02 活発でボーイッシュな女の子
03 自分は何者なのか?
04 FTMのあるべき姿
05 嫌々撮った、成人式の前撮り写真
==================(後編)========================
06 母へのカミングアウト
07 「教師なめんなよ」
08 改めてカミングアウト
09 男性として歩み始めて
10 新しい家族と新生活
01仲良し家族
世界中を飛び回る父
奈良県の住宅街に、4人家族の次女として生まれる。
「家族仲はいいほうだと思います。姉は結婚して今は遠くで暮らしていて、僕も家を出ましたけど、今も家族で集まりますよ」
ただ、昔から家族全員で過ごす時間が多かったわけではない。
「父は食肉を取り扱ってる商社マンなんですけど、僕が小学校高学年のときから本格的に国内外を飛び回るようになって、ほとんど家にはいませんでした。今どこにいるか分からへん、って感じでしたね(苦笑)」
「今もアメリカに行ってますけど、仕事もちょっと落ち着いてきたみたいで、最近は会う機会も増えました」
お正月などのイベントの際には、仕事のつてで高級なお肉をお土産に買ってきてくれた父。
「バリバリ働いて地位のあるポジションにも就いてる父は、本当にすごいなと思います」
アクティブな名物おかん
母はいろんな人と集まることが大好きな、活発な人。
「僕が小さいころはパートを掛け持ちして大変そうな時期もあったんですけど、とにかくずっと動き回ってるような人ですね」
僕が中高でバレー部のキャプテンとして活動しているときには、練習試合でも必ず応援に駆けつけた。
「それまでなかったバレー部の保護者の会を立ち上げて、保護者用のオリジナル衣装まで作ってました」
「練習試合の相手って同じ学校と当たることが多かったので、『祐希乃のおかんや』って知られてましたね(笑)」
母は、姉の部活動や行事にも同じように顔を出しに行きたがったが、姉からは断られていたようだ。
「それでもやっぱり見たかったみたいで、姉の高校の体育祭はこっそりと見に行ってたみたいです(苦笑)」
自分の子どもが関わっていない場面でさえも、母は「お節介パワー」を発揮。
「運動会の借り物競走で、全然知らん子にも『あんた借りなあかんもん、なんや?』って声かけてました(笑)」
現在でも、中学校のときの部活動の仲間が母に会いにくることがあるくらい、母の顔は広い。
僕のなかでも、母の存在はやはりとても大きい。
02活発でボーイッシュな女の子
好きなものはサッカーボール
3歳上の姉はどちらかと言うとインドアなタイプだが、僕は幼少期から外で身体を動かすことが好きだった。
「近所に藤原旧跡のだだっ広い原っぱがあって、小さいころはそこで父とキャッチボールやサッカーをしてました」
「ローラースケートとかも、買ってもらった記憶がありますね」
幼稚園のとき、好きなものを持参して写真を撮るイベントで、僕はサッカーボールを持っていった。
「ある友だちに、女の子はサッカーボールをもったらあかんねんで、って言われたんです」
そのころから、自分は女の子である、という自覚を持つようになった。
「結局、サッカーボールを持って写真は撮れたんですけど、言われたときは『なんであかんの?』って思ったのをすごく覚えてます」
姉のあとを付いてまわる妹
活発に外遊びをすることが大好きな一方で、姉のうしろによくくっついていた。
「姉からは、あんたよく私の真似してたな、って言われてます」
外遊びだけでなく、おままごとなど、女の子がよくする遊びをすることもあった。
「人形とか、シルバニアファミリーで遊んだりしてました」
幼稚園で遊ぶ相手も、男子と遊ぶことももちろんあったが、女子のほうが多かった。
「そのころから、自分は女の子なんやって自覚は、もう持ってたからだと思います」
性同一性障害ではないなら・・・?
小学6年生のころ、ドラマ『3年B組金八先生』で上戸彩が演じていたFTM(トランスジェンダー男性)の役を、再放送で目にする。
「一緒にテレビを見ていた母に何か言われるんやないかって、ヒヤヒヤしたのを覚えてます。結局何も言われなかったですけど」
この役と同じで、自分の性自認に疑問を感じていることはたしか。でも、何もかも同じと言うわけでもなかった。
「ドラマのように、自分の喉をフォークで突き刺すほど、身体に嫌悪感をもってはないかな、って思ったんです」
「性同一性障害(性別不合/性別違和)の人がこういう役のことを指すなら、自分はそうやない。ほんなら、自分は何者なんだ? って」
中学2年生のころ、気になる人ができた。相手は、部活動をともにする同い年の女の子。
「自分はレズビアンなんじゃないか? とも考えてました」
中学3年生のある日、メールをやり取りしているなかで、相手に自分のおもいを伝えた。
「そしたら相手から『一度失った信頼は取り戻すことはできません』って書かれた画像が返ってきたんです・・・・・・」
真意は分からないが、拒絶のように感じられる厳しい表現。
「女の子が好きってことは言ったらあかんもんなんや、って思いました」
相手の子とは、気まずい期間を経て、何事もなかったように再び友人として接するようになった。
でも、相手から投げかけられた容赦のない返事は、今でも鮮明に覚えている。
03自分は何者なのか?
バレー部へ
進学した地元の中学校で、バレー部に入る。
「僕が小さいころから、母がママさんバレーをやってる姿を見てきてたんで、バレー部に入りました」
ただ、バレー部一択! というわけではなかった。
「マーチングで有名だった吹奏楽部に入ろうかな、とか迷ってましたね」
「それに、ソフトボール部があったら、そっちに入ってたと思います」
ソフトボール部に近しい部活として、野球部も見学した。
「でも『自分は女子だ』って自覚があったから、男子と一緒に部活すると、どうしても体格差とかで劣等感を抱くだろうし、上手くなれないだろうなって・・・・・・」
このときに感じた男性への劣等感は、このあとも形を変えて立ちはだかり続けることとなる。
人として大切なこと
入部したバレー部の顧問は、大学まで本気でバレーボールに打ち込んだあとに教師となった、熱血な若手の先生。
「練習はめちゃくちゃ厳しかったです(苦笑)」
過酷だったのは、バレーボールの練習だけではなかった。
「人としてどうあるべきか、ってことも教わりました」
靴をきちんと並べる。
感謝の気持ちを伝える。
嫌いな練習ほど頑張る。
他人がやりたがらない雑用こそ、率先して行う。
「練習試合のときには、学校のトイレをきれいにするように指導されました。『トイレがきれいな学校は強いから』って」
先生の指導を通して、自分自身も部活動でどのように行動するべきか考えるようになった。
「アタック練習のとき、トスを上げる先生がボールを取りやすいよう、ボールをいかに丁寧に渡すかを考えたりしてました」
先生の気持ちに応えたいと思えたのは、キャプテンを任されたからというだけではなく、先生の指導のなかにある愛情を受け止められたから。
「納得できないこともたくさんありましたよ(苦笑)」
先生の指導にモヤモヤを抱いたときは、母の出番。
「母と先生はツーカーの関係だったので、『先生はこういう思いで言ったんやと思うよ』って、母は先生の言葉に説明を加えてフォローしてくれました」
僕も先生のような人になりたいと思い、このころから将来の夢は保健体育の教師となった。
04 FTMのあるべき姿
FTMのイメージに当てはまらない自分
中学2年生くらいだったと思う。
母と整形外科に受診したときのことだ。
このころ耳が見えるほどの短髪だったこともあり、医師から男の子だと間違われた。
「母が『女の子ですよ』って返したら、先生がすごく軽いノリで『性同一性障害なん?』って言ってきたんです」
他人からは、自分は男性に見えるのか、と思う一方で、母がどのように反応するかが気になって仕方がなかった。
「母は、そこまでではないです、って返したのを聞いて、自分は “そこまで” やないんや、って」
そのころ、個人のブログが流行り出し、FTMのブログをよく読むようになった。
「『気づいたときには自分は男だと思ってた』とか、『友だちは男しかいなかった』とか、FTMとはこうあるべき、っていう規範が強くて。自分とは違うな、と」
こういう「マッチョ」な人たちがFTMであるならば、やっぱり自分は性同一性障害ではないのか?
自分は何者なのか、まだ見つからずにいた。
男子部員に抱く劣等感
地元の高校へ進学し、引き続き女子バレーボール部へ入る。
「男子バレー部と監督が一緒だったんで、コートの半分で男女に分かれて練習してました」
女子バレー部は経験者の集まりだった一方、男子は初心者ばかり。
「高校から始めた男子部員がどんどん上手くなっていくのを見ると、劣等感もあるけど、あこがれもありましたね」
男子とは、体格も体力も圧倒的に異なる。
「男子バレー部のなかでは自分は到底まともに戦えるはずないから、女子バレー部にいるしかない、って」
男子バレー部をひいきする男性監督の存在も、劣等感を強める原因の一つとなっていた。
「交際禁止って言われてたんですけど、バレー部同士で内緒で付き合ってたカップルが、監督にバレたことがあって。でも、そのときに注意されたのは女子だけだったんですよね・・・・・・」
付き合っているつもりだったけれど・・・
高校では、部活の後輩が気になる存在となった。
「よく一緒に話したりとか、手をつないだりとか、付き合ってるような状態ではあったんですけど、正式に告白してない女の子がいたんです」
「僕がキャプテンだったので『キャプテンなのに特定の後輩とばかり仲良くしてたらあかん』って同級生に言われて、部員内の関係性がゴタゴタしたこともありましたね」
でも、相手からすれば先輩の一人にすぎなかったのかもしれない、と今になって思うこともある。
「僕が引退してしばらくしてから、その子が正式に男子とお付き合いすることになった、って報告を受けたんです」
自分も改めて気持ちを伝えたが、後輩は男子のほうを選んだ。
「相手の気持ちを聞いてめっちゃショックを受けて、いても立ってもいられなくて外に飛び出しました・・・・・・」
05嫌々撮った、成人式の前撮り写真
意外と出会わなかったFTM当事者
体育学部で有名な県内の大学に進学する。
「本当は教育大学に行きたかったんですけど、レベル的に難しくて。あと、体育学部なら自分と似たような人がいるんじゃないか? っていう思いもありました」
たしかに、受験会場では同じ「におい」のする大学生スタッフを見かけた。
でも、いざ入学するとなぜかFTM当事者が全然いないように感じた。
「もしかしたら、この人はFTMかも? と思って話しかけてみても、ただのボーイッシュな女の子だったりして・・・・・・」
そのため、自らの足で当事者に会いに行くようになる。
「別の学部にいるFTM当事者が書いてたブログにメッセージを送って、実際に会ったりしてました」
「高校のときに読んでたブログのときような、オラオラしているようなタイプではない人と会うようにしてましたね」
“ゴリゴリ” でないFTMの人たちと会うことで、「自分は何者なのか?」の答えが少しずつ見え始めてきた。
スポーツインストラクターとして学んだこと
体育学部の学生は、運動系の部活動に所属することが基本的。僕も、最初は女子バレー部に入った。
「大学が中高のバレー部顧問の先生方の母校でもあったんで、バレー部に入らないといけない感じでした(苦笑)」
だが、県内だけでなく全国各地から優秀な学生が集まる、本格的な部活動。上下関係も厳しく、だんだんと息苦しさを感じるように。
「バレーを続けてた理由として母の存在も大きかったんですけど、1年間活動してみて、もういいかなって思って辞めました」
部活動以外の場で身体を動かそうと、大手スポーツジムのスタッフとしてアルバイトを始める。
「そのころ久々に父と会ったんですけど、父がそこのジムの会員だったこともあって『そのジムで働くなら、ボディコンバットのインストラクターをやってみたら?』って薦められたんです」
ボディコンバットとは、格闘技の要素を取り入れた運動プログラム。
インストラクターはインカムを付けて、生徒を明るく鼓舞しながら手本としてアクティブに動くことが求められる。
「母からは、いくら中高の部活でキャプテンを務めてたからって、人前でしゃべれるようなタイプやないのに、大丈夫なん? って驚かれました(笑)」
インストラクターの仕事を通して、人に分かりやすく指導するにはどうすればいいか? などを学ぶことができた。
女の子扱いされるのは嫌なのに
性自認にはまだ確信を持てないものの、女性として扱われることには抵抗感を抱いていた。
「美容院で『成人式に向けて髪を伸ばしたら?』って声をかけられることも、めっちゃ嫌でしたね」
成人式当日は参加せず、寝て過ごした。
「振袖で参加する選択肢は自分のなかにはない。かと言ってスーツを着て行ったら逆に目立つし・・・・・・」
「スーツと言っても、レディースのは嫌だけど、メンズを着たいかって言ったらそれも微妙だったので」
ただ、親がどうしても、ということで前撮りだけは対応せざるを得なかった。
「母の振袖を姉も着たので、僕にも着てほしいってことでした」
「前撮り当日までは『しゃーないわ』って半ばあきらめてたんですけど、当日になったら本当に嫌になって、しばらくベッドに引きこもってました」
髪が短かったのでウィッグを被って撮影。
「撮影中はされるがままって感じでしたね・・・・・・」
<<<後編 2024/10/25/金>>>
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06 母へのカミングアウト
07 「教師なめんなよ」
08 改めてカミングアウト
09 男性として歩み始めて
10 新しい家族と新生活