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FTMでありゲイであるセクシュアリティと、生き物を描く陶芸。沖縄で見つけた自分のあり方【前編】

「小さいときからカエルが大好きで。成長とともに体が完全に変わるってすごくないですか?」と目を輝かせる山本結沙さん。生まれ育った大阪から離れ、現在は沖縄で暮らしているが、その移住こそが人生の転機だったと語る。自分の殻に閉じこもり、誰とも話せなかった状態から、大自然のなかでたくさんの生き物に囲まれながら陶芸作家として暮らす穏やかな日々へと、鮮やかに変化した人生について語ってくれた。

2024/09/30/Mon
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
山本 結沙 / Yusa Yamamoto

1997年、大阪府生まれ。中学入学と同時に、男女が明確に区別されていく社会のなかで、女性という自らの性に対する認識に困惑し、家族以外との付き合い方を見失ってしまう。琉球大学で自然科学を専攻し、沖縄の大自然と、そこに住む人々と触れ合ううちに男性として生きる自信が芽生え、ホルモン治療を開始。大学卒業後は東京で大学院に進学するも、思い立って沖縄の窯元に弟子入りし、現在は大宜味村で「いちむし堂」として作陶に励んでいる。

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INDEX
01 自分が女の子だという意識はない
02 女性に分類されることへの違和感
03 フィールドワーク部という居場所
04 妹が教えてくれた「性同一性障害」
05 沖縄に来たことが人生の転機
==================(後編)========================
06 ウツワに生き物を描く
07 自己表現のひとつとしての陶芸
08 FTMでありゲイなのか?
09 将来は子どもを授かることも
10 閉じていた思春期を振り返って

01自分が女の子だという意識はない

無口な父とおしゃべりな母と、しっかり者の妹

「妹がいるんですけど、歳は3つ下で僕よりずっとしっかりしてます(笑)」

「このあと一緒に東京を回ろうって話をしてるんですよ」

現在は沖縄在住。
LGBTERのインタビューのため東京に来た。

そのタイミングで、「せっかくだから」と大阪に住む妹と待ち合わせをして、東京の気になるスポットを巡る予定なのだ。

「小さいときはケンカもしましたけど、中学くらいから相談相手になってくれていて、性の悩みとかも妹に打ち明けたりして、めっちゃ仲良いです」

「父と母とも仲良いですね。昔から、僕がボーイッシュな格好をしていても、なんにも言わなくて、『好きにしなさい』って感じでした」

そのおかげで、制服の着用が義務となる中学入学までは、服装に関してはストレスを感じることはなかった。

「父は無口なんですけど、家族を愛してくれてるんだなっていうのが伝わってくる感じの人。完全にアウトドア派で、ひとりで山に登ったりしてるタイプです」

「母は真逆で、おしゃべりで、いわゆる “大阪のおばちゃん” って感じの人(笑)。インドア派で、手先がすごい器用で、パッチワークとかトールペイントとか、いつもなにか作ってました」

青いランドセルを背負って

幼い頃、休日は父に連れられて、山の中で生き物を捕まえて遊ぶことが多かった。

「カエルを捕まえてみたりとか、メダカを捕まえてみたりとか。気づけば、父のほうが必死で捕まえてることもありましたね(笑)」

「そうやって、自然のなかで過ごす楽しさを体験させてもらったおかげで、いま、僕が “生き物好き” なのかなぁって思います。妹も母も、家族みんな生き物が大好きなので」

「家族でキャンプに行ったりもしてましたよ」

ズボンをはいて生き物を捕まえて遊ぶ子ども。
どこから見ても “少年” だった。

しかし小学校高学年になり、徐々に児童のあいだにも性差が見えてくるようになると、ボーイッシュな姿をからかわれることもあった。

「オカマって言われることがあったので、『オカマじゃないわ、オナベや!』って返してたみたいです(笑)」

「自分で選んだ青いランドセルを背負っていて、自分が女の子だって意識はなくて。体育の授業などで男女に分けられたときに、『え、自分はコッチ(女子)なの?』って感じながらも、深くは考えてなかったと思います」

そんななか、性別に対して強烈な違和感を抱いたことがある。

「バレンタインデーの日に、母から『お世話になってるから、これ持って行きなさい』って同級生のある男の子のためのチョコレートを渡されたことがあったんです」

「でも、女の子が男の子にチョコを渡す日に、なんで僕がチョコを渡すんや!? って・・・・・・」

「しかも、たぶん、僕はその男の子を好きだったんだと思うんですよね」

「いま思えば、それが僕のセクシュアリティを表してるように思います」

02女性に分類されることへの違和感

スカートをはいて『エエーーーッ!』

小学校の頃は、自然のなかで生き物と戯れるほかには、男の子と一緒にドッジボールやかけっこをして遊んだ。

「女の子なのに男の子とばかり遊んでいる」と、たまにからかわれることもあったが、特に気にすることはなかった。

しかし、中学校に入ると状況が変わる。

「入学前の制服の採寸のときに、『山本さん、こっちですよ』って女子の列に並ばされて、スカートの丈を測られて、エエーッ! って」

「そして入学式でスカートをはいて、また、エエーーーッ! って(苦笑)。自分はコッチ(女子)なんだ、と愕然としました」

なんとなく自分は女子なの? と感じながらも、深く考えず、短い髪の毛で、ボーイッシュな服装で、男の子と一緒に駆け回って遊んでいた。

うっすらと感じていた違和感のようなものが、ここではっきりとしたのだ。

内向的になり、人と話せなくなる

「中学に入って、男女で二分される社会になったときに、自分がどっち側の人間なのかわからなくて、すっごい混乱したというか・・・・・・」

「そのせいで、クラスで女の子と一緒にいたら自分が女の子に見えてしまうし、男の子と一緒にいたらからかわれてしまうし、周りからの自分の見え方が気になりすぎて、人と話せなくなっていったんです」

消極的になり、内向的になり、次第に自分を殻の中に閉じ込めていく。
同時に、成長にともなって変化していく体への違和感も生じてくる。

違和感は、クラスの男の子の声が低く変わったとき、自分との体格差を感じたとき、大きくなっていくようだった。

その苦しさを言語化できず、誰にも相談できず、さらに殻を固くしていった。

「家では、小学校の頃と同じように生き物を捕まえてきては、楽しそうに育てていたりして、特に悩みを抱えているようには見えなかったと思います」

通っていたのは中高一貫校。
6年間、周囲の環境は変わらず、殻を破るきっかけもなかった。

「どんどんどんどん人と話せなくなっていきました。自分でも、自分がなぜ話せないのかわからなくて、ただただ苦しくて」

一番つらかったのは、自分が女性として見られているという気持ち悪さだった。

「なんか逃げ出したくなるような感覚。でも、そのときは、なぜ逃げ出したい気持ちになるのかもわかっていませんでした」

03フィールドワーク部という居場所

クラスで誰とも話せなくても

固い殻の中に閉じこもっていた中学高校時代。
友だちもおらず、クラスでは孤独だったが、唯一の居場所があった。

「フィールドワーク部っていう、野外観察したりとか、化学実験をやったりとかする部活があったんで、悩みを抱えていて、周りとのコミュニケーションに問題があっても、なんとか、そこで存在できてたなって思います」

「やっぱり、小さいときから変わらず、カエルとかトカゲを捕まえてきては飼育ケースに入れて、家で世話して、家中を飼育ケースで埋め尽くしていて」

「学校の帰り道も、双眼鏡で野鳥を探して、見つけた鳥のことを調べて、データを書き留めておく、みたいなことをしてましたんで(笑)」

自然に対する関心は、年齢を重ねても変わらなかった。

「化石を掘りにいったりとか、どんぐりを拾って来てクッキーにしたりとか(笑)。フィールドワーク部は、自然のなかでできることはなんでもやれて、自分にはうってつけの部活だったんですよ」

「クラスでちょっと苦しくても、部活に行けば居場所がある、って感じで。人とのコミュニケーションがとれなくても、自分がおもしろいと思うことにひたすら情熱を注いでました」

中高時代を悪夢のように思い出す

コミュニケーションがとれないでいた頃のことを、いまになって考えると、「クラスの子たちも自分をどう扱っていいのか、わかんなかったのかも」とも思う。

「校則が厳しい学校で、男子は髪を刈り上げなくちゃいけなかったんですけど、僕は女子でスカートをはいているのに、髪は刈り上げて、靴下も女子のじゃなくて男子のをはいて」

「女の子として見られることから逃げたいんだけど、どうしたらいいのかわからなくて・・・・・・そんな見た目で無口で・・・・・・ちょっと怖いじゃないですか(苦笑)。だから、周りも話しかけづらかったんだろなって」

クラスで孤立していたのは、周りのせいじゃない。
自分が、殻に閉じこもっていたせい。

「悩んでいたのは、きっと自分だけじゃなくて、周りの子たちも、思春期だったし、それぞれ悩んでいたこともあったと思う」

「だから、いま思うと、悩んでいたのは特別なことではなかったとは思うんですけれど。いまでもあの頃のことを、悪夢のように思い出します」

ふと下を向いたら、スカートをはいている。
あれ、なんでだ、自分は男になったはずなのに。

フラッシュバックのように、苦しさがよみがえってくるのだ。

04妹が教えてくれた「性同一性障害」

性同一性障害の当事者のコメントを読んで

自分の気持ちとは関係なく、体は成長し、胸は膨らんでいく。

説明のつかない苦しみは、ますます大きくなっていって、そのうちに、とうとう自分の殻の中に秘めておけなくなった。

「高2くらいのとき、妹に、自分の胸が膨らんでいるのがイヤだ、って話をしたら、『え、それっておかしいよ、私、そんなこと思ったことない』って言われて。そのあと、妹はなんかいろいろ調べてくれたみたいなんです」

「性同一性障害(性別違和/性別不合)っていうのがあるんだよ」と妹は教えてくれた。

「あ、それか、って腑に落ちた感じがしました」

「それを機に、自分でも本を読んだりネットを見たりして調べて、『あぁ、この世の中には、自分と同じような人がいるんだ』って実感できて、そこから自分の環境を変えていけるかも、と考えるようになりました」

「特に実感できたのは、性同一性障害の当事者のコメントがいっぱい載ってる本です。自分の周りにはいないけど、きっとどこかには当事者が本当にいるんだ、って感じられたので」

朝からズボンをはける!

まずは、母に手紙を書いた。

「女性として生きるのがつらい。男性として生きたい」

「手紙にはそう書きました。あと、なんか、『ごめんなさい』みたいなことを書いたら、母から『謝ることじゃないよ』って言われました」

手紙でのカミングアウトのあと、母はすぐ、制服について、スカートでなくズボンで通学できないかと、学校に掛け合ってくれた。

通っていた中高一貫校は、仏教系の “お堅い” 感じの学校。
当初、制服について相談するも、「前例がない」と一蹴されてしまう。

「それでも、必死で協力してくださった先生方もいて、卒業する直前くらいに、女子用ズボンというのが用意されて、制服はスカートかズボンかを選べるようになったんです」

「実は、その前から、制服バザーで買ったズボンを、学校帰りに隠れてはいていたりもしてたんです(苦笑)。でも、それからは大手を振って朝からズボンをはける! って、むっちゃうれしかったですね!」

「きっといまも、母校ではズボンで通ってる “女子生徒” もいるんだろうなって思うと、自分が前例になれたのがうれしいなって思います」

05沖縄に来たことが人生の転機

生き物たちの洗練された美しい姿

高校生の頃の将来の夢は、ただひとつ。
生物の研究者になって、カエルの研究をすること。

生物学が学べる大学を受験し、沖縄の琉球大学に合格した。

「自然が好き、ってだけで、研究者になって食べていけるのか、とかあんまり深くは考えてなかったですね(笑)」

「ただただ、カエルが大好きで。だって、成長とともに体が完全に変わるってすごくないですか? 水中で生まれて、鰓呼吸が肺呼吸に変わって、形も変わって、陸上で生きられるって・・・・・・。そこが、なんていうか、憧れもあるのかもですけど、やっぱり神秘的だし、魅力的だなぁって」

「もちろん、見た目がかわいいっていうのもあります(笑)」

カエルだけではない。
自然のなかにいる生き物はすべて、進化という長い時間のなかで、無駄が削ぎ落とされ、洗練された姿をもつ。

だからこそ美しいと、ずっと感じている。

「沖縄に住み始めてからは、カエルを飼ったりはしてないですね。周りにいっぱいいるんで。夜とか、家の中にぴょんぴょん入って来ますよ(笑)」

「ほんと最高の環境です」

男性として生きていく自信

最高の環境だといえるのは自然の豊かさだけではない。
沖縄には、自分が “女子生徒” だった頃を知っている人はいない。

変えるならいまだ、と思った。

「ここで男性として生きていけないんだったら、今後はもう男性としては生きられないだろうと思って、周りにカミングアウトしていったんです」

「沖縄で出会った人たちが、すっごい大らかな人たちばっかりで、カミングアウトしたら『あ、そうなんだ』『なんくるないさー』って感じで(笑)」

「そのおかげで、男性として生きていく自信がついてきて、徐々に治療をしていこうと思うことができました」

ホルモン治療を始めたのは20歳。
乳房切除手術を受けたのは21歳。

家族には治療を始める前に報告した。

「両親は『あ、そうか、気をつけて』みたいな感じで。妹からは、胸オペ前に『いってらっしゃい、死ぬなよ』って言われました(笑)」

家族はみんな応援してくれていたが、内心では心配していたと思う。

「治療に関しても、大阪から沖縄に行くときと同じように『あんたの人生だから』って感じで送り出してくれました」

「沖縄に来たことは、いまの僕にとって大きいです。人生の転機になったというか。沖縄の土地と、出会った人たちに感謝です」

いまや沖縄は第二、いやもしかしたら第一の故郷と呼べるかも知れない。

「どこに帰るかときかれたら、沖縄って答えます(笑)」

「陶芸という自分の表現を見つけた場所で、男性としての生き方を見つけた場所でもある。ふたつの自分のアイデンティティを培った場所だから」

「そんなふうに言ったら、大阪にいる家族に怒られちゃう(笑)」

 

<<<後編 2024/10/04/Fri>>>

INDEX
06 ウツワに生き物を描く
07 自己表現のひとつとしての陶芸
08 FTMでありゲイなのか?
09 将来は子どもを授かることも
10 閉じていた思春期を振り返って

 

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