02 たくましい母の姿
03 どっちのグループにも入れない
04 自分のセクシュアリティに抱いた疑問
05 苛立ちが募る中学生活
==================(後編)========================
06 将棋の世界でプロを目指す
07 町の将棋道場からプロ門下生に
08 やっぱり、ぼくは男だったんだ
09 母へ、涙のカミングアウト
10 FTMのカミングアウトを支援したい
01性格がまったく違う姉妹
母と姉の3人家族
母と2学年上の姉の3人で育った。
「ぼくが生まれて8カ月のときに両親が離婚したので、父親の記憶はまったくありません」
母は早いうちに再婚し、その相手を父だと思って暮らしていた。
「でも、ぼくが年長のときに離婚しましたから、ぼくにとって家族といえば、母、姉、ぼくの3人ですね」
小さい頃から、自立心の強い活発な子だったと思う。
「こいつは放っておいても、一人でなんとかやっていくだろうと思われてました。要領がよかったのかな(笑)」
一方の姉は、長女として “いい子” であることを期待されて、しっかりと教育された。
「母としては、嫁いだときに困らないように、と考えていたんだと思います」
いかにも “女の子” という姉とぼくとは、性格もまるっきり違った。
「ぼくはぼく、あなたはあなた、と思っていました。だから、年の近い姉妹によくある仲のよさは、ありませんでしたね」
人のいうことを聞かない妹は、むしろヤンチャな弟のような存在だったのかもしれない。
「姉にしてみれば、自分ばかりお母さんに叱られて、なんでこいつは好き勝手に遊んで怒られないんだって、面白くなかったんでしょうね(笑)」
ヤンチャっぷりがエスカレート
幼稚園のときに夢中になった遊びは、虫取りだ。
「あらゆるものを家に持って帰りました(笑)」
母は、ぼくが捕まえてきた昆虫の世話をしたり、こっそり逃したり・・・・・・。
「後になって、毎回、大変だったんだから、っていわれました」。遊びにいくと、必ず泥だらけで帰ってきた。
「おままごとなんて、何が面白いのか、さっぱり分かりませんでした。おままごとの道具は、投げて遊ぶものだと思ってましたから」
小学校に入ると、ヤンチャっぷりに拍車がかかる。
「女の子同士の癒着っていうんですか、お互いに分かり合うフリをしてベタベタする感じが嫌いだったんですよね」
黙っていればいいのに、当時はそれをはっきりと口に出すために浮いてしまった。
「遊び相手は、必然的に男の子ばかりになりました」
陸上部に所属。昼休みにはグラウンドに飛び出し、サッカーやキックベースボールで遊びまくった。
02たくましい母の姿
スカートは履きたくない
物心ついた頃から、スカートは嫌いだった。
「服は、基本的に姉のお下がりでしたけど、フリフリのかわいい系は、一切、受けつけなかったですね」
頑としてスカートを履かないので、母も無理強いはしなかった。
「どうせ汚してくるなら、というのもあったんでしょうね。いつもスボンを履かせてくれました」
新しい服を買ってくれるときも、好みに合わせたものを選んでくれた。
例外は、記念日や七五三などのイベントだ。
「今日は特別な日だから、お人形さんになろう」と割り切って、その日だけはかわいい格好を受け入れた。
「要領がよかったというか、ずる賢いところがあったんです。それが気に入らない姉からは、よく嫌味もいわれましたね」
好きにさせてくれた母だが、ひとつだけこだわったのが、髪の毛だった。
「女の子は髪が長い方がいい、という理想があったんでしょうね。それとも、髪さえ長ければ女の子に見えると思ったのかな(笑)」
短く切ってしまいたかったが、どうしても許してもらえない。
「姉はきれいに編んでましたけど、ぼくはいつもひとつにまとめて結んでました」
機密に関わるストレスフルな仕事
一家の大黒柱は、もちろん母だった。「父親の役割も担う、たくましい母親でした」
父がいなくて寂しいなどと、思ったこともなかった。
「母親は調査会社で働いていました」
調査会社といえば、クライアントの機密を扱う、ストレスのかかる仕事だ。
「ときには警察からの依頼を受けて携わるような重要な案件もありました。7種類の名刺、6個のポケベルを持っていたことも記憶にあります」
「しかも、ほかの会社の役員まで引き受けて。大袈裟ではなく、1年に1日しか休みがないときもありました」
仕事に忙殺されながらふたりの娘を育てる母の姿は、小学生のぼくの目に大きく映った。
03どっちのグループにも入れない
男子から気を使われるようになった
高学年になると、元気よく校庭を走り回っていた学校生活に変調が起きた。
「5年生くらいですかね、男の子たちがぼくに気を使っているのが分かるようになったんです」
サッカーのチーム分けをするときに、自分が戦力として弱いことがはっきりしてきたのだ。
「すばしっこさは負けなくても、力では差が大きくなりましたね。体格も小さかったから、余計でした」
「ドッジボールのときには、わざと当てないようにしてくれたり」
特別扱いされることが嫌で、男子の仲間に入りにくくなった。
「それまでは、目立つ男子のグループに入って、ワイワイやるのが好きだったんですけどね」
「入れてよ!」がいいにくくなり、次第に面倒になっていった。
逆に女の子たちから「また、男の子と遊んでいるんだ」と、揶揄されるのも気になった。
「かといって、いまさら女子の輪に入ることもできませんしね」。どっちにも入れない孤立状態になっていった。
「でも、別の言い方をすれば、八方美人だったのかもしれません」
目的に合わせて、どちらにも入っていける器用さを持ち合わせていた。
「強いていえば、望んで孤立をした感じでした」
いじめを受けた経験
いじめを受けた経験がある。
「4年生のときだったかな、一回だけ、髪を短くしたことがあったんです」
それまで、長かった髪を短くした姿は、4コマ漫画のコボちゃんに似ていた。
「ぼくのシルエットをカッパの絵にして、クラス中に回されたんです」
それは愛着のある「いじり」というより、当日のぼくにはいじめに感じられた。
「ぼくが嫌がっているのを分かっていて、やられたんで・・・・・・」
カッパの陰口は、中学に上がるまで続く。
「みんな、ぼくのことを扱いにくかったんで、つけ込まれたのかもしれませんね」
悩むほどではないが、学校での居心地が悪くなる事件として記憶に残っている。
04自分のセクシュアリティに抱いた疑問
淡い初恋とセクシュアル
それまでも、男の子を好きになったことはなかった。
「ふざけるレベルでいうときも、好きになるのは女の子ばかりでした」
今にして思えば、あれが初恋だったのかな・・・・・・。
「気になったのは、中学の同じクラスの女の子で、やさしくて、落ち着いた感じの子でした」
クラスの誰よりも、大人っぽい印象を与えた。成長が早くて体つきも女らしかった。
「覚えているんだから、そういう目で見てたんでしょうね(笑)」
女子とつるむことがなかったので、その子への気持ちが友情ではないことは、はっきりと認識できていた。
でも、「好きな子は?」という話題になっても、誰にもいえない。
「気持ち悪い、と思われるだけですからね」
もちろん、告白できるはずもなかった。
「ほどよい仲良し感をキープしたまま、友だち同士のまま終わりました」
淡い恋心は、自分のセクシュアルを意識した経験でもあった。
セクシュアリティ調査
6年生のときに、担任の先生が「男女について」というテーマで、授業中に質問をした。
「その学校では、男子の名前は黒、女子の名前は赤で書くことになっていたんです」
先生は教室の生徒全員に質問した。
「名前を書くときの色、ランドセルの色に違和感を感じる人は? その質問に手を挙げたのは、ぼくを入れて3人だけでした」
あとのふたりは男子だった、とわかった。
「ひとりは金髪に染めて、グレた感じの子でした」
規則に縛れることに反抗し、自由を求めるタイプだった。
「もうひとりは、いつもテストで1番を取っていた、頭のいい子でした。きっと精神年齢が高かったんでしょう」
アンケートの後、個別に職員室に呼ばれた。
「気持ちのレベルでしんどいことはあるか、って先生が聞いてくれました」
要するにセクシュアリティに関する悩み調査だったが、その頃のぼくは深く考えていなかった。
大黒柱の母が倒れる
6年生のときに、家族にとって大きな出来事が起こる。
「母が体調を崩して、自宅療養になってしまったんです。最初は何が起こったのか、理解できませんでした」
目が回るような忙しさで働き続けたため、体が悲鳴を上げてしまったのだ。
中2だった姉とふたりで長い間、生活をきりもりする必要に迫られた。
突きつけられた現実は重い。
「それからの数年間は、母のことをいつも一番に考えて過ごしました」
母の実家は山形。助けてくれる親戚も近くにはいなかった。
「お米を送ってくれたり、物質的な援助はしてくれましたけど・・・・・・」
頼る大人もいない状況で、3人の生活は形を変えていく。
05苛立ちが募る中学生活
どこにも属せない
小学校を卒業し、公立中学に進学した。
「まず、髪をバッサリと切りました。颯爽と新しい自分でデビューするはずだったけど、まあ、浮いてましたね(笑)」
クラスで話題になるのは、友だち同士の噂話だったり、悪口だったり。
「しかも、本人がいるときといないときで、真逆のことを平気でいうでしょ」
「ぼくには母のことや家のことなど心配事があったから、みんなが夢中になっている話題が、小さいことに思えたんです」
そんなモヤモヤをストレートに口に出すと、疎ましい目で見られた。
「だんだん、自分の気持ちが苛立つようになっていきました」
どこにも属せない、誰も信用ができない。クラスの中で、そんな状況に追い込まれていった。
先生にとっては、煙たい問題児
「放課後の練習がある運動系の部活はできなかったので、パソコン部に入ったんですけど・・・・・・」
母のことが心配で、授業が終わるとすぐに帰宅せざるを得なかった。
「結局、パソコン部も1年で辞めてしまいました」
話をする友だちは数人いたが、誘われると面倒なので、距離をおいてつき合った。
誘われても放課後は自由にならなかったからだ。
「家のことは隠して、誰にも話しませんでした」
スカートが嫌だったので、ジャージを履いて学校に通った。
「校則を破ってそんなことをしているのは、ぼくひとりでした。ブチ抜けていたというか、先生にとっては問題児だったんでしょうね」
家庭の事情を相談できる、親身になってくれる先生も現れなかった。
先輩たちにかわいがられる
八方塞がりの状況で、かわいがってくれたのは先輩たちだった。
「姉が3年生で同じ学校にいたんです」
陸上部と生徒会で活躍していた姉の友だちが、手を差しのべてくれたのだった。
「最初、ぼくは姉の七光でしたね。あんたが冨澤の妹ね、という感じでした」
やさしく声をかけられると、相手の懐に入る要領のよさが生きた。いつの間にか、男女を問わず、上級生の知り合いが増えていく。
「みんなが、ねーちゃん、にーちゃんみたいになりました。犬みたいなキャラクターだったのかな、懐っこくて(笑)」
しかし、怖い先輩たちと呼び捨てでつき合うようになると、逆にクラスでは嫌われるようになった。
「クラスでは、本当に一匹狼になりましたね」
そうするうちに、どんなに変な目で見られても気にならなくなっていた。
<<<後編 2020/11/05/Thu>>>
INDEX
06 将棋の世界でプロを目指す
07 町の将棋道場からプロ門下生に
08 やっぱり、ぼくは男だったんだ
09 母へ、涙のカミングアウト
10 FTMのカミングアウトを支援したい