INTERVIEW

失うことは怖くない。 またつくればいいから。【後編】

失うことは怖くない。 またつくればいいから。【前編】はこちら

2017/04/09/Sun
Photo : Taku Katayama  Text : Kei Yoshida
中津川 昭充 / Akimitsu Nakatsukawa

1973年、宮城県生まれ。専門学校を卒業後、保育士として保育園で働いたのち、飲食店数社に勤める。33歳のとき、縁あって静岡のニューハーフラウンジ「プリシラ」でダンサーを務めることになり、その後は東京でボディセラピストとなる。宣伝を行わず完全口コミで顧客を増やし、現在は静岡と東京で活動している。

USERS LOVED LOVE IT! 31
INDEX
01 何を話せばいいのか
02 ひとりぼっちの昼休み
03 淡い恋心と新宿二丁目
04 心と体がバラバラに
05 ゲイとして生きる覚悟
==================(後編)========================
06 新境地を目指して静岡へ
07 相手を癒して自分が癒される
08 掛け替えのない大切な友達
09 家族と環境に助けられて
10 自分も相手も知るために

06新境地を目指して静岡へ

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何をしたらいいのかわからない

30歳のとき、転機が訪れた。

「友達がほしい。一緒に楽しく仕事ができる仲間がほしい。そんな20歳のときの夢が30歳で全部叶ってしまって、何をしたらいいのかわからなくなってしまったんです」

「それを友達に相談したら『それは当たり前だよ』って」

「『夢を叶えた昭充はえらいけど、夢や目標は1年ごとに更新するものなんだよ。そしたら30になったときに40の目標が見えてるはずだから』と言われたんです」

「確かにそうだ、と思って、これから何をやりたいかを必死に考えました」

「そこで浮かんだのが英語を勉強したいということと、フリーランスで働きたいということ。そこで、お金を貯めてから仕事を辞めてアメリカへ留学したんです」

その頃は東京で、カミングアウトして女友達とルームシェアしていた。しかし、留学していた3ヶ月間でルームメイトは結婚することになり、家を出ていくことになった。

アメリカから東京に帰ってきてすぐのことだった。

初めてのダンスに挑戦

仕事もないし、お金もない、家もない。これからどうしよう。

そんなとき、友達から静岡の「プリシラ」を紹介された。

ニューハーフのショーが評判の店だ。「プリシラ」では寮も完備しているという。

仕事も家も両方手に入るとあって、一も二もなく静岡へ移った。

「はじめはウェイターとして働き始めたんですが、ママの提案でゲイとしてカミングアウトをして、接客をさせていただくことになりました」

「いままではウェイターしかやったことがなかったし、ゲイだとカミングアウトしての接客は初めての経験でした。そこで、静岡でしかできないこと、ここでしかできないことは何かと考えて、無理を承知でママに『踊らせてください』とお願いしたんです」

まったくの初心者からレッスンに通って、練習を重ねた。

「運動をしたことがなかったし、ダンスの才能は皆無でした(笑)」

「ふりを覚えるのは一番遅かったし、いつも劣等感を感じていました。それでも頑張れたのは、お客様が応援してくださって、プリシラのみんなが支えてくれたからです」

うまく踊ることはできなかったが、踊るのは楽しかった。

体を動かしているときは思考がストップする。

なにも考えずに、ただ踊っている時間が楽しかった。

あたたかく支えてくれた静岡の人々に感謝しつつ、1年半後、もう一度東京に戻った。

07相手を癒して自分が癒される

これからは体を癒したい

次の仕事はなにをしよう。

またウェイターにもどるというのも選択肢のひとつだった。しかしウェイターにもどっても「プリシラ」でのような高揚感や幸福感は、きっと味わえないだろう。

もう、お金のためだけに働くことは無理だと思った。

「『プリシラ』で一番楽しかったのは、周りが笑ってくれたとき。ただ相手が笑ってくれることが、こんなにうれしいことなんだなんて知りませんでした」

「笑顔は人の心も自分の心も癒してくれます。いままでは笑いで周りの人の心を癒してきたけど、これからは体を癒していきたいなと思いました。だって、心と体は一体だから」

そして、35歳でボディセラピストになった。

しかし、リラクゼーション業界で食べていくのは大変だった。

昼は店舗に勤めながらも、夜は銭湯の清掃などのアルバイトをしていた。

勤めていた店舗が閉店してしまったときは、業界大手が経営する温浴施設に転職した。

それでもやっぱり生活は苦しい。

再び助けてくれたのは「プリシラ」のママだった。

そして、2週間「プリシラ」で働いたら、次の2週間は東京の温浴施設で働くという生活がスタートした。

やりたいことをやろう

そんなとき、東日本大震災が起こった。

3日間、家族と連絡がとれなかった。

「人ってこんなに急に会えなくなるんだ。天涯孤独になるのも、いつ起こるかわからないな、と思いました」

「だったら、いまやりたいことをいまやろう、やっぱりフリーランスで働こう、と静岡でも訪問型のボディセラピストとしての仕事を始めたんです」

最初は友達や「プリシラ」のお客様に声をかけて、そこから口コミでお客様も増えていき、次第に「プリシラ」での仕事よりも整体の仕事のほうが比重が大きくなっていった。

「ゲイだとカミングアウトしているので、女性も安心して自宅に呼びやすかったんだと思います。それに、業界では有名な『プリシラ』で働いていたことで、どんな人だろうと興味をもっていただけたことが大きかったですね」

「人と話すことが好きだから接客業も楽しかった。人の話を聞くのも、自分にはない考え方を知ることが大きな魅力です」

「とにかく人と関わる仕事がしたい私にとって、ボディセラピストは天職だと思っています」

「自分の施術は自分で受けることができないから、常に自分自身を省みながら、自分の技術と仕事に対する姿勢を突き詰めていくことが大切です」

「体が動くうちは、この仕事を続けたい。体が動かなくなってきたら・・・・・・それでも口は動くだろうから、やっぱり人と話す仕事をしたいです」

08かけがえのない大切な友達

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ふたりのときは “わたし”

「僕、自分に対して怒っている人にも、なんで怒ってるのってきいちゃいます。相手が喜んでいるとか怒っているとか喜怒哀楽はわかるけど、その理由……たとえば怒っている理由は人それぞれだから、その人の言葉で聞かないとわからない」

「相手の本当の気持ちを知りたいんです」

「人の行動には必ず理由がある。その理由がわかれば、自分のなかでは “ありえなかった行動” が、もしかしたら “ありえる行動” になるかもしれない」

「そしたら、ありえない行動をするその人のことも知ることができるかも、と思うんです」

そんな風に考えるようになったのは、以前付き合っていた彼女と、中学時代からの親友の影響が大きいという。

その親友とは中学時代の5人グループのひとりの“ケイちゃん”。彼とは、高校が別々になってもよく一緒に過ごしていた。

「ケイちゃんは中学校からみんなのアイドルだったんです。ちょっとドジで、かわいくて」

「でも僕は、ケイちゃんがクラスの男子にお姫様抱っこをされているのを見て、嫉妬から本気でイライラしていました(笑)」

中学3年生のとき友達と普通に会話できなくなる原因となった、グループ内の恋模様についても、ケイちゃんだけには話すことができた。

「なぜだか、ケイちゃんと話すときはふたりとも自然に一人称が “僕” じゃなくて “わたし” になっていたんです。でも、そのときはトランスジェンダーとかゲイとか、考えたこともなかった。お互いのあり方を、お互いがそのまま受け入れていたんです」

「高校を卒業してから、大学に進学したケイちゃんから彼氏ができたと報告されたときも、恋人が男ってところには驚かなくて、秋田の全寮制の大学でどうやって彼氏をつくったんだってことのほうが驚きでした(笑)」

「小さいときから男らしいとか女らしいとか、そんな表現に縛られるのは嫌だったし、男だとか女だとかの前に、ひとりの人間なんだって思います」

自分をつくってくれたふたり

ケイちゃんはアメリカの大学院を卒業後、臨床心理士として就職。性別適合手術を経て、現在は女性として生活している。

そしていま、静岡と東京を行き来する生活のうち、東京ではケイちゃんとルームシェアを続けている。

「以前付き合っていた彼女と、ケイちゃんは仲がよかったんです。ふたりが、今の自分をつくってくれた。ふたりが、僕の凝り固まった固定観念を崩してくれたんです」

「ケイちゃんが誰かと結婚するときは、もれなく僕もついていくからねって言ってあります(笑)」

「ケイちゃんには迷惑をかけても平気なの。僕のなかで、迷惑をかけても心配をかけてもいいのは唯一、ケイちゃんだけ(笑)」

「そのかわり、僕もケイちゃんの面倒をみるつもりです。彼女が誰とつきあっても嫉妬なんてしません。でも、彼女を理解できるのは自分だけだと思っています」

09家族と環境に助けられて

自分が見たい真実しか

地元の宮城には両親と兄がいる。

現在は静岡と東京を行き来する合間を縫って、月に一度は宮城にも足を運ぶ。

「家族にカミングアウトしたのは2〜3年前です」

「でも、母にゲイだと伝えたら、そのときは受け入れてくれたように思えたんですが、その後実家に帰ったときに『彼女はできたのかい?』ってきかれて」

「母も人だし、人は自分が見たい真実しか見えないものなんだと思いました。でも、それでいいんです。僕は家族が大切だから」

「当たり前に育ててくれたことが、決して当たり前ではないことが今はわかります」

「僕は家族に愛されて、周りの人に恵まれて助けられて生きてきました。だからこそ、周りと共存していくことを学習できたんだと思います」

自分のなかの違和感

以前は、両親のことが嫌いな時期もあった。

息子たちに注ぐ愛情が大きすぎるように感じていた。自分にはとても返すことができないくらいの大きな愛情。

それが重くのしかかってきて、辛かった。

家族と自分との適度な距離もわからなくなってしまっていた。

でも、「“できること” と “できないこと” を分けて考えなさい」と言ってくれた人がいた。

親には自分ができることだけ返せばいい。そう考えるとラクになり、やっと月に一度、宮城に帰れるようになった。

「カミングアウトは自分自身の存在を揺るがすことにもなりかねない、とても重要な問題です。そして、人にはそれぞれの環境があります」

「僕は恵まれた環境にいたからこそ、カミングアウトできたのだと思います」

「自分のなかに違和感を抱え、なおかつそれをカミングアウトするかどうかは性的マイノリティーに課せられた問題ですが、性的マイノリティーでなくとも、人はみな何らかの違和感を抱えて生きていると思うのです」

「それに気づいたとき、呼吸をすることがラクになった気がしました」

10自分も相手も知るために

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“ごめんなさい” と “ありがとう”

誰もが問題を抱えていて、その内容は人それぞれ。

だからこそ、会話を通して相手を知り、自分は何をすべきなのかを知ることが必要。

やはり、生き方の根底には、そんな強い想いがある。

「僕は、自分ルールがちょっと多いんです(笑)」

「だからこそ、ルールに合わない人の話もきいてみて、『ふーん、なるほどね、そんな考え方もあるのか』って思いたいんです」

そして、大切にしているふたつの言葉がある。

「“ごめんなさい” と“ ありがとう” です。むかし、ケイちゃんと話しているときに、『わたし達ってもともと何もないところから始まってるね』って気づいたんです」

「だから何かを失っても、元に戻るだけだから怖くない。失っても、またつくればいいんだと思いました」

「もしも間違っても、“ごめんなさい” と “ありがとう” で、何度でもやり直せるし、どこでも生きていけるって」

「それって、記憶を辿ると元は母が教えてくれたことなんです」

何度でもやり直せるし、どこでも生きていける。

口に出してみると、なんと勇気が湧く言葉だろう。

大切なのは強く願うこと

それから、心も体もつながれる人は見つかったのだろうか。

「まだです(笑)。でも、きっと出会うって信じてる。いや、出会うって決めてます」

「僕、絶対幸せになりますから。大切なのは、ちゃんと『ほしい』と願うこと。幸せになる、出会うって強く思うようにします」

「白馬の王子様なんて来てくれないと思ってるから、白馬に乗った男を見つけたら引き摺り下ろします!(笑)」

たとえ白馬から引き摺り下ろしたとしても、そのあとはきっと真っ直ぐに相手と向き合い、相手の言葉に真摯に耳を傾けるはず。そうやって、中津川さんはこれからも丁寧に人とのつながりを紡いでいくのだろう。

あとがき
「(普通と言われる)恋愛感は、テレビの影響もある。東京ラブストリーとかね」。昭充さんこと “かもちゃん”は明るく口にした。振り返れば、それはドラえもんの時代から始まっているのか?しずかちゃんとのび太くんの恋■かもちゃんの質問は多くて直球・・・・・・(取材なのに)オッ、来たなと汗しながら答える。向けられるまっすぐな関心に少し戸惑いながら、でもココロが開放された気分■上質な質問には、気付きと浄化の作用があるのかな。(編集部)