02 おサル顔がタイプ!?
03 身長が伸びないように
04 ゲイ界隈との出会い
05 つらかった就活
==================(後編)========================
06 「陰キャ」から脱却
07 MTFを知って
08 家族へのカミングアウ
09 LGBTQファッションコンサルタントに
10 人生一度きり!
01精神年齢高めの子ども
子どもながら、両親に配慮
宮城県・仙台市で、家族とともに32歳まで長らく過ごしてきた。
「子どものころは、大人しくて静か。親からは、ほとんど泣かない子だったって聞いてます」
子どもなのにそれほど静かだったのには、理由があった。
「両親が、私が生まれたころにはすでに仲が悪かったみたいで・・・・・・」
家庭の空気を察して、自分のせいでこれ以上両親に迷惑をかけてはならない、と感じていたのだと思う。
「もしかすると、家庭内にさらなる波風を立てないようにと思って泣かなかったのかもしれないですね」
両親は私が小学校4年生のときに別居し、私と兄は母と一緒に暮らすようになった。
THE 昭和の男・兄
3歳上の兄は、見た目も性格も、穏やかで陰をまとっていた私とはまるで正反対。でも、幼少期はよく一緒に遊んでいた。
「小学生のうちは、兄と友だちと3人でゲームとかで遊ぶことが多かったですね。小さいころは、兄にくっついて行動するタイプだったかも」
でも、兄が中学校に進学するといよいよ生活が荒れ始め、家に帰ってこないことが増える。
「兄は、いろいろだいぶヤンチャでしたね(苦笑)」
そのころから10年くらいは、兄と顔を合わせる機会もめっきり減り、会話をすることもなかった。
02おサル顔がタイプ!?
遊び相手は女子
小学生のときの遊び相手は、男子よりも女子のほうが多かった。
「本当に仲のよかった男の子一人以外は、だいたい女子と遊んでました」
「ドラゴンクエストの『バトルえんぴつ』が流行っていて、それでよく戦ってましたね」
バトルえんぴつ、通称「バトえん」。鉛筆をころころと転がすことでバトルする、当時子どものあいだで大流行した文房具だ。
「私の家はそんなに裕福じゃなくてあまりバトえんを持ってなかったので、たくさん持ってる友だちから借りることが多かったです」
気になるのは男子
小学校5年生のころ、男子に興味を抱いていることに気づく。
「男女一緒に体育の授業で着替えをしているときに、女子じゃなくて男子を目で追ってましたね」
そのとき気になっていた相手は、クラスで学級委員を務めるスポーツ少年。でも、少女マンガに登場するようなキラキラした男の子とはちょっとちがう。
「イケメンより、動物っぽいというか、素朴な感じというか、ちょっと垢抜けてない感じの人がタイプなんですよね(笑)」
とはいえ、相手はクラスのリーダー的存在、私は目立たないタイプ。話しかけることすらはばかられ、遠巻きに眺めるだけで精いっぱいだった。
03身長が伸びないように
女子と疎遠に
中学生になると、なにかと男女に分かれる場面が増えたことが影響し、仲のよかった女子の友人ともまったく関わらなくなってしまう。
「思春期の男女が仲よさそうに話してたら、周りから『付き合ってるのかな』って思われるかもしれない、って恥ずかしくて・・・・・・」
「仲のよかった5人くらいの男友だちとしか話さなかったです」
心を惹かれる相手は、やはり女子ではなく男子。でも、自分の本当の気持ちは口にできないため、男子と恋バナになったときの対策もしていた。
「いまは好きな人はいないかな、ってはぐらかしたり、そのとき人気だった女優の名前を言ったりしてました」
「同級生の女子の名前を出すと噂になったらまずいので、言わないようにしてましたね」
運動部の「声出し」に抵抗感
部活動は、バドミントン部に所属する。
「小学生のときに、市民体育館で父と兄とバドミントンで遊んだことがあったので、多少はできたんですけど・・・・・・」
練習中や、バドミントンの一挙手一投足のたびに、声を出すことを求められた。
「私、ぜんぜん大きい声を出せなくて・・・・・・。本当に無理だったんですよね(苦笑)」
「あと、その当時はまだ『水を飲むな』っていう指導が残ってたころで、それもつらかったですね・・・・・・。いま思うと、あれは一体なんだったんでしょうね(笑)」
1年弱続けたが、限界に到達してとうとう退部する。
「いまだったら、自分には合わないと思ったものはすぐにパスできるんですけど、そのときは引っ込み思案だったから辞めたいってなかなか言い出せなくて、1年我慢して頑張りました(笑)」
そのあとは友人に誘われて「科学工作部」に転部したが、実質的には帰宅部状態だった。
かわいい制服のほうがいいな
中学生になって、ジェンダーに対する違和感が強まった。
「なんで自分の制服はスカートじゃないんだろう? とまではいかなかったですけど、女子のかわいい制服を着てみたいな、とは思ってました」
「男子の制服がブレザーだったので、まだ耐えられてたのかもしれないですね。学ランだったら、もっときつかったかも・・・・・・」
身体的な性別違和も感じていた。
「胸も出ないし、下にはなんでこんなものがついてるんだろう、って・・・・・・」
母が留守のときに、母の下着を身に着けてみたこともある。
「自分のなかで心地よかったし、しっくりきた高揚感がありましたね。別に母の下着は、レースの付いたかわいいものではなかったんですけど(笑)」
急激に伸びた身長も、多くの男子のようにはよろこべない。私にとっては、むしろ悩みの種だった。
「もともと小学校6年生の時点で157センチくらいあったんですけど、中学校1年で12センチくらい伸びちゃったんです」
このペースで身長が伸び続けたらまずい! と思い、当時たくさん飲んでいた牛乳を控えるように。
「いま思うと、かわいい抵抗ですよね(笑)。でも、それからは本当に年に数センチくらいしか伸びなくなったので、効果はあったのかもしれません」
幼少期の将来の夢は「かわいい販売員」だったが、現実的にはあまり思い描けなかった。
「花屋さんとかケーキ屋さんとか、女性が多い販売員さんがかわいくていいな、って思ってたんですけど、高校生に上がるころにはテキトーに公務員とか、現実的なことを口にしてたと思います」
04ゲイ界隈との出会い
卓球部も挫折
地元の県立高校に進学すると、今度は卓球部に入る。
「高校に入って初めて仲良くなった子が卓球部に入るというので、流されて入りました(笑)」
卓球部は、中学のバドミントン部のような体育会系のきつさはなかったが、競技自体に苦戦することに。
「卓球って『回転のスポーツ』なんですよね。相手の打った球がどの方向に回転してるかを読めないと、試合にならないんです。私は、縦や上の回転がぜんぜん読めなくて、ダメでした・・・・・・」
卓球部も、1年ほどで辞めた。
カードゲームに興じる
卓球部を辞めてからは、教室で友人とカードゲームに興じる時間が一番の楽しみとなる。
「UNOが一番好きでしたね。あとはトランプでも遊びました」
放課後は、高校と自分の家との間に位置する、祖母と父の住む家によく立ち寄った。
「自分の家から祖母の家までは、自転車で30分くらいのところにありました」
「両親が別居して父と離れて暮らすようになってからも、父とまったく会わなくなったわけじゃなくて、祖母の家によく行き来して、父とも会ってました」
幸い、父に会いに行くことを、母からとがめられることもなかった。
「でも、いま思えばその時間、アルバイトすればよかったです(苦笑)」
近所の古本屋で
高校生になってあこがれた相手は、サッカー部に所属する男子だった。
「話しかけてみたい気持ちはあったと思うんですけど、そのときまだ私は暗かったから、その気持ちを封印してカードゲームとかに意識を向けてたのかもしれないですね・・・・・・」
男性への淡い想いを心に秘めながら、物静かな男子高校生として日常を送っていたある日、近所の古本屋にふらっと立ち寄る。
「たまたま男性同士が写っている雑誌を見かけたんです!」
見つけたのは、当時販売されていたゲイ向け雑誌『Badi(バディ)』だった。
「こんなものがあるんだ! って衝撃を受けました」
当時は、「ゲイ」や「トランスジェンダー」といったセクシュアリティに関する知識もまだない。
「『おかま』をなんとなく聞いたことがあるくらいで、そういう人は別世界の話だと思ってたんです。なのに、近所の古本屋っていう身近なところで見つけたことに驚きました」
その日は雑誌を買わずに帰宅したものの、表紙のインパクトがどうしても頭から離れず、後日お小遣いで購入。
自室でこっそりページをめくった。
ただ、購入したのはMTF(トランスジェンダー女性)向けのものではなく、あくまでゲイ向けの雑誌。
私はたしかに男性に興味はあるが、「男性として」男性に興味があるのではない。
「性的指向と性自認を分けて考えるっていうことを、もちろん当時は知らなかったので、読んでみると『これだけど、これじゃない』っていう、言語化できない違和感がありましたね」
「でも、雑誌にたまたま載ってた人の色黒な見た目とかが、自分の好みに割と近かったので、結局10冊くらいは買いました(笑)」
買った雑誌は自室に隠していたが、それを家族に見られてとがめられたことはなかった。
「もしかしたら母が見つけてた可能性はありますけど、『あの雑誌、なに?』とか言われたことはないですね」
05つらかった就活
少しずつ中性的なファッションを楽しむ
地元の大学に進学すると、行動範囲が広がる。
「単発のアルバイトでお金を稼いで、友だちといろんなところに行く機会が増えました」
服装は相変わらずメンズものを選んでいたが、髪をより長く伸ばすなど、中性的な装いをするように。
「中学でバドミントン部を辞めてからも、髪をちょっと長くしてたんですけど、大学のときは女性のショートボブくらいまで伸ばしてました」
カミングアウトも少しずつ
高校3年生のときに、幼馴染の友人にはじめてカミングアウトした。
「友だちの家の広い庭に座って、川の流れを眺めてるときに、好きになる相手が男子であること、女性になりたいと思ってることを伝えました」
相手は「なんとなくわかってた」と受け入れてくれた。
「最初のカミングアウトで受け入れてもらえたことは、本当にありがたかったなと思います」
それから、大学で仲良くなった友人にも少しずつカミングアウトした。
「ある程度仲良くなったタイミングで、この人なら大丈夫だろう、って人に伝えてましたね」
就活で求められる男らしさ
自分のセクシュアリティを言語化し、カミングアウトの範囲も広がっていた矢先、「男性として」の就職活動が高い壁となって立ちはだかった。
「メンズスーツを着て、男らしい立ち居振る舞いを求められることが本当に苦痛で、どうしてもできなくて・・・・・・」
しかし、就職活動がうまくいっていないことを、だれにも相談できなかった。
「カミングアウトした友だちは結局のところストレートですし、理解してもらえないだろうって思っちゃったんですよね・・・・・・」
「もしタイムマシンであのころに戻れたら、『友だちに相談せい!』って自分に言いたいです(苦笑)」
将来やりたいことが明確に定まっていなかったこともあり、就活で挫折。
「当時、病院には行ってないですけど、多分1年くらいはうつ状態だったんじゃないかなと思います・・・・・・」
とりあえず大学を卒業したり休学したりする、という選択肢を考える余裕もなく、やむなく中退。しばらく家に引きこもるようになる。
<<<後編 2024/12/06/Fri>>>
INDEX
06 「陰キャ」から脱却
07 MTFを知って
08 家族へのカミングアウト
09 LGBTQファッションコンサルタントに
10 人生一度きり!