INTERVIEW
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トランスジェンダーへの理解を広めるため、私は前へ出る。【前編】

「出会った人全員に感謝したいです。みんなが温かい目で見てくれていたから、いまの私があるんやと思います」と、柔らかな兵庫弁イントネーションで語った中川未悠さん。自分を取り巻く環境に感謝し、きっと周囲の人にも、自らが抱える問題にも、真摯に向き合ってきたからこそ、いま晴れやかに笑えるのだろう。今回は、一片の曇りさえ感じられないような、この笑顔になるまでの物語をきいた。

2017/10/17/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
中川 未悠 / Miyu Nakagawa

1995年、兵庫県生まれ。幼い頃から性別違和を感じており、2017年春に21歳で性別適合手術を受けた。その手術を受けるまでを記録したドキュメンタリー映画『女になる』が2017年秋に公開。ファッションに高い関心をもち、高校ではデザイン科アパレルコース、大学ではファションデザイン学科を専攻。2018年春からは社会人としての新生活が始まる予定。

USERS LOVED LOVE IT! 17
INDEX
01 「そうやで、オカマやで!」
02 むしろ進んで前へ出る
03 号泣の末のカミングアウト
04 自分の幸せと、両親の幸せと
05 ファッションは自己表現のひとつ
==================(後編)========================
06 トランスジェンダーの認知度
07 男として生まれたという記憶
08 MTFだからできること
09 当事者同士だから分かり合える
10 辛くても、うつむかずに顔を上げて

01「そうやで、オカマやで!」

なんでオマエ、男やのに

『美少女戦士セーラームーン』と『おジャ魔女どれみ』が大好き。でもトミカで遊ぶのも、外で走り回るのも好き。

幼稚園の頃から男の子とも女の子とも仲良く遊んでいた。

「おばあちゃんの手編みのセーターとか、どちらかというとかわいい感じの男の子の服を着ていたので、『女の子の服が着たい』とか、着せられていた服に対して、そこまで嫌だと思うことはありませんでした」

しかし小学校入学時、両親に買ってもらったランドセルが嫌だった。

「やっぱり黒なんや。赤の方がいいなぁって」

ランドセルだけでなく、身の回りのものも “かわいい感じ” が好きだった。

「女の子が好きそうなキャラクターの筆箱とか」

「クラスの男子から、よくからかわれていました。なんでオマエ、男やのにこんなん持っとんねんって」

何がおかしいんやろう。

自分がいいと思うものを持っているだけなのに。

「そしたら、そのうち “オカマ” って呼ばれるようになって」

「その呼び名にも違和感を覚えました」

からかう言葉を笑いに変えて

オカマやオネエと呼ばれる人たちをテレビで見たことはある。

でも、自分が彼らと同じだとは思わなかった。

「それでも、いじめの対象にはなりたくなかったので、“オカマ” と呼ばれるたびに『そうやで、オカマやで!』と返して、笑いをとっていました」

「いかにも関西らしい返しですよね(笑)」

「でもやっぱり辛くて」

「学校では、からかう言葉を笑いに変えていたんですが、家に帰ると親にバレないように、こっそり泣いていました」

自分はオカマじゃない。

じゃあ、一体何なんだろう。

中学生になった頃、次第にその答えが見えてきた。

「テレビに、はるな愛さんや椿姫彩菜さん、佐藤かよさんが出演されるようになって」

「彼女らのドキュメンタリーを見たりして、同じ悩みを抱えていたことを知り、もしかしたら私もそうなんかな、と」

そう自覚すると、学ランを着ていることがものすごく嫌になった。

02むしろ進んで前へ出る

何で男性器がついているんやろう

自分は性同一性障害かもしれない。

自覚してからも、友だちにカミングアウトすることはなかった。

「友だちは、幼稚園から中学校まで一緒の子が多かったんで」

「私が、セーラームーンごっこが好きだったのも、男の子が好きなのもみんな知っていたんです」

「男とか女とかじゃなく、ナカ(愛称)はナカって思っていてくれたんだと思います」

「友だちを信じていたというか、きっと受け入れてくれるという勝手な自信もあって」

「特にカミングアウトはしませんでした」

恋の悩みを相談する友だちもいた。

「好きな男の子に告白したんです」

「そしたら『お前、男やんけ!』って言われて」

「ショックでした。自分は、やっぱり男なんや・・・・・・って」

「自分は女性として相手を好きやのに、相手からは男として見られてしまうことが辛かった」

「別の男の子からは『気持ち悪い』って言われたこともあります」

「そのたびに、好きになってもうまくいかへん。何で私には男性器がついているんやろうって、友だちに相談していました」

メイクすることを勧めてくれた友だちもいた。

「中学からは、出かける時にはメイクしてました」

「髪の毛は短かったし、ユニセックスな格好をしていたけれど、メイクしているときは自分らしく生きられていると実感できました」

中学も高校も、ずっと学級代表

それでも変わらず、からかわれることもあった。

「トイレに行ったら、先輩たちに『オカマがおる』って囲まれて、『ほんまについとんかよ、お前』と脱がされたこともありました」

「水泳の時間に男の子のなかで服を脱ぐのも、ほんまに嫌でした」

「でも、そんなこと以上に友だちといる時間が楽しかったので、あまり気にしませんでした」

友だちと一緒に過ごす学生時代を楽しみたい。

そんな想いから、目立たないようにコソコソするよりもむしろ、進んで前へ出るように努めていた。

「中学も高校も、ずっと学級代表をしていました」

「自分から前へ出て行けば、自然と受け入れてもらえるんじゃないか、と考えていたんだと思います」

「男子卓球部に所属して、区で優勝したりもしました」

だからと言って、自分を100%出せていたわけではない。

「無理はしていたと思います。オカマ丸出しでいってしまうと、嫌な顔をする同級生も先生もいましたし」

「自分を隠しつつも、分かってほしい気持ちもあって、きっと自然に、自分が出てしまっていたんだと思います」

03号泣の末のカミングアウト

「人生は一度きりやから」

辛い思いをしながらも、前へ前へと進むことができた理由。

それは、母親から言われ続けてきた言葉のおかげかもしれない。

「お母さんは、すごい気が強い人。でも、すっごい優しい人」

「いつも、『人生は一度きりやから、自分が後悔せえへん生き方をしなさい』と、言ってくれていました」

「勉強しなさいとか学校行きなさいとかは、言われたことがないです」

「ずっと、やりたいことをさせてもらってきました」

「めちゃくちゃありがたいですね」

そんな母親が離婚して、家を出ていったのは中学2年生の時。

ちょうど、母親にそばにいてほしい思春期のことだった。

「すごいショックでした。その頃はまだ自分が何者か、よく分からない状態だったし・・・・・・」

母親が出ていってからは、父親と祖母との生活が始まった。

そのなかで、どんどん身長は伸びていき、男性らしい体になっていく。

高校生の頃には、インターネットで性同一性障害について調べ、性別適合手術を含む治療のことも知っていた。

通っていた高校の先生にも相談して、当事者の方を紹介してもらい、治療についての話も聞いた。

治療ができるクリニックも教えてもらった。

女の子として生きていきたい

一刻も早く、男性化を止めたい。

そして高校2年生の時、母親にカミングアウトした。

「ふたりで買い物に行った帰りに、お母さんの家に行って、そこで」

「でも、なかなか言い出せなくて、2時間くらい泣きっぱなしでした」

「もしかしたら、縁が切れてしまうかもしれないという怖さもありました」

「そんな私の様子を見て、お母さんは『もしかしたら、この子は人を殺したのかもしれないと思った』と、あとから聞きました(笑)」

「それでも『ゆっくりでいいよ』と言ってもらえて、やっと言い出せた」

「女の子として生きていきたいって言ったら、『薄々とは気づいてたよ』って」

「そのあと、『孫の顔は見られへんねんな』って言われて・・・・・・」

その言葉に、申し訳ない気持ちが込み上げた。

「副作用のこととか、とにかく体が心配」とは言ったが、治療を強く反対することなく、母親は我が子の告白を受け入れてくれたようだった。

04自分の幸せと、両親の幸せと

自分が両親を苦しめている

母親にカミングアウトした次の日の朝、父親に起こされ、聞かされた事実。

「お母さんが手首を切って、救急車で運ばれたらしい」

父親は病院に向かい、自分は学校に行かされた。

「本当にびっくりして・・・・・・。一時間目から六時間目まで、ずっと学校で泣いていました」

「自分のせいで、お母さんもお父さんも苦しんでいる。自分を責めました」

「多分、お母さんも、私をこんな風に産んでしまったことで、自分が悪いと思ってしまったんやと思います」

その後、母親が落ち着いた頃、一緒に精神科に行き、カウンセリングを受けた。

しかし、未成年で治療を始めるには、親の同意が必要だ。

両親は離婚して、親権は父親にある。

「いよいよお父さんにも言わなあかんようになって、言う日を決めていたんです」

「そしたら、ちょうどその前日にLINEでお父さんが追加になって」

「実はLINEのプロフィール画像は、女の子の格好のプリクラにしていて」

「追加になった途端に、『お前、なんやねんコレ!』って」

「で、『どういうことか説明しろ』と言われ、その日のうちに伝えることになったんです」

「お父さんは『俺には分からへん』と言ったきり、黙り込んでしまって」

「おばあちゃんには、お父さんより先に伝えていたんです」

「何度も『性同一性障害なんて、勘違いちゃうか』って言われました」

告白のあとの父親の涙

それから2週間以上、目も合わせず、口も聞かず。

家のなかは重苦しい空気で満たされていた。

そして、治療を始めるために病院に向かう車のなか。

父親と祖母と3人、やはり無言の状態が続いた。

「それでも、先生から副作用などの説明があったあと、お父さんはホルモン治療の同意書にサインをしてくれました」

「そして帰りの車のなかで、『自分自身で解決しようとするなよ』って言ってくれたんです」

「お父さんもニューハーフの方に話を聞いたりして、性別適合手術について調べてくれていたみたいで」

「やっと理解してくれたんやって、うれしかった」

「でも、後々おばあちゃんから聞いたところによると、滅多に泣かないお父さんが私の告白のあと、すごい泣いていたらしくて・・・・・・」

「私のせいで、そんなに追い込んでしまったのかと」

「いまでこそ、両親は私を理解してくれていますが、やっぱり男の子のままでいたほうがよかったんかな、と未だに思うことがあります」

「手術したことも後悔はしていませんが、自分の幸せより両親の幸せを考えると、もう子どもはつくれないし、せっかく産んでもらった健康な体にメスを入れてしまったし、本当に申し訳ない気持ちです」

「でも、お母さんはいま『男の子と女の子とふたり産んだと思っています』と言ってくれています」

「そんな風に捉えてくれるなんて・・・・・・」

少し安心した。

05ファッションは自己表現のひとつ

一番自分らしい格好

19歳でホルモン治療を始めて、これからは女性として生きていくと決意を固めた。

そしてある日、きちんとメイクをして、女性の服を着て出かけた先で、父親とバッタリ居合わせた。

「お父さんに『お前、そんなかわいい格好してどこ行くねん』と言われました(笑)」

「それが普通にうれしくて」

かわいい格好。

その言葉がまた、女性として生きるための一歩を後押ししてくれた。

「女性の服を着ている自分が、一番自分らしいと思えたんです」

「ファッションは自己表現のひとつ。以前の私は、自分を表現できていなかった」

「男性としての服も、女性としての服も、自信をもって着ることができなかったから」

高校生の頃から、休日にはウィッグをつけて、メイクして、女性の服を着ることもあった。

女友だちと一緒に服を買いに出かけ、下着はインターネットで買っていた。

女性として就職したい

しかし、家では絶対に秘密だった。

「毎回メイクを落として、着替えてから帰宅していました」

だからこそ思う。

「本当にファッションは大事」

「自分らしい服を着ているだけで、気持ちまで明るくなります」

「卒業したらファッションに携わる仕事に就きたいんです」

大学生の間に治療を始めたのは、女性として就職したかったから。

そのためにバイトを掛け持ちして必死でお金を貯めた。

「私がもと男性だと知ったバイト先のお客さんから、からかわれて嫌な思いもしました」

「でも、どうしても卒業するまでに性別適合手術を受けたかったんです」

「手術代のために働いていたあの頃が、一番大変でしたね」

現在は手術も終え、自分らしい姿で過ごせている。

でも、まだスカートには抵抗がある。

「なんか腰まわりがスースーして不安なんですよ(笑)」

「いつかは、はいてみたいですね」


<<<後編 2017/10/19/Thu>>
INDEX

06 トランスジェンダーの認知度
07 男として生まれたという記憶
08 MTFだからできること
09 当事者同士だから分かり合える
10 辛くても、うつむかずに顔を上げて

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