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農家の長男で跡継ぎ。ゲイである自分との間で折り合いをつけて【後編】

農家の長男で跡継ぎ。ゲイである自分との間で折り合いをつけて【前編】はこちら

2025/02/13/Thu
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Hikari Katano
本間 孝幸 / Takayuki Homma

1985年、新潟県生まれ。小中高と長期間にわたっていじめを受けるが、不屈の精神で学校に通い続ける。小学校高学年のころから男性へ興味を抱くようになり、中学生からゲイであることを自覚する。現在は会社員として働くかたわら家業である農業を手伝いつつ、新潟県各地で開催されているプライドパレードに参加している。

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INDEX
01 米農家の跡取り息子
02 まだ余裕をもてた小学校時代
03 ふさぎこんだ中学時代
04 思わず電気コードで
05 自分らしく過ごせるように
==================(後編)========================
06 リーマンショックとコロナ禍
07 同性愛者に生産性がない、なんて言わせない
08 LGBTQ・ゲイ当事者はここにいる
09 農家を継ぐということ
10 自信をもって生き抜こう

06リーマンショックとコロナ禍

不況に見舞われて

大学生活は楽しかった思い出のほうが多いが、つらかったことと言えば就職活動だ。

「まわりの友だちは4年生の夏までに内定をもらっていたのに、自分はなかなか決まらなくて。20社くらい落ちてしまいました」

10月になんとか内定を得て、地元の製造業に正社員として就職する。

だが、社会人になって間もなく、リーマンショックが起こる。多くの日本企業があおりを受け、自分の勤務先にも影響が及んだ。

「会社の業績が悪くなって、2年ちょっとくらいでリストラされてしまいました」

再就職先を探すも、職歴が浅いことが災いしてなかなか採用に至らなかった。

その後は、派遣社員として働く道を選ばざるを得なくなる。

かけ合ってくれた上司

現在正社員として勤めている、建設機械の製造工場で派遣社員として働き始めたのは、約10年前のこと。

「派遣社員だからってなめられないように、正社員よりもたくさん頑張って働いてたんですけど、コロナになってから会社都合で休まなきゃいけないことが多くなってしまって・・・・・・」

当時の雇用形態では、休みが重なると稼ぎが減ってしまうため、正社員の働き口を探すためにここを離れたい、と上司に相談した。

「そしたら、正社員として契約してもらえるように、上司が社長にかけ合ってくれたんです」

晴れて正社員として働き続けられることになった。

「上司が自分の話をちゃんと聞いて動いてくれて、本当にありがたかったです。恵まれた職場で順調に仕事ができているいまは、幸せですね」

10代のとき、人に散々傷つけられてきた。

でも、上司のおかげで「人を信じていいんだ!」と心から思えるようになった。

「昔は死にたいと思ってましたけど、いまは生きていてよかったって思います!」

07同性愛者に生産性がない、なんて言わせない

夢は国会議員

中学生のころから、政治に関心をもち始めていた。

「興味を持った入口は、選挙カーに手を振るところからでした(笑)」

選挙期間中、町中を走りまわる選挙カー。手を振ると「応援ありがとうございます!」と元気に声を返してくれた。

「自分の住む自治体が、長岡市と合併する前は『町』だったんです。町議会議員選挙のときには、小さな町をたくさんの選挙カーが走りまわって、15分おきに見かけるくらいでした(笑)」

高校生のとき、当時の小泉政権による、なかば強引とも思える政策をニュースで見ているうちに、政治に疑問を抱くようになる。

「小泉政権って世間的には人気みたいでしたけど、自分には好き勝手やってるように見えたんです」

高校時代のある出会いも、政治への興味を深める一助となった。

「英語の先生が、政治の話をよくする人だったんです。当選こそしませんでしたが、国政選挙にも出馬してました」

周囲の環境から影響を受けて、現政権に不満があるなら、自分が政治を担ってみたい! と思うようになった。

夢は大きく、国会議員。

「実際のところは、演説が苦手なので諦めてます(笑)。サポーターとして関われればいいかなって。でも、いまでもなれるなら国会議員になってみたい! っていう思いはあります」

現在は、X(旧Twitter)で政権与党を批判したり、応援する政党の情報を積極的にシェアしたりしている。

ゲイであるとカミングアウトしたきっかけ

30代半ばのとき、ある政治家が「同性愛者は生産性がない」と主張し、LGBTQ当事者を中心に大きな波紋を呼んだ。

10代から政治に興味のある自分にとっては、とても我慢ならなかった。

「その発言を知って、頭に来ちゃったんです」

いい機会だ、と思って職場で知り合った友人に「このような発言をしている議員がいると知って、当事者として怒っている」という主旨のメールを送信。

「その友人とまえに政治の話をしたとき、信条が合うなと感じていたので、この人ならカミングアウトしても大丈夫だろうと思ったんです」

友人からは、自分がゲイであることを受け入れてもらえるとともに「そんなことを気にする必要はない」と言ってもらえた。

それ以降、ゲイであることを少しずつ周囲にカミングアウトするようになった。

「身内や職場とか、普段の生活で近しい関係性の人には言ってないですけど、いま通ってる占いの学校とかでは伝えてます」

自分のセクシュアリティをオープンにすることによって、気持ちが楽になっていると感じる。

「話すことは手放すこと、だと考えてます。だれかに話すことで、周りにウソついてる気がする、といった罪悪感から解放されるんだと思います」

身内や近所との関係

家族には、いまのところゲイであることをカミングアウトするつもりはない。

「母は60歳手前で倒れてから認知症になってしまって、いまは話したことを理解してもらえない状態です。父親はネットに疎いので、LGBTERに載っても知ることはないと思ってます」

現在暮らしている集落は、一人が知れば立ちどころに全員が知ることとなるような、狭いコミュニティだ。

「19世帯しかない、小さな集落なんです。近所のどこかで火事が起こったら、みんな飛び出してくるような、強い結束力でつながってます」

この地域に住んでいる限り、身近な人々にセクシュアリティをカミングアウトすることはないだろう。

08 LGBTQ・ゲイ当事者はここにいる

新潟プライドパレードに参加

2022年、地元・長岡市で初めてプライドパレードが開催されると聞きつけ、パレードに参加してみようと思い立つ。

「前からプライドパレードに参加してみたいな、とは思ってたんですけど、地元で開催されるなら行ってみよう、と」

「自分も長岡市に住むLGBTQ当事者の一人なんだ! って生きた証を残したくて、参加しました」

アウティングされることを避けるため、帽子やマスクなどで顔を隠して参加した。

数人でのデモ形式という小規模なものだったが、長岡市にLGBTQ当事者の住民が実際に存在することをアピールできたはずだ。

「顔バレしないようにしてましたけど、マスメディアやいろんな人から注目されるのが楽しいって思えて、注目されることが好きなんだ、って発見もありました(笑)」

自分はゲイだけれど、それぞれ異なるLGBTQ当事者

ゲイ以外のセクシュアリティをもつLGBTQ当事者と関わるのは、パレードに参加したときが初めてだった。

「非当事者からは『LGBTQ当事者』ってひとくくりにされちゃいますけど、実際はぜんぜん違いますもんね」

特に、自分は性別違和に悩んだことがないゲイであるため、トランスジェンダー当事者の苦労を肌感覚では理解できないことに、もどかしさを感じる。

「でも、トランスジェンダー当事者のかたにその気持ちを話したら、完璧に理解しようとする必要はない、って言葉をかけてくれて、心が少し軽くなりました」

2023年は、新潟県内で開催されたプライドパレードにすべて参加した。

LGBTERに応募したことも、LGBTQ当事者として自分ができることをしたいと思った結果だ。

09農家を継ぐということ

嫁をもらわないと家がつぶれる?

米農家の長男であるがゆえに、自分のおもいとは関係なく、幼いころから身内や集落の人々に「跡取り息子」として扱われてきた。

「農家を継ぐことには抵抗感があります」

日本の食料自給率を支える主食・米を生産する大切な仕事だと頭ではわかっていても、ハードな農作業がどうしても好きになれない。

「農家として跡を継ぐということは、女性と結婚して子どもを授かって、その子にも農家を継がせるってところまでがセットなんです。でも、女性と結婚するのは、ゲイっていう自分の性的指向とは相反するので・・・・・・」

「跡取り息子としては自分が集落で一番若いので、町内会で『これから頼むぞ!』と声をかけられることもあります」

集落には、自分より年上で跡取り息子の立場だが、未婚の人もちらほらいる。

「まだ結婚してない人が『バツイチ子持ちでもいいから、嫁をもらえ』って言われてるのを聞いて、そのうち自分もそう言われるのかな、と思ったりもしますね・・・・・・」

身内や周囲から、男らしさや農家の跡取りとしての振る舞いを求められるたびに、モヤモヤした感情が湧く。

いまはその気持ちと折り合いをつけながら、仕事が休みである週末に農業を手伝っている。

実家を出てみたい

生まれてからずっと新潟で暮らしてきたが、地元を離れてみたいという気持ちがないわけではない。

「特に20代のときには実家を出たいと思ってましたけど、派遣社員になってからは、経済的に考えて実家にいたほうがいいだろうなと思って、ずっと実家に住んできました」

でも、正社員になってから2年ほど経ち、経済的にも安定してきた。それにつれて、実家を出たいという気持ちがだんだん高まってきている。

「一時期は自衛隊となって家を出ていた弟が実家に戻ってきたので、自分は家を出て、末っ子として散々甘やかされてきた弟に農家を継がせようかなとも思ってます(笑)」

10自信をもって生き抜こう

宿命を受け入れる

10代に受け続けたいじめや、農家の跡取りとして生まれたことを、最近前向きにとらえられるようになった。

「算命学で調べたら、自分の生まれた日は、業を背負う運命だってわかったんです」

神経をすり減らしながら学校に休まず通い続けたことも、負けず嫌いな性格、と占いに現れていた。

「母が自分を生むときに陣痛が始まったのが、自分の誕生日の2日前だったんですけど、その日に生まれていたら、なにもない平凡な人生なはずだったんです」

でも、自分はあえて大変な人生を背負うことを選んで生まれた。

占いというツールによって、自分のつらい過去も客観的に見直して受け入れられているのかもしれない。

「大器晩成の人生のようなので、これからが楽しみです(笑)」

生き抜いて、また会おう

最近はプライドパレードだけでなく、LGBTQ当事者向けの交流会にも参加する機会が増えている。

「いつも参加してる交流会の主催者さんと、交流会の最後に『また、生き抜こう!』ってグータッチをするんです」

2024年11月には、東京高裁でも同性愛者の婚姻の平等を求める裁判で、同性愛者の現状に対して違憲判決が下されるなど、社会は確実に変わりつつある。

でも、まだまだLGBTQ当事者の不平等が解消され、差別がなくなったとは言えない。

それでも、つらい目に遭っている人たちに寄り添うことが、自分の役目なのだと思う。

さまざまな業を背負って生まれた一人として「この世界をなんとか一緒に生き抜こう」。この記事を読んでくれた人に、そう伝えたい。

 

あとがき
涙が突き上げてくることは、少しずつなくなっていった孝幸さん。長期的ないじめから「笑うことも泣くこともできなくなってしまった」と高校時代までを振り返る。近くにいる大人も頼りにできない毎日は、どれほど過酷だったか■学校から逃げたっていい・・・。でも孝幸さんは、どんなにつらくても通い続けた。そのおもいは結果的に、新しい世界を自分から選びとる力につながっていった。「生き抜くこと」には、孝幸さんの過去と未来が詰まっている。(編集部)

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