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将棋にかけた青春と母への思い。そして、今、新たな一歩【後編】

将棋にかけた青春と母への思い。そして、今、新たな一歩【前編】はこちら

2020/11/05/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Shintaro Makino
冨澤 智理 / Tomori Tomizawa

1988年、埼玉県生まれ。母、姉の3人家族に育つ。小学校6年生のときに母親が病に倒れ、早くから責任感を培う。中学は不登校、高校は中退とハンデを負うが、15歳からさまざまな仕事のキャリアを積んで跳ね返す。将棋のプロを目指した10代、23歳でのFTM自認と荒波の人生を乗り越えた。2020年、コーチングコーチとして新しい一歩を踏み出した。

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INDEX
01 性格がまったく違う姉妹
02 たくましい母の姿
03 どっちのグループにも入れない
04 自分のセクシュアリティに抱いた疑問
05 苛立ちが募る中学生活
==================(後編)========================
06 将棋の世界でプロを目指す
07 町の将棋道場からプロ門下生に
08 やっぱり、ぼくは男だったんだ
09 母へ、涙のカミングアウト
10 FTMのカミングアウトを支援したい

06将棋の世界でプロを目指す

学校なんかいきたくない

中学2年生に進級した頃、学校での孤立感は限界を越えた。

「こんな楽しくもない学校になんかいきたくない、って思い始めました。もっとほかのことに時間を使いたいと思ったんです」

そして、中2の途中から、ついに学校にいかなくなってしまった。
母に相談すると、「学校がすべてではないからね」と理解してくれた。

中3で転校。
しかし、状況は変わらなかった。

「転校してきた問題児なんか、放っておけ、という感じでしたね」

不登校の生徒をなんとか助けようという考え方は、今ほど一般的ではなかった。

「先生にしても、目の上のタンコブだったんじゃないかな」

新しい中学には数日通っただけで、3年生はまるまる休んでしまった。

「ぼくも放っておいてほしい、という気持ちになっていました」

本格的に将棋を始める

そんなときに心をとらえたものがあった。
将棋だった。

「山形は将棋の本場なんです。小学4年生から、母の親戚と将棋を指してお小遣いをもらっていました」

幼い頃に親しんだ将棋を本格的に学んでみようと志をたてた。

「学校に行かなくなった理由を将棋に求めた、という意識もありました」

最初に挑んだのは、オンラインでの対局だ。

「けちょんけちょんにやられました(笑)。でも、プロを目指す、という目標を立てました」

度重なる敗北が負けず嫌いの心に火をつけ、研究心を煽ったのだ。

オンラインでは、自分のキャラクターを設定し、対局者とのスケジュール調整を行うシステムになっていた。

「相手とのやり取りを母に任せました。それが、当時の母にとっても外界とつながるコミュニケーション・ツールにもなりました」

母は、マネージャーのような存在だ。
こうして、二人三脚の将棋チャレンジが始まった。

最初の仕事は塗装工

「一時は生活保護を受けていたんですが、姉とふたりで働いたほうが有利だろうと計算して。頼りはお互いしかいないから、頑張ろう、と励まし合いました」

姉は、すでにパチンコ店などでバイトを始めていた。
最初に就いた仕事は塗装工。15歳のときだった。

「その頃住んでいたアパートが外壁を塗り替えることになって・・・・・・」

聞いてみると、作業を請負った塗装会社は、オーナーの親戚だという。

「その人に頼み込んで、手伝わせてもらうことになりました」

年齢の問題があったので、誰かの紹介でなければ仕事をできなかった。

「身軽だったんで足場の上も得意でした。ニッカポッカを履いてみたいという下心もありましたね(笑)」

当時のぼくは、若い女の子扱い。珍しかったらしく、職人さんたちともすぐに仲良くなった。

「仕事は楽しかったですね。1年くらい、その会社にお世話になりました」

07町の将棋道場からプロ門下生に

将棋漬けの日々

「将棋の魅力は、実力がはっきりと出るところ。それと、先を読む頭ですね」

中学3年生のときに、市内の将棋道場に通い始めた。

「同じ道場に通っていた高校2年生のお兄ちゃんと知り合って、とてもかわいがってもらいました」

毎日、その人と将棋を指し、研究を重ねる。

「年配の女性への対局指導も、その人と一緒にしました」

1年くらいで初段を取り、市内の大会で腕試しをするようになった。

「勝ちと負けがはっきりしているところが、性に合っていたんでしょうね」

ますます将棋に打ち込み、ついにお兄ちゃんに勝てるようになったとき、ステップアップを進言された。

「本当にプロを目指すなら、プロの門下に入ったほうがいいとアドバイスされました」

18歳で、ワンランク上の扉を叩くことになった。

当然、レベルも高くなる。環境が変わり、将棋に打ち込む姿勢もさらに真剣になった。

「1日18時間くらい、将棋のことを考えていましたね」

プロになること以外の目標は考えられなくなった。

難関高校を受験

中2の途中から学校に通うことをやめてしまったが、高校受験にはチャレンジすることにした。

「将棋のプロを目指すのはいいけど、万が一、うまくいかなかったときの抑えがあったほうがいいんじゃないか、と母にいわれたんです」

自分では進学するつもりはなかったが、母の一言で考えが変わった。

「最初は通信制でもいいと思っていたんですけど、どうせなら上を目指そうと気持ちを切り替えました」

中3の夏から、睡眠3時間で猛勉強に取り組んだ。

「スイッチが入るまでに時間がかかるけど、いざ、取り組むと必死になるんです(笑)」

負けず嫌いの性格が功を奏し、偏差値70を超える難関高に見事合格。

「でも、やっぱり仕事との両立が難しくて・・・・・・」

せっかく合格した高校だったが、1学期通っただけで中退してしまった。

08やっぱり、ぼくは男だったんだ

将棋をやめる勇気、覚悟

20歳のときに大きなターニングポイントを迎える。

「将棋のプロを諦めることにしました」

理由はいくつもあった。

一蓮托生で頑張ってきた姉が家を出て、ひとりで家計を支える日が続いていた。

「仕事を3つ、かけ持ちでこなしてました。一日中、仕事に追われながら、片手間で合格できるほど、プロ試験は甘くないと気づいたんです」

門下に入って、そう実感した。
しかも、プロになるには26歳という年齢制限がある。

「だんだん、本当にプロになれるのか、という疑問も沸いてきました」

スランプのとき、勝てないときは、「もうやめたい」と落胆することもあった。
そんなとき、小学生で入ってきた、のちにプロになる男の子と対局して限界を悟った。

何かを始める覚悟も大切だが、やめるにも覚悟が必要だ。

「いい思い出がたくさんできました。勇気を持って、やめる決断をしました」

これ以上、すがりついて、将棋を嫌いになりたくない、という気持ちもあった。

「今でも、気力が落ちそうになったときに将棋を指します。将棋は、今もいい友だちです(笑)」

新しい出会い

それからは働くことに集中し、より単価の高い仕事を選ぶようになる。
幸いにも、母の体調がよくなり、約8年間の闘病の末、社会復帰が叶った。

「状況は変わりましたけど、必死で働く気持ちは変わりませんでした」

ビル施設のコンシェルジュ、塾の営業など、いくつもの仕事を渡り歩く。

「ようやく、自分自身のことを考える余裕ができたのは、23歳のときでした」

きっかけは、好きな人ができたことだった。

「ぼくがビル施設のコンシェルジュをしていたとき、テナントで働いていた4歳年下の女の子でした」

なんと、テナントで働く女性の間で、こっそり自分のファンクラブができていた。

「そのこと自体、驚いたんですけど(笑)」

誕生日にファンクラブの名簿を渡され、その子の名前も名簿にあった。

「それがきっかけで、つき合うようになりました」

セクシュアル人生の始まり

中学以降もセクシュアリティに関する違和感は感じていた。

「気になる女の子もいましたけど、恋愛で悩みを増やす気になりませんでした。その頃は、家のことで手一杯で、ほかに辛いことを抱え込む余裕はなかったから」

「好きになっても、面倒なことになるだけでしょ。好きになる前に諦める、という感じでしたね」

性同一性障害という言葉も知る。

「ネットで調べたりもしましたけど、それ以上はありませんでした」

「男になりたい」という主張はなく、「何で女なんだろう」と、ネガティブに自問自答するだけだった。

つまり、自分のなかで、セクシュアリティの優先順位は低いままだったのだ。

それが、初めて女性とつき合うことで目の前に浮上してきた。

「ああ、やっぱりぼくは男だったんだ、と如実に知らされました。今まで誰にも打ち明けられなかった、家の事情も彼女には話すことができました」

「彼女は、ぼくを傷つけないためにはどうしたらいいのか、とてもやさしく考えてくれました」

09母へ、涙のカミングアウト

話があるんだ

彼女とのつき合いは、自分自身と正面から向き合うきっかけにもなった。

「それまでは、自分を認めるのが怖かったんだと思います」

「自分の生き方がはっきりすると、大切な人にきちんと筋を通したいと思うようになりました」

次にするべきことは、母へのカミングアウトだった。

ある日、「話があるんだ」と、切り出した。

「何度も練習したはずなのに、なかなか肝心なことがいえませんでした」

40分間も、喉元まで出かかった言葉を呑み込むことを繰り返した。

「そのうち、母のほうから、そんなにいいづらいことなの? と助け船を出してくれました」

そして、「当たっていたら、頷いてくれ」といった。

「彼氏ができた?」
「違う」

「妊娠した?」
「それも違う」

「それより重いことがあるの?」と、母は考え込んだ。

「そして、ついに『もしかしてだけど、男、なの?』といいました。そうなんだと、頷いた瞬間に涙がこぼれ落ち、止まらなくなった。

パートナーを紹介し、開放感が広がる

母は「今、考えると、いろいろなことが腑に落ちた」と過去を振り返った。

「・・・・・・これまで辛いことがたくさんあったでしょ、我慢させてごめんね、と受け入れてくれました」

一方で「受け入れはするけど、理解はできない」「これから、男として生きていくなら、それなりの覚悟をしなさい」とも。

「世間にはすぐに受け入れてくれる人ばかりいない、という意味だったと理解しました」

新しい人生を見据えて、母の言葉をしっかりと受け止めた。

「周囲へのカミングアウトは、Facebookを通じて行いました。賛否両論、いろいろなコメントをもらいましたね」

お世話になった人たちに伝えられたことで、気持ちが楽になった。

「彼女を母に紹介したのは、それから少ししてからでした」

彼女に会ってほしいというと、「好きになるのは女性なのか」と聞かれ、「ずっとそうだった」と答えた。

「母は、自分の子どものようにパートナーと接してくれました。ぼくの幸せをどこまでも望んでくれたんだと思います」

カミングアウトと彼女の紹介を終えると、より一層の開放感が広がった。

ホルモン治療に踏み切る

次の目標は、ホルモン治療だった。

「10代の頃に治療のことを知って、いつかやってみたいと思ってきました」

しかし、彼女も母も治療には反対だった。

「そこまでしなくてもいいんじゃないか、というのが彼女たちの意見でした」

何度も話あったが、賛成はしてもらえなかった。

「でも、ぼく自身に迷いはありませんでした。違和感をなくしたいという気持ちが強かったんです」

ガイドラインに沿ったカウンセリングを受けると、意志はさらに固くなった。

「誰がなんといってもやる。そう意思表明をしたんです」

26歳のとき、ホルモン治療を開始。

「治療をしてよかったと思ってます。そして、オペが次の目標になりました」

次第に男性の体に変わっていくと、「智加」という女性の名前がそぐわなくなった。

「母にもう一度、名前をつけてほしいと頼みました」

「智」という文字が気に入っていたので、それを残したいと希望を伝えた。

「母の答えは、智理、でした」

戸籍変更届けを出し、冨澤智理としての人生が始まった。

10 FTMのカミングアウトを支援したい

破談になった婚約

ふたりめの彼女は、中学校の同級生だった。

「実は、中学の頃、いいなぁと思ってた子でした(笑)」

たまに連絡は取り合っていたが、家が近所だったこともあり、再会を果たした。

つき合いは順調に進み、婚約を交わすまでに至った。

「相手のお父さんは寛容な人だったんですが、お母さんが孫の顔を見たいといい出して・・・・・・」

将来、オペをしたいと希望を話すと、それにも反対された。

「セクシュアルの壁を感じましたね。オペの件では、母も反対でした」

母に後押しを期待したが、「そこまでする必要はない」と、相手側に立った。

結局、婚約は破談になってしまった。

「ぼくを愛してくれているのは分かっているけど、愛情が当事者を苦しめることもあるんだよ」

悔しくて、初めて母に対して本音を投げつけた。

脱サラして再スタート

その後も、転職をしながらキャリアを積んだ。
現在のパートナーは、不動産に関するコンサルタント会社で知り合った同僚だ。

「人間を性別でカテゴライズするほうがおかしい、といってくれたんですよ。素晴らしいでしょ(笑)」

知り合って1年だが、すでに共同生活をスタートしている。

彼女に支えられ、仕事面でも新しいチャレンジをスタートさせた。

「FTMのカミングアウトに特化したコーチングを始めました。真剣に向き合って、自分の経験値とマインドで精いっぱい力になるつもりです」

カミングアウトは、LGBTにとって大きな一歩。大切な関門だ。
カミングアウトは勇気がいるし、自分、他人と向き合う覚悟が必要だ。

「ぼくはメンターとして、悩んでる人たちの相談に乗りたいと思ってます」

セクシュアリティに悩みを持つ人が若年化している今、求められている仕事だと考えている。

「どうせ分かってもらえない、と諦めている子たちに、違う考え方を提示してあげられれば幸せです」

中高生にとって、親の存在は壁のように大きく立ちはだかる。

「もし、カミングアウトが失敗したとしても、別の道が拓けるかもしれません。まず、カミングアウトが有意義なことであることも知ってほしいですね」

もちろん、課題もある。

「どのように、このビジネスを成立させるか。いろいろと考えて、新しい道を切り開きたいと思います」

人間力を培う

これまで、いろいろと辛いことを経験してきた。
学歴もないし、片親だし。

それを克服するにはどうしたらいいか、いつも考えてきた。

「大切なのは、人間力を培うことだと思ってます」

死にたいと思うことはなかったが、逃げたい、消えたいと思うことは何度もあった。

「辛いことをいくつも乗り越えて、人に信用してもらうには、やはり人間力が必要です」

LGBTはマイノリティだけど、教科書に載るなど、一般教養になりつつある。

「20年前に比べれば、選べる道は格段に広がりました。それは、今日までの間に声を上げた人たちの努力があったからです」

これから20年後が、もっと暮らしやすい社会になっているように、意義のある発信をしていきたい。

それが新しいビジネスに挑戦する動機でもある。
何万人の心を揺さぶるには、まず目の前の一人の悩みと向き合いたい。

あとがき
インタビューでの質問は限られたいくつか。智理さんは、あの頃の自分を、読み込んだ物語をスラスラ語るように、そして少し愛おしそうに話す。私たちは一緒にただよいながら聴いた。呼吸を整えるひまもなく、ただひらすらに走って来たのだと思った。無理しても、転んでも、ケガしても■「やりたいこと、言いたいことをふさいでいた」という智理さん。あふれ出している今は、それも昔話。流れる景色を楽しみながら、昨日を超えた今日を生きる。新しい毎日を生きる。(編集部)

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