INTERVIEW

目の前の困難は、将来の自分への大きなギフト

LGBTという言葉、そして当事者の置かれている状況もある程度知っている。でも、いざ身近にいる友人や知人が当事者だと知ったとき、自分は彼らとどう接すれば? LGBTについて「知っている」自分から「理解している」自分になるには、何が必要なのか? は、よく聞かれる声だ。「親友が、たまたまゲイだっただけ」という越後谷さんの話は、そうした人たちにとって、さらにはLGBT当事者にとっても大きなヒントになるかもしれない。

2017/03/04/Sat
Photo : Taku Katayama  Text : Yuko Suzuki
越後谷 紫乃 / Shino Echigoya

1978年、北海道生まれ。両親ともに教師、という家庭に生まれ育つ。大学で初等教育や特別支援教育を専攻、卒業後は小学校および特別支援学校で教師として勤務。その後、カウンセラーとして独立。カウンセリングやセミナーなどを行っている。とくに数秘術を使ったセッションや講座が好評。「自分の本質を知り、自分らしくVIPに生きる」を信念に、悩める人々にソウルフルにメッセージを伝えている。男の子と女の子、二児の母。

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01ある日、突然。

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予感は、まったくなかった

シゲとは、大学で出会った。

進んだ学科は、学生が男女合わせて18人という少人数のクラス。

お互いの名前も顔もすぐに覚え、近しい関係になった。
 
「18人のうち、男子学生は彼を含め3人だけ。それもあって、クラスの雰囲気としては男女の垣根なく、お互いに性を意識することはほとんどなかった気がします」

「もっとも、そう思っていたのは多数派の女子だけで、男子は違ったのかもしれませんが(笑)」

だから、シゲのことも「男性」として特に意識することなく、自然と友達になった。

「高校からの推薦で入ってくる学生が多い中、彼と私は一般受験、さらに現役合格と、二人の間には共通点があったんです」

「誕生日が近くて血液型が同じだったことも、すぐに仲良くなった理由かな。もっと言えば、単純に気があったんでしょうね(笑)」

その年頃らしく、”恋バナ” に花を咲かせることもあった。

「シゲの恋の相手は、当然女の子だと思って話を聞いていました。だから、彼の本当のセクシュアリティについてはしばらく、まったく知らなかったんです」

実際、彼は大学の後輩の女性と付き合っていたこともある。

ただ、その時、彼の心は大きく揺れていたことを、後になって本人の口から聞いた。

旅立つ直前に、突然の告白

3年生の夏、シゲと二人で北海道へ旅をすることになった。

「北海道は私の出身地。だから、旅といっても私としては実家に帰るだけだったのですけれど(笑)。ただ、シゲはもともと北海道が好きで『青春18切符で行こうと思う』と言うんですね」

「私は、電車では時間がかかるからいつも帰郷には飛行機を使っていたのですが、彼が一緒なら電車旅も楽しいかもしれないと、その話に乗ったんです」

「なんだったら、うちの実家に寄って行く? なんて言って」

出発の日、二人は新宿駅構内のカフェで待ち合わせた。

約束の時間の少し前に着き、コーヒーを飲んで待っているとシゲがやって来た。

「じゃあ、行こうかと荷物を手にしようとした時、彼が『話があるんだけど』って。そして、『実は、僕はゲイなんだ』と打ち明けられたんです」

びっくりした。

「シゲがゲイであるという事実に驚いたわけではないんです」

「まさか、今から出かけようという時にそういう話を聞くとは思っていなかったから、意表を突かれた感じで」

でも、ハッと気を取り直す。
電車に乗り遅れたら大変。

二人は急いでカフェを出て、ホームへ急いだ。

02友達がゲイだった、というだけ

セクシュアリティより人間性

仲がいいと言っても、長い時間を一緒に過ごすのは初めてのこと。

やはりその前に、事実を知っていてもらいたいと彼は考えたのだろうか。

後に聞いたことだが、彼はその時「めちゃくちゃ緊張していた」という。

ひょっとすると、自分がゲイだと打ち明けることで二人旅が中止になるのでは、と案じていたのかもしれない。

「でも私の目には、彼がとても冷静で事実のみを話しているように映りました。それもあって、私も落ち着いて話を聞けたように思います」

「だからでしょうか。彼の話の内容についても、『ふうん、そうなんだ』とそのまま受け止められたんです」

拒否感のようなものも、自分の中にまったくなかった。

「いいんじゃない?シゲはシゲで変わらないから」と言った記憶がある。

「私にとってシゲがどういうセクシュアリティかということより、話をしていて楽しいとか、思いやりがあってやさしいといった、彼の人間性に惹かれていましたから」

「男の人同士って、どうするの?」

当時はまだ、LGBTという言葉を知らなかった。

いや、日本の社会全体にとっても、それは未知の言葉だっただろう。

「その頃、テレビ番組の『3年B組金八先生』で、性同一性障害のことを取り上げていたこともあって、ゲイやレズビアンを含め性的マイノリティとされる人たちの存在は知っていました」

「それについても『ああ、そうなんだ』と自然に受け入れていたから、シゲがゲイであると知っても『ふうん、そうなんだ』でしかなかったんです」

新宿駅から電車を乗り継いで北海道まで、どれくらい時間がかかっただろう。

とにかく長かったことだけは覚えている。

でも、話が弾んで、ちっとも退屈しなかった。

「やっぱり、恋の話になりますよね(笑)。私は彼から、後輩の女の子とのこと以外にもいくつか聞いていたので、『ちょっと待って、じゃあ、あの時のあれって、相手は男の子だったの?』『本当に、女の子に対しては何も感じないの?』って」

ほかに、「男の人同士ってどうするの?」つまりセックスはどうするのか、というようなことを聞いた記憶がある。

それは興味本位からだったのか、単に疑問に思ったのか、今となっては分からない。

「彼も普通に答えてくれましたし、私も、彼の話を聞いたからといって嫌悪感も拒否感も抱きませんでした。そう、女の子同士で恋バナをしている時と同じ感覚で」

「二人でキャーキャー言いながら、話をしていたような気がします」

そのことについて、当時は何とも思わなかった。

でも、それほど深いところまで聞くことができて、しかも相手にも答えてもらえたのは、二人の間に確かな信頼関係が築けていたからだろうと、今は思う。

03本当の理解のために必要なこと

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恋バナに遠慮はいらない!?

日本の社会においてはまだ、LGBTの当事者に対して、プライベートなこと、特に性的なことは聞きづらい雰囲気がある。

「いわゆる性的マジョリティの人と同様、マイノリティの人たちだって恋やセックスの話をすることがイヤなわけではないと思うんです。むしろ、わいわい、きゃあきゃあ話をしたいのかもしれない」

「でも残念ながら、日本ではまだLGBTの人たちはどうしても際物扱いされ、茶化しやからかいの対象にされがちですよね。だから、話したくても話せない・・・・・・」

そして、そういう状況があるからマジョリティ、つまり当事者もまた、非当事者の恋愛に関心があってもなかなか聞けない。

もっと言えば、「関心がないふり」をしがちだ。

「彼と私の場合はやはり、ふだんからお互いに性を意識することなく気の合う大切な友人として付き合ってきたから、『聞きたいことは聞く』『話したいことは話す』ということが、普通にできたのだと思います」

年齢相応の興味も、信頼関係の確かさもあったからだとも思う。

子どもの頃からあった、マイノリティへの興味

もともと、「マイノリティ的なこと」に関心があった。

LGBTに限らず、障がいを持っているということについて、あるいは何らかの事情で生きづらさを抱えている人がいるということについても。

「自分でも、どうしてこういうことに興味があるのかなあと思っていました」

「うまく表現できないのですが、あえて言語化するとすれば『自分がマイノリティを受け入れていく』というような感覚が、子どもの頃からあったんです」

「なぜなんでしょう」

ちなみに、大学では教育学部に籍を置き、特殊教育(今でいう特別支援学級・学校)を専攻していたが、それも「マイノリティ的なもの」への関心があったからだろう。

「障がい児教育に携わって強く思ったのは、障がいについて頭で理解しようとするより、障がいを持っているひとりの人と仲よくなったほうが早いということ」

「目の前の人を『障がい者』として見るのではなくて、親しくつき合っている人が『障がい』という特徴を持っていた、というほうが早く、しかも深く理解できるような気がするんです」

LGBTについても同じだ。

「この人はLGBTだけど友達」ではなく、仲よしになった友達が「たまたまLGBTだった」ということであれば、LGBTについてもっと知ろうと思うだろうし、抱いた疑問も素直にぶつけられるだろう。

LGBTへの本当の理解は、そこから始まるのではないか。

04「アライ」というより「友達」

相手のそのままを、受け止める

自分は、シゲにとって初めてカミングアウトした人間だったらしい。

そして大学在学中は、シゲは他の誰にもカミングアウトすることはなかった。

「私たちの関係性も以前と何も変わらなかったので、シゲとクラスメートとの関係もそれまでのまま」

「相変わらず、恋バナもしていましたね。ただ、そういう時は私もちょっとだけ気を使ったかな」

たとえば、誰かが彼に「恋の話はないの?」と聞けば、「彼、なんかモテモテみたいよ」と茶々を入れた。

そこに自分も含めて何人か女友だちが揃っていたら、わざと彼に「この中で、誰がいい?」と聞いてみたり。

「そうすると、その場はわーっと盛り上がって、おしまい(笑)。別に彼に頼まれてそうしたわけではないし、私としても助け舟を出したつもりはありませんでした」

「彼からも、『助かった』と言われたことはないですよ。友達として、もし彼が困るようなこと、傷つくようなことは避けたいなと思ってしただけのことです」
 
その後も、たとえば彼が新たな恋をして、でもセクシュアリティの問題でそれが実らなかった時も、失恋の痛みを共有することはあった。

でもそれ以上に重く受け止めたり、彼に同情したり、ということはなかった。

たとえば、彼は恋人とは堂々とつき合っていたいと思っていても、相手は社会的な立場を考えて「隠しておきたい」ということもあって、彼はとても悲しそうにしていた。

「でも、それに対して特に彼を慰めたり相手の人を責めたり、ということはなくて。『まあ、相手はそう思うんだろうねえ』という感じで、彼が話すのをただ聞いていました」

「彼が苦しんでいるからサポートしなくちゃ、という感じでもなかったので頼りない友達だったかもしれませんが(笑)」

「私がそういうスタンスだったからこそ、彼は何でも話してくれたのかな、とも思います」

人はみな、マイノリティ的な部分を持っている

LGBTに限らず、マイノリティに対しては、かわいそうだからと同情や(言葉は過ぎるかもしれないが)哀れみの気持ちで接してしまいがちではないだろうか。

「でも、相手に『かわいそう』と上から目線で接せられている時点で、当事者は何も言えなくなってしまうと思うんです」

だから、自分が「LGBTアライ」と呼ばれたら、それはちょっと違うような気もしている。

「シゲとはあくまでも対等な関係で、ひとりの友達として彼の抱えている問題を一緒に考えたい。支援しているという意識は、ないんです」

「それに、生きづらさを感じているという点では、私も彼と同じでした」

「ある人たちから見たら、私もマイノリティなのかもしれない。もっと言えば、世の中の人の多くは自分がマジョリティだと思っているかもしれないけれど」

「たとえば、なかなか人の輪に入っていけないとか、周りの人たちと同じことができないとか、細かく見ていけばそれぞれが ”マイノリティ的な部分” を持っているんじゃないでしょうか」

その意識が持てれば、LGBTに対してももう少し違った見方、接し方ができるのではないか。

そう思っている。

05”本当の自分” を生き始めた彼がまぶしかった

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彼のことを誇りに思う

親友シゲとのつきあいは、20年になる。

彼は、初カミングアウトの後、「この人なら理解してくれるだろう」と感じる人にはどんどん、自分のセクシュアリティを明かしていった。

カミングアウトする人が増えるにつれ、シゲは生き生きし始める。

その様子を目の当たりにして、人は、自己開示ができるとこれほどまでに輝き出すのかと、感じ入った。

「それまで隠れていた彼のよさがうわーっと、大きく花開いたように感じます」

「もともと彼は、明るくポジティブな性格なのですが、さらに自分の本質を開示できたことで、より自信を得たのではないでしょうか」

「もちろん、日々いろいろな問題が出てくるようですが、それでも前を向いて ”自分の人生” を生きている。そんな彼が、とてもまぶしく見えました」

とくに2年前、彼が職場の人たちにカミングアウトした時、「すごい」と思った。

自分が彼の立場だったら、同じことができるだろうか。

「私も教員だったのでわかるのですが、教員という職業は弁護士や医師などと同様に公的なイメージが強く、個人的な発言、とくに思想的、政治的な発言は ”慎むべきもの” だと、世の中も本人も考えているような気がします」

「ましてや自分自身のこと、それもセクシュアリティを明かすなんて・・・・・・という雰囲気があるのです」

そこを、堂々と「自分らしく生きる」道を選んだ、親友。

「ずっとつき合ってきた友達なので、尊敬するという感じではないですけど(笑)、この件に関しては、彼のことを心から誇りに思います」

自分の中で矛盾が大きく膨らんでいく

シゲと出会って得たものは、LGBTに対する知識や理解だけではない。
彼との長いつき合いの中で、自分自身、大きな ”気づき” を得た。

「大学卒業後、シゲと同じように教員をしていたのですが、ある時から『本当の自分を表現したい、私自身の人生を歩きたい』と思うようになりました」

「自分には別に進むべき道があるのでは、と」。

「でも、教員という職業は経済的に安定しているし、仕事の内容として自分に向いている部分も少なくありませんでした。そして何より、子どもたちがかわいい」

「それを考えると、なかなか新たな方向に舵を切ることができなかったんです」

教員の道を進もうと思ったのは、高校生の時。

家に届いた進学・就職案内の本をめくっているうち、「子どもと接する仕事がしたい」、「小学校の先生になろう」と思った。

「両親が教員で毎日をとても忙しく過ごしていたので、それを見ていた私は、自分は絶対に学校の先生にはならない、と思っていたんですけどね、忙しくて可哀想とさえ思っていましたから(笑)」

「でも、その本にあった職業一覧で仕事の内容を読めば読むほど、これしかない、と」
 
さらに、「障がい児教育が教育の原点である」という話を聞き、「特殊教育」が学べる学科のある大学を選んだのだった。

卒業後、望んでいた職に就くことができ、毎日は充実していた。

でも皮肉なことに、教員という職業で活かされれば活かされるほど、自分自身を見失っていくような気がした。

「漠然とした言い方になってしまうのですが・・・・・・自分が感じたこと、思ったことがたとえ正しくても ”教員” という立場では口にできない」

教育現場では、「子どもたちそれぞれの個性を大切に」とか「その子、オリジナルの人格形成を」などと言われるようになって久しい。

しかし、その子たちを教える側の教員には、個性はあまり要求されなかった。いや、むしろ必要ないとされた。

だから、いつも自分の発言に制限がかかる。

「そういう場面に直面することが、だんだん増えてきてしまって。苦しい。でも、だからといって辞められるわけがない・・・・・・と、私は大きな葛藤を抱えていました」

06目の前の困難は必ず幸せにつながっている

最悪の決断がくれた自由

自分が感じている生きづらさに何とか対処しようと、心理学やカウンセリングを学んだ。

それによって、自分を縛っているのは教員という立場だけでなく、自分自身の中にある「〜せねば」「〜べき」という凝り固まった考え方だ、ということに気づきはじめる。

そんなある日、職場で突然、倒れてしまった。

「心の声を、体が受け止め切れなくなってしまったのでしょう。もう限界!と。まさに、強制終了です」

その結果、自分がもっともしたくない、と考えていた最悪の辞め方をすることになってしまった。

「強制終了だとはいえ、仕事を途中で投げ出すわけです。私はそれまでずっと、人に迷惑や負担をかけて物事を放り出すことだけは絶対にしたくないと考えていたのに」

でも、これ以上自分を殺し続けたら、また心と体が悲鳴を上げるだろう。

自分が倒れるだけならいいが、職場の人たち、そして子どもたちにさらに大きな迷惑をかけることはできない。

今度こそ心と体の声に従って、自分に正直に生きよう。

「その時、私の背中を押してくれたのは、勇気を持って本当の自分を表現していこうとし始めていた親友の存在でした」

教員を辞め、それまで学んできた心理学やカウセリングに「数秘術」(数字を用いた占術)を活かして、悩める人や迷える人の話に耳を傾け、助言をする ”ソウルフルメッセンジャー” としての活動を始めた。

家事も子育てもあり、毎日多忙をきわめている。

でも、心の声に従って生きているから、すこぶる元気だ。

苦労や試練は将来の幸せの種

親友シゲを見続けてきて、そして自分自身の体験からも実感していることがある。

悩みや迷い、生きづらさといった困難は「ギフト」である、ということだ。

性的マイノリティであることで抱える悩みや苦しみは、その内容も大きさも相当なものに違いない。

でも、それはきっと、自分が本当の幸せを生む種のようなもので、必要不可欠なこと。将来的には自分にとって「ギフト」になるはず・・・・・・。

「そんなふうに言われると、不愉快だと感じる人もいるでしょう。今、困難の真っ只中にいる時は、この苦しみが将来の幸せにつながっているとは思えないかもしれないですね。ギフトだと言われても納得できないかもしれません」

きれいごとに聞こえるかもしれないが、自分の目の前にある困難にはきっと何らかの意味があって、それは必ず幸せにつながっている。

「私は、そう確信しています」

今までの経験も大切に、自分らしく

親友も、性的マイノリティであることに悩み苦しんだという経験があるからこそ、今、子どもたちに「自分自身を生きる」ことの大切さを伝えることができる。

自分も、職場で倒れて強制終了となったからこそ「本当の自分を表現する」ことの大切さを周りの人たちに伝えていける。

教員だった時代に接した子どもたち、お母さんたちとの時間。そのやりがいや学びも現在の活動にも役立っている。

「たとえば、生徒が何か問題を抱えていた場合、本人と深く関わることが大事なのはもちろん、お母さんに『解決法を一緒に考えていきましょう』とアプローチすると、ものすごい速さで状況が好転するんです」

お母さんの全面的な味方になってくれる人がいたら、子どももお母さんも、もっと楽に毎日を過ごせるかもしれない、と感じた。

だから、実はふだんからお母さんたちと密に交流したい。でも、教員時代は立場的にも時間的にも、なかなかそれがむずかしかった。

「でも今は、私の感じていることを直接お母さんたちに伝えることができる。それによって、子どもたちが困難を乗り越えたり成長していくことのよろこびを、私も感じることができるんです」

かつての教え子の中には、歌手活動をしていたり舞台俳優をしている人もいる。ライブや公演の案内が届けば、観に行くことも。

先日も会った教え子は今、22歳。成長の様子は本当にまぶしく、幸せをもらっている。 

「彼らに再会した時、私は私らしく、自分に正直に生きている! と胸を張って言えるような生き方をしよう。そう思っているんです」

あとがき
「シゲの勇気を誇りに思った。ニセモノの自分をやめようと思った」。紫乃さんは熱くも冷たくもない声色で話した。温度の表現ならば「人肌」の心地よさ■「自分の作った枠」は、たいてい既成概念??だとしたら・・・①枠を捨てる?(→人と違う?はみ出したら少しコワイ)②枠を広げる?(→広げた分の余白がスカスカしそう)■広げる枠の独自性を探そうとするのは、けっこう大変だ。まずは、いいな!と思える親友を真似した紫乃さんを、真似してみようかな。(編集部)