02 勝気な同級生と厳格な母親
03 鬱屈したリアルからの脱出
04 再び突きつけられた現実の重み
05 同級生からの告白、そして
==================(後編)========================
06 レズビアンなのかもしれない?
07 初めての失恋と湧いた疑惑
08 家族へのカミングアウト
09 自分だけのジェンダーを探して
10 性のあり方は多彩であっていい
01ファンタジーが好きな女の子
現実ではない世界
手元にある、母親が撮影した幼い頃の写真には、楽しそうに笑いながらカメラのファインダーを覗き込む、20年前の自分の姿がある。
「とにかく昔から身体を動かすことが苦手で。幼稚園が終わっても、公園や外で遊ぶことがほとんどなかったんです。いつも家に籠っていたから、ものすごく太った子供でした」
「4、5歳の頃、既製服が全く身体に合わなくて。仕方がないから母が服を作ってくれていたんです」
成人した今も、どちらかといえば性格はおっとりした方だ。
それは生まれた時から、そうだったのかもしれない。
「赤ちゃんの頃も、寝返りができるようになるまで、相当時間が掛かったらしくて。それが理由で、町の健康診断に引っかかったことがある、と母に聞かされました」
小学校に上がっても、クラスではあまり目立たないタイプだった。
活発な女の子のグループには決して混ざらない、むしろ興味も示さなかった。
そんな時に出会ったのが、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』だった。
「「こんな面白いものがあるなんて、と衝撃でした。しかも原作があると知って、早く続きが知りたいと思いました」
「母に頼んで図書館で借りてきてもらったんです。現実ではない夢想の世界に、どんどんのめり込んでいきました」
ファンタジー小説への興味は『ハリー・ポッター』シリーズに止まらず、『ライラの冒険』や、ミヒャエル・エンデ作『モモ』にも派生していった。
読書に熱中するあまり、夜更かしすることも増えた。
のちに図書館司書を志すようになるが、この書物とのワクワクするような出会いも、その一因だった。
リアルな恋愛
ハリー・ポッターとチョウ・チャンの初恋の物語は、架空の世界の話だが、それに没頭していた小学生より前、幼稚園の頃に、自分にも初恋が訪れていた。
「まだ幼稚園児なのに、彼に結婚を迫ったんです(笑)」
当時、仲の良かった女友達も、実は彼のことが好きだった。一人の男子を二人で奪い合う。
幼稚園にして三角関係を体験した。
「その女友達と二人で『あんた、私のこと、好きやろ? そやったら結婚しようよ』って、ものすごい勢いで凄んだんです。二人から同時にプロポーズされて、きっとその男の子、困ったでしょうね(笑)」
「そうしたらその男の子、私を選んでくれたんです。だからといって、付き合うとかそういうのでは、なかったんですけど」
仲の良い男の子に恋心を抱く。誰もが経験したような、幼少期の思い出だ。
02勝気な同級生と厳格な母親
いけずな級友
没頭していたファンタジー小説の世界から、自らの現実に目を向ければ、決して見過ごせない問題があった。
小学校1年生から緩やかに始まっていたイジメが、だんだんとエスカレートしてきたのだ。
「すれ違いざまに『チビ、デブ、死ね』って言われることが多くなったんです」
「確かにお世辞にも、スマートとはいえない体型でしたけれど、なぜ何も悪いことをしていないのに、そんな酷いことを言われなければならないのか。初めてけなされたときは、落ち込みました」
「小3くらいになると、女子もお洒落に気を遣い始めるので、目立つ子とそうでない人で、グループが形成され始めるんです。お洒落なグループの女子から、とくに『キモイ』というような言葉を掛けられる機会が増えたんです」
図工の時間に完成させた工作物を壊されたり、手に接着剤をかけられたり。
イジメの内容は徐々にエスカレートしていった。
「同級生の発言に、どんどん過敏に反応するようになりました」
「小5のとき、運動会の入場行進の練習で、自分だけ周りと歩調がずれてしまったことがあって。後列の子たちに一斉に注意されたんです」
「よく考えたら自分をいじめていたのは、クラスの一部の人なんですけど。でも全員から、言葉でなじられているような気がして、練習後、教室に帰る途中も、涙を流して泣いていたんです」
そんなとき自分を救ってくれたのが、小学校中学年のときにいた、数少ない友達だ。
「『どうしたん?』と心配して駆け寄ってきてくれて。保健室に一緒に行ってくれました」
「それからクラスで辛いことがあると、保健室に駆け込むことにしたんです」
「精神的に辛い時は、保健室に行っていいのかもしれない」と感じた。
保健室のドアをほんの少し開けて覗くと、先生も「入っていいよ」と言ってくれることが多かった。
本当は逃げることに罪悪感はあったけど、そうするしかなかった。どの年次の担任の先生も、自分の目からすると、助けてはくれない、と感じていたからだ。
しつけに厳しい母親
家庭でも居心地の悪さを感じて育った。
母親の過度な期待に、押し潰されそうになりながら。
「小さな頃から、とにかくずっと怒られながら育てられた気がします。それが一番上の子どもだった私への期待から来るものだった、と思えるようになったのは、ごく最近のことです」
母親の仕事は助産師だった。妊娠や出産に関わる、人の命を扱う、非常に大きな責任を伴った仕事だ。ゆえに昔から、自らにも厳しい人だったのだろう。
その人間としての正しさを追求する姿勢を、娘にも受け継がせたい。
そんな思いから、あえて我が子に辛く当たっていたのかもしれない。
「自分の行動すべてに口を挟んでくるうえに、勉強をしなさいとうるさく言われて。行きたくないのに、小学校高学年からは塾にも行かされました」
「あまりにも自分に干渉してくるので、母のことは好きじゃなかったんです」
しかし無理やり通わされた塾は、小学校でのイジメから抜け出すためのきっかけを与えてくれた。
「少しでも高いレベルの教育を受けさせようと、母は学区外の中学校への進学を希望していました」
「これはチャンスだと思ったんです。『いじめっ子と同じ中学校に行きたくない』と心の底から思っていましたから。学区外の中学校へ入ってしまえば、イジメの連鎖を断ち切れると思ったんです」
結果、奈良の国立大学の附属中学校に合格した。
当時住んでいた京都府南部からは県境を越えて通学する。
いじめっ子からは完全に隔離された新しい世界への切符を、自らの実力で手に入れたのだ。
03鬱屈したリアルからの脱出
苦悩から逃れた先に
「環境が変わったので、自分も新しく生まれ変わって生きよう、と思いました。
できればクラスで目立つような存在“お洒落グループ”に混ざりたいと考えたんです」
小学生の時はオンエアチェックしていなかった『ミュージックステーション』などの音楽番組を観て、ヒットしている音楽を知ろうと思った。
またテレビドラマも、まめにチェックするように。
ファッション誌もこまめに読むようになり、休みの日には友達と出かけることも増えた。
「でも結局、無理をして自分をよく見せたいと思っていただけなので、長くは興味が続かなかったんです。こういう頑張りは自分には合わないと思って、ある時やめることにしたんです」
クラブ活動は、音楽クラブでパーカッションを担当していた。
小学生の時は4年生が科学部、5年生でパソコン部に所属していたが、6年生で金管バンド部に入ってアルトホルンを担当、音楽の楽しさに目覚めた。
「小学生6年生の延長で、中学でも音楽部に入りました。けれど、なんとなく同級生と合わなくて、2年生の時にやめてしまったんです」
環境が変わっただけで、人はなかなか生まれ変われないものなのだろうか。そう思い始めたとき、最良の仲間との出会いがあった。
気の合う仲間たち
「通っていた学校は最寄駅からも相当離れた場所にあるのですが、そのぶん、とても緑豊かな場所に立地していて。なんせ敷地内に古墳があるくらいなんです。入学したとき、さすが奈良、と思いました」
そんな豊かな自然環境にあるからだろうか。「裏山クラブ」という一風変わった名前の部活があった。
「仲の良い女友達が所属して『楽しいよ!おいでよ!』と言われて、覗きに行ってみたんです。みんな制服で、学校の裏山を思いっきり、駆け回っていて」
「今まで、あまり身体を動かすことは好きじゃなかったんですけど、みんな本当に楽しそうにしていて。これだ、と思いました」
早速、入部することに。
大自然にツリーハウスを作った。火起こしや、きのこ栽培も体験した。
おまけに裏山クラブの仲間はみんな大らかで、細かいことは気にしない人ばかり。とにかく居心地がよかった。
「自分らしくいられる場所を見つけることができたから。中学校時代が人生でいちばん、楽しかった時期かもしれません」
実は裏山クラブに入る前、音楽部で淡い恋も経験した。
色が白くて線の細い男子のことが気になり、ああこれは恋心だなと感じた。
他の女子も彼のことが好きなのが分かっていたから、遠慮しようかと思ったが、どうにも思いを抑えきれず、手紙で告白した。
その答えを、本人から聞く事はなかった。
人づてに「無理らしいよ」と言われ、気持ちが伝わらなかったことを知った。
成長期を迎え、胸が大きくなり、中学入学前に初潮も体験した。少しずつ大人の女性へと変貌を遂げていく、自らの身体。
けれどそれがおかしい、と感じたことはなかった。
ただ一人の女子中学生として、青春を謳歌する日々だった。
04再び突きつけられた現実の重み
音楽をやりたい
しかし楽しい時間にも、やがて終止符を打たねばならない時がやってくる。
気の合う仲間たちとの別れは胸が張り裂けるほど悲しかったが、学び舎を離れることとなった。
「仲間と合わないという理由でやめた中学校の音楽部でしたけど、引きつづき音楽は好きだったんです。卒業後の進学先を考えたときに、自分の志を追求できる場所に行こう、と考えました」
強い合唱部がある、地元の公立高校に入学した。これからの3年間、勉強よりまず部活を頑張ろうと考えていた。
「だから高校でも、部活で音楽を頑張ろう、と思ったんです。合唱部への憧れもすごく強かったのを覚えています」
立ちはだかる壁
しかし現実は理想と違った。
入部した合唱部は3学年で60人の大所帯。統率を取るために、当然、厳しいルールが存在した。
また、自主性も求められた。
「練習で、みんなの前で発言することを強いられるのですが。緊張して何も言えなくて。積極性がないと責められることが多くて、精神的にも疲弊する日々が続きました」
加えて、朝練、昼練、夜練、と拘束時間も長かった。
昼は音楽室に集まって短時間で食事をとり、練習にせねばならないが、ストレスで食事が喉を通らず、一時は体重が35キロまで落ちたこともあった。
「関西では有名な合唱部だったので、指導する先生も厳しい。自分のためを思って注意してくれていたということは、今なら有難かったと思えるのですが、当時は周りに付いていくのに必死で、余裕が全くなかったんです」
中学生の裏山クラブの時とは違い、悶々と、思い悩む日々が続いた。
05同級生からの告白、そして
好きなものは好き
それでも部活をやめられなかったのは、音楽への思いがあったからだ。
もちろん、やめた後に、クラブの仲間から後ろ指を差されることは避けたい。
でも、それだけが理由ではなかった。
「部活の同級生も必死だから、私ができていないと、手厳しく注意してくるんです。先生に言われるより、仲間に怒られる方が精神的に厳しかったですね」
「練習や大会の反省会のとき、何も発言しないでいると、『植山は積極性がない』って、同級生に怒られることも多くて。集団行動が苦手なうえに、多くの人の前で発言することも不得手だったので、ヘコんでばかりいました」
そんな苦悩する高校生活。実は部活以外でも困難に直面していた。
同級生、しかも同じ女子から、愛の告白を受けていたのだ。
友達と恋人に?
「高校に入って、最初に仲良くなった同じクラスの女友達から、突然『あんたのことが好き』って言われたんです。それからは毎日、『好き』『好き』言われるようになって」
はじめは『好き』の意味がわからなかった。「友達としての好きなのか、それとも?」と真意を測りかねた。
やがて「私、バイセクシュアルやねん」というカミングアウトの後、「付き合って」と告白された。1年生の6月のことだ。この時に「好き」が、恋愛のそれであったと気づいたのだ。
「『バイセクシュアル』の意味がわからなくて。電子辞書で調べている自分がいました」
学校で周囲を見渡しても、相談できる人は誰もいなかった。
インターネットで検索しても、そこに答えは見つからない。
「自分と同じように、同性から告白されて悩んでいる人と全然アクセスできなくて。相談できる人がいないから、本当にしんどくて」
「部活で忙しくて、余裕なんて一切ないのに。でも友達の告白を無視することもできないし、一人で悶々と悩むしかなかったんです」
しかしこの状況を、いつまでも放っておくことはできない。決断の時は迫っていた。
<<<後編 2016/10/2/Sun>>>
INDEX
06 レズビアンなのかもしれない?
07 初めての失恋と湧いた疑惑
08 家族へのカミングアウト
09 自分だけのジェンダーを探して
10 性のあり方は多彩であっていい