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必要なのは、「等身大のロールモデル」【後編】

必要なのは、「等身大のロールモデル」【前編】はこちら

2016/06/16/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Momoko Yajima
宇野 裕樹人 / Yukito Uno

1994年、茨城県生まれ。共学の中高一貫校を経て上智大学外国語学部英語学科へ進学。大学1、2年生でインドネシアで日本語を教えるボランティアを経験する。オーストラリアの大学へ1年間の交換留学を経て、現在日本でLGBT Youth Japanの活動に参加。大学では英語/日本語教育を学び、日本語教員を目指す。

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INDEX
01 長年の思いを言葉にして
02 「好きなのは同性」という気づき
03 異性愛者になりたかった
04 認めたくないから情報を遮断する
05 進まなくては、という思い
==================(後編)========================
06 自身のアイデンティティを正面から考える
07 緊張のカミングアウト
08 母に寄せる信頼と期待
09 同性愛者であることの縛りから自分を解放したい
10 未来へ

06自身のアイデンティティを正面から考える

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初めて同性愛者「として」生きる経験をして

大学3年生の時に1年間留学をしたオーストラリア。

人種の多様性に触れるだけでなく、同性愛であることをオープンにして生活する人も、同性同士で手をつないでいるカップルも当たり前のように存在した。

「そういうのを見ると衝撃ですよね。情報としては知っていたけれど、実際に目の当たりにするのとしないのとでは全然違いました」

自分を知っている人もおらず、新しい自分として生きられるような感覚も気を楽にしてくれた。

人の目を気にせず、本当にすべてが自由だと感じた。

留学先では国籍の異なる4人の男女でシェアハウスをしていた。

全員に自分が同性愛者であることを打ち明けたが、みんな「ああ、友だちにもいるよ」といった感じでまったく気にするそぶりもなく、一緒にいてリラックスすることができた。

「自分の人生において初めてでしたね、同性愛者として生きられるということが。セクシュアリティひとつで自分を縛ることがないということがすごく心地よかった」

「セクシュアリティ以外にも自分には『日本人』だったり『交換留学生』というアイデンティティがあって、自分を自分として、初めて『自分はなんであるか』を振り返ることができたんです」

ゲイというのを自分の一部として見て、それ以外のこともじっくり考えられた1年だった。

LGBTが受け入れられる環境で、恋人に依存しなくてよいと気づく

恋人とは遠距離恋愛となっていたが、やはり距離が離れると続けることが難しく、留学中に別れてしまう。

「自分が忙しくなり過ぎちゃって。慣れない英語の環境に、一人で生活するのも初めて。料理を作るとか洗濯をするとか、とにかくいっぱいいっぱいで、すごく寂しい気持ちもありましたが、別れてしまいました」

異国で寂しい思いをしたら余計に恋しくて別れられない人もいると思うが、宇野さんの場合は、着実に自立していったがゆえの別れだった。

「日本にいる時はどこか、彼しかいない、彼がいなくなったら終わり、みたいに感じていたけれど、オーストラリアではみんなが自分を受け入れてくれるし、友だちもできるし、同性愛を認める空気がありました。そうすると、別にパートナーに依存しなくてもいいのかなという気持ちが出てきて・・・・・・」

恋愛は素晴らしいものだけれど、自分で自分を認められるようになったら、恋人に依存しなくてもやっていける。

またここで、新しい自分への気づきを得たのであった。

07緊張のカミングアウト

まずは一番の親友へ

留学の前後で、宇野さんは大切な人ふたりにカミングアウトをしている。

「次へ続くためには最初のカミングアウトが大切」と思う宇野さんが最初にセクシュアリティのことを伝えたのは、留学3か月前の大学2年生の時。

相手は幼稚園と小学校が同じ親友だった。

「今日言おう!と決意して渋谷の中華料理屋さんに呼び出したんですけど、なかなか言い出せなくて。他愛もない会話の後で、お互い授業もあったので帰ろうか……となって、ようやく当時の彼氏の写真を見せたんです」

これ何? というのが友人の最初のひとことだったが、どうしても自分の口から言葉が出てこない。

「本当に緊張すると人は言葉が出てこないことを知りました(笑)。同性愛者の「ど」の字も出ないんですよ」

なんとか「付き合っている人なんだ」と告げた。

「その時は友人も、へー、そうなんだ。みたいに驚いていて、それ以上はあまり言葉を交わさなかったんですけど、その夜に『水臭くて面と向かって言えなかったけれど、話してくれてありがとう。話の内容的にも余計に悩んだと思うし、これで少しでもスッキリしたならいいんだけど。17年来の付き合いだから嘘も言わないしお世辞も言わない。応援するよ!何かあったら相談乗るからいつでも言って!』というLINEを送ってくれたんです」。

きっと友人も、カミングアウトされた瞬間には何と言っていいか、どんな態度を取ればいいか分からず戸惑ったことと思う。

でも自分の言葉を受け取って、改めて思いを伝えてくれた友人の気遣いと優しさが、心底うれしかった。

母は知っていると思っていた

留学期間も間もなく終わるという頃、母に、伝えた。

留学の最終目標として決めていたのだ。

「LINEの電話でお母さんが切ろうとしている時に、『ちょっと話したいことがある。実は、同性の人が好きなんだ』ということを伝えました」

いままでつらかった、と伝えると、自然と涙がこぼれてきた。

30秒ほどの沈黙の後、「知らなかった」という母の言葉。

否定されることもなく、ひとまず受け入れてくれたことに安堵した。

「でも実は、お母さんは知っていると勝手に思っていたんですよ。それまで彼女がいるかどうかも聞かれたこともなく、お母さんなりに気づいていたから聞かないでくれていたのだと解釈していたけれど、まったく自分の思い違いだったんですね」

これまでも仲が良く、よく話をしてきた親子だと思う。

だからどこかで母は大丈夫、受け止めてくれる、という思いがあった。

しかし帰国してからはまだそのことについて母ときちんと話はできていない。

自分が意識し過ぎかもしれないが、二人きりになると気まずい感じもする。

08母に寄せる信頼と期待

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家族だけが安らげる場所だった

「家族は知っていると思っていた」という言葉は、多くのLGBTERから聞くことがある。

しかし意外と家族は気づいておらず、本人からカミングアウトを受けた後も、一定の理解は示しつつも、受け入れる、認めるまでには大きな苦悩を抱えることが多い。

本人は長く自分の悩みと向き合ってきた経験があるのでカミングアウトはひとつのゴールと思いがちだが、家族にとってはそこからがスタートだ。

「そのことは自分自身もそう思います。カミングアウトする方も時間がかかっているのだから、された家族の反応も思いも色々だと思います」

異性愛者を演じることに疲れ、毎日を心から楽しむことができなかった高校時代、家族といる時だけがホッとできる時間だった。

恋愛が話題となる家庭ではなかったので、自分が異性愛者か同性愛者かなど考えず自分らしくいられる。

家族は居場所だった。母と妹とは仲が良く、3人でよく笑い、よく話す日々。

決して、この関係性を壊したくはない。

だけれど、大切な人たちだからこそ、自分のいまも、これまでも、これからのことも、知っていてほしい。

母はきっと受け止めてくれるはずと信じているのは、これまでの母の生き方や、子どもへの関わり方を見てきて「尊敬」の念がベースにあるからだ。

母自身が道を選び取ってきた人

子どもの頃から、早く寝なさい、勉強しなさいと、いわゆるしつけ的なことをうるさく言われた記憶がない。

母はすべて「自分で決めなさい」というスタンスで、決めたことは自由にやらせてくれ、それをサポートしてくれる人だった。

「大学も行かなくてもいいけれど、行きたいのなら自分で選んで行きなさい」「留学もするならサポートはするから、手続きは自分ですべてやりなさい」「就職も自分の決めた道を行きなさい」と言う母。

「でも同時に、好きなことをしていいけれど、自分の責任でしなさいということでもあるんですよね。」

母は沖縄県の離島の出身で、高校を卒業してすぐに看護学校に通うために単身上京した。

当時の島には仕事もなく、自分自身で選択をしなくてはならなかったという。

「田舎から東京にひとり出てきて生活して。自分と同じ年頃の時にはすでに母はもう働いていたと思うとすごいなって。母自身が自分の道を自分の力で切り拓いてきたからこそ、決められたルートだけが自分の人生じゃないと理解しているんだと思うんです」

宇野さんから感じる、母への大きな信頼。

母の理解を得ることで、さらなるステップに進みたいという強い思いが伝わってくる。

09同性愛者であることの縛りから自分を解放したい

「自分事」からもう少し広い視野で考える

最近、「同性愛者でよかったこと」を書き出し始めている。

様々な人との出会いやオーストラリア留学を経て、少しずつ自分自身がどうありたいか、考えるようになった。

「たとえば、同性愛者でなければ出会えなかった人たちがいる。このLGBTER編集部のように(笑)。それから、大多数の人には分からないこと、障がい者やシングルマザーなど少数派の人たちの気持ちも、どこかで少し共感できるような気持ちが芽生えたのも、もし自分が異性愛者だったらできなかったかもしれない」

「そんな風に、少しポジティブに自分のことを考えるようになりました」

ゲイであることを隠して毎日演技をしてきたことで、他人の視線に敏感になり、自分の態度や言葉に人一倍気を使うようになっていた。

このことも考えようによっては「周囲に気を使える人間になった」ということである。

誰よりも自分自身を同性愛者というアイデンティティで縛っていたのは自分だった。

いまでも異性愛者をうらやむ気持ちが完全に取り払えたわけではないけれど、LGBTを取りまく社会課題を知り、多様な人と出会ったことで、自分だけの問題としてだけではなく、もう少し広い視点で物事を考えられるようになった。

そのことはここ数年での大きな変化だ。

LGBTロールモデル不在の現状

自分のことを振り返ると、テレビのオネエタレント以外、一般社会で異性愛者と変わらず生活をしているLGBTのことを知る機会がほとんどなかった。

このことは、自分の将来を不安にさせた大きな要因だった。

身近に、「LGBTのロールモデル」が存在していたらどんなに安心したことだろう。

「未来を考えた時、多くの人が『こういう人になりたい』って存在があると思う。だけど異性愛者じゃない人たちのロールモデルって少な過ぎるんですよ。同性愛者だけどこんな風に生きている、生きられることを示してくれる人がいると、自分の目標にする人も出てくるだろうし、将来が描きやすくなる。希望が持てると思います」

LGBTERだって、もっと自由に将来の夢を考えられたらいい。

そのためには当事者自身が他のLGBTERのあるがままの姿を知り、自分たち自身の誤解や偏見を解いていけるといいと思う。

「自分のように、同性愛であることを受け入れられず悩んできた人間の等身大のいまの姿を知ってもらうことで、誰か一人でも救われたと言ってくれたら、本当にうれしいことです。自分がオリビエさんのインタビューに影響を受けたように」

10未来へ

必要なのは、「等身大のロールモデル」【後編】,10未来へ,宇野裕樹人,ゲイ

自分自身を丸ごと肯定しよう

現在、日本のLGBTを取りまく社会的課題に関心のある若者の学びや発信の機会を提供するLGBT Youth Japanで仲間とともに活動している。

LGBTは13人に1人――そんな数字が頭をかすめる。

自分自身を押し殺すことがクセになり、人と話す時にも違う自分を演じながらやり過ごした高校時代を思い出す。

自分自身を出すことができず窮屈でつまらなかったし、きっとこの先もつまらないままなのだろうと諦めていた。

でも本当は、人と話すことがすごく好きだったし、話したかった。

だからこうやって言葉で交感し合えているいまの自分自身がうれしいし、幸せだと思う。

でも、それもすべて、あの悶々とした時があったからこそのいま、なのだ。

過去の自分を含めていまの自分を肯定している。その上でやはり、もったいなかったな、とも思う。

心を通わす人と手をつないで幸せだと思ったり、普通に映画館に行ったり、料理を作って楽しいと思えたりしたことが、当たり前のようにできずに苦しんでいる人がたくさんいるということに憤りを感じる。

人はいつか死んでしまうのに。

どこにいてもLGBTのサポートをすることはできる

この先の進路について、一時はLGBTに関する活動をしたいと考えたこともある。

大学の先生になってLGBTのことを教えたり、LGBT活動家になってLGBTの認知・理解を広げる活動をする・・・・・・などだ。

でも今は、少し考え方が変わってきている。

「どの分野にいたとしてもLGBTのサポートはできる。たとえば医者になったら医療面からLGBTを支えることができるし、出版社勤めならLGBTに関することを取り上げることもできる。カフェならLGBTフレンドリーなお店にすることもできます」

「自分のすべてを捧げてLGBTに関することをしなくても、本当に小さなことから始めることでもいいと思うようになりました」

大学1年生でシップの扉を開けるまでLGBTERであることをかたくなに拒否して動けなくなっていた自分が、この数年で自ら行動し、見えなかった未来を打開しようとしている。まだまだ、越えなければならないハードルはたくさんあるけれど。

それでも、一歩、一歩、前へ。
この途上にある姿も、いつか誰かの勇気となればと願っている。

あとがき
数年前の裕樹人さんが想像した行き先は、すべての望みが絶えた未来だった。「・・・異性愛者として自分を偽って生きていくのか、それができないとしたら、一人で寂しく老いていくのかなと思った」■出来上がった原稿を「この先の人生において、何度も原点に戻れる地図」と返信してくれた。これからも向き合う「自分」は、まだまだきっといる。でも今、毎日が少しずつ動き始めている。初夏の日差しと裕樹人さんの笑顔が眩しい取材の午後だった。(編集部)

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