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MTFの自分を受け入れないと、納得のいく状態に到達できない。【後編】

MTFの自分を受け入れないと、納得のいく状態に到達できない。【前編】はこちら

2018/05/31/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
安間 優希 / Yuki Anma

1969年、三重県生まれ。生後数カ月で愛知県に引っ越して以来、現在に至るまで愛知県で過ごす。小学生の頃から性別に違和感を覚え、社会人になってから自身が性同一性障害であることを自覚。30代でホルモン治療を始め、名前を「優希(ゆき)」に変更。性自認は女性、性指向も女性。MTFでありレズビアン。2012年に女性のパートナーと結婚。現在は、NPO法人PROUD LIFE代表理事を務める。

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INDEX
01 不得手なコミュニケーション
02 懸命に生活を支え、育ててくれた母
03 ピンクのラベルの体操服
04 “女性らしさ” への否定と憧れ
05 限られた人にしか言えなかった本音
==================(後編)========================
06 納得いかないと続けられない性格
07 性同一性障害だから見えた答え
08 娘として受け止めてくれる母
09 胸を張って女性でいられる環境
10 誰よりも自分が自分を認めること

06納得いかないと続けられない性格

肌に合わなかった大学院

大学での勉強が楽しかったため、国立大学の大学院への進学を決めた。

しかし、いざ大学院に進むと、その環境に戸惑った。

「将来は教授のポストに就くみたいな、野心にあふれた人ばかりで、嫌になってしまったんです」

「たった3カ月で、行かなくなってしまいました」

大学院を中退し、大学生時代にしていたDJのバイトを再開した。

アルバイト生活の中で、ボランティア活動などの社会活動を行う組織に誘われた。

「DJは一生涯の仕事にはできないと思っていたから、その組織の職員になりました」

「2番手的なポジションで、やりたいことをやれたから、楽しかったですね」

「その組織は青年部として年齢制限があったので、33歳で卒業という形になりました」

仕事に抱いてしまった疑問

33歳で、名古屋市議会の政策スタッフとして働き始めた。

「議員の秘書のような仕事です」

「市議会での仕事も、興味のある分野だったので、楽しんでいました」

「ただ、10年近く勤めている間に、仕事内容に疑問を持つようになったんです」

議員が掲げる政策が、支持者に対する内向きなものに傾いていることが気になった。

「100人中、支持者が10人いるとしたら、残りの90人にも支持してもらえるよう働きかける必要があると思うんです」

「でも実際の現場は、10人の強い支持者の不満を生まないため、どんどん内向きになっていくんです」

「私は広げていかないと意味がない、と思ってしまったんですよね」

議員の政策などを書いた、紙のチラシを作る業務にも、疑問を抱いた。

「今どき、紙のチラシを見る人なんてほとんどいないし、時代と逆行していると思いましたね」

「支持者の方にビラ配りという役割を生むため、チラシも必要なものではあるんですよ」

「ただ、私は支持者の方の役割を作るための仕事がしたいわけではないから、辞めることを決めました」

経営することの難しさ

市議会を辞めるタイミングで、NPO法人「PROUD LIFE」を立ち上げた。

「事務所を借りると家賃が発生するから、事務所兼バーにしたらいいんじゃないかって思いついたんです」

「バーにすれば、自然と人も集まってくるし、いい側面ばかりだなって」

しかし、バーを開いてから、経営することの難しさを知った。

雇われている時とは違い、懸命に働いたからといって、収入につながるわけではなかった。

「人件費を除けば赤字ではないけど・・・・・・って感じでした」

「人を雇うって、大変なんだと知りましたね」

その状況も楽しめたから続けていたが、NPOの活動に専念するため、店を引き渡した。

07性同一性障害だから見えた答え

居心地の良かったママ友の輪

市議会に勤めている時に、女性と結婚した。

3人の子どもが生まれ、家庭を築く。

夫婦共働きだったため、自分が子どもを公園などに連れていくことも多かった。

「当時は珍しい “イクメン” だったと思います」

「でも、私はママたちの集まりの中にいる状況が、居心地良かったんですよね」

「子どもを集団予防接種に連れていく時も、周りはママばかりだけど、その環境がしっくりきた」

「男でいることは無理なんだな、って気づきになりました」

性同一性障害という言葉の普及

20代から30代に突入したことで、女性として生きることが現実味を帯びた。

「20代のうちは、中性的な雰囲気でも、それなりに様になるじゃないですか」

「でも、30代に入るとおじさんっぽくなってきて、中性的であることがキツくなったんです」

そう感じ始めた頃、性同一性障害の特例法が成立した。

テレビを中心に、性同一性障害が取り上げられるようになっていった。

「私のひと世代くらい上で、会社を経営しているMTFの方の手記を見かけたんです」

「女性になったら接客業しかできないと思い込んでいたから、経営者がいることに驚きました」

「そして、隠すようなことでもなんだな、って思えるようになったんです」

いままでのように我慢せず、服装も女性的なものにしてみよう、と思うようになっていった。

女性らしくありたかった理由

当時のパートナーに「性同一性障害かわからないけど、女性になりたい気持ちがあった」と告げた。

病院で診察を受け、自分が女性なのだ、という確信を持つことができた。

「診断してもらったことで、脳が女性だった、と理解したんです」

「ジェンダーとは関係なく、女性らしくあることは、自分にとって自然なことだったんだって」

「脳が女性だから女性ものの服が着たいんだ、って理解することで、自分を受け入れることができました」

女性らしくありたい、とずっと思ってきた理由が、ようやくわかった。

パートナーは女性になることを認めてくれたが、離婚は避けられなかった。

それでも、自分の道を見つけられた気がして、前を向けた。

08娘として受け止めてくれる母

外見も名前も変える時

離婚とほぼ同時に、「優希(ゆき)」に改名し、ホルモン治療を始めた。

「すべて、同じ時期にやりました」

外見は女性なのに、名前は男性の頃のままという状態は、避けたかった。

「中間地点にいるような状態は恥ずかしい、って気持ちがあったんです」

「だから、休日だけ女装して出かけるとかも、できなかったです」

「変えるんだったら、全部変えたかった」

自分自身が “これでいい” と思えるまでは、実行に移せなかった。

その時が来たのだ。

家族へのカミングアウト

ホルモン治療を始めたことは、姉に伝えた。

「看護師をしていた姉は、理解してくれました」

姉は「お母さんは年だし、びっくりするだろうから、私が言っておこうか」と言ってくれた。

その言葉に甘え、姉から母親に伝えてもらった。

姉が「優希は女の子だったんだよ」と話すと、母親はこう呟いたという。

「いままで娘らしいことをしてあげられなくて、悪かったわ・・・・・・」

母親は昔使っていたアクセサリーを引っぱり出し、「あげたら喜ぶかしら」と話した。

「『本当は成人式で、晴れ着を着たかったでしょうに』って言っていたって、姉から聞きました」

「私の性別のことは、なんとなく気づいていたのかもしれません」

幼い頃を思い返し、「小さい頃からかわいかったもんね」と言ってくれる。

「優希ちゃんは、写真を撮ると首をかしげてた」「赤い服が好きだったね」と、過去を振り返る。

「母なりに戸惑いもあったと思うけど、否定的な言葉をかけられたことはないです」

母親の愛情とやさしさ

姉に伝えてもらった後、母親から思いがけない申し出を受けた。

「母は『絶対に喪服は必要だから』って、買い物に連れていってくれたんです」

女性ならではの気遣いで、母親のやさしさを感じた。

「ホルモン治療を始めて3カ月が経った頃、お葬式に出る機会があったんです」

「母が選んでくれた喪服があったから、女性として参列できました」

「今は、私が男性から女性になったことを忘れているのかと思うくらい、自然に接してくれます」

「優希ちゃんは、どこからどう見ても女よね」と言ってくれる。

「私が太った時には、『このままだと男に戻っちゃうわよ』なんて冗談を言っていました(笑)」

09胸を張って女性でいられる環境

同僚のリアクション

ホルモン治療を始めたのは、市議会に勤めている時だった。

治療を始める前に、同僚に伝えていった。

「14人ぐらいの部署だったんですけど、話しやすい人からカミングアウトしました」

もっとも親しい人に話すと、驚かれたが、「いいんじゃない」と言ってくれた。

2人目も「あなた自身のことだから」と、受け入れてくれた。

「最初の2人までは、打ち明けるのに時間がかかったけど、その後は気楽でした」

責任者の女性に話すと、「知ってたわよ」と言われた。

「『アイシャドウ塗ってるじゃない』って、カミングアウトするまでもなかったです(笑)」

新しい名前の名刺

同じ部署の半数には、順調に打ち明けられた。

「年配の男性にわかってもらうのは難しい印象があったので、最後は会議の場で時間をもらいました」

会議の最後に、自分が性同一性障害であることを話した。

初めて聞く人は、目を白黒させていた。

「だけど、半数は既に知っていたから、『問題ないんじゃない』って雰囲気でしたね」

職場の全員に知ってもらった後、上司にあるお願いをした。

「優希」名義の名刺を作ってほしい。

「すぐにOKが出たから、ウキウキしながら発注しました」

「『安間優希』って書かれた名刺ができた時は、すごくうれしかったです」

「自分が女性であることが、社会的に証明されたんだって感じたんですよね」

楽しくてしかたないショッピング

徐々に外見が女性らしくなっていくことで、いままで我慢していたことが、できるようになった。

「女性ものの服や下着を、堂々と買いに行けるようになったんです」

「いままではユニセックスっぽい服を選んでいたけど、リボンがついた服も着られるんですよ」

「ウィンドウショッピングが、楽しくてしかたなかったです」

「美容室に行くのは、少し緊張しましたね」

美容師との距離が近いため、男性だった過去がバレることを恐れた。

「でも、結局自分から『女性になったんだ』って話しちゃうんです(笑)」

「言わずにバレるのと、自分で打ち明けるのは、意味が違いますから」

女性として生活し始めた最初の1年は、やることなすことが楽しかった。

人生とはなんて素晴らしいのだろう、と思った。

「生まれてきた価値を、見出せたような気持ちでした」

「変化していく過程は、人の視線が気になる人もいると思うけど、私は見られることも楽しみましたね」

「自分で思っているほど女性らしくはないかもしれないけど、自分は女性だって思い込むことも大事」

10誰よりも自分が自分を認めること

自分が満足できる状況

戸籍を変えることは考えていない。

「そこまで適合させなくても、現状で満足できているからいいかな」

「性同一性障害って言葉に抵抗を感じる人もいるけど、私は何とも思わないです」

性同一性障害は、「心と体の性が一致していない」と説明されることが多い。

しかし、それだけでは正確ではないと考えている。

「体ではなくて、社会的に扱われる性別と自分自身の心の性別のズレなんですよ」

「体が男だと、社会的にも男として扱われるんですよね」

「自分が納得できる状態や環境に持っていくことができれば、性同一性障害ではなくなると思います」

ホルモン治療で体を変え、カミングアウトすることで職場での在り方を変えてきた。

その結果、自分らしくいられる状態を作れたから、戸籍を変えなくてもいい。

「自分がトランスジェンダーであることを、受け入れることも大事じゃないかな」

「私は完璧な女性にはなれなくて、トランスジェンダーじゃない人になれるわけではないんです」

「その事実を受け入れないと、どこまでいっても自分はこれでいいんだ、って思えないですよね」

誰よりも自分が自分を認めなければ、納得のいく状態には到達できない。

「私は性別適合手術をしていないから、温泉に行きづらいのは困ってるかな(苦笑)」

「今の奥さんと旅行に行く時は、ちょっとリッチに露天風呂つき客室にしています(笑)」

様々な生き方が許容される社会

現在抱いている目標は、LGBTに限らず、社会的少数派をサポートできる体制を作ること。

「私がLGBTに関する活動を始めた2009年頃、まだ名古屋にはLGBT関連の団体がほぼなかったんです」

日本全国で見ても、LGBTに関する団体は少なかった。

海外と比べて、当事者側の意識や活動が遅れていることを感じた。

「だから、まずは世間に知ってもらうために、『虹色どまんなかパレード』を企画したんです」

「何かを訴えるためではなくて、当事者自身が発信することを経験するために始めました」

「今でもまだ十分ではないけど、2009年と比べると変わってきましたよね」

社会の変化を間近で見ながら、いろいろな人が様々な生き方をできる社会を作りたいと思った。

そして、社会を変えるためには、活動に関わっていない普通の人に届かないと意味がない。

「運転免許の書き換えに行くと、世の中にはこんなにいろんな人がいるんだ、って感じるんですよね」

「雑多に集まった人たちこそ、世の中の平均だと思います」

「だから、この場にいる人たちに届けるにはどうしたらいいかな、って考えるんです」

その答えが、見つかっているわけではない。

しかし、社会的少数派も胸を張って生きられる社会にするため、模索し続けていきたい。

女性らしくありたかった理由を、長い時間をかけて見出していったように。

あとがき
初めましての距離を感じさせない親しみ深い優希さん。明るいテンポで話しを続けた。過去とくくれることもあれば、現在進行系の関わりもあるから、できるだけネガティブな気持ちを誰かに運ばないように?と感じた言葉の数々■「受け入れることが大切・・・」と、とてもスッキリと語る。もしかしたら、過ぎた日の優希さん自身へ届けたメッセージなのかもしれない■強く立っていられる日も、そうでない日も、今は愛する人がいつもそばにいてくれる。(編集部)

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