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世界中の景色を見て、男だ女なんてどうでもいいと【前編】

端正な顔立ちで、美しい人。男性か女性かにこだわらず、辻さんはあくまで自然体。今おかれた状況下で、十分幸せになれると語ってくれた。ありのままで良いという自信は、辻さんを理解してくれる、家族やパートナーの存在が大きいのかもしれない。そんな大切な家族を悲しませたのが、乳房摘出手術の時。LGBTは自分だけの問題ではなく、家族もまた悩むということを知った辻さんが伝えたいこととは。

2017/08/31/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Junko Kobayashi
辻 奏子 / Kanako Tsuji

1987年、大阪府生まれ。幼少期から同性が好きだったが、LGBTについて知ったのは大学時代の生の倫理学の授業。胸に対する違和感があり、就職後、乳房摘出手術を受ける。2016年、7年半のOL生活にピリオドを打ち、ピースボートで世界一周の旅へ。2017年春に、スタッフとして再び参加するクルーズには母親が乗船。LGBTの子どもを持つ親に向けた情報発信もしたいと考えている。

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INDEX
01 女の子が好きなバスケ少女
02 好きな女の子を追い続けた学生時代
03 誰にも失恋を相談できない!?
04 生の倫理学で受けた衝撃
05 親へのカミングアウト
==================(後編)========================
06 乳房摘出手術へ
07 私も家族も悩んでいた
08 日本の社会に適応したい
09 会社を辞めてピースボートの旅に
10 世界の景色の先に、見えてきたもの

01女の子が好きなバスケ少女

スカートは絶対にはかない

小さい時からスカートが嫌いだったことは覚えている。

5才上の長女と3才上の次女がいる、3人姉妹の末っ子だったせいか、服装は自由にさせてもらっていた。

「いつもTシャツに短パンみたいな格好でした。親としては、お金がかからない楽な子どもだったんじゃないですか(笑)」

アルバムを見ても、いつも同じ服を着ている。

姉2人のお下がりは沢山あったが、着なくても親からは何も言われなかった。

「一回だけ、スカートを履きなさい、と親に叩かれたことがあったんです。でも、はかなかったですね」

「それくらい、スカートが嫌いでした」

しかし、七五三などの祝い事はちゃんと女の子の格好をした。

「7才の時は、着物が嫌だったんですが、頑張ってスカートをはきました」

成人式には振り袖で参加している。

「みんなに ”似合うやん!” とか言われ、まぁコスプレ感覚ですね(笑)」

小学校から始めたバスケットボールは、いつもジャージ。中学校では、スカートの下にジャージをはいて過ごした。

高校は、私服で通える学校を受験。

「そこよりレベルが下の高校は、制服があるからヤバイと、頑張りました(笑)」

男子とのおつき合いは、しんどい

思い返せばずっと女の子が好きだった。

「保育園の時に、めちゃくちゃ好きな女の子がいたのを覚えています」

保育園、小学校と常にお気に入りの女の子がいた。

中学校の時は、仲良しな親友というより、ずっと2人でいたいと感じた女の子がいた。

「ベッタリしてましたね。後にその子から、レズビアンじゃないかと言われてしまうほどでした」

中学卒業前に、同じ学校の男子生徒から告白されたことも。

「つき合うことに憧れるのか、卒業前ラッシュでみんなつき合っていました。でも、初めて男子とおつき合いした私の感想は “しんどい” でした」

“こうされたら喜ぶだろうな” と、男の子がして欲しいことに応えようと努めたのだ。

でも、とても疲れる。

手をつないで帰るのも、緊張しすぎて心地よくない。

「手をつなぐなら、女の子とつなぎたいと思っちゃうんです(笑)」

女の子らしく、可愛くしなくちゃいけないと、考えすぎた。

「歩き方もドカドカだったので、しおらしく真っ直ぐ歩かなくちゃとか、手をつないでいる時に、靴下が下がってきたけど手を離してなおして良いのかとか」

1つ1つの行動を考えてしまう、窮屈なおつき合いは長続きしない。

「1ヶ月つき合いましたが、別れた時はやった~という感じです」

「付き合い始めは、単に告白されたことを喜んでいたのかもしれませんね」

「無理に女の子になろうとして、そんなことしなくても良かったって今なら思うんですけど」

“女の子らしく、らしく” がすごくあった。

02好きな女の子を追い続けた学生時代

バスケ部マネージャーとの恋

高校時代、バスケ部のマネージャーを好きになる。とても可愛い人だった。

「好きだーという気持ちだけで、1年半も追いかけ回しました」

バスケ部の練習中は、その子の隣に座る。部活が終わり、帰る時は一緒に手をつないで帰る。

その子が好きだから、近くに行ってしまう。

「ばかだったんです。ただただ好きだから、そちらに行ってしまう」

スキンシップをしたいという素直な感情表現。

「チューしてこいと友だちに言われて、本当に ”チューして” と言いに行ってしまう。今考えるとありえないです(笑)」

直球のアプローチに、彼女は応じてくれた。

いやいやだったかもしれないが、手もつないでくれた。

そんな自分たちを ”何あの人たち!?” と、周りにからかわれることもなかった。

「私が、めっちゃ好かれるわけでも、嫌われるわけでもないタイプなので、あまり何も言われなかったですね」

部活以外は寝ているか、食べているか、バスケの自主練をしているか。

「基本的に1人でいましたが、その子の家にはめっちゃ遊びに行っていましたよ」

女の子というより、その人が好き

高校になると、男子とおつき合いする女子が増えてくる。

そんな中、女子に興味を持つ自分を変だと思わなかったと言えば嘘になる。

「男子、女子というより、その人が好き!だったんです。だからそれ以上はあまり考えなかったかな」

「LGBTの知識もなかったし」

マネージャーの彼女とは、だんだん恋人同士のような関係になった。

「つき合いましょう、とはっきり言ったわけではないけど、つき合っているようなこと?はそれなりに・・・・・・」

「いわゆる『普通の』やり方は知らなかったんですけどね(笑)」

実はキスをした後、一線を超えるのが怖くなった彼女から距離を置こうという手紙をもらった。

そのあと、お互いに男子と付合うことに。

でも、男子とのお付き合いが、結果的に互いの気持ちを目覚めさせることになる。

「中間テストの勉強を一緒にしたんですが、やっぱり好きだねという感じになり。そこから急速に仲良くなりました」

ひと目もはばからずに、好きな気持ちをアピール。

なのにつき合っているとは、誰にも言えなかった。

「なぜか、つき合っている事実は隠さなくてはいけないと思ったんです」

03誰にも失恋を相談できない!?

周りとの間に壁がある

マネージャーの彼女とは、高校卒業後もしばらくつき合った。

「結局、彼女は違う大学に進学したので別れてしまいました。私、やきもち焼きなんです」

恋人に対する独占欲が強く、自分が知らないことに興味を向けられると、とてつもなく寂しくなってしまう。

彼女と別れた孤独感や辛い気持ちを話せる人はいなかった。

恋人が同性ということが、相談したい気持ちにストップをかけた。

今まで、それほど気にせずに過ごしてきた『同性愛』という事実が重くのしかかってきたのだ。

「めちゃくちゃ辛かったんですけど、うわー誰にも話せないって気づいたんです。あっ、周りの人と壁があるって」

誰にも言えないその時期は、ひどく落ち込んだ。

失恋した彼女とは地元が一緒なので、通学のとき電車で家の近くを通ることもあった。

「それが嫌で、逃げるように大学の最寄り駅に部屋を借りて移り住みました」

「その頃は、同性が好きとか、性別を考えることはあまりなかったんです。その人が好きで、それが女子だったというだけ」

「その人以外に好きになる人はいなかったし」

LGBTの知識は、まだなかった。

『性指向』なんて言葉も、もちろん知らなかった。

ただ、周りの空気から、同性を好きだと誰にでも言って良いとは思えなかった。

カミングアウト

そんな辛い思いを、この人なら受け止めてくれると思える友人がいた。

「同じ大学で仲が良かった子に相談したんです。その子が初めてカミングアウトした人です」

核心の話しまでたどり着くには時間がかかった。

「みんなそう言うじゃないですか。私も ”言ったらどうなってしまうんだろう” と考えながら、めちゃくちゃ時間がかかりました」

最初は、相手が同性であることを言わずに失恋話を聞いてもらったが、半日くらい時間をかけて、やっと付き合った人が実は女性だと告げた。

聞いてくれた友人にも、LGBTの知り合いがいたようで「あー、そうなんだ」と、特に驚く様子はなかった。

「最後には ”話してくれてありがとう、嬉しい” とまで言われ、ありがとうなんや、、、って(笑)」

少しずつカミングアウトできる人が増え、周りとの間にあると感じた壁は崩れていく。

「でも、LGBTの知識がしっかり入るのは、この後なんです。友人たちからは、おそって言われますけど」

それは、たまたま出席した生の倫理学の授業だった。

04生の倫理学で受けた衝撃

LGBTの人っているん?!

大学ではスポーツ系のゼミを専攻し、そこで卒論を書こうと思っていた。

そんな3年生のある日、生の倫理学の授業をうける。授業で語られていたのは、性自認とか、性的指向という言葉。

「そんな事はじめて聞いたので、えっそんな人いるん!って驚きです(笑)」

同性が好きなのは自分だけではないということも、性同一性障害というものがあることも初めて知る。

食い入るように聞いた授業の最後に、アンケートを書く時間があった。

「迷わず ”私もそれだと思います” って書いて提出しました。周りに見られるのが嫌だったので、隠しながら書きましたけど」

たまたま出席した授業の先生にカミングアウトしてしまうほど、LGBTのことや自分のことをもっともっと知りたかったのだと思う。

「その後、先生に時間をとってもらい、話しを聞いたんです」

「で、スポーツのゼミをしている場合じゃないと、LGBTや自分の将来について考えなくてはいけないと気づいたんです」

導かれるように、生の倫理学のゼミに変更。

先生に与えられるままに、LGBTに関する本を読みまくった。

「ずっと結婚願望があり、当時お付き合いしていた人と結婚したいと思っていたんです」

「だからまず私が学ばないと、という感じで一生懸命でしたね」

卒論は「私の生きる道」

授業では、性同一性障害についても学び、手術を受ける人がいることも知った。 

「戸籍を変えるとか、手術までするなんて、まじで!って驚きです」

授業を受けて、自分はどちらかと言うと性同一性障害と思った。

昔から男っぽかったし、イメージするレスビアンとは違うなと。

生の倫理学だったので、卒論の内容はわりと自由に決めることができた。

最終的に決めたタイトルは「私の生きる道」。LGBTや、自分がこれからどんな人生を送ったら良いかをまとめた。

勢いで突き進んでいたが、ゼミで卒論の中間発表をする時などはやはり戸惑った。

「めっちゃ嫌でしたが、みんなの目を見ずやりました。卒論の発表というよりは、完全にカミングアウトですよね(笑)」

発表後、特に何も言われなかったので、みんなわかっていたのかもしれない。

みんなにカミングアウトしてまで伝えたいことがあった。
 
それは、親とのつながり。

親は絶対に自分を受け入れてくれるということ。

親と同じように友人もまた、自分がどうあっても受け入れてくれるから、自分が思うように進めば良いということを自分と同じように悩む人に届けたかった。

05親へのカミングアウト

母親の反応は、驚くほどあっさり

母親にカミングアウトしたのは、大学3年生の頃だった。

「寝る前に唐突に母親の部屋に行って ”自分、女の人好きかもしれへん” って切り出したんです」

母親の反応は「そうやろな」と、拍子抜けするほどあっさりだった。

小さい時から、ボーイッシュで爽やかと言われていた。男の人とおつき合いすることもない娘の様子は、誰よりも母親がわかっていた。

「卒論を書いて発表したり、好きな女性と一緒に過ごしたいと考えた時、母親にはしっかり伝えておきたかったんです」

前向きに受け入れてもらえるという自信もあった。

さすがに父親には直接カミングアウトできなかったので、母親から話してくれた。

「父親は頑固で物静か。男が家を守るという、古風なタイプなんです」

女友だちを家に連れて行くことも多かったので、父親もなんとなくわかっていたのか、特に反対されることはなかった。

昔、カミングアウトと思春期が重なり、過敏になった時期に父親と衝突した事が一度だけある。

「何となく家族から疎外感を感じ、父親と大ゲンカをしました。どうせ嫌だと思っているんやろ。とかぶわーと感情が湧いてきて」

「もう家を出る!と言い放ったんです」

「両親や姉たちから ”嫌だなんて思っていない、受け入れているから大丈夫や” みたいに言われて、なんとなく受け入れてもらった感じです」

実際に家族が私のことをどう思っていたのかは、今もわからない。

胸に対する違和感

家族や周りにもカミングアウトすることができ、気持ちがぐらつくことはなくなってきた。

男性として生きることを考えたこともあるが、面倒くさがりなのでSRSや戸籍を変えるための手続きが煩わしいと思ってしまう。

ただ、大学時代から感じていた自分の胸への違和感がなくなることはなかった。

「どうしようもないとあきらめていたので、大きな服を着て胸が目立たないようにしているだけでした」

そんな時、古本屋でたまたま「オッパイをとったカレシ」というマンガを手にとる。

「内容が自分の気持ちとぴったりで、驚きました。胸をつぶすナベシャツや、胸の手術ができることを知り、いつかしたいと思ったんです」

胸についての違和感は母親にも言えなかった。

家族は女の人が好きな、ボーイッシュな娘として受け入れてくれている。

そんなことも、何となく折り合いをつけて生活することはできていた。

大学を卒業して、大阪に本社がある会社に就職。

「その会社の制服がスカートなんです。いままで散々スカートを避けてきたのに、今更スカートかい!みたいな(笑)」

「母親も ”あんた制服大丈夫” って心配してました」

しかし学生時代とは異なり、スカートをはいて仕事をすればお金がもらえると割り切れた。

「お給料をもらうんだから、スカートが嫌とか何わがまま言ってという感じです。仕事だけではないし、私生活を楽しくすればいいやと思えたんです」

配属されたのは埼玉の支店。

生まれてからずっと関西で生活していたが、ついに関東に住むことになる。


<<<後編 2017/09/02/Sat>>>
INDEX

06 乳房摘出手術へ
07 私も家族も悩んでいた
08 日本の社会に適応したい
09 会社を辞めてピースボートの旅に
10 世界の景色の先に、見えてきたもの

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