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“トランスジェンダー” のまま、戸籍を変えずに生きていい。【後編】

“トランスジェンダー” のまま、戸籍を変えずに生きていい。【前編】はこちら

2019/05/11/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Kei Yoshida
来野 結斗 / Yuto Raino

1990年、神奈川県生まれ。幼い頃から女性らしくあることに抵抗があり、大学生となった19歳で性同一性障害との診断を受け、20歳からホルモン治療を開始する。大学卒業後は、在学中にアルバイトをしていた高齢者デイサービスに就職。5年間勤務したのちに、障害者グループホームに転職し、施設長を務めている。

USERS LOVED LOVE IT! 10
INDEX
01 完全なる “かかあ天下” 家庭
02 みんなと満遍なく仲のいいタイプ
03 ソフトボールと先輩と恋
04 大きくなる胸をガムテープで
05 FTMと自覚し、今後どう生きるか
==================(後編)========================
06 人の悩みを聞いてあげたい
07 母に反対されたホルモン治療
08 福祉の仕事以外は考えなかった
09 男性として生きたいわけじゃない?
10 レールから外れても幸せだよ

06人の悩みを聞いてあげたい

カウンセラーになりたい

自分のなかの違和感と向き合い、自分の生き方について悩んだ高校3年間。

「でも、悩んでいたのは自分だけでなく、周りにもいろんな理由で悩んでいる子がいっぱいいました」

「リストカットをしている子も何人かいて・・・・・・」

「親が亡くなって、鬱っぽくなっている子とかもいましたが、その年代の子特有の揺らぎみたいなものもあったのかもしれないですね」

「だから、その子たちの話を聞いてあげたいという気持ちが強かった」

「高校2年生くらいからカウンセラーになりたいと思っていました」

その気持ちは長く変わらず、大学では心理学部を専攻。

徐々に自分の生きていく道が見えてきた。

「大学では、知り合って間もないうちにカミングアウトするようにしてました」

「たぶん、見た目は男っぽいけど、しゃべると声が高いから、『なんだこいつは』『男なの? 女なの?』ってなると思うんですよ(笑)」

「だからもう、相手としゃべったら、すぐカミングアウトして、理解してもらったうえで友だちになる、という感じでした」

「最初のうちのほうが説明しやすいですしね」

心理学部の学生たちなので、セクシュアルマイノリティについて理解してくれる人も多いだろうという期待もあった。

カミングアウトしてみて、理解してもらえなかったら、それならそれでいいやって気持ちも。

両親へのカミングアウトを決心

「どう説明したら分かってもらえるかは、よく考えてました」

「ドラマ『3年B組金八先生』や『ラスト・フレンズ』の話をすると、だいたい、ってもらえましたね」

「トランスジェンダーが登場するドラマは役に立ちました(笑)」

学部の友だちには、男性にも女性にもカミングアウトしていた。

「でも、なんとなく理解してくれなさそうな人には、自分からは言いませんでした」

不要な偏見との衝突を避けるためにも、その線引きは必要だった。

そうして周囲からの理解を得られ、心の性に合わせて男性として生きていく心構えが固まってきたが、ひとつ気がかりがあった。

両親のことだ。

ふたりにとっては、かわいい一人娘である自分。

その自分が娘ではなく息子になろうとしている。

しかも、両親からは「こんな風に結婚して、こんな家庭を築いてほしい」「孫の顔が早く見たい」と言われている。

「ちょっと過保護で過干渉なところはあったけど、愛されて育ってきた自覚はあったので、両親を裏切るような感じがして、申し訳ないという気持ちがありました」

「そのまま女性として生きていけたらよかったんですが、それは無理で」

ホルモン治療を前に、両親にカミングアウトすることを決意する。

07母に反対されたホルモン治療

女性に戻ってくれないか

性別適合手術を受け、戸籍を変える。
高校生の頃から、そう考えていた。

しかし、当時はまだ19歳。治療を始めるには保護者の同意が必要だった。

「父には、面と向かって言えなくて。手紙を書いて渡しました」

「母には、リビングで向かい合って座って話しました」

「どう説明したか覚えてないですけど、今まで何度もカミングアウトしてきたのに、母に対しては一番下手くそだったと思います(笑)」

「男として生きていきたい、と言ったことくらいしか覚えてないです」

看護師である母は、性同一性障害のことを知識としては知っていたようだった。

しかし、自分の娘がそうであるということは、すぐには受け入れられなかったのだろう。

母は、話を聞くうちに泣き出した。

「最初は『そうなのね』と受け止めてくれたんですが、『女性に戻ってくれないか』とか『社会が受け入れてくれるわけない』とか言い出して」

「話が終わったあとも、何度か『気持ち悪いから早く考え直してちょうだい』と言われました」

反論はせず、黙って聞いていた。

口が達者な母のことだから、1つ反論すれば10返ってくる。

「これ以上傷つきたくなかったんです」

「黙って、このままやり過ごそうって思ってました」

友だちの家を転々としながら

父からは、手紙の返事がきた。

「好きにしなさい」「何があっても、私の娘だから大丈夫だ」と。

「“娘” って書いてありましたね(笑)。そこまで理解が及んでいないみたいで」

「でも、好きにしていいよ、とは言ってくれました」

病院にはひとりで行き、性同一性障害の診断がおりた。

しかし治療を始めると、声や姿が変わってしまい、母に気づかれてしまう。

そこで、友だちの家に泊まって、家にはあまり帰らないようにした。

数人の家を転々としながら、まったく家に帰らないようになる。

成人して両親の同意が不要になってからすぐ、ホルモン治療をスタートした。

「両親は心配していたと思います。でも、家に帰らない理由も気づいていたと思うんで、あまりうるさくは言われなかったですね」

息子になりたいという娘を受け入れられない母、その母の気持ちを受け止められない自分。

まだ大学1年生だったが、それから7年近く、必要なものを取りに帰る以外は、ほとんど実家には足を踏み入れなかった。

08福祉の仕事以外は考えなかった

認知症の方の言動がかわいい

ホルモン治療も、乳房切除手術も、友だちの家を転々としながら進めた。
大学を卒業して、就職しても、両親とは会わないようにしていた。

「大学4年生のときに高齢者のデイサービスでアルバイトしてたんですが、それが楽しくて。そのまま正社員として就職しました」

「お泊まり付きのデイサービスだったので、夜勤も頻繁にあって、家に帰らなくていいのも都合がよかったんです」

自分が治療中であることは、アルバイトを始める際に職場に伝えた。

「職場の人たちは、みんないい人で、事実を伝えても受け入れてくれたので働きやすかったですね」

誰もセクシュアリティを気にすることはなく、当たり前のこととして男性として働いていた。

「でも、利用者の方に『女の子みたいな手だね!』とか言われたりすることはありました」

「目ざといなぁって、それはそれで面白かったですね(笑)」

「偏見とか、働きにくさとかは、何もなかったです」

介護の仕事は肉体的にも精神的にも過酷だとされている。

しかし、それでも楽しかった。

「利用されている人には認知症の方も多くて、さっき言ったことをもう忘れてる、ってこともよくあって」

「それが、なんというか、すごくかわいいなって思ってしまって」

「利用者の方たちのことが好きでしたね」

自分なりのサポートの仕方を

そのデイサービスでは5年間働いた。

そろそろ転職してもいいかなと思っていた頃に、障害者グループホームの施設長を募集していることを知り、思い切って応募した。

転職する際には、履歴書を用意して面接を受けることになるだろう。

今は男性として働いているが、改めてセクシュアリティについて説明しなければならない可能性もある。

それが、少し怖かった。

「でも、すんなり就職できちゃいました(笑)」

「そこの職場も理解ある方ばかりだったので。人間関係で困ることは一切なかったですね」

「仕事も楽しいです」

カウンセラーを目指してから、「誰かをサポートしてあげたい」という気持ちは、今も保ち続けている。

「福祉以外の仕事は興味がなかったんです。自分に合ってるとも思います」

「でも、誰かをサポートする上で、“型にはめた対応” というのにはすごく違和感があるんです」

「別の導き方があるんじゃないかって思うことも」

人に対する接し方に、正解はないのかもしれない。

だからこそ今、自分なりの方法を生み出そうと試行錯誤している。

09男性として生きたいわけじゃない?

結婚しなくてよくなってホッとした

高校生のときに恋人ができたことがきっかけで、「将来は性別適合手術もして、戸籍も変えて、結婚するんだ」と考えていた。

その後、ホルモン治療を始め、乳房切除手術を受けてからも女性と付き合うことがあった。

しかし、その女性と別れるときにホッとした自分がいた。

「結婚しなくてもいいんだ・・・・・・って」

「自分がそう思ったことで、かなり悩みました。なんでなんだろうって」

恋人と結婚したいから戸籍を変えようと思っていた。
でも、結婚しないなら戸籍を変えなくてもいいということで安心したのだ。

「本当は男性として戸籍を取得して、男性として生きていきたいわけじゃないのかな・・・・・・と、悩んじゃって」

「今は、戸籍を変えなくてもいいのかなって思っています」

「せっかくトランスジェンダーとして生まれてきたんだから、このままで何かプラスに活かせることがあればいいのかもって思ったんです」

今回、LGBTERのインタビューを受けたことも、トランスジェンダーである自分自身について語ることで、誰かの何かのプラスになればと思ったのだ。

「それに、乳房切除手術を受けたことも自分にとって大きかったんだと思います。胸のことが一番嫌だったので」

「胸がなくなったら、それほど困ることがなくなっちゃったっていうのが正直な感想なんです」

でも、それはあくまで “今の” 気持ちだと語る。

「もしかしたら今後、結婚したいって思うかもしれないし、戸籍を変えたいって思うかもしれないです」

「しばらく彼女はいませんけど(笑)」

「今は、ひとりでいることを満喫してます」

いっぱい悩んで、苦しんだほうがいい

戸籍を変えなくてもいいと思う主な理由は、もうひとつある。

両親への配慮だ。

「親に内緒で治療を始めてしまったことで、申し訳ない気持ちもあって、今は、戸籍はそのままにしておこうかなと思っています」

「以前は早く手術をしたい、戸籍を変えたいという気持ちでしたけど、今は『今じゃなくてもいい』という気持ちです」

性同一性障害と診断されたら、必ず治療を受けなければならないわけでもない。

手術をしなければならないということも、戸籍を変えなければならないこともない。

大切なのは、自分がどんな自分で生きていきたいか、ということ。
どんな自分なのかは、自分で決めていい。

もちろん、決めたことをまた考え直して、変えてもいいのだ。

「どんな自分で生きていきたいかは、自分で悩んで、自分で苦しんで決めるのが一番だと思います」

「周りの意見も大事だけれど、誰かの意見に従って後悔するのは嫌じゃないですか。自分で考えた結果なら、後悔しても納得できる」

「自分から逃げずに、いっぱい悩んで、いっぱい苦しんだほうがいい」

「でも、苦しかったら『苦しい』と周りに言ってもいいと思います。受け入れてくれる人って、意外にたくさんいるんですよ」

「誰かに話すことで、苦しみが減ることもあると思います」

10レールから外れても幸せだよ

時間をおいたのが良かった

「男として生きていきたい」と伝え、母に受け入れてもらえなかった日から、徐々に実家には帰らなくなってしまって約7年。

治療のことも、体の変化も、両親には何ひとつ話していなかった。

ようやく伝えたのは、27歳のとき。

「20枚くらいの手紙に、今まであったことを全部書いて、渡しました」

「そしたら、母からラインがきて、『分かったから帰っておいで』って」

「ある意味、諦めてくれた感じがありました」

そして、最近になって、ようやくカミングアウトのときのことを親子で話すようになってきた。

「母は、『言われたときはびっくりして、事実を飲み込むのに時間がかかった』って、言ってました」

「両親に会わないようにしていた時間がかなり長かったんですが、逆に、『時間をおいたのが良かったかもね』とも言われました」

「でも、『あんた勝手に家を出てったわよね』とは責められます(笑)」

父は、カミングアウトの手紙に返事をくれたまま、何も変わらない。

今も「何があっても、私の “娘” だから大丈夫だ」という気持ちでいるのだろう。

これ以上は両親に無理強いできない

成人したときに、男性として生活しやすいように名前は変えた。

しかし、両親は昔の名前で自分を呼ぶ。

「母からは、昔の名前で呼んでいいかと聞かれたので、いいよって答えました」

「反対されたまま治療を始めたし、名前も勝手に変えたし・・・・・・、今の名前で呼ぶことまで両親に無理強いするのは、申し訳ないなと思って」

「両親がつけてくれた昔の名前と、友だちと一緒に考えた今の名前。どっちも自分の名前だと思うし。いいかなって」

「でも、外出先で昔の名前で呼ばれると困りますね。明らかに女性の名前なので」

「周りの目が気になって返事しづらいから、呼ばれたら無言で近寄っていくようにしています(笑)」

そして今、28年の人生を振り返って、両親に伝えたいことがある。

「両親には、謝罪の気持ちも、感謝の気持ちも、たくさんあります」

「・・・・・・謝罪のほうが大きいかな」

「でも、自分は今、楽しく生きているよ、と伝えたい。母は心配して『あんたは彼女できないだろうから、老後のために貯金しなさい』って言ってますけどね(笑)」

「今もひとり暮らしをしてるんですけど、帰宅したら玄関に野菜が置いてあったりとか、しょっちゅうラインが送られてきたりとか、相変わらず過保護で過干渉気味なので、もう少し放っておいてくれて大丈夫だよ、って言いたいです(笑)」

「両親が敷いてくれたレールから外れてしまっても、ちゃんと幸せになれたよ、安心してって言いたいですね」

あとがき
結斗さんは、取材の最初から最後まで穏やかなひとときを運んでくれた。感じのいい人、と表しては物足りない感じ。相手を構えさせない、人との調和を大切にできるバランサー。職場での様子も想像できた■お母さん、お父さんの言葉はそれぞれ違うけど、おもいの源はきっと同じ。実家と距離をおいた7年間。それは、結斗さん、ご両親にとって、欠かせない時間だったに違いない。幼い頃に敷いてもらった馴染みのレールは、今、新しい行き先をしめす。(編集部)

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