02 中1で、初めてのキス
03 常に彼氏はいたけれど……!?
04 18歳で結婚、出産
05 10年間の結婚生活にピリオド
==================(後編)========================
06 アラサーで2丁目デビュー
07 愛し愛された生活の果てに
08 最愛の女性との出会い
09 家族からのあたたかな祝福
10 パートナーの一番の支えになるために
06アラサーで2丁目デビュー
レズビアンとしての目覚め
離婚してからの生活費に加えて、やはり子どもの養育費も稼がなければならず、忙しい日々が待っていた。
しかし一方で、離婚してフリーになったことで心も軽くなり、一時は忘れていた女性への興味もムクムクと湧き上がってきた。
「男の人のことはキライじゃなかったけど、どこかで、もう恋愛対象としては見られないって考えはあったかも。それでよく、仕事仲間に『女の子に興味あるんだ』って話してました。ある時、憧れていた先輩から『ゆうちゃん、女の子に興味あるの? 私もだよ』って言われたんです。そうやって女の人からアプローチされたのは初めてだったから、すごく嬉しくて……」
もしかしたらその先輩も、レズビアンもしくはバイセクシュアルだったのかもしれない。そして、先輩から誘われて忘れられない体験をすることになった。
「その先輩のリードで深い関係になったんです。その初体験は、とにかくもう緊張しまくりで。男の人との行為とは比べものにならないくらい恥ずかしくて」
そして初めて、自分の性的指向を確信した。
「やっぱり私は男性よりも女性が好きなレズビアンなんだと。女性と愛し合う行為の気持ち良さと愛おしさを実感したんです。そこからはもう、男性とは付き合わなくなりました。男性のことは嫌いじゃないけど愛おしくは思えない、そんな感じに気付いて」
”本物のレズビアン” に会いたいという一心で
レズビアンであると自認してからは、興味はあったけど覗いたことがなかった”ある街”への興味がわいてきた。
六本木や歌舞伎町、渋谷といった繁華街は何回も遊びに行った。だけど ”新宿二丁目” は未経験。ふだんは自ら積極的に行動するタイプではないが、二丁目への興味と行動力だけは違った。
「いろんな女友だちに『新宿二丁目に遊びに行こうよ』とか『ついてきて』って誘っても、誰も賛同してくれなくて。これはもう単独突入しかないと二丁目のことをネットで調べまくりました。『本物のレズビアンに会って話してみたい!』という一心でした」
そして独自のネット調査ののちに、レズビアンのお店情報をはじめ、さまざまなウワサまで、”頭でっかち状態” で新宿二丁目へと向かった。
「すごく緊張しました。緊張しすぎて吐きそうなくらい(笑)」
緊張とは裏腹に、なんと ”裸にワンピース一枚か?” と思われるような大胆ないでたちで出掛けたのだ。
「その当時の私にとってド派手なギャル風ファッションがフツーだったから。二丁目では、かなり浮いてたと思う(笑)。でも私の勝手な二丁目のイメージには私みたいなファッションのレズビアンもいるはずだと思ってたんです。でも実際はボーイッシュな感じのレズビアンが多くて驚きました」
07愛し愛された生活の果てに
レズビアンカップルとして初の同棲体験
新宿二丁目初訪問で ”フェム(フェミニン)系のオフ会” に誘われた。
まだ見ぬ世界にビビりつつ参加したオフ会で、銀座のホステスとして働くレズビアンと出会う。会話を重ねるうちに彼女との距離は縮まり、出会って間もなく同棲することになる。
「レズビアンのパートナーとの初めての同棲だったので、日々の暮らしの何もかもが新鮮で楽しかったですね。一緒に家事をしたりデートしたり、買い物に行くのも何もかも。たぶん、これまで付き合ってきたどの彼氏といる時よりもはしゃいでいたし、幸せを噛み締めていました」
しかし、同棲を初めて3ヶ月くらいから、将来への不安やヤキモチなどが複雑に絡み合って、ふたりの仲は幸せを噛みしめ合うような関係ではなくなっていった。
これ以上は続けられない。思い切って別れを告げた。その日以来、彼女とは会っていない。
ひとつの別れ、ひとつの発見
彼女と別れた理由のひとつには、愛する我が子と会いづらかったということもあった。
しかし、埼玉と東京で別れて暮らしている間も、ふたりは強い絆で結ばれていた。
「ある時、息子が『俺ももう18歳だし、恋人でもつくれば?』って言ってくれたんです。しかも『いい加減な男だったら殴っちゃうかもだけど』とか生意気なことまで(笑)。この子はひとりの人間として、本当に私のことを考えてくれてるんだと嬉しかった。だからこそ、カミングアウトを決意したんです」
“息子の成長”、それはひとつの発見だった。その言葉を聞いて安心した森田さんは、今まで言えなかったことを告げた。
「あのね、ママ、男の人に興味ないんだ。もし女の子が好きって言ったらどうする?」
一瞬、戸惑った表情をしたが、「まあ、人それぞれで良いんじゃないの」という言葉とともに、受け入れてくれたのだ。
08最愛の女性との出会い
出会ってひと月で交際&同棲
彼女との別れの傷が癒え始めた頃、再びフェム系のイベントに参加した。
そこで、人生最高で最愛のパートナーに出会う。
「今のパートナーは、美人なボーイッシュ。第一印象は『フェム系イベントなのに、なんでこんな人が来てるの?』って思った(笑)。けど話すと、彼女とは一瞬で意気投合! すごく明るくて楽しいなかにも気遣いがあって、なんて安心できる人なんだろう、って」
その後、パートナーと友だちとでグループチャットをしていた時のこと。
「パートナーが『私、好きな人がいるんだよね』って言ったんです。ふーん・・・・・・ て見てたら、『その好きな人って、ゆうちゃんだよ』って私に直接メッセしてきてくれて。最初はフザけてるんだと思ったけど、その後もみんなで飲んでる時に告白してくれたりして、私のなかでパートナーの存在がどんどん大きくなったんです」
出会ってひと月経つ頃には、同棲生活がスタートした。
人生最高の時に、まさかの病気発覚
森田さんは穏やかな笑顔で、少し涙をにじませながら言う。
「今のパートナーはね、本当に私のことを大事にしてくれて、これまでのどんな人よりも頼もしいし、誰よりも私のことを考えてくれるんですよ。こんな開けっぴろげな性格に見えて、私って本心を人に伝えるのがすごく苦手で、押し黙っちゃうタイプなんだけど、今のパートナーは、ちゃんとそれに気づいてくれるんです」
これほどまでに愛しいと思える相手はいなかった、とも話してくれた。
「私の本心を汲んでくれるし、言葉じゃ伝えきれない想いまでもとことんまでわかろうと歩み寄ってくれる。押し黙る私に何度も本気でぶつかってきてくれて・・・・・・、だからこそ私も変わることができた。今は、自分の気持ちをちゃんと伝えられるようになりました。ここまで気持ちの奥底でつながり合えた人はかつていなかった。今が一番幸せです」
そんな幸せ絶頂で、病魔が身体を襲う。
「左足が痛くてハイヒールが履けないくらいになってしまったんです。病院に行ったら、血液検査の結果から膠原病の疑いがあると診断されました。すっごいヘコんだし信じたくなかった。でもパートナーは私の不安もグチも全部受け入れてくれて」
不安で押し潰されそうになっても、いくつもの優しい言葉とハグで包んでくれたという。
09家族からのあたたかな祝福
お母さんへのカミングアウト
ふたりの愛が深まっていくとともに、大切な家族にパートナーを紹介したい気持ちが高まる。
しかし、自分がレズビアンであることを家族の誰にも話していない。そこでまず、ふたりいるお姉さんと妹さんにカミングアウトした。小さな頃から仲の良かった姉妹、すぐに「知ってたよ」と受け入れてくれた。
そして、ついにお母さんへのカミングアウト。パートナーを連れて実家を訪れた。
しかし、なかなか言葉が出てこない。口火を切ってくれたのは同席していたお姉さん。
「彼女は、友だちというよりも、大事な人なんだって」と、お母さんに伝えたのだ。
「そりゃ働いてる店のママさんだから大事でしょ、という反応だったんですが、『そうじゃなくて彼氏のように想っているんだって』と姉が言ってくれると、やっと『え? ああ、レズビアンか、なんだかそんな気がしたんだよ』と理解してくれて」
すでにレズビアンカップルの同性婚などの話題をテレビで観ていたお母さん。森田さんの心配をよそに、意外なほどすぐに受け入れてくれた。
「お母さん、泣きながら『うちの娘でいいんですか? よろしくお願いします』って。病気のこともあるし、私のことを心配してくれてたんだと思う。本当にうれしかったです」
今では、ふたりで実家に行くと、家族のみんなはパートナーを王子様扱い。
”大切な祐子の大切な人” として、迎え入れられたのだ。
プレゼントはふたりのために
そして息子さんもまた、”お母さんの大切な人” としてパートナーとあたたかな関係を築きつつある。
森田さんを喜ばせるために、ふたりで協力してサプライズバースデーパーティを開くほどに。
そのパーティの場で、サプライズに驚きつつも、喜びのあまりはしゃぐ森田さんに目をやりながら、息子さんはパートナーにこう告げたという。
「こんな人ですが、よろしくお願いします」
誕生日プレゼントは江戸切子のロックグラス。
それは、パートナーと一緒に使えるようにと、ペアで箱の中に収められていた。
10パートナーの一番の支えになるために
彼女の夢を叶えてあげたい
パートナーは飲食業を営んでいる実業家。
そして森田さんはその店でマネージャーとして働いている。
「お店に来てくれたお客さんを笑顔にしてあげたい。『ふたりを見てると、なんだか笑顔になるね』と言ってもらえるような雰囲気づくりをしたい。私は自分から ”こうしたい” と言うタイプではなくて、反対にパートナーは次々と自分の実現したいことに向かって行くタイプ。だから私は、彼女の夢を叶えるための一番の応援団でいたい。誰よりも力強くサポートできる存在でいたいんです。誰かに対してこんな気持ちになれたのは、やっぱり今のパートナーが初めてなんですよね」
生涯のパートナーとして
いま現在、パートナーと渋谷区に住んでいる。
そう、渋谷区で2015年4月1日に施行されたパートナーシップ証明書を申請できるカップルなのだ。
「当初、私とパートナーの間ではこの制度への強いこだわりはなかった。でも、いざ私の病気が発覚した時、やはり病気で倒れた時に家族として認められない怖さを思うと最大限活用したいという想いが強くなって。ただ、証明書発行にはお金がかかる。だから今、500円玉貯金をしてるんです」
証明書発行のためのお金がないわけではない。
しかしパッと払うよりは、日々意識して積み上げたお金を払う方が、証明書の重みを実感できる。そんな理由からの貯金だという。
笑顔の多さは、多くの苦難を乗り越えた証。取材中、何度も何度もパートナーのことを「愛おしい」とつぶやいた。そして、思い悩んだ日々もあったが、最愛の人と巡り会えて「今が一番幸せ」と笑う。そんな森田さんが一歩ずつ進む先には、望む未来がきっと待っている。