言われるし、恋愛もリードする側だけど、本当の僕は甘えたがり、寂しがりやなんです」

「だから死んだ後、お墓の中でパートナーと一緒にいられなかったら、寂しいですよね」

あとがき
演じることで身を立てているはずなのに、いつしかそれ以外も求められる−−− 不安に波立つ時間は長かった■結矢さんの第一印象は、どこか捉えどころの無いさっぱりした感じ。2回目、取材の日はだいぶ違った。ゲイであることの表明は、悔みと戸惑いを繰り返して。でも今は「スーッと胸に流れた気がする」と■幼い頃、教室で無邪気に歌って、踊り出していた結矢さんはそのままに、繊細で大胆な魅力をさらに磨かせる。仕事も恋も、自由はいつも近くにある。(編集部)