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映画もCMも不動産業も。自分らしく生きるトランスジェンダー男性の姿を伝えたい。【後編】

映画もCMも不動産業も。自分らしく生きるトランスジェンダー男性の姿を伝えたい。【前編】はこちら

2024/11/05/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
合田 貴将 / Takayuki Goda

1993年、東京都生まれ。幼少期、女の子向けの遊びや服装よりも、男の子向けのもののほうが自分の好みだと気づく。トランスジェンダーだと自覚したあとも大学生になるまで隠していたが、初めて付き合った女性にカミングアウト。大学卒業後、留学を経て証券会社へ入社し、不動産関連会社に出向したのちに独立。26歳のとき、企業CMに性別をオープンにして出演。主演映画『息子と呼ぶ日まで』が2024年11月、31歳の誕生日に公開。

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INDEX
01 両親に泣きながらカミングアウト
02 認知度が高まると可能性も高まる
03 空気を読んで隠した性別
04 家電量販店でトランスジェンダーを知る
05 バレる恐怖に恋心が勝った
==================(後編)========================
06 女性として内定、男性として入社
07 ニューヨークで体感した多様性
08 性別適合手術や戸籍変更は誠意?
09 妻の両親が “息子” と呼んでくれた
10 LGBTQが人生を歩む、その隣に

06女性として内定、男性として入社

自分を正しく評価してもらいたかった

大学1〜2年生の頃は大学を辞めて働くことも考えたが、両親にカミングアウトをした際に父から「大学は卒業してほしい」とアドバイスされたこともあり、4年で卒業できるように努めた。

そして大学3年生で、就職活動が始まる。

同級生がどの業界にエントリーするかで悩んでいるなか、自分は、男性として就職活動するのか、女性としてするのか、と悩んでいた。

「スーツの販売店に行って、男性ものも女性ものも試着してみたんですけど、どちらを着るか、決められなかったんです・・・・・・」

そして就職活動をしないまま、大学を卒業した。

「3月に卒業して、4月から同級生はみんな働き始めて・・・・・・。なんかこう、私だけ取り残されたような気持ちでした」

「大学4年間はずっとアルバイトをしてたくらい、働いて、お金を稼ぐことは好きだったからこそ、現実が受け入れがたくて・・・・・・」

「やっぱり働きたいって思ったんです」

そこからさらに悩んだ結果、女性として就職活動をすることに決めた。当時は、企業がLGBTQを含め、職場のダイバーシティを推進し始めた頃だ。

「でも、企業がどれだけ取り組みを進めていても、まだ実際には、採用担当者にまで正しい知識が行き渡っているか、ということはわからないなって思ってたんで・・・・・・女性で就職活動しようと思いました」

「やっぱ就職って、人生を左右するような大切なことだと思ったんで、性別が原因で落とされるようなことがないように、採用に関しては自分に対して正しい評価をしてもらいたかったので」

「その結果、第一志望の証券会社から6月に内定をもらうことができました」

他の男性社員が不快に思わないように

内定後も問題はまだ残されていた。

女性として内定をもらえたが、このまま女性として働くのか?

「ずっと女性として生きていくのは無理だろうと考えて、入社するまでには会社の人に言わなくては、と思いました」

「でも、トランスジェンダーが会社にカミングアウトしたら内定を取り消されたという話も聞きますし・・・・・・すごい怖かったんです」

内定した会社は、入社までに先輩社員が新入社員のフォローアップをしてくれるシステムがある。言うなら、そのタイミングだと思った。

「面談のとき、まず『なにを言っても内定を取り消されたりしないですか?』みたいなことを先に確認しました。向こうからしたら『なに言ってるんだ、こいつ。やばいこと言ってくるんじゃないか』って思ったでしょうね(苦笑)」

「そしたら『どうしたの、大丈夫だよ』って言っていただけたので、女性として内定をもらいましたが、心は男性のトランスジェンダーなので、男性として入社させていただきたいです、とお伝えしました」

その面談が終わってすぐに人事部から電話があった。

「弊社にはまだトランスジェンダーだとカミングアウトしている社員はいないので、対応については合田さんに教えてもらいながら進めさせてください、と言っていただけました」

内定は取り消されることなく、男性としての入社を許されたのだ。

「それからはダイバーシティの部署と人事部が連携してくださって、私の配属の部署にLGBTQの研修を行ってくれたり、『トランスジェンダーである私が男性用トイレを使うことで、ほかの男性社員が不快に思わないように、建物内にトイレが複数ある支店に配属してください』とお伝えしたら対応してくれたりしました」

就職した会社は、世界に社員が3万人ほどいる大企業だったが、たったひとりのトランスジェンダーのために職場環境を整えてくれたのだ。

その企業との出会いも「人生の運」だと思っている。

07ニューヨークで体感した多様性

LGBTQは多様性のひとつに過ぎない

内定が決まってから入社までの期間は、ニューヨークで半年ほど過ごした。

「ニューヨークって “人種のるつぼ” って言われるじゃないですか。いろんな人が住んでるから、LGBTQにも寛容な街なんじゃないかと思って」

語学学校に通いながら楽しく暮らしていた。

「結論として、ニューヨークは人種だけでなく、もちろんセクシュアリティだけでもなく、富裕層と貧困層が混在していたりする、本当に多様性のある街でした」

それまでは、多様性と聞くとLGBTQのことばかり考えていた。

しかし、人種、宗教、教育、貧富、年齢、性別・・・・・・さまざまな背景をもつ人々が共存することで、本当に多様な社会になるのだと知る。

「LGBTQは多様性のひとつに過ぎないんだな、って思いました」

「だからかな、ニューヨークではLGBTQのコミュニティとかにわざわざ行くこともなかったですね」

滞在中に仲良くなった友だちには、イエメン人の男性もいた。

内戦が続く国に生きる彼が、年齢を偽ってまで、なんとかしてニューヨークまでやって来たと聞いて、「こんな人生があるのか」とショックを受ける。

自分だけではない。
みんななにかを背負って生きているのだと感じられた。

新入社員600人の前でカミングアウト

ニューヨークから帰国し、いよいよ入社する際に、ひとつの挑戦を決意する。

「新入社員研修で、スピーカーとして登壇することにしたんです」

ダイバーシティ研修の一環として、LGBTQについて学んだあと、当事者として新入社員約600人の前に立ち、カミングアウトした。

「研修中に『実はこのなかに当事者がいます、合田くん』みたいな感じで呼ばれて、前に出て行ったんです」

「それまでは同期にもほとんど言ってなかったんで、どんな反応があるかと思っていたら『すごい勇気があるね』と言ってもらえたり、『実は僕はゲイなんだ』とこっそり教えてくれたりすることもありました」

「その経験が、LGBTQに関する取材を受けるきっかけになりました」

18歳、初めて彼女ができて、自分はトランスジェンダーだと伝えた。
20歳、家族にカミングアウトした。
22歳、就職先に男性として働くことを伝え、ニューヨークで本当の多様性とはなにかを考えた。
23歳、新入社員の前で自分のことをオープンに話した。

“ふつう” を装い、トランスジェンダーであることを隠して生きていこうとしていた頃とは比べて、格段に世界は広がっていった。

08性別適合手術や戸籍変更は誠意?

パートナーと結婚するためには

性同一性障害の診断書を取得したのは21歳のとき。
大学を卒業する前だった。

「胸オペ(乳房切除術)を受けたのは25歳です。有給をいただいて、土日と合わせて5日間くらい休んだんじゃないかな・・・・・・」

「私、胸オペはしてるけど、ホルモン治療は一度もやったことないんですよ。自分以外には、あまり出会ったことないですね、そういう人は」

「なので、26歳のときにパンテーンのCMに出て、いろんなインタビューを受けるようになって、そのことを話すと『それって大丈夫なんですか!?』ってSNSとかでいっぱい質問が来ました」

トランスジェンダー男性の性別適合手術では、診断書を取得し、ホルモン療法、乳房切除、卵巣摘出・・・・・・といった流れを踏むケースが多い。

「そこを順番通りにやらなくていいじゃんって思ったのは、たぶんニューヨークに行ったときに、みんな自由に生きてるのを見て、自分が必要なことだけ選択してやっていけばいい、と感じたからだと思います」

「男性として生きるには、髭とか筋肉とかが欲しいからホルモン治療をやるっていう人が多いと思うんですが、私はいまの中性的な自分で満足してるので・・・・・・。まぁ、筋肉とかは欲しいですけどね(笑)」

しかし一時期は、ホルモン療法と性別適合手術を経て戸籍の性別変更をしようと考えていたこともあった。

「将来を考えると、ホルモン打って、手術して、戸籍変更して、結婚・・・・・・ていう流れが、パートナーに対する誠意だと思っていたので」

治療をしなくていいという選択肢があると思っていても。
手術は必要ないと考えていても。

「いざパートナーができると、やっぱり順序を踏んで結婚しなければと思ってたんです」

「戸籍上の結婚にこだわる必要はない」

現在のパートナーと、そのことについて話してみたことがある。

「彼女は、『自分が治療や手術をしたいのではなく、結婚するためにするのならしなくていい。パートナーシップ制度があるから、戸籍上の結婚にこだわる必要はない』みたいなことを言ってくれたんですよ」

「なるほど、そういう考え方もあるんだなって。戸籍変更して結婚することが誠意だと思い込んでいましたが、考えを切り替えるきっかけを、彼女がくれました」

26歳から交際を始めたパートナーとは、28歳のときにプロポーズし、29歳で東京都のパートナーシップを宣誓。

いつかは子どもがほしいと考えている。

「子どもの両親になるという意味で、戸籍変更をしようとは思ってるんですが、さらにいろんなことを考えて、私も子どもを産める可能性を残しておいたほうがいいかもしれないとも思っていて・・・・・・」

「結婚なのかパートナーシップなのか、どちらが子どもを産むのか。自分たちの生活の実態に合わせて、どう進めるのがいいか選択していけたらいいなと思ってます」

09妻の両親が “息子” と呼んでくれた

会うまでの1年半は必要な時間

2023年7月13日。
29歳のとき、付き合って3年の記念日にパートナーシップを宣誓した。

「妻のご両親ともすごく仲が良くて、この前も私たち夫婦と、ご両親と義妹夫婦の6人でグアム旅行に行ったんですよ」

「でも、付き合って1年半くらいは、ご両親に会えなかったんですよ。やっぱり、私のことを受け入れるのは時間が必要だったと思うんです」

付き合って2カ月ほど経った頃、妻は両親へ伝えたそうだ。
相手がトランスジェンダー男性であることを。

そのときの反応はわからないが、1年半という時間は、おそらくお互いにとって必要だったのだろう。

「初めて会ったときは、食事をしながらすごく楽しく話をさせていただいて」

「でもその2時間くらいで、トランスジェンダーの話題が出なかったので、このままで会食を終わらせてはいけないと思って、妻に席を外してもらって、ご両親と3人で話をさせてもらったんですよ」

その頃には、すでに同棲をしていたので、両親に挨拶もなく一緒に暮らしていることをまず謝りたかった。

大切な人だから明らかにして

「トランスジェンダーであるとか、自分から話をすることもなく、付き合ってしまって、同棲までしてしまって、本当に申し訳ありませんでした、とお伝えしたら、ご両親も・・・・・・なんて言ってくださったかな・・・・・・『君の誠実さは伝わってるから、そこはなんとも思わないでほしい』『こちらも、会うまでに時間がかかってしまってごめんね』っていう感じで言ってくださって・・・・・・それからは、本当に仲良しです」

主演映画の公開については、義理の両親も喜んでくれている。

「お義母さんはSNSで『“私の自慢の息子” の映画が公開されます』みたいな投稿をしてくれたりしていて・・・・・・。妻のご両親が、あのおふたりで本当によかった・・・・・・」

「会うまでに時間がかかったのは、そりゃそうだろうと思います」

「自分の親ですら、ちゃんと理解するまでにちょっと時間がかかりましたから。ましてや大事な娘の相手が、ってなると・・・・・・うん」

これから家族になる人たちだからこそ、初めて会ったとき、核心に触れずに関係をスタートさせるわけにはいかないと思った。

大切な人だからこそ、言いにくいことも明らかにして気持ちを伝えたかった。

伝えることが、けじめだとも感じていた。

だからこそ、いまの義理の両親とのつながりがある。

10 LGBTQが人生を歩む、その隣に

性的マイノリティ向けの不動産サービスを

2024年6月、新たな事業をスタートさせた。

LGBTQに寄り添う不動産購入仲介業だ。

「証券会社に勤めているときに宅建(宅地建物取引士)の資格をとって、それをきっかけに不動産業っておもしろいなって思っていたところに、妻と家を借りようとしたときに私の性別が原因で内覧を断られて・・・・・・」

「衣食住の部分は、人間の基本的な権利として守られるべきものだし、これはなんとかしたいと思って、改めて不動産業を志すようになりました」

勤め先の系列である不動産会社に出向できた。

住宅取引や物件調査の基礎を学びながら、いつかLGBTQ向けの不動産サービスをつくりたいと考える。

その後、証券会社の先輩から証券と不動産を合わせた事業をやろうと誘われ、そこで1年ほど経験を積み、独立して「Borderless不動産」を始めた。

「具体的には、たとえば同性同士で住宅ローンを組める銀行と組めない銀行があることとか、名義になっている人が亡くなったときの相続の対策とかを、ゲイ当事者の行政書士とタッグを組んでサポートしていきます」

「ただ、10年後は、このBorderless不動産は廃業していたいですね。同性婚ができて、LGBTQの理解がもっと進んでくれていたら」

自分らしく生きるトランスジェンダーとして

LGBTERのインタビューは「誰かの背中を押せるかもしれない」と思って出演することを決めた。

しかしその行動は、背中を押すだけでなく、懸命に生きていこうとするLGBTQ当事者の隣を、一緒に歩いていこうとするようにも見える。

「インタビューではよく、証券会社の入社の話をするんですよ。トランスジェンダーを受け止めてくれる企業もありますよって伝えたくて」

「そしていまは、トランスジェンダーであることを強みにして働けますよってことを、身をもって伝えていきたいと思っています」

主演映画が公開され、合田貴将の名前は、より多くの人に知られることとなるだろう。同時に、トランスジェンダー男性であることも。

「批判的な言葉も、ある程度は覚悟してます。でも自分は、トランスジェンダーであるってことを受け入れ切っているから、あまり気になりません」

「ただ、まだ自分のことを受け入れられていないトランスジェンダーたちが、その批判を目にしたら、傷ついてしまうんじゃないかと思って・・・・・・。それがどうしても気になってしまいます」

トランスジェンダーの存在が広く知られること自体が、当事者であることを隠している人を生きづらくさせてしまうんじゃないか・・・・・とも。

「でも、自分は、杉山文野さんをはじめ、ほかのトランスジェンダー男性の人たちが、自分らしく生きている姿を見て、救われたので」

今度は自分が、次の世代のために。

「そんな気持ちで、インタビューを受けたり、映画やメディアに出演したりし続けたいと思ってます」

 

あとがき
さっぱりとした笑顔で待合せ場所にあらわれた貴将さん。重苦しい時代が、昨日のことのようによみがえったのか、瞳はいくども濡れて、唇は震えた。それを気にも留めない様子こそが、C Mの人でも映画の主人公でもない “合田貴将さん” なのだろう■やることを絞るか絞らないかを考え中。興味の傾くことは広く横断! もいいし、テーマを深く掘り下げるのもいい。今この瞬間以外に確かなものはないから、ときどきに集中して歩みを進めるんだろうな。(編集部)

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